●3 宮廷聖術士と、辺境の村の災難 1
事態の収拾を図っていたところ、二度目の激震がセントミリドガル城を襲った。
『――!?』
先程、反逆者アルサルが放つ波動によって城全体がビリビリと震えていたのとは違い、下から突き上げるような衝撃があった。
巨大な城が激しく鳴動する。
意識ある者はそれぞれに悲鳴を上げ、意識のない者は揺るがされるまま床を転がった。
「――おのれ、おのれ反逆者アルサルぅぅぅ!!」
ジオコーザが右の親指の爪を噛みながら、猛獣のごとく唸る。通信理術によって、外で警備をしていた兵士からアルサルの所業を聞いたのだ。
「殺す! 殺してやる! 必ず報いを受けさせてやるぞ反逆者めっっ!!」
顔を真っ赤に染め、髪を振り乱し、荒々しく地団太を踏む。
そんな息子の様子を
「……これでよかったのか、ボルガンよ」
誰にともなく、そう語りかけた。
途端、
「――ええ、ええ、もちろんですとも、国王陛下」
宙空に投げかけた言葉を受け取った者がいた。応じる声の発生源は、しかし玉座の後方から。
ぬぅっ、と玉座の背もたれの陰から、黒い人影が現れる。
「アルサルめの抵抗は想定外でしたが……ええ、ええ、結果は上々でございます。なにが〝
ボルガンと呼ばれたそれは、男のようだった。頭からすっぽりフード付きの
オグカーバは疲労の色の濃い溜息を吐いた。
「……じゃが、おかげで我が王国は取り返しのつかぬ痛手をこうむったではないか」
老人の視線は、すぐ近くにある床の段差へと向けられる。アルサルが王城を真っ二つに切り裂き、地上から衝撃を与えたことによって、片側が縦に大きくズレてしまったのだ。
床の段差は、優に一メルトルを超えている。
容易に修復できる被害ではない。最悪、城の建て直しが必要となるだろう。
「……だから余は嫌だと言ったのじゃ。確かにアルサルは魔王討伐以降、これといって武勲を立てておらぬ。だがそれも、あやつと仲間が取り戻した平和のおかげじゃ。あやつは我が国どころか、世界全ての恩人とさえ言ってよい。そんな英雄を、おぬしは――」
「陛下、陛下。いけませんね、そのような
オグカーバの愚痴を、ボルガンは朗らかな声音で、しかし脅迫するように制止した。
「ご覧なさい、ジオコーザ様を。かつてないほどに怒り狂っているではありませんか。そう、あれこそが正しい反応です。なにせアルサルは大逆の
黒いフードの奥で、ボルガンはくつくつと笑う。
だが、オグカーバは一緒に笑う気分にはなれなかった。
「余が惑わされておるじゃと? なるほど、それはそうかもしれん。じゃが、それはアルサルにではなく、おぬしらにじゃ。見たであろう、あの〝銀穹の勇者〟の力を。アレが役立たずなど、とんでもない話じゃ。むしろアレが穀潰しであれば、世のほぼ全ての者が穀潰しと呼べよう。おぬしらの提言があった故、アルサルにはあのように言うたが……やはり〝勇者〟の力は凄まじい。アルサル本人が言っておった通りじゃ。あやつは単独で我が王国を滅ぼせる」
ふぅ、とオグカーバは深く息を吐いた。
「わかるか、ボルガンよ? 余達は九死に一生を得たのじゃ。アルサルがその気になっておれば、今頃はこの城ごと余もジオコーザも、そしておぬしをもこの地上から消滅しておったはずじゃ。なにもかも、あやつの気分一つで決まっておった。今ここに余とおぬしが存在するのは、ただの幸運にすぎぬ」
「はははは、何を仰いますか。あのアルサルめにそのような度胸など、んっふふ、ありますまいて。なにせこの十年もの間、あれだけの力を持ちながら何も為し得なかった男なのですから」
オグカーバの懸念を、ボルガンは鼻で笑い飛ばした。神経質ですな陛下は、と言外に言うかのごとく。
だが、長く国王の地位にあるオグカーバには、その程度の揶揄など全く効果がなかった。
王冠を被り直した頭をゆっくり横に振り、
