●2 ちょっとした昔話と、大きな鱗 2








 というわけで足早に山頂まで登り詰め、適当な平地を見繕った俺は、まず設営を開始した。


「――よし、こんなもんか」


 テント、断熱シート、マットレス、寝袋、ローチェア、ローテーブル、食器類を諸々。雨が降る可能性も考えて、タープ一式も。


 ストレージの魔術を使い、亜空間のアイテムボックスから手持ちのキャンプ道具を取り出して、一つ一つ丁寧に組み立てていく。


 少し急いだおかげでまだ日暮れ前だ。余裕は充分にある。


「軍用のテントは無愛想なデザインばっかりだったからな。こうして自前のテントを張れるのは、無職になったおかげか。いや無職におかげもなにもないわな」


 青のワンポールテントを組み立て、地面にペグを打ち込みながら苦笑する。


 今日は散々なことが起こったが、考えてみれば一生遊んで暮らせる金を手に入れて、何の束縛もない自由の身となったのだ。これに勝る人生はそうそうあるまいて。


 その代わり、五大国の一つであるセントミリドガルから追放されてしまったわけだが。指名手配もされているだろうな。戦技指南役なんていう高級閑職について、半ば天下りの隠居生活みたいな勝ち組コースを進んでいたはずが、気が付けば〝はみ出し者〟の〝ならず者〟である。


 まったく人生というやつは、いつ何がどうなるののかわからないものだ。


「……あー、しっかし、大丈夫かね、あいつら?」


 ローテーブルとローチェアを用意しながら、俺は空に向かって呟く。


 まぁ、あっちから『国外追放だ』などと言ってきたのだから、気にする必要などないかもしれないが。


 というのも、俺という存在は、他国にとって一種の【抑止力】だったのである。


 考えてもみて欲しい。俺は勇者である。十年も経って色々とトウが立っているかもしれないが、それでもかつては〝銀穹の勇者〟と名を馳せた戦士だったのだ。


 人界を滅ぼす勢いだった魔王軍を退しりぞけ、その首魁しゅかいたる魔王を討ち滅ぼした英雄の一人――


 言っちゃなんだが、客観的に見れば『生きた最終兵器』と称しても過言ではない存在だ。


 実際、俺一人でセントミリドガル王国を崩壊させることが可能なのは、既に御覧の通り。その気になることなどまずないが、その気になれば国の一つや二つ、簡単に滅ぼすことができる――それだけの力を、俺達は魔王を倒す道程で手に入れてしまったのだ。


 魔道士、姫巫女、闘戦士の三人がセントミリドガル以外の国で過ごしているせいもあってか、むしろ他国の方が俺達の脅威についてよく理解している節がある。


 というか、そのおかげで俺もセントミリドガルの重鎮じゅうちんたちがそのことを理解しているものと思い込んでしまったのだが。


 実際、戦技指南役などをやっていると、他国の軍との共同演習なんかに参加する機会が何度もあった。そこで、他国の軍の偉い人間からえらく丁重な扱いを受けたり、礼儀正しい挨拶をされたり――要は〝下にも置かない歓待〟ってやつを何度も受けたのだ。


 俺を怒らせるとヤバイ――それが他国の軍高官らの共通認識だったようで。詰まる所、魔王がいなくなって情勢が安定したにも拘らず、彼らが手を繋いでセントミリドガルに攻め込んで来ないのは、俺という危険物がいるからだったのだ。


 そりゃそうだ。俺に限らず、かつての勇者一行を怒らせれば国などあっさり滅ぶ。だというのに、そんな危ない奴らのいる国をわざわざ攻める理由など、一体どこにあろうか。


「ま、知らんけど」


 そんなわけではからずも俺が周辺諸国に睨みを利かせる形となり、この十年間セントミリドガルは他の四大国含め、どこからも侵略戦争を仕掛けられることなく平和を享受することができていたのだ。


 それを、あの愚王め。俺を役立たずだの穀潰しだの、よくも好き勝手に言ってくれたものだ。


 ザコ王子も、俺を国外追放したことをあちこちに言いふらすとか言っていたな。勝手にしやがれってんだ。自国の軍事機密を喜んで他所にばらすとか、正気の沙汰じゃないけどな。


