賢者 Lv.20

 夏季休暇を残すところ五日。

 ルベリウスとマルヴィナは第一学校の男子寮に戻って来た。

 マルヴィナがしのびあしを使ってルベリウスを含めて気配を消しての帰宅である。


「開けようとした痕跡がありますね」

「それ、僕も今、感じたところです」


 魔法鍵は魔術師が施錠するものでルベリウスはその使い方を熟知していた。

 幼少期に読んだ本に魔法鍵に関する記述を熟読済み。

 それを覚えていたからルベリウスはイリーナが部屋にいるタイミングで魔法鍵を取り付けた。

 この魔法鍵を施錠したのはルベリウスである。

 魔導書に記載されている詠唱を魔改造して難解化したものだ。

 ルベリウスは魔法鍵を解いて扉を開けると手紙受けから投函されたらしいいくつかの書簡を拾った。

 その中に──


「お父様からの書簡が届いてました」


 アウル・ヴァン・ダイスの記名のある書簡を見つけた。

 もう一つ、国の封書も届いている。

 下に散らばった手紙を拾い集めて部屋に入ると室内は行く前から変わった様子はない。

 手紙をテーブルに置いたルベリウスは玄関前に置いた肉の数々を台所に持ち込む作業をマルヴィナと一緒に繰り返した。


 部屋に入り、室内の様子を一通り確認すると、特に人が入った形跡が見当たらないことからルベリウスとマルヴィナは一安心。

 外の気配が落ち着くまで、マルヴィナはしのびあしを使ったままで過ごし、その間、ルベリウスは届いた手紙の封を解く。

 ルベリウスはアウルからの手紙から読む。

 内容は短く、ダイス家からの除籍を通知するものだった。

 続けて国の記名の封書を読んだ。

 こちらはダイス家から除籍されたことを通知するものだった。

 ルベリウスが貴族籍から抹消されて平民となったことを示すものとなる。


「マルヴィナさんにお伝えしなければなりません」


 ルベリウスは手紙の内容をマルヴィナに貴族籍を失ったことを伝えた。

 マルヴィナはルベリウスの真剣な表情を見て作業の手を止めて話を聞く。


「──ですので、マルヴィナさんは……」

「ベルさま──」


 マルヴィナはルベリウスが言い終えるのを待たずに遮る。


「私の給金はウルリーケ様より戴いておりますし、ベルさまに至っては今、クレフ・ヴァン・プリスティア様、ウルリーケ・ヴァン・プリスティア様が後見人として連名で記載されております。ですので私はベルさまの傍を離れるわけには参りません」


 マルヴィナはルベリウスに仕えているが雇い主はウルリーケ。

 給金も毎月、ウルリーケから受け取ってルベリウスの世話をしている。

 だから、ルベリウスが除籍されて身分が平民であっても、ウルリーケがお金を払い続ける限りルベリウスに仕えるつもりだった。

 マルヴィナにとって一番の懸念はジェシカ皇女。マルヴィナは奴隷で、その主がジェシカだからだ。

 子爵家とはいえ、貴族の子だから婚約者候補として名を連ねたが、平民となれば話は別。

 当然、これで婚約者候補から自動的に落脱したことになる。


「そうか……。わかりました。すまないね。何だか──」

「いいえ。それに私はベルさまに命を救われた大恩がございますから、私個人としましてもベルさまから離れるつもりはありませんよ」

「それはありがたい……」

「以前にもありましたが、ベルさまがお亡くなりになっても私はベルさまにお仕えするつもりですので、覚悟してくださいね」


 マルヴィナはそう言って椅子から腰を上げると、形の良い尻をルベリウスに向けながら台所に戻った。

 予測していたとはいえ、実際に平民に落ちたことを公式に知らされると、それなりに落胆はする。


 数日後──。

 第一学校高等部の夏季休暇が残り一日というこの日。

 朝からウルリーケとイリーナがルベリウスの部屋にやってきた。

 イリーナは単純にルベリウスに会いたかっただけだが、ウルリーケは除籍についての話をするため。

 四脚しかないテーブルの椅子に、ルベリウスとマルヴィナが隣り合って座り、正面にはウルリーケとイリーナが並んで座った。


「アウル様からの除籍の報せはアリスにも届いたわ──」


 ウルリーケの話から始まり、その内容はダイス家からの除籍について。

 アリスの下にもアウルと国から除籍に関する通知書が届いていた。

 アリスはそのままプリスティア家に迎えられて家名をプリスティアに改めている。

 アリス・ヴァン・プリスティア──。

 プリスティアの聖女などと謳われたウルリーケ・ヴァン・プリスティアの娘で、母にも負けぬ実力のある〝僧侶〟でありながら聖女のような美しさを讃える美女として、ダルム神殿と帝都の教会を行き来している。

 ウルリーケの話では、ルベリウスもプリスティアに迎えたいという話をしているが、ルベリウスは〝遊び人〟。最下級職をわざわざ家に迎え入れるというのは寄り子からの反発を招くため叶わなかった。

 だから、ルベリウスが成人を迎える二十一歳までの間、後見人としてルベリウスの身分を侯爵家の子と同等として保護する他手段がない。

 その一連の話でルベリウスは納得はした。


「──だから、マルヴィナには申し訳ないけど、貴女が勤めたい限り働いていただくことになるけれど、嫌なら咎めることはできないし、どちらにしても高等部を卒業するまでということになるから、続けるならそのつもりでいただくことになるわ」


 ウルリーケの言葉にマルヴィナははっきりと答える。


「私は辞めるつもりはございません。ベルさまに──ルベリウスさまにお仕えする気持ちはかわりませんから」

「そう。なら、良いわ。ベルのこと、頼むわね」

「はい。かしこまりました」


 マルヴィナは隣に座るルベリウスの太ももに手を置いて、しっかりとした面持ちを保った。


「それにしても、ベルにもお姉様にも、あの狸親父はほんとに胸糞が悪いわ」


 イリーナの悪態である。


「イリーナ、言葉が少し汚いわ。気持ちは分かるけど」


 イリーナの言葉にウルリーケが注意を促す。


「ユーリ母様、優しすぎなんですよ。せっかく家格が上なのに……」

「まあ、今だから言うけれど、私は謝罪の証として国から差し出された身ですから、思ったことがなかなか言えなかったのよ」

「あーー。ユーリ母様、本当に大変だったんですね」

「ええ。でも皇族に入ることもあまり乗り気でなかったから今となってはベルが生まれてきてからようやっと、良かったって思えたの」

「ベルが生まれてから?」

「そう。ベルはとっても可愛くって。私、ずっと離せなかったもの」

「あー、わかります。ってか、ベルは私とお姉様とユーリ母様で取り合ってましたもんね」

「そうそう。オフィーリアだってそうだったでしょう? オフィーリアは私はベルと結婚できるのよって笑ってましたけど」

「ああ……」


 イリーナは思い出した。

 オフィーリアがルベリウスと結婚できると言ったのを聞いたイリーナは「私がベルと結婚するの」と言い張ったことを──。

 それからイリーナは『私は半分だけだからセーフなの』と言い出すようになったのだ。


「あ、そう言えば貴女も結婚するって言って利かなかったものね」

「ええ、今もベルと家族で居続けたいって思ってますよ。結婚も出来たら──って」


 そう言い出してイリーナは気がついた。


「平民って結婚しないのよね。でも一緒に暮らして子どもを作って家族になる──つまり、私でも良いってことだ! どっちにしたって半分はセーフなんだし」


 ガタンと椅子を鳴らして立ち上がったイリーナ。

 ルベリウスは平民。私も平民(同然)と言いたげなイリーナ。


「これで障害は何一つ無くなったということよね?」


 平民は人頭税だけ払っていれば自由である。

 どこに住もうが何をしようが国も領地も平民については税金でしか管理しない。

 そのため結婚制度も形だけで乱婚が蔓延っているが、これは仕組み上の話で、だいたいは一夫一妻でいることが多い。

 平民という枠組みならイリーナがルベリウスと結婚したと言っても問題はないのだが、ウルリーケはイリーナを座るように注意してから──、


「そんなわけないでしょ。貴族籍はなくなったけど侯爵家の当主である私のお父様と私が後見人だから。ベルが成人を迎えるまでは貴族と変わらないからムリな話よ。オフィーリアと結婚するっていうなら別だけど」


 ルベリウスとマルヴィナは二人の会話を唖然として聞いていた。

 ルベリウスはやれやれと言った様子で二人を見ていて、マルヴィナはイリーナに圧倒される。

 そんな時に、玄関のドアノッカーがなった。


「お兄様ー。ファミルです」


 ファミル・ヴァン・プリスティアという十歳の少女である。

 ファミルは侍女を連れてルベリウスの部屋にやってきたのだった。


 一方、その頃──。

 帝城の奥の宮殿に住むジェシカ皇女は中庭のテラスで妹のシンシアと優雅に茶を楽しんでいた。


「ああ、ベルさま……」


 ルベリウスが貴族籍を除籍されて婚約者候補から外れたことに落胆を隠さなかった。

 シンシアも落胆はしていたが、彼女の性格である。


「平民に落ちたっていうのに、お姉様はまだ諦めがつかないの?」

「もちろん。私はベルさまに魔法の深淵を見出してしまったの。魔法を探求したいと思うとどうしてもベルさまに辿り着いてしまうの」


 ジェシカは皇女だと言うのにルベリウスへの懸想を隠さない。

 それが〝魔術師〟のさがだと言わんばかりに。

 シンシアは〝武闘家〟という職分を十歳になってから授かった。

 ジェシカのように幼い頃に職分に目覚めたわけでないから気負いがない。


「私にはわからないわ。でも、ベルさま・・が殿方としてとても好ましいということは理解してるつもりよ」

「シンシアは同じクラスじゃない。もっとベルさまと深い仲になれるのでは?」

「ムリよ。ベルさまっていっつも席が近い女子と仲良くしてて他の誰かと話す機会がないんだもの」

「ああ、アリシア・ヴァン・アルガンドだったかしら。伯爵家の娘──父親は好色家としても有名でしたね」

「そう。それでクラスから浮いてる女子だと言うのにベルさまはその子とばっかりイチャイチャしてて」


 シンシアは思い出すだけで嫉妬でイライラが募る。


「シンシアも変わらず、ベルさまを想ってらしたのね。それが知れて良かったわ」

「でも、平民になったんでしょ? 婚約者候補から外れちゃったから私からは何もできなくなっちゃった」

「そこは私に任せてちょうだい。いつか、ちゃんと私かシンシアか選べるようにさせるから──そういう状況に持っていくわ」


 ジェシカは少し温くなったお茶を啜り、まるでおとぎ話に出てくる悪い魔女のように不敵な笑みを浮かべて見せた。

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