●4 黒竜退治と〝勇者〟のスタンス 3








 派手にやらかしてしまった――というか、やらかされた?――ので、後片付けはちょっと面倒だった。


 ひとまず、ミアズマガルムによって根こそぎ吹き飛ばされてしまった木々を動かし、整理して一箇所にまとめる。


 次いで、奴の瘴気に汚染されてしまった一帯を銀光で浄化。こういうのは一緒に魔王討伐の旅をした〝白聖の姫巫女〟ことニニーヴが得意だったんだが、この場にいない人間を頼るわけにもいかない。


 それから、三枚に下ろしたミアズマガルムの死体。先程も言ったように、こいつの放つ瘴気は人間に限らず生き物全体にとって猛毒だ。無論、俺にはまったく効かないが。


 このまま死体を持ち帰っても肉は食えないし、汚染が広がるだけ。なら、この場で解体して相応の処理をするしかない。


 というわけで、俺は銀光と理術を駆使してミアズマガルムの死体を骨だけ残して処分した。竜の肉は多少の癖はあれど美味いから、十年前だったら仲間達と一緒に焼いて食っていたかもしれないが――今はそんな気分ではなかった。


 こいつはジョアン村長の娘さんを食った。そんなこいつを食べると、間接的に娘さんまで食った気分になりそうだ――というのがその理由だ。


 肉を削ぎ落とし、焼却し、瞬く間に巨大な竜――と言っても俺の知っている中では相対的には小さめ、と表現するのは何だかややこしいな――を骨だけにした俺は、全部まとめて理術で宙に浮かばせた。重力を遮断し、浮遊させた物体を遠隔操作する理術である。


 竜の骨は頑丈で、素材として色々なものに活用できる。さらに一応こいつも貴族アリストクラットなのだから、その品質はお墨付きだ。


 最後に一通りを浄化した俺は、悠然ゆうぜんとリデルシュバイク村へと凱旋がいせんしたのだった。




 リデルシュバイク村へ帰ると、いきなり村人総勢で迎えられた。


 もう充分に陽が高く昇っている。俺が早朝に訪れた時には眠っていた村人も、目を覚ましてジョアン村長に話を聞いていたのだろう。不安そうに寄り集まっていた人々が、俺の接近に気付くなり、大きな歓声を上げた。


 まぁ、歓声といっても、結構な比率で悲鳴が混じっていたのだが。


 然もありなん。近付いてくる男のすぐ頭上に、巨大なドラゴンの骨が浮いているのだ。驚くなと言う方が無茶である。


「た、旅の方……!」


 わっと沸く村人達の中から、ジョアン村長が進み出てきた。俺のすぐ近くに浮かぶミアズマガルムの骨格におそおののきつつ、喜色を浮かべた顔で頭を下げる。


 俺は頷きを返し、


「これが、話していたドラゴンです。毒を持つ個体でしたので、肉や内臓はその場で処分してきました。浄化もしておきましたので、地質汚染などはありません。安心してください」


「こ、これが……」


 翼持つ、巨大な犬の骨組み。わかりやすく見えるよう、標本のごとく元の形状に近い状態で浮遊させているので、見上げたジョアン村長が、ごくり、と生唾を嚥下した。


 一般人でなくとも、たとえ俺が教育していたセントミリドガルの兵士であっても、貴族竜の大きさには面食らうことだろう。通常、これぐらいのサイズの魔物は『魔の領域』に足を踏み入れなければ目にすることはないのだから。


 だが、村長の視線には別の感情も乗っていた。


「これが、あの子を……」


 そう、ジョアン村長にとってこの骨格標本は娘さんのかたきだ。一片の怒りや憎悪が視線に宿り、物言わぬ竜の骨に突き刺さる。


 だが、すぐ俺の方へと振り返り、


「ありがとうございます……!」


 改めて、深々と頭を下げた。


「いえ、大したことではありませんので」


 実際、赤子の手をひねるようなものだったので、嘘ではない。客観的には結構なことだと理解はしているが。


「この骨はこちらに置いていきます。そのまま加工してもよし、都市部から商人を呼んで売却してもよし、亡くなられた方の存在ほどではありませんが、多少の補填にはなるでしょう」


