●5 魔術は爆発だ 1
国境を越えてアルファドラグーンに入ってからは早かった。
ジオコーザが喚いていた国外追放の件については、外交ルートを通さないといけないのもあってか対応が遅れているらしい。
人のいる場所に出ても奇異な視線を向けられることはなかったし、新聞を購入して目を通しても、俺のことは一行も書かれていなかった。
おかげで移動もスムーズに済んだ。
俺はアルファドラグーンの西方に位置する小さな街に訪れ、そこで飛獣をレンタルした。
飛獣というのはその名の通り、空を飛ぶ獣だ。
まぁ、正確に言えば獣と言うよりは――『魔獣』である。
驚くことなかれ。ここは魔術国家と名高いアルファドラグーンである。魔術――つまり『魔』に関する研究が盛んなお国柄で、魔界から迷い込んできた魔獣をとっ捕まえて調教するなど日常茶飯事なのだ。
他の国では倫理的に認められないようなことでも、ごくごく当たり前のこととして生活の中へ浸透している――それが『魔の領域』と隣接する、このアルファドラグーンの特色である。
言うまでもなく飛獣による空の旅は、馬車で行く陸路よりも遙かに速く、快適だった。
とはいえ、流石にエムリスがいるはずの中央の王都は遠く、飛獣――俺が借りたのはいわゆる『グリフォン』と呼ばれる魔獣――の翼を持ってしても丸一日かかってしまった。
「はー、やっとの到着だぞ、っと」
途中、飛獣を休ませるため小さな街で一泊した俺は、どうにか昼前にはアルファドラグーンの王都まで辿り着くことができた。
ここまで通常の交通手段でやって来た俺だが、気疲れするぐらいなら素直に転移しておけばよかったかもしれない――などと頭の片隅で思う。
いやいや、旅は道程を楽しむものだ。そこを省略してしまっては『旅』ではなく、ただの『移動』になるではないか。
ここまで来るのに使った時間と労力にはちゃんと意味があったのだ――と、半ば自分に言い聞かせるようにして理論武装しつつ、俺は
正確には、城の敷地内にあるエムリスの工房に、だが。
意外に思うかもしれないが、城というものは思った以上に人の出入りが激しい。なので、門番は警備のために立ってはいても、敷地内に訪れる人間を一人ずつチェックしたりなどしない。
もちろん、王族がいて、国家運営の中枢機関となる王城はガチガチに固められているが、逆に言えばそれ以外の場所はそこそこ緩い。セントミリドガル城で言えば、俺が住んでいた兵舎エリアなんかが例としてはわかりやすいだろう。
というわけで、城の敷地内に入ることは容易く、さらに言えば、城内の片隅に設置されているエムリスの工房には、他の部署と違って警備の兵士など一人もいなかった。
ま、ここにいるのは、かの英雄〝蒼闇の魔道士〟である。警護する必要なんて微塵もない、って感じだろうか。
あるいは、俺のように『役立たず』『穀潰し』の烙印を押されて、放置されているだけかもしれないが。
「というか、俺みたいに追い出されてなきゃいいけどな」
結局、俺が送ったメッセージに対する返事はなかった。だが既読反応はあるので、読んではいるはずだ。多分、あいつの中にある〝怠惰〟の影響で、返信するのが億劫になったままなのだろう。
「遊びに行くぞとまで言ったのに既読スルーするとか、かなり影響されてるんじゃないのか、あいつ……」
軽く心配しながら、工房の扉をノックする。
どんなメッセージを送っても返事がないので最近の状況はわからないが、最後に交わした会話では、エムリスはこのアルファドラグーン城に専用の工房を設置してもらい、そこで魔術の研究を続けていると言っていた。
あれから早数年。もしかするとここを出て別の場所に行っているかもしれないが、まぁ、メッセージの応答がないのと同様、あいつの中の〝怠惰〟が相応に働いているのなら、ここで根を生やしている可能性はそれなりに高かろう。
「……返事がないな。よし、勝手に入るぞ」
中にいるのがエムリス一人なら、反応がないだろうことは織り込み済みである。
重厚な金属製の扉の取っ手に指をかけ、力を入れる。
「ほっ、と」
幸い鍵はかかっておらず、重たい引き戸型の扉が左右に開かれていった。
魔道士の工房と言っても、見た目はレンガ造りの四角い建物だ。前に聞いた話だと地上二階、地下一階の作りになっていて、言っちゃ何だが第一印象は『倉庫』以外の何物でもない。
エムリスの場合、勇者である俺が普通の兵舎を割り当てられたのと違って、自ら望んでこの工房を建ててもらったそうなので、アルファドラグーンの遇し方がひどいというわけではないのだが――
「いや、好きこのんでコレに住むってのもどうなんだ?」
前からそうだが、魔道士の考えることはよくわからない。
人一人分が通れる隙間だけ開けると、俺は中に足を踏み入れた。
途端、得も言えぬ空間が俺を出迎える。
「……なんだこりゃ?」
奇想天外な光景が広がっていた。
倉庫という印象に間違いはなく、一階は仕切りなしのフロア丸ごとを使った広大な間取り。
だがそこには、
しかも――【動いていた】。
誰もいないにも
ビーカーやらフラスコやらが宙に浮き、スポイトやらメスシリンダーやらが舞い踊る。
部屋の隅には水か薬液かが入っていると
様子から察するに、何かを精製しているようだ。机の上の器具を一周すると、
作っているのは、薬だろうか? それとも毒か? あるいは――爆弾?
