●4 黒竜退治と〝勇者〟のスタンス 2









『な……』


 ミアズマガルムは絶句した。


 さもありなん。奴の感覚からすれば、俺の宣告は理不尽以外の何物でもなかっただろう。


『な、何を仰っているのです、勇者殿……?』


 独特なイントネーションでうねる声が、かすかに震えている。ぼんやりと赤黒く光る瞳は、意思疎通のできない蛮族ばんぞくでも見るような視線を向けてきた。


『気でも触れましたか? その言い様、まるで獣鬼オーグルか何かのようではありませんか……!』


 それこそ蛮族の代表と言っていい『獣鬼オーグル』に例えるとは、なかなかの教養だ。流石は貴族といったところか。


「いいや、俺は正気だ。頭がおかしくなったわけでもなければ、イタズラで脅かしているわけでもない。俺はお前を殺す。これは決定事項だ」


 そう、だからこそ俺は【態度を変えなかった】。ミアズマガルムが礼儀正しく応対しようとも、初対面の時からスタンスを変えなかった。


 奴の名乗りを敢えて遮り、名を聞かなかったのも同じ理由だ。


 何故なら、徹頭徹尾、俺にとってこいつは『敵』でしかないからだ。


 何があろうと、抹殺対象でしかありえないからだ。


 まったくもって運の悪い奴である。


『な――なにを馬鹿な……私は追放されたとはいえ、すすの竜公の眷属ですよ。その私を殺すということがどういうことか……』


「ああ、わかってるさ。十年前に人と魔の戦いは終わった。俺達が魔王を倒した、その瞬間ときにな。お前ら魔族や魔物を支配していた力は消えて、魔界全体が理性を取り戻した。ほとんど仮初かりそめだとしても、世界に平和が訪れた」


 かつて魔王が生きていた時代、魔人や魔物は例外なく魔王の精神支配を受けていた。最高権力者である魔王に自由意思を奪われ、文字通り奴の手となり足となっていたのだ。


 だが、魔王が消えた今、魔人――つまり、かねてからの魔族の権力層に理性が戻った。魔界は時間をかけて、魔王が復活する前の形へと回帰したのである。


 俺や仲間達が血みどろになってあらがった十年前の戦いは、いわば【生存戦争】だった。


 なにせ復活した魔王が、魔界全体を完全支配し、一つの生命体と化して人界に侵略を仕掛けてきたのだ。魔王の目的は、人界を呑み込み、その領土全てを魔界と同じ『魔の領域』へと変貌させること――人類その他を全て滅ぼし、自身と配下の者らが統治する理想郷にすることだった。


 だから、あの時の戦いは、魔王を倒すか、人界が滅ぶかのどちらかしかなかった。


 だが、現在は違う。


 魔界にも人界と同じように、社会が構築されている。『魔の領域』などと呼称されているが、その内実は皆が思う以上に人間のそれと似ているのだ。


 よって今の情勢で、失脚したとはいえ魔界の貴族であるミアズマガルムを殺すということは、大きな問題に発展する可能性がある。


 無論、この十年もの間、公的には人界と魔界の交流は断絶している。だが、それはあくまで『公的』に過ぎず、当然ながら『非公式』なやりとりはいくらでもあったはずだ。


 少なくとも、地理的にアルファドラグーンは魔界と隣接している。一番『魔』に近いあの国が、一切の干渉を断っていると思うのは、けがれを知らない純真な心の持ち主だけだろう。


 となれば、あちらの貴族層であるこの黒瘴竜を殺すということは、いわゆる国際問題となる怖れがある。


 最悪、戦争が起こるかもしれない。


 十年前のような、滅ぶか滅ばないかの生存戦争ではなく、互いを貪り喰いながらやがては心中するような、果てしなく長い戦争が。


 無論、こいつとてジョアン村長の娘さんを喰ったのだから、客観的にはフィフティ・フィフティの話になるはずだが、ことはそう単純ではない。


 世知辛いことに『とある角度』で世界を俯瞰ふかんした時、〝辺境の村娘〟と〝貴族の竜〟とでは命の重さが等価ではないのだ。


『その通り。我々は綱渡りを続けるように、仮初めの平和を維持している状態です。だというのに、勇者である貴殿が私を殺せば、一体どうなるか……少し考えればわかるでしょうに』