「ボルガン、おぬしはわかっておらぬ。『魔王を討伐した』ということが、どれほどの偉業であるかをな……そも、ジオコーザの力がアルサルに匹敵するなどと嘘を吹き込んだのも、おぬしであったな? 余も敢えてその話に乗ってやったが……先程のアルサルの力を見ても、まだ同じことが抜かせるか?」
言えるわけがなかろう、と言いたげなオグカーバの問いに、しかしボルガンは楽しげに首肯した。
「もちろんでございますとも、陛下」
漆黒のローブが小刻みに揺れる。声もなく笑うボルガンは、やはり黒の手袋に包まれた手でジオコーザを示した。
この国の次期継承者は、
「ええい、外務大臣および外交官をこの場に召喚せよ! 各国に
ジオコーザががなり立てると、近衛兵の何名かが謁見の間を飛び出して行った。玉座に座る国王を無視した命令だが、ジオコーザのあまりの剣幕に誰も口を挟めない。
「――ねぇ? あの通り、王太子殿下はやる気満々ではありませんか。ご心配には及びません、国王陛下。戦いとは何も一対一で行うものだけではないのですから。数こそ力。たとえ魔王を倒した勇者であろうと、万を超す群衆には
「…………」
妄言を吐くなとは、もはやオグカーバは言わなかった。
あのアルサルの力を目の当たりにしておきながら、たかだか万の軍勢で勝てるなどと思い上がるのは、何かしら策があるか、余程の愚者のどちらかでしかない。
よしんばボルガンが前者だったとしても、聞いたところでどうせ詳しい策の内容など語るまい。
オグカーバは小さく、諦めの吐息をこぼした。
「……もう満足か、ボルガン。全て、全ておぬしの思惑通りになったぞ。アルサルを追放し、遠からず奴は世界的な指名手配犯となろう。そう、他ならぬ我が息子、ジオコーザの手によってな……おぬしが目論んだ通り、晴れてあやつは『世界の敵』となる――これ以上、何を望む?」
「いえいえ、とんでもございません、オグカーバ陛下。何もかも始まったばかりではありませんか」
もうよかろう、とでも言いたげな老人に対し、ボルガンは丁重に否定の意を返した。
「災いの元凶はアルサルだけにありませぬ。かつて魔王を討伐した四人――そう、〝蒼闇の魔道士〟、〝白聖の姫巫女〟、〝金剛の闘戦士〟――彼らをも含めて人界から追放するか、滅しない限り、
「…………」
まだ始まったばかりだ、と主張するボルガンには応じず、オグカーバは息子であるジオコーザへと目を向けた。
人が変わったように血気盛んになった愛し子は、急ぎで呼びつけた外務大臣および外交官に烈火のごとく命令を叩き付けている。父であり、国王であるオグカーバを完全に無視したまま。
「……どうして、こんなことに……」
オグカーバ自身にしか聞こえない呟きは、次なるボルガンの宣誓によって完全に掻き消された。
漆黒のローブを纏った男は両腕を広げ、高らかに
「さぁ、国王陛下、王太子殿下! そしてセントミリドガルの皆々様! 引き続き反逆者アルサルを追い詰めるのです! 空の彼方へ逃げようと! 海の底へ逃げようと! 地の果てまで逃げようとも! どこまでもどこまでも! 必ずやあの大逆の咎人を人界から葬り去るのです! どうかご安心を! 皆様にはこのボルガン――宮廷聖術士ボルガンがついております
ある日突然『宮廷聖術士』という前代未聞の役職に任じられた男の
全員が例外なく、血走った目をしていた。その中でも、目が真っ赤に染まるほど興奮したジオコーザが歯を剥いて叫ぶ。
「当然だ、ボルガン! あの悪辣なる反逆者にはこの私自ら引導を渡してやる! 皆の者、戦いの準備だ! 何があろうと反逆者アルサルに天誅を下す! 我がセントミリドガルの威信に懸けて! 全身全霊を注ぎ込むのだ!!」
ジオコーザの持つ熱が伝播したかのように、近衛兵らも腕を振り上げて歓声を上げる。
暴走は止まらない。
ただ一人、冷静な者がいる。
セントミリドガル国王オグカーバ。
しかし、王である彼にもアルサル誅殺の流れは止められない。止められない理由がある。
故に。
セントミリドガル王国は勢いも激しく、滅びの道を
■