どれもありそうだから困る。特に毒と爆弾。
ともあれ、勝手に動いている実験器具からほのかに魔力を感じるので、魔術によるシステムなのは確かだ。
よもや、魔力を応用して工房を
「よほど研究が進んだのか、それとも〝怠惰〟の影響によるものか――ま、どっちもって可能性が一番高いか……」
素直に感嘆しつつ、俺は改めて辺りを見回す。
この工房の主人らしき姿は見えない。
「エムリス……?」
それにしたって殺風景な場所だ。机と実験器具――いや、実験ではないな。得体の知れない精製ラインの他には、生活臭のあるものなど一つもない。
一階にいないとすれば、二階か、それとも地下か。
俺から見て右手の壁際には二階へと続く階段があり、反対方向の壁際には地下へと続く階段が見える。
多分、地下だな――俺はそう当たりをつけ、左の階段を下りた。
かつん、かつん、と音を立てて石の階段を下っていくと、そこは薄暗い空間。そこそこ広い地下空間のはずだが、壁が見えない。
それもそのはず、そこは本棚の
床から天上まで届く本棚が隙間なく並んでいるせいで、壁が完全に隠されてしまっているのだ。
一階に引き続き、生活臭のせの字もない空間である。
「――お、いたいた。よう、久しぶり」
目的の人物は、思いの
「……ん……? 誰だい……?」
声をかけると、この部屋の〝ヌシ〟は億劫そうにこちらを振り返った。
「………………ああ、なんだい、アルサルか」
「なんだとは随分なご挨拶だな、エムリス。十年振りだぞ? もう少し嬉しそうにしろよ」
俺は苦笑しながら、この工房の主――エムリスへと歩み寄った。
するとエムリスは華奢な肩をすくめ、
「いやはや、嬉しいとも。実を言うと、メッセージを受け取ってから君に会えるのをとても楽しみにしていたんだ。やぁ久しぶり、元気そうで何よりだね」
「なら返事ぐらい返せよなぁ。何回メッセージを送ったと思ってんだ」
「ああ、ごめんよ。なんだか面倒臭くてね。でもほら、ボクの中には〝怠惰〟がいるから。わかるだろ?」
「……ま、な。正直そんなことだろうとは思ってたさ」
「そうかい? 理解があって助かるよ、親友」
ふふふ、とエムリスは微笑む。
何だろうか、このむずがゆい感覚は。
こうしてこいつと、こんな軽口を叩き合うのは本当に久しぶりだ。何だか十年前に戻ったような気分になる。
「……しかし、すごい状態だな、【それ】」
「ああ……」
俺が指差して指摘すると、エムリスは曖昧に頷いた。
すごい状態、と言ったのはエムリスの体勢のことである。
懐かしさが先に立ち、すっかり言い遅れてしまったが、この地下空間におけるエムリスの姿を解説しよう。
まず目を惹くのは、圧倒的に長い髪だ。こんな薄暗い場所では俺と同じ黒い髪に見えるが、陽の下に出ると少し違うことがわかる。青みがかった黒、とでも言おうか。こいつの異名である〝蒼闇〟を表すような、蒼い闇の色をしているのだ。
「魔力は肉体に貯蔵できるからね。髪の毛も体の一部と考えれば、髪を伸ばせば伸ばすほど魔力の貯蔵量が増えるって寸法さ」
そう語ったエムリスは、まさにその長く伸ばした髪の上に【寝そべっていた】。
そう、自分の髪で作ったソファベッドの上に、ゆったりと横たわっているのだ。
しかし、だからと言って床の上にいるわけでもない。
宙に浮いている。
この地下空間の隅々にまで届きそうな長さの髪――それだけでも尋常ではないが――が、別種の生き物か、はたまた触手のように、エムリス自身の体を持ち上げて宙に浮かせているのだ。
多分、俺以外の人間がこいつを見たら
「いや、そういう話じゃなくてだな。っていうか、お前それダラダラし過ぎだろ……」
エムリスの魔力を帯びた髪が持ち上げているのは、奴の肉体だけではない。幾本もの髪の束が腕のようになって、何冊もの本を開いて持ち上げているのだ。
エムリスはそれらを、自らの髪に寝そべりながら悠然と閲覧していたのである。
「そんなズボラなことばっかしてるから、体が全然成長してないんじゃないか……って、お? あれ? いや待て、お前マジで成長してなくないか……? おいおい、なんだそれ? お前、見た目がほとんどあの時のままじゃないか……!?」
エムリスは俺と同い年。つまり、今年で二十四になるはずだ。
なのに顔立ちといい体付きといい、十年前と比べて、まったくと言っていいほど変わっていない。
道理で一目見た瞬間からエムリスだとわかったわけである。
この十年で変化したところがないのだから、良くも悪くも驚きがまったくなかったのだ。
「む……」
俺の指摘に、それまで倦怠感を丸出しにしていたエムリスが眉を寄せ、不快さを示した。
「なんだいなんだい、失敬なやつだな、君は。確かにアルサル、君はこの十年で随分と成長し――」
怒り口調で文句をつけようとしたエムリスだったが、こちらを見るだに舌を止め、しばし凝然と俺を見つめる。
「……うわ、本当に成長してるじゃないか。ものすごく成長している。一瞬誰かと思った。いま
バケツで水をぶっかけたみたいに鎮火したかと思うと、俺の成長に素直に驚きつつ、さりげなく失礼なことを
「おい、俺に文句が言いたかったんじゃないのかお前は。っていうか何だ、どういう意味だ、その【すごい】ってのは。俺が成長してるのがそんなにおかしいか」
「おっと、そうだった。いや、君の成長した姿が思いのほか……いや、それはそれとして、文句を言わせてもらおうか」
「いやいや。気になるところで切るなよ。思いのほか……何だよ?」
「言いたくない」
ずばっ、とエムリスはぶった切った。くす、と笑って、
「なんだか言ったら、アルサルが調子に乗りそうだからね」
「お? なんだなんだ? ……はっはーん、その言い方からすると、俺が思ったより格好いい大人になってて驚いたってか? いやぁ、お褒めにあずかり光栄だね」
俺が調子に乗ってそう返すと、エムリスは露骨に顔をしかめた。
「うっわぁ……君も〝傲慢〟と〝強欲〟の影響かな? 随分と性格がねじ曲がってきているじゃないか」
グサリ、と痛いところを突かれる。
「うっ……」
自分が成長するにつれてひねくれてしまったことに、俺は自覚的だ。内心、我ながら薄汚れてしまったなぁ、と思っている。
とはいえ。
「……いやでも、そういうお前も、かなり〝怠惰〟に引っ張られてるだろ? エムリス」
「ああ、そうさ。そのあたりはお互い様だね。で、話を戻すけども――アルサル、君は実に失礼な男だよ。妙齢の女性を捕まえて、ガキっぽいだの胸がペッタンコだのしょんべん臭そうだの、口が悪いにも程があるんじゃないか?」
「俺そこまで酷いこと言ったか!?」
思いもしなかった罵詈雑言がエムリスの小さな唇から紡がれて、むしろ俺の方が度肝を抜かれてしまった。
「そうだったかな? まぁ君のさっきの
「いや……というか、うら若き乙女を自称するつもりならその口の悪さはどうなんだって話だけどな……あ、さてはお前、〝残虐〟にも大分染まってきているだろ?」
「さて、どうだろうね」
白々しくとぼけたエムリスは、自身の髪を操作して、その細っこい体を俺の前にまで移動させてきた。体ごとこちらに顔を向け、俺と相対する。
こうして近くで眺めてみても、やはり髪の長さ以外は何も変わっていないように見える。
魔王討伐した勇者一行の一人――〝蒼闇の魔道士〟エムリス。
旅立った当時――十三歳だったあの頃と同じ顔立ち、背丈、体付き……まったくと言っていいほど肉体が成長していない。
今年で
そうそう、言い遅れてしまった。
エムリスなんて男っぽい名前だから勘違いしたかもしれないが、エムリスは〝女〟である。
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