 ミアズマガルムの声には俺を非難する色が濃い。何故、自ら見えている地雷を踏むのか、とでも言いたげだ。


「知ったことか」


 おっと、これは心の声のつもりだったが、つい口に出して言ってしまった。


「お前は人間を喰った。それが、お前を殺す理由だ。それだけが、お前が死ななければならない原因だ」


 断固として告げると、ミアズマガルムは漆黒の犬顔を苦々しく歪まさせた。


『その件については謝罪いたしましたが』


「謝って済む問題じゃない」


『この私が頭を下げたというのに?』


「ちょっとデカいだけの犬っコロが頭を下げたからって、それが何だってんだ?」


『な――!?』


 貴族の心からの謝罪を無下に一蹴いっしゅうした俺に、黒瘴竜は愕然とした。


『ふ――ふざけないでいただきたい! 他の人間ならいざ知らず、アルサル殿、あなたは勇者だ。我らの流儀については詳しいはず! それを……!』


 もはや激情を隠さず、ミアズマガルムが吼える。自分の謝罪には確かな価値がある――そう主張するために。


 そして、気がはやったのだろう、奴は言ってはいけない言葉を吐いた。


『そもそも我らが人を喰うのは当然のこと! あなた方が牛や豚を喰うように、そのような食物連鎖の関係にあるのです! たかが一人ですよ! たったそれだけのことで私を殺すなど、理不尽ではありませんか!』


「――――」


 よく言った。おかげで、ほんの少しだけ残っていた迷いも綺麗さっぱり吹き飛んでくれた。


 いっそ礼を言いたい気分である。完全に覚悟が決まってしまったのだから。


「――ああ、そうだな。お前の言っていること、理解はできるよ。俺だって牛や豚、鶏――家畜を食べる。そのことで家畜から糾弾されて、死刑にされるっていうのは確かに勘弁かんべんだな。その時は、俺も理不尽だって思うかもしれない」


『ならば――』


 共感を示す俺の言葉に、ドラゴンが少しだけ安堵の表情を見せる。


 しかし。


「だが、ここは【人間の世界】だ」


 俺は言った。


「お前は、人間の世界で、人間を喰ったんだ」


 それがどういうことかと言えば。


「もし俺が、牛や豚といった家畜の世界に行って奴らを喰ったのなら、当然あちらの連中は怒り狂って俺を殺すだろう。当たり前だよな? お前もそう思わないか? 郷に入っては郷に従え――ってのはちょっと違うか。何であれ相手の領域で、その同族を殺して喰うんだ。自分だって同じことをやり返される覚悟を決める――ってのは、当然のすじだとは思わないか?」


 これは厳密には理屈ではない。


 そう――感情の話なのだ。


「俺は勇者だ。魔王を倒した者だ。つまり――【人類の守護者】だ。お前ら魔に対する、人界の代表なんだよ」


『――――』


 ミアズマガルムが凍り付く。見開いた目で俺を凝視して、身じろぎもしない。


「だから、俺はお前を許すわけにはいかない。お前は人間の世界で、人間を喰った。それがたった一人だったとしても。数なんて関係ない。【お前は人間を喰ったんだ】――それだけで、俺がお前を殺す理由にはお釣りが出る」


『馬鹿な……』


 搾り出すように魔竜が呟いた。俺の考えがまったく理解できないという風に、大きな頭をゆっくり左右に振る。


「――でもまぁ、さっきも言った通り、お前の気持ちはわからないでもない。だから、黙って殺されろだなんて酷いことは言わない。お前も抵抗していいし、何だった逃げようとしてもいい」


 言いながら、これはこれで余計に酷かもしれない、と思う。何故なら、


「ただ、俺は全力でお前を殺すし、何があろうと絶対に逃がしゃしないけどな」


 俺がそう決めている時点で、よほどのことがない限り未来は確定しているのである。


 だから言ったのだ。運の悪い奴である――と。


 こんなところで、こんなタイミングで、こんな状況で、俺と出会ったのが運の尽きなのだ。


 恨むなら、このタイミングで俺を処刑――いや、国外追放にしたセントミリドガル王家を恨むといい。


 グルル、と魔竜の喉が鳴った。


『――下手に出ていれば、どこまで増長するつもりだ、この人間風情が……!』


 突然、ミアズマガルムの纏う雰囲気、および口調が激変した。やにわに全身から立ち上っていた黒い瘴気が勢いを増し、巨体が臨戦態勢に入る。


『図に乗るなよ勇者アルサル! 本来ならば貴様は魔王様を討った咎人とがびとなのだ! だというのに、この私がここまで礼を尽くしてやった意味が理解できぬとは……この愚か者め!』


