●5 魔術は爆発だ 3
転移。
一瞬にして薄暗い地下室から明るい地上へと連れ出された俺は、急激な視界の変化にやや顔をしかめた。
まぁこの程度の
「……おい、いきなりすぎるだろ。空間転移するならするって言えよ」
「はははは、すまないね。ボクとしたことが久々の再会に心躍っているようだ。つい気が
エムリスは笑って謝罪の言葉を口にするが、言うほど罪悪感を覚えているようには見えない。
「で、どこだここ? っていうかお前、その髪……」
真っ先に気になった転移座標について質問しようとしたが、エムリスの髪の変化に驚いて思わず指差してしまう。
工房地下室の至る所に張り巡らされるほど伸びていた髪が、常識的な長さになっているのだ。
「ああ、短くしたよ。外では不便だからね。汚れるのも嫌だし」
何てことないみたいに言いやがる。というか、やっぱり魔術か何かで伸ばしていたんだな。それもそうか。普通、髪の毛ってのはあんな自在に動かせたりしないもんな。
「心配しなくとも、ここは城の敷地内だよ。ボクの工房からさほど離れていない。いきなり別の国の領地まで飛んできたわけじゃあないから、そこは安心しておくれ」
クスクスと笑いながら、さらりと常識離れしたことを口にするエムリスの体は、今度は自身の髪の毛によらずに宙に浮いていた。よく見ると、尻の下に大判の本がある。
「それ、本に乗って浮いてるのか?」
「ああ、これかい? そうだよ。歩くのは面倒だからね」
「
「その点なら大丈夫さ。なにせこの本の作者はボクだ。自分の執筆した本をどうしようが、ボクの勝手だろう?」
そういうものだろうか? いまいち納得はしかねるが、まぁ他人の著作でないのならよしとするか。一生懸命に書いたものなら、それはそれで大事にしろよとは言いたいが。
「そういえば、こうして陽の光の下に出るのも久しぶりだなぁ。太陽ってこんな色をしていたっけ? 何だか新鮮だよ」
ぷかぷかと宙に浮くエムリス――本のサイズが画板と見紛おうほどなので、ほとんど椅子の座面だ――が、雲一つない大空で輝く太陽に手をかざし、眩しげに目を細める。
陽の光を浴びるのが久しぶりだという言葉通り、こうして明るいところに出ると、こいつの肌の白さがよくわかる。誇張抜きで陽の色を忘れるほど長い間、外出していなかったのだろう。
そんなエムリスが身に纏っているのは、深い色の藍色の上下だ。ダボっとしたオーバーサイズのスタンドカラーシャツに、これまた大きめのワイドパンツ。どっちもゆとりがありすぎて、ひとつなぎのワンピーススカートに見えなくもない。
そこに先述した通りの青みがかった黒髪が相まって――うん、実に地味だ。
昔、魔王討伐の旅をしていた際は全身黒尽くめかつブカブカのローブと帽子だったのだが、あの頃と比べてもあまり印象は変わらない。帽子がなくなって顔が見えている分、多少の開放感というか、垢抜け感はあるが。
「……なんだい、マジマジと人のことを見つめて。ボクにどこかおかしいところでもあるのかい?」
俺の視線に気付いたエムリスが、怪訝そうに顔をしかめる。
「いや? マジで昔とあんま変わんないなと思ってな。服のセンスも相変わらずだし」
そう答えると、いかにも心外そうにエムリスは目を見開いた。
「な……こ、これでも少しは垢抜けたはずだぞ? この服だってトレンドを意識して選んだんだ。もう大分前になるけど……」
「あー、
いつ購入した服かは知らないが、今時の流行は細身というかタイトというか、そんな感じだった気がする。ここ数日、街中を実際に歩いてみての感想だ。
「まぁいいんじゃないか? 似合っていると思うし。お前らしいよ、そういう格好の方が」
少女体型なのも隠せるだろうしな、とは敢えて口にはしない。
「……アルサル、
「ん?」
何だか恨みがましげな視線が向けられるが、何故そんな目で見られるのかがさっぱりわからない。もしかして心の声が漏れていたか? いや、まさかな。
「んで、こんなところに来て何するつもりだ?」
今更ながら周囲の状況を説明しよう。
だだっ広い平原だ。足元は芝に埋め尽くされていて、緑の匂いが充満している。
先程エムリスが説明した通り、視線を上げると遠くにアルファドラグーンの王城が見える。城の敷地内とは言っていたが、かなり端っこの方だろう。兵士達の訓練場かとも思ったが、それにしては芝生が綺麗だ。余っている土地なのか、王族や貴族が運動する場所なのか。どっちにせよ贅沢な空間である。
「実験さ」
エムリスの説明は一言だった。
言うが早いか、俺が土産で持ってきた竜玉を魔力によって宙に浮かべ、ゆるゆると頭よりも高い位置へと上昇させる。
「実験?」
「ああ、魔力生成実験だよ。この竜玉を使って、実際に魔力を生み出すんだ」
「こんな何もないところでか?」
「何もないところだからこそさ。知っているとは思うけれど、竜玉は魔物の
エムリスの説明――というか講義は、あっさりと俺の腑に落ちた。なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
「魔力を生成する心臓と炉臓は魔界――『魔の領域』に生まれたものなら誰しもが有しているものだ。だが一部のドラゴン、つまり竜種はそれらに加えて竜玉を持つパターンがある。一般的には強靱な個体竜が竜玉を有するのは当たり前のように思われているが、これは実に特異なことなんだ。だって魔力生成器官だよ? それを体外に新たな器官として後天的に会得するんだよ? めちゃくちゃすごいことじゃないか」
エムリスの声調に
「また、竜玉が心臓や炉臓と比べて決定的に違うのが、やはり【無機物】だという点だね。心臓や炉臓はその個体が死ぬともう魔力を生み出さなくなる。なにせ有機物だからね、そのまま放っておくと肉と同じで腐っていくし、だからといってミイラ化させて形を残しても、結局はただの
意味がないのは研究者視点であって、エムリスは別に生命を軽視している訳ではない、とは一応、俺の方から
「けれど竜玉は違う。たとえ個体が死んでも形が残るし、機能も失われない。その代わりと言ってはなんだが、竜玉が本領を発揮するためにはあるトリガーが必要となる。それは……まず最初に、ある程度の魔力を注入しないといけない――ということだ」
エムリスが頭上に浮かせた漆黒の竜玉に掌をかざし、魔力を放射した。魔力の波を受けた竜玉が、やにわに赤黒い光を内側に
「ほらね? 魔力を受けた途端、竜玉が活性化した。このまま続けると、やがて大気の成分を取り込んで魔力を生成するようになる」
その言葉通り、数秒ほど灯り続けた赤黒い光が、やがて左右に揺らめき、
じんわり、火に炙られた石が熱を放つように竜玉から魔力が生まれ始める。ほんのわずかだが、俺にも竜玉が魔力を生み出しているのがわかった。
しかし。
「……なんか順序がおかしくないか? 竜玉は魔力の生成器官なんだろ? なのに始動に魔力が必要なのは矛盾してるんじゃないのか?」
「そう、いい質問だねアルサルくん」
もうすっかり講師気取りのエムリスは、偉そうに俺を指差してドヤ顔をする。こいつ、他人と話すのが久々だからと言っていたが、単に知識を披露してドヤりたいだけなのではなかろうか。
「それもまた竜玉の特異な点さ。しかし、考えてみれると理由は単純なんだ。先程も言ったように竜玉は【後天的】に【体外】に生み出される【無機物】だ。つまり、その存在には必ず竜の心臓と炉臓が前提にある。だからなんだ」
ぐっ、と両の拳を握り締めて、エムリスは力説する。陽の光の下でもなお青白く光って見える瞳を大きく開いて、キラキラと星屑みたいに輝かせながら。
「あくまで竜玉は第三の魔力生成器官なんだよ。だからまず魔力の供給が必要になる。だが逆に言えば、魔力の供給さえあれば持ち主の個体が死んでも稼働し続けるんだ。つまり最初の魔力さえあれば、どこでも誰でも魔力の恩恵に与れるようになるのさ。素晴らしいだろう?」