 そう言って、俺は村内の空いた土地にミアズマガルムの骨を下ろした。理術を解いた途端、骨組みはガラガラと崩れて雑多な山と化す。


 なにせ貴族竜の骨だ。こっちでは相当珍しい素材だし、それも一頭まるごと全部である。売ればかなりの額になるだろう。社交辞令として『亡くなられた方の存在ほどではない』と言ったが、ぶっちゃけ普通の人間一人が生涯で稼ぐ金の数十倍から数百倍以上の値がつくんじゃないだろうか。


「そ、そんな……いいのですか? し、しかしそれでは、旅の方、あなたの報酬が……あの、せめてこちらを……」


 デービスら冒険者に支払う予定だった報酬を渡そうとしてくるジョアン村長に、俺は丁重に謝絶の意を示した。


「いえいえ、結構ですよ。どうかそちらは、お嬢さんのお葬式に……」


「おお、そんなお気遣いまで……!」


 俺に渡すより、どうか娘さんとのお別れに使って欲しい――そう言うと、村長は感涙かんるいむせんだ。


「それに、僭越ながら報酬なら既にいただいております」


「え……? と、言いますと?」


 俺はアイテムボックスから、一抱えもある漆黒の水晶を取り出した。


「ドラゴンの額にあった竜玉りゅうぎょくです。こちらは扱いが難しいので、私が持ち帰りますね。ここに置いていって魔力が暴発すれば、この山そのものが消えてなくなりかねませんので」


「お、おお……」


 俺の説明に、村長を筆頭に村人全員が恐懼きょうくした。


 竜玉は強い個体や、あるいは長い時を生きたドラゴンが持つ特殊な器官だ。体内を循環する魔力の【おこぼれ】が体表で結晶化した、いわば魔力の塊といっても過言ではない天然の宝石である。


 これが大きくなってくると、生来の魔力の生成器官である心臓しんぞう炉臓ろぞう――魔物特有の臓器――に代わる、第三の器官にもなる。魔力が凝り固まって生まれた結晶が、今度は単体で魔力を生成するようになるのだ。


 よって、これを放置したり、下手に破壊するのは悪手となる。内部に貯蔵された魔力が暴発し、何が起こるか予想もつかないのだ。


 まぁ、十年前の戦いでは、わざと竜玉を破壊して持ち主のドラゴンを自爆させる――なんてことをよくやっていた俺なのだが。


 それだけに竜玉が持つ破壊力は、文字通り身をもって知っている。


「い、いいのですか、旅の方? そのような危険なものが報酬など……」


「ええ、もちろんです。私の知り合いにこの手のものが大好きな人間がいますので、ちょうどいい土産になりますよ」


 心配するジョアン村長に、俺は笑顔でそう返した。


 この程度の竜玉など見飽きているだろうが、人界こっちがわで手に入れる機会は少ないはず。これから会う予定のエムリスなら、きっと喜んでくれるはずだ。


 ちなみに、既に察しているかもしれないがミアズマガルムをVの字に斬ったのは、竜玉を無傷のまま確保するためである。真っ二つにしてはせっかくの魔力生成機能がなくなってしまうからな。


「ま、マジか……マジであん――いや、あなた様が、こ、こいつを……?」


 村人らとは少し離れた場所に固まっていたデービス達が近付いてきて、呆然と俺に話しかけてきた。竜玉を指差す手がブルブルと震えている。


「ああ、だから言っただろ? お前らが行ってたら瞬殺されてたぞ」


「…………」


 かつてミアズマガルムだった骨の山を眺めて、冒険者五人組は肩を落として立ち尽くす。九死に一生を得た、とでも思っているのかもしれない。本来、俺が偶然ここに立ち寄らねば、黒瘴竜と対峙していたのはこいつらだったのだ。


 五人全員の顔が青ざめているので、もしもの未来を想像しているに違いなかった。


「旅の方、よろしければ……お名前を聞かせてもらえないでしょうか? あなたはこのリデルシュバイク村の恩人です。もしあなたがここへ来られなければ、私の娘だけでなく、村そのものが全滅していたかもしれないのですから」