 黒瘴竜の全身から重圧が迸った。俺の〝威圧〟と同じで、この近くに他の生物がいれば、大抵はこれだけでコロリと逝くだろう。


所詮しょせん、人間など我らにとって食料以外の何物でもない! それがたまさか力を持ち、魔王様を倒したからといって、どこまで調子に乗るつもりだ! 分を弁えろ、下等生物が!』


 人――ではなく竜か。竜が変わったかのようにミアズマガルムは語気を荒げ、これまでの建前を全て踏みにじるようなことを言った。


 というか、ぶっこきやがった。


 やっぱり、それがお前の本音だよな。


 俺は思わず笑ってしまう。


「――ありがとよ。おかげで気持ちよく、お前が殺せそうだ」


 既に迷いはなかったが、あまりのぐさに俺の怒りが一気に膨れ上がった。天井知らずに膨張していく激情は、まるで風船のようで。こいつを破裂させたらどんなに気持ちいいだろう――なんて思いが頭の片隅に過ぎる。


『ガァァアアアアアアアアアアアアアアァァ――――――――ッッッ!!』


 ミアズマガルムが大咆哮だいほうこうを放った。


 掛け値なしの、殺意の雄叫びだ。


 最初の倍以上の声量で放たれた轟声ごうせいがビリビリと大気を震わせ、衝撃波ソニックブームすら生む。


 既に周辺の木々は吹き飛ばされ、一帯は禿げた土地になっていたが、強烈な波動がその外縁部をさらに広げた。根こそぎ吹き飛ばされる木々が追加され、ドーナツの穴のように空いた空間が更に広がった。


『――死ぬのは貴様だ、勇者アルサル……!』


 全長二十メルトル以上の巨躯が四肢を踏ん張る。赤黒い光を輝かせる双眸が、遙かな高みから俺を睥睨へいげいした。額にある漆黒の竜玉が、内側から朧気おぼろげに赤黒い光を発する。


 今、俺とミアズマガルムは、円形の更地で対峙している。


 奇しくも、奴の魔力の詰まった咆哮によって吹き飛ばされた木々が小山のごとく積み重なり、俺達を取り囲む壁と化している。端から眺めれば、まるで俺達は闘技場コロッセオの中央で向かい合う剣闘士グラディエーターのようにも見えただろう。


 ミアズマガルムの全身から噴き上がる瘴気しょうきがさらに勢いを増し、濃密な漆黒の霧が天を突いた。


 同時、巨大な犬の喉奥にもドス黒い瘴気が集中し、圧縮されていく。


 ドラゴン得意の攻撃――息吹ブレスだ。


 黒竜は総魔力をブレスへとぎ込み、全力全開の一撃で俺を滅殺せんとしている。


 流石に〝銀穹の勇者〟と呼ばれた俺も、貴族アリストクラットクラス以上のドラゴンを指先一つで倒すのは難しい。


 でかいだけの王城なら指一本分の〝銀剣〟で真っ二つにできるが、竜種というのはとにもかくにもしぶとい。硬く、丈夫で、頑丈で、体力も生命力も底知らずで、タフネスの化身という他ない。


「は、言ってろ」


 俺は右手の人差し指と中指を立て、いわゆる『刀印』を結んだ。


 ミアズマガルムが頭を大きく振りかぶり、頭突きでも喰らわせるような勢いで振り下ろす。刹那、それは大きな口をワニか何かのように開き、喉を晒す。


 息吹ブレスの仕組みを考えれば、ドラゴンの肉体は粒子加速器に例えられる。奴らは魔力を体の内側で循環、加速させて高エネルギー状態へと励起させ、最終的には喉を通して口から吐き出す。


 それぞれの竜が持つ固有属性の魔力を破壊力の怒濤どとうに変えて発射するのが、ドラゴンのブレスなのだ。


『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!』


 もはやミアズマガルムの叫びは言葉にならない、ただの轟音だった。同時、魔竜の大口から凝縮された魔力が解放され、撃ち出される。


 お前も抵抗していい――そう言ったのは他でもない俺だ。故に、初手は許そう。手も足も出せずに死ぬというのは、流石に無慈悲が過ぎる。


 真っ黒なエネルギーの波濤はとうが俺めがけて叩き付けられた。


 爆音。


 膨大な破壊力の嵐が吹き荒れ、俺と黒竜の周囲の地面を抉り、土砂を巻き上げる。俺に直撃したブレスはなおも暴れ回り、四方八方へと駆け抜けていく。地面を裂き、大気を破り、空を貫く。