 その結果、セントミリドガルは周辺諸国から寄ってたかって攻撃されるかもしれないが、もはや俺の知ったことではない。後で戻ってきてくれと頭を下げてきても、願いを聞いてやるつもりなど微塵もない。


 滅ぶなら勝手に滅べ。所詮、人間同士の内輪もめだ。人界が滅ぶわけでもなし。俺の出番はもう終わったのだ。


「何が起ころうと自業自得ってやつだな。なんにせよ、追放された身には関係のないっつー話だけど」


 などと言いつつ、ふん、と少し鼻息を荒くしてしまう俺。まぁ、不満なのは不満なのでそれも致し方なしであろう。


「そんなことより、めしだな、めし


 金属製のポールを、ズガン、と地面に深く突き刺してタープの支柱にした俺は、気を取り直してほくそ笑む。


 キャンプの醍醐味といえば、飯だ。いや、このように断言してしまうのはやや浅薄せんぱくかもしれないが、少なくとも一理ぐらいはあるだろう。


 普段は何てことのない普通の食事でも、このような環境で食べると何故かたまらなく美味く感じるものだ。


「まずは火の用意っと」


 俺はアイテムボックスから、焚き火台と薪の束を取り出した。このような時、現地でかまどを作ったり、燃料となる木々を拾い集めるのも野営の楽しみの一つだが、今日は省略する。


 何故なら、そこそこ急いで国を出てきたのもあって、朝食からこっち何も口にしていないのである。


 腹が減っていた。


 というわけで早速、焚き火台に組んで重ねた薪に向かって、俺は人差し指を突きつける。


「燃えろ、っと」


 呟くと同時、俺の人差し指全体に銀色の幾何学きかがく模様もようが浮かび上がった。


 輝紋きもんである。


 理力りりょくないし魔力まりょくを発動する際は、このような刺青いれずみのような模様が皮膚上に現れるものなのだ。もっとも、戦闘中においてはそれが攻撃の〝起こり〟だととらえられるので、そうならないよう隠す技術も存在する。


 せんだって〝銀剣〟でセントミリドガル城を切り裂く際、周囲の生体反応を走査スキャンする理術を使った時は、俺自身の気が昂ぶっていたのもあって、戦闘時のように輝紋きもん励起れいきを抑えてしまっていた。だが、今は気が緩んでいるため、こうして皮膚に輝く紋様もんようが浮かび上がったのである。


 ぼっ、と俺の指先から小さな火が生まれ、瞬く間に薪へと燃え移る。理術で生まれた炎は長持ちして、そうそう消えることはない。このまま放っておけば本格的に火が点くだろう。


 先程も言った通り、俺は魔術についてはよく知らないが、理術に関してはそれなりに知識がある。


 だから解説しよう。理術とは――ことわりあやつすべである、と。


 え? 何を言っているのかわからない? すまん、俺も自分で言っていてよくわからなかった。ちょっと格好つけたくて雰囲気重視で言ってみた。今は反省している。


 天地てんち開闢かいびゃくより、森羅万象しんらばんしょう――即ち『世界の全て』はことわりのっとって動いている。


 例えば、木にった果実は重力によって地面に落ちる。


 例えば、高温になった木は燃焼する。


 例えば、比重の軽いものは水に浮く。


 このように明文化こそされていないが、世界には絶対不可分のことわり――物理法則が存在する。


 理術は、人が生まれつき持つ『理力』を活用することで、そんな世界のことわりに対して干渉する術だ。


 例えば、今さっきの薪に火を点けた理術。


 木は燃える――これが世界のことわりの一つだ。


 本来なら火口ほくちとして、ほぐした麻紐であったり、油を吸わせた布であったり、着火材を使って薪を燃やすのが常道だ。


 だが、理術はその工程を省略することが出来る。理力を対価に払うことで、途中経過をすっ飛ばし、いきなりことわりの終着点へと至ることができるのだ。


 だから俺が『燃えろ』と言って理力を捧げたことにより、薪には火が点いた。俺の手元には何の火種もなかったが、この世界には『木は燃える』ということわりがある。故に因果を理力によって無視して、『木が燃える』という結果だけを作り出したのだ。


 無論、これは『木が燃える』という理に則ったから容易だったのである。これが例えば『木が凍る』だとすれば、ちょっと難しい。普通、木はなかなか凍らないものだからだ。とはいえ、絶対に不可能というわけではないので、強めに理力を使えばどうにかなる。単に燃やすよりも消耗は激しくなってしまうが。


 逆に言えば、理術はことわりに反したことはできない。


 林檎が空を飛ぶことはないし、燃えて灰になった木が元に戻ることはないし、風船が水に沈むこともない。


 それは世界のことわりに存在しない事象であるため、少なくとも理術では実行不可能なことなのだ。


 このあたり、魔術まじゅつであれば可能なことがいくつもあるので、俺が向かおうとしているアルファドラグーンではその研究が盛んになっている。まぁ、それについてはまた別の機会に話すとしよう。


 要するに、理術とは『途中経過を省く』術なのだ。


 先刻の『周囲の生体反応を探る』もそうで、俺がその気になれば周辺一帯の生物の様子を調べることは【理の上では】可能であり、時間と労力さえかければ出来ないことではない。故に、そこを理力で代替させることによって、即座に『結果』だけを手にすることができたのだ。


 ちとややこしい説明になってしまったが、つまりはそういうことである。


 閑話休題。


 ともあれ、火起こしはこれで完了だ。次は料理の段階である。


「ええと、食材は何があったかな……?」


 俺はストレージの魔術を発動させ、アイテムボックス内の一覧を空中表示させた。


 何もない空間にレーザー表示みたいに浮かび上がるスクリーン画面。あまり『魔術』という感じはしないが、これもストレージの魔術の仕様だ。なにせこの魔術を開発したのは、この世界の人間ではないからな。世界観にそぐわないデザインなのももありなんである。


 カテゴリを食材に絞ってアイテムボックス内を調べると、卵、薄切りベーコン、食パン、ソーセージなどといった定番のものが目についた。そうそう、先日の訓練合宿の際に多めに配給されたものを、そのまま取って置いたのだ。


 言うまでもないが、アイテムボックス内部においては時間経過による物質変化は起きない。内部で時間が流れていないというわけではないのだが、まぁ似たようなものだ。原則、食材は腐らないし、それ以外のものも経年劣化などしたりしない。そういう風になっている。


 よって、俺が取り出した食材はどれも新鮮なままだった。


「ま、何はともあれ腹ごしらえだ」


 晩飯はまた取るとして、まずは日が暮れる前に小腹を満たしておきたい。俺はさらに鉄製のスキレットを空中から取り出すと、ベーコンエッグを作り始めた。


 焚き火台に網を乗せ、その上にスキレットを置く。軽く油を引き――これもストレージで取り出した――、スキレットから白い煙が立ち上ってきたらベーコンを投入。途端、勢いよく油が弾け、美味そうな音が重奏じゅうそうする。燻製肉の焼ける香ばしい匂いが鼻孔を突く。


「うーん……これだ、これこれ」


 ローチェアに腰掛けた俺は、揺れる炎で炙られる鉄鍋てつなべというステージの上、そこで踊るベーコンの姿にニンマリと笑みを浮かべる。


 単に薄切りのベーコンを焼いているだけなのだが、これが野外でとなると、途端に特別なことになるのだからキャンプというのは不思議だ。


「おっと、こいつも忘れちゃいけない」


 俺は食パンを取り出し、網のほどよい位置に置いた。こうしておくことで、いい感じにトーストされるのだ。無論、タイミングを見てひっくり返すのは必須である。


 ベーコンがほどよく焼けた頃合いを見て、卵を二つ割って隙間に落とす。じゅわぁ、とまたしても美味おいしそうな音が耳に触れる。バチバチと爆ぜる音が、もう食べる前からうまい。


「――そろそろいいか」


 充分に焼けたのを見計らって、俺は焚き火からスキレットを取り上げた。そのまま、逆の手に取った食パンの上へ、できたてホヤホヤのベーコンエッグを滑らせるように移動させる。


「……ふふふふ……」


 思わず笑みが声に出てしまった。


 どうだい、この見た目。刮目するがいい、よくトーストされた食パンに、焼きたてベーコンエッグをのっけたこの姿を。


 こんなに旨そうな食べ物がこの世にあるだろうか? いや、ない。


「そんじゃま、色々とぶっかけて、っと」


 俺は手持ちの調味料を駆使して、ベーコンエッグに味付けをする。おっと、どんな調味料を使ったのかなんて聞くのは野暮だ。へたすりゃ戦争が起きる。スポーツと、政治と、目玉焼きに何をかけるのかって話は、雑談でしてはいけない三大テーマなのである。


 網に下ろしたスキレットにソーセージを投入しつつ、俺はベーコンエッグトーストにかぶりついた。


「――~っ……!」


 うまい。うまい。美味うまい。


 もはや言葉にするまでもない。


 というか、言葉に出来ない。こればっかりは実際に作って食べてみて欲しい。塩でも胡椒でも、ソースでもマヨネーズでも、好きな味付けで召し上がれだ。


「さて、明日にはアルファドラグーンに入れるだろうけど、エムリスとはどうやって落ち合うかな……?」


 即席のおやつを咀嚼しながら、ふと空を見上げて思案していたところ――


「ん?」


 左方向、やや離れた森の方に妙な違和感を覚える。


 視線を向けると、しかし何の変哲もない木々の群れが見えた。


「……?」


 動きは特にない。


 おかしいな、何やら大きな気配を感じたのだが。


 少なくとも、人間の大きさではなかった。その数倍以上――ぞうとか、下手するとそれよりも大きい『何か』。最悪の場合、【魔物】である可能性もゼロではないが――


「……ま、いいか」


 東の『魔の領域』から人界へ、一定数の魔物が迷い込んでいるのは周知の事実だ。なにせあいつらは獣と同じで、理性も知性もない。人里離れた場所を伝ってこっち側へ来るなど、魔王復活前からざらにあることだった。


 それもあってか、世の中にはそういった魔物――魔獣まじゅうとも呼ばれる――を退治する生業なりわいが存在する。


 聞いたことあるだろうが――『冒険者』というやつだ。


 まぁ、彼らの仕事は『賞金稼ぎ』や『傭兵』、『用心棒』がメインで、名前ほど【冒険】している人口は少ないそうだが。


 というか多分、魔王討伐の旅に出ていた頃の俺達の方がよっぽど『冒険者』していた可能性まである。


 一応、当時の俺達が手を出さなかったダンジョンはいくらでも残っているので、そっちを探索している冒険者もそこそこいるらしいが。


 ともあれ、このへんに魔物が出没するというのなら、その対応は冒険者、ないし彼らを統括する冒険者組合の仕事だ。少なくとも、俺めがけて襲い掛かって来ない限りは相手にする理由がない。


 ま、獣や魔物の方が人間よりよっぽど感覚が鋭いので、わざわざ威圧するまでもなく俺の強さを感じ取り、近付いてくることはまずないだろうが。


「とりあえず、あいつにはメッセージだけ送っとくか……」


 気を取り直し、俺は通信用の理術を発動させる。これは音声ではなく、文字情報をそのまま相手に送ることができる術だ。


「近々、そっち遊びにいくぞ――と」


 理力を制御して光の文字を描き、それを送信する。これで距離を超えて、通信相手にメッセージが届く仕組みだ。また、相手が文章を読んだかどうかもわかる、すぐれ機能付きである。


「……何だか懐かしいな」


 こういったプライベートの通信をするのは、ちょっと久しぶりだ。さっきも言った通り、俺は基本的にセントミリドガル城の敷地内に引き籠っていたし、これといって仲のいい友人もいなかった。業務連絡を除けば、精々かつて一緒に旅した仲間に送るメッセージぐらいでしか、通信の理術を使ってこなかったのだ。


 だが――もう記憶は残っていないが――【勇者になる前】にも似たようなことをしていたはずだ。頭では覚えていなくとも、体が憶えている。この奇妙な懐かしさは、それもあるのだろう。


「ま、どうせまた既読スルーだろうけどな」


 メッセージを送った相手のことを思って、苦笑いする。


 俺の中の〝傲慢〟や〝強欲〟と同じように、エムリスの奴には〝怠惰〟と〝残虐〟が宿っている。昔は、それはもう勤勉な奴だったが、今ではすっかりグータラしていることだろう。メッセージを送ってもほとんど返事が来なくなったあたりから、そのあたりは察せられる。


「……さて、と。そんじゃあ、コーヒーでも飲んで、そっから晩飯の準備すっかな」


 ベーコンエッグトーストを半分食べた頃には焼き上がったソーセージも含め、ペロリと平らげた俺は――今日はよくカロリーを使ったしな――水を入れたケトルを火にかけ、コーヒーミルで豆を挽き始める。ちなみに、足りない材料や道具はその都度アイテムボックスから取り出しているだけなので、細かいことは気にしないで欲しい。


 じっくり時間をかけて一人分のコーヒーを淹れ、周囲の風景を眺めながらすすり飲む。立ち上る湯気に重なる風景、コーヒーの芳香ほうこうが鼻孔をくすぐる。


 うーん、このまったり感。ローチェアに腰掛けて、ぼーっ、とするこの時間。いや、本当に最高だな。


 こういうの、何て言ったかな? スローライフ? 丁寧な生活?


 うん、悪くない。悪くないぞ。


 降って湧いたような災難だったが、むしろ段々と僥倖ぎょうこうだったんじゃないかとも思えてくる。


 ちょうどいい機会なのであちこち旅して回ろうと思っていたが、こうなると生活様式そのものを変えてしまうのも悪くない気がしてきた。


 そうだ、魔王討伐の際は各地を転々としていたのに、プレッシャーや焦りで観光なんぞろくに出来なかったのだ。こうなったからには、平和になった世界をのんびり見て回るのもいいんじゃなかろうか。きっと、若い時には見えなかった景色が見えるに違いない。


 元勇者の放浪スローライフの旅――


 うむ、なかなか悪くない響きだ。


「――うし」


 思うさま気楽なひとときを過ごした俺は、やおら立ち上がった。


 気が変わった。先程は「ま、いいか」などと言ったが、やはり先程の妙な気配が気になってきたのだ。


 魔物であれば確かに冒険者組合の仕事かもしれないが、だからと言って何もしないのも、ほら、アレだ。万が一、後になってからこのあたりで何かあったとか聞いたら、寝覚めが悪くなってしまうしな。


 折角だし、散策がてら様子を見に行くのも悪くないだろう。


 ついでに適当な獣がいたら捕まえて晩飯のタンパク質にしてやろう――などと思いつつ、妙な気配を感じた森の中へと足を踏み入れる。


 木々の隙間を抜けて、奥へ、奥へと。


 結局の所、晩飯になる獲物などはいなかったが――


「……なるほど、な。日が暮れる前に来てみてよかったな」


 俺は足を止め、森の中に忽然と現れた【ソレ】を見上げた。


 黒い壁。


 そう――どこかキチン質な風合いのそれは、人間の大人よりもなお大きい、いびつかたちをした漆黒の壁に見えた。


 だが、木々の間に突き刺さるようにして埋もれている【ソレ】が、実は壁でも何でもないことを俺は知っている。


「さっき感じたのは、コイツの魔力の残滓ざんしだった……ってわけか。道理ですぐ消えたわけだ」


 それは――うろこだった。


 それも黒竜――ブラックドラゴン系列の鱗である。


 魔物どころではない。


 というか、たかが鱗一つがこのサイズだということは――


「こいつは――なかなかの大物おおものだな」


 このあたりに【大魔竜】がいるという、その証左に他ならないのだった。








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