 それはそうかもしれない。黒瘴竜のマーキングがあったのだから、遠からずこの村は奴によって食い散らかされていただろう。とはいえ、


「いえいえ、名乗るほどの者ではありません」


 幸いデービス達は俺のことを知らないようだが、やはり都心部の方では今頃、俺はお尋ね者になっているはずだ。別に追っ手が怖いというわけでもないが、リデルシュバイク村の人々に迷惑がかかるのは避けたいところである。


 だが。


「……もし人違いでしたら申し訳ありません。あなたは――いえ、あなた様は、魔王を倒した、あの〝勇者アルサル様〟なのでは……?」


 なんと、ジョアン村長は既に俺の正体を看破していたらしい。見事に言い当てられてしまった。


「…………」


 不意を打たれて俺は沈黙した。名乗るほどの者ではない、と言った端から正体がばれてしまったのだ。ちょっと恥ずかしいどころではなかった。


 俺の無言を、ジョアン村長は肯定と受け取ったらしい。


「おお、やはり……! 勇者アルサル様なのですね! 昔に見たお顔の面影があったものですから……!」


 十年前に見た俺の顔を覚えていたとは、大した記憶力である。


 この時、俺の内心は『あーバレちまったかー恥ずかしいなー』という気持ちと、それと相反あいはんする『えっへっへーそうです私が勇者です世界を救いましたえっへん』的な気持ちがあって、どっちが優勢とも言い難い絶妙な状態にあった。


 なので俺はてっきり、


「えっ!? あなたが勇者様!?」「おお、あの魔王討伐の英雄!」「銀穹の勇者!」「なんと光栄な!」「ありがとうございます!」


 とか、あるいはデービス達による、


「ええええええ!? 勇者!? マジですか!?」「先程は失礼な態度を取ってしまい申し訳ありませんでしたぁ!」「どうかお許しをー!」


 みたいな反応を心のどこかで期待していたのだが――


 実際に起こったのは、


「……勇者?」「勇者アルサル様って……?」「え、知ってる……?」「いや……」「そんな人いたっけ……?」「ど、どうしよう……聞いたことない……」


 という、ある意味ドラゴンブレスよりも破壊力のある村人達の冷めた反応だった。


 変に耳がいいと、こういうのが聞こえてしまって本当に困る。


 どうもみんなして俺のことをちゃんと村の恩人だとは思ってくれているようで、それなのに聞き覚えがない名前なので反応に困っているというか、むしろ知らなくて申し訳なさげな雰囲気が漂っていて、何と言うか――


 そう、【いたたまれない】。


 針のむしろに座っているような気分だった。


「勇者って……え、誰だっけ? 宝石級?」「そんな感じの異名の宝石級がいたような、いなかったような……」「でも宝石級ならあの強さも納得だけど……」「でもさっき村長が、マオウを倒したって……」「マオウって何だ……?」「魔物の言い間違いか……?」


 デービスら冒険者まで、頭を寄せ集めてヒソヒソと囁き合っている始末である。


 おいおい。


 おいおいおいおいおいおいおいおい。


 マジか。


 マジなのか。


 俺や仲間達の名前だけじゃなく、魔王の扱いまでそうなのか? そうなっちゃってるのか?


 もしかして十年の歳月が流れる間に、魔王が復活して人界を滅ぼそうとしていたことも、俺達がそれと戦って世界を救ったことも、世間様にはまとめて忘れ去られてしまっているってか?