 黒瘴竜の放つ瘴気とは、即ち毒だ。大気を汚し、大地をむしばむ。


 こいつをぶっ殺した後、あまり得意ではないが周囲一帯を浄化しておかないとな――と頭の片隅で考えつつ、


「もういいか?」


 俺は瘴気のブレスを一身に浴びながら、そう言った。


『――!?』


 ミアズマガルムの愕然とする気配が、ブレス越しに伝わった。無理もない。必殺を期したドラゴンブレスだ。その直撃を受けながら平然と声を出されるなど、夢にも思わなかったのだろう。


 ブレスが不意に途切れた。


 ホースから出る水と同じで、供給を断たれたエネルギーの奔流ほんりゅうは徐々に弱まって、やがて掻き消える。


『……そんな……馬鹿な……』


 ブレスの発射態勢のまま、赤黒く輝く両眼を見開き、魔竜が呆然と呟く。


 言うまでもなく、俺は無傷だった。


 別に何をしたというわけでもない。単に、奴のブレスが俺に効かなかった――ただそれだけの話だ。


「アホか。お前の敬愛する【魔王の息でも死ななかったのに、お前程度の息でダメージを喰らうわけないだろ】」


 魔王はその呼吸だけで、周囲の何もかもを死滅させる死神だった。


 そう、息を吐くだけで死の風となる、規格外の化物だったのだ。


 そんな化物を打ち破ったオレに、たかだか少し大きいだけの竜のブレスが効くはずもない。


「じゃあ、今度は俺の番だ」


 凝然と俺を見つめるドラゴンの視線には構わず、俺は刀印を結んだ指先に銀光を灯した。


 先述の通り、流石の俺も指一本でこいつを殺すのは難しい。


 だが、二本もあれば充分おつりがくる。


「馬鹿はお前だよ」


 人差し指と中指の先端に灯った銀光が伸び上がり、〝銀剣〟と化す。


 先述の通り、俺の銀光は〝切断〟の概念そのもの。だがドラゴンほどの魔物ともなると、概念防御力もそこそこ高い。よって、セントミリドガル城をぶった切った時のような、糸みたいな細さでは話にならない。


 なので指二本分の幅を持つ〝銀剣〟を形成した俺は、右手をゆっくりと振りかぶりながら、ミアズマガルムの視線と目を合わせる。


 告げた。




「勇者をなめんな」




 斬った。


 右上から左下へ。


 飛燕のように刀を返し、今度は左上へ跳ね上げる。


 いわば『V』の字の軌跡を描き、銀の剣光が駆け抜けた。


『ガ――』


 瞬殺。


 二度に渡る剣閃によって右側、真ん中、左側と三分割されたミアズマガルムの巨躯は、次の瞬間には壊れた玩具みたいに崩れ落ちた。血液と共に体内を循環していた魔力と瘴気が、傷口から一気に溢れ出す。


 もはや最期の言葉を残す余裕もなく、赤黒い瞳から光が消えた。ややあって、全身から立ち上っていた漆黒の瘴気も薄まって消失していく。


「……自分で言うのもなんだが、お前が俺に勝てるわけないだろうに。まったく……お前の方こそ魔王様を何だと思ってるんだっつー話だよ」


 敬愛する魔王様を倒した俺に、どうして配下のお前が勝てる道理があるのかね――と言ったところで、もう黒瘴竜は死んでいる。聞こえるはずもなく、意味のない言葉だが、どうしても言わずにはいられなかった。


貴族アリストクラットのドラゴンでも、俺の強さは理解できなかったってか。まぁでも、こいつ小さめだったしな……」


 そう、流石にそこまで言うのはこくすぎるかと思って言わなかったが、このミアズマガルムのサイズは貴族アリストクラットクラスの中でも下位に入る。


 やたらとすすの竜公との関係をアピールしていたが、その竜公などは山と見紛みまがおう大きさだったのだ。たかだか全長二十メルトル程度など、それに比べたらミノムシみたいなものだ。


 でもって、俺や仲間はそんな竜公すら楽勝で葬れる。


「――ああ、そうか。わかるはずもないか」


 不意に納得した。


 普通の生き物は目の前にある山を見れば、その大きさが何となくわかる。だが――その山が立っている【大陸の大きさ】は、わかりようがない


 つまりはそういうことだったのだ。


 そう考えれば、こいつが俺を侮って逆ギレをかまし、突っかかってきたのも納得だ。


 天啓のように降ってきた解答に、うんうん、と一人で頷いていると、


「――って、あれ? 俺、世界を救った勇者なのに、ちょっと侮られすぎじゃないか……?」


 気付いてしまった。


 これはちょっとおかしいぞ――と。







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