それは疑問形に見せかけた反語だった。君も素晴らしいと思うだろう、いや思うはずだ――と、もうエムリスの表情がそう言っている。
「始動にこそ一定の魔力が必要だが、一度動き出してしまえば竜玉は半永久に魔力を生成する。壊れるまでずっと魔力を作り続ける永久機関になるのさ。これがどういうことかわかるかい?」
なんとなく想像はつくが、エムリスの求める答えはなかろう。なので、
「どうなるんだ?」
敢えてわからない振りをして質問に質問を返した。
すると、魔の道を追求する少女はさらに興奮のボルテージを上げ、
「いずれは世界中に魔力が満ちるんだよ! 今は魔界やその周辺であるこのアルファドラグーンでしか摂取し得ない魔力が、たとえ遠く離れた『ヴァナルライガー』でも吸収し、魔術に用いることができるんだ。そうなると、どうなると思う? そう! 世界中で魔術の研究が盛んになるんだ!」
もはや俺の答えを聞くまでもなく、エムリスは持論を展開していく。昔からこの手の話となると暑苦しくてうるさい奴だったが、そこは相変わらずだ。
「そもそも! どうして魔力が魔界でしか生まれないのか知っているかい? どうして魔族や魔物があんなにも濃厚な魔力の中で生きていけるのか、不思議に思ったことはないかい?」
またぞろ質問を繰り出してくるが、俺の答えを求めていないのは明白だ。俺は、うんうん、と適当な相槌を打つ。
余談だが、高密度の魔力は人間にとって毒だ。しっかり予防策をとらないと中毒死する。
「逆なんだよ! 魔界に魔力があって魔族や魔物が生まれるんじゃないんだ。魔族や魔物の肉体が魔力を生成するからこそ、魔界には魔力が満ち満ちているんだ。だからあそこは『魔の領域』たりえるのさ!」
世紀の大発見みたいな勢いでエムリスは断言する。その拍子に魔力の制御が
ぐぉん、と竜玉が不吉な唸りを上げる。
「お、おい……?」
俺は思わず声を上げた。明らかに竜玉から生成される魔力量が加速度的に増加している。
だがエムリスは耳を貸さない。
「わかるかい? あの土地だから魔族が生まれるんじゃないんだ。あの土地に魔族や魔物がいるから魔力が生まれ、その結果として魔王も復活する。そう、魔王とはどこにでも偏在するんだ。もし魔族や魔物が他の土地へと大移動したら、きっと魔王もそこで復活するだろう。魔王は魔族や魔物のいる場所に復活するんじゃない。大量かつ濃厚な魔力のあるところにこそ復活するんだ。これを活用すれば、いつか
ぐぉぉん、ぐぉぉぉおん、と竜玉が赤黒い明滅を繰り返し、唸りながら、それこそエムリスの言う大量かつ濃厚な魔力を生成している。言っちゃあなんだが、既に普通の人間なら致死量だ。見ろ、足元の芝生がどんどん枯れていっているぞ。
「おいおい、おいおいおいおい、ちょっと待て……!」
流石に不吉な予感しかしないので俺は声を高めた。このままじゃまずい。絶対にろくなことにならない。
「待てないよ! いいかいアルサル、竜玉の研究は最終的には人類の進化へと繋がるんだ。いつかは人類も心臓から魔力を生成するようになる。炉臓だって持つようになるかもしれない。もしかしたら竜玉ならぬ人玉――うぅん語呂が悪いなこれは。まぁいい、とにかく第二第三の魔力生成器官を持つことだって夢じゃないんだ。つまり魔族とは魔人、言うなれば彼らは既にボク達人類の新たな進化形として」
「あー本気で待て。ガチでやばいから」
どうしようもなくなってきた俺は、いっそ落ち着いてエムリスの講義を打ち切った。肩をいからせて弁舌を振るうエムリスに歩み寄り、その頭に掌をのせる。
「――え?」
そうすることによってようやく、エムリスがはたと我に返った。
ほのかに青白く光る瞳が、自らの魔力によって唸りを上げる魔力生成器官――竜玉へと視線を向ける。
「……あ、しまった」
ぽつり、とエムリスが呟いた瞬間だった。
竜玉が派手に爆発した。
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