「あ……いえ、その、ゆ、勇者様……? こ、これはですね……」


 この妙に白けた空気を作り出してしまった元凶のジョアン村長が、ひどく申し訳なさそうに俺を見つめ、どうにか慰めの言葉を探そうとしている。


 やめてくれ。そういう感じが一番心にくる。


 つらい。


「いやマジか」


 思わず口に出た。


 まさか、全くと言っていいほど名前が広まっていなかったとは。ずっとセントミリドガル城の敷地内に引きこもっていたから知らなかった。


「ほんとマジか」


 いやでも、これはおかしい。十年前は国を挙げて――いや、それこそ世界を挙げて俺達は祝福されたはずだ。世界を救った英雄として、人界全土にその名を知らしめたはずだ。


 なのに。


「たった十年で、ここまで知名度って低くなるもんか……?」


 そうか。たかが十年、されど十年。俺も少年から青年になった。子供が大人になるほどの月日が流れているのだ。


 思えば俺自身、有名子役アイドルが十年後に目の前に現れたとして、その顔や名前を覚えているかどうかは、はなはだ怪しいものだ。


 そう思えば、村長以外の人間が俺のことを知らなくても無理はない。むしろ、些細な面影から俺がかつての勇者であると気付いたジョアン村長こそがすごいのだ。


 つまり――今の俺は、〝銀穹の勇者アルサル〟は、言うなれば『あの人は今』状態だったのである。


 まさに『過去の栄光』ってやつだ。


 それなのに、さっきまで『自分の正体がばれちゃったらまずいなー騒がれちゃうなー』なんて勘違いをしていたのである。


 こんなに恥ずかしいことはない。


「ア、アルサル様、あのですね、何と言いますか、この村はへんぴな場所にありますので、それで……」


「いや、いいんです。気にしないでください……」


 一生懸命どうにかこうにか、俺を慰める言い訳を考えてくれる村長に、俺は首を横に振った。


 へんぴな村だから? 関係ない。どっちの国かは知らないが、都市部から来たデービスら冒険者も知らなかったのだ。後はして知るべしである。


 オグカーバ国王の言っていた『穀潰し』の意味が、今更ながらに痛感できる。


 詰まる所、俺は魔王討伐以降、民衆の耳に届くような功績を立ててこなかったのだ。人々に忘れ去られるのも道理であれば、役立たずと言われるのもまた道理だったというわけである。


「それでは、私は先を急ぎますので、これで……」


「あ、ああ、勇者様……!」


 俺は居心地の悪さに耐えられなくなり、そそくさとその場を後にした。ジョアン村長の伸ばしてくれた手が、虚しく空を切る。


 よろめく足取りで村を出ると、溜まらず溜息が漏れた。


「はぁ……」


 なかなかにショッキングな事実だったが、おかげで現在における自分の立ち位置ってものがよくわかった。


 魔王討伐の功績など、とっくの昔に色褪せるどころかいてしまっていた。


「やー……時の流れってはやいわー……マジ怖いわー……」


 魔王の恐怖まで風化していることには少々思うところがないわけでもないが、これも時代の変化というものか。怒り狂ったところで老害になるのがオチだ。まぁ俺はまだまだ若いが、いわゆる老害化というものに年齢は関係ないそうだからな。


「なるほどなー……侮られるわけだわー……」


 思い返すに、俺を処刑しようとした国王や王子。そして先程ぶっ殺したミアズマガルム。


 どちらも俺のことを知りながら、しかしその実力については完全に見誤っていた。


 そんなつもりもなかったのだが、どうやら周囲に影響を及ばさないよう力を抑えて過ごしていたことが、奴らを勘違いさせることになった原因かもしれない。


 俺があまりに力を誇示しないものだから、勝手に弱いと思い込んでしまったのだろう。


「やれやれ……」


 別にチヤホヤされたいわけではないが、かといって馬鹿にされるのは腹が立つ。


 一体どうしたものか。


「これ、あいつらも知ってんのかな……?」


 これから会いに行く予定の仲間達三人の顔を思い浮かべながら、俺はアルファドラグーン方面へと足を向ける。


「会ったら念のため、教えといてやるか……」


 おい、俺達の功績すっかり忘れ去られてるぞ――と。うむ、なかなかにしんどいお知らせである。


「十で神童しんどう、十五で才子さいし、二十過ぎればただの人――ってか」


 言い得て妙である。少なくとも世間での扱いは、そういう風に変化してしまったのだろう。


 ただ俺達に限っては、いくつになろうが『ただの人』には戻れない運命にあるのだが。


「ただの人間に戻れるものなら、戻りたいよなぁ……」


 溜息しか出ない。


 そんなわけで、竜玉以外にも気の重くなる土産話を担いだ俺は一路、エムリスのいる魔術国家アルファドラグーンへ向かったのだった。







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