まさかとは思ったが、俺が野営していた場所からそう遠くない距離に小さな村があった。
日が完全に落ちて周囲が真っ暗闇に包まれると、少し離れた場所にいくつかの灯りが見えたのだ。
夜闇に浮かび上がる小さな光。人の営みの証だ。
国境の山間となれば、ほとんど隠れ里に近い。特殊な術でも使わない限り、昼間にはそうそう見つけられなかっただろう。
まさかと思ったのは、言うまでもなく例の
あれはおそらく【マーキング】だ。
ドラゴンが目印のために、あえて自身の鱗を一枚あそこに落としていったのだ。
何のために? 決まっている。
おそらく上空から人里を見つけ、場所を忘れないようにと目印を残していったのだ。
つまり、放っておけばあの村はいずれドラゴンに襲われ、人が喰われる。あるいは、既に犠牲者が出ているかもしれない。
つくづく、様子を見に行って正解だったと思う。でなければ、何も気付かずに通り過ぎていたところだ。
ひとまず、俺は朝を待つことにした。理術で周囲を
「てか、道理で他の獣もいないわけだ。新鮮な肉はお預けだな……」
ドラゴンのマーキングにビビらない野生の獣などいない。たとえこの山に野兎などがいたとしても、とっくの昔にどこかへ逃げてしまったはずだ。
はぁ、と溜息が出る。
「こんなことなら、都市部を出る前に買い物しておきゃよかったな……」
軍の訓練で使うような食材ならアイテムボックスに入っているが、どれも質素なものばかりだ。どうせ指名手配されるだろうからと急いで出てきたのが
仕方ないので、日が暮れる前に食べたベーコンエッグサンドや焼きソーセージ程度のものを焚き火で調理して、簡単に晩飯を済ませる。
「今日は早めに寝て、日の出ぐらいに出立するかね」
手早く片付けを済ませると、アイテムボックスからウィスキーの入ったスキットルを取り出し、中身を呷った。
うむ。コーヒーを飲みながら眺める風景もいいが、酒を飲みながら見上げる夜空もまた素晴らしい。
魔竜の気配のおかげで、ここいらには獣どころか虫すらいない。ヤバいぐらいの
あれこそ〝
「は」
思わず自分で笑ってしまう。昔は何か格好いい気がして誇らしく思っていたものだが、流石に俺も年を取ってしまった。今となってはやたらと気恥ずかしい。
考えてみれば、魔王を倒してからもう十年だ。
思えば、随分と遠くまで来てしまった気がする。
――などと、椅子に座って夜空を見上げながら酒を飲んでいたら、いつの間にか軽く酔いが回ってしまった。
「……寝るか」
まだ時間的には早いが、既に夜闇は深い。夜空の星々ぐらいしか光源がないせいだ。
魔竜の気配のおかげで獣が出る心配はないが、それでも焚き火はそのままにしてテントに潜り込む。寝袋に体を滑り込ませて、マットの上に寝っ転がった。
目を瞑ると、眠りに落ちる前にふと昔の記憶が蘇る。
そういえば魔王討伐の旅の時は、エムリスの奴がテント内に亜空間を作って、もうほとんど家みたいな状態で過ごしていたっけな。テントの入り口をくぐると、キッチンやら洗面所やら風呂やらトイレやらがあって、さらには一人一人の個室空間まで用意されていて、もはや『持ち運びできる家』みたいなテントになっていた。
然もありなん。それだけ旅は過酷だったし、休める時に癒やせる疲労は癒やさなければならなかったのだ。
一日二日ぐらいなら野宿でも問題ないが、流石に長く続くと辛いものがある。やはり人間、柔らかいベッドの上で寝ないと疲れが取れないものだ。
そんなわけで四人の共同生活の場となったテント――というか亜空間には、今でもアクセス可能のはずだ。エムリスから伝授された魔術を使えば、いつでもあそこに入れると思う。
でも、やはり今日ぐらいは普通にキャンプがしたい。あっちを使うのは、テント泊に飽きてからにしよう……
そんなことを思いつつ、俺の意識は深い眠りへと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます