賢者 Lv.16

 一足先にウルリーケ・ヴァン・ダイスはプリスティア領の領都ダルムットに帰省。

 領城で公務に当たる父の手伝いにウルリーケは勤しんでいた。


「ようやっと帝都からの書状が届いたようね」


 ウルリーケは執務室に書簡を届けに来た衛兵からそれを受け取ると、差出人を確認して封を解いた。


「んむ。わしにも見せい」


 ウルリーケの父、クレフ・ヴァン・プリスティアは机から離れてソファーに座るウルリーケの隣に腰を下ろす。


「やったッ! 離縁が成立しましたわ」


 皇帝の押印で、離縁を正式に認める内容が記された書状だった。


「長かったのう」

「ええ、本当に……」

「これでユーリの家名が戻るわけだがベルはどうするのだ?」

「今のところは家名を名乗ることを許されているからこのまま。けれど、実質は平民と同等の扱いのベルはお父様が後見人でいてくれているおかげで何とか学校を卒業するまでは帝都での生活を続けられそうだけど──」

「そうか──ワシとしてはユーリの息子だから後見人になったわけだが〝遊び人〟では卒業後は如何ともし難いものでな……」


 クレフは禿げて髪の毛一つ無い後頭部に手を添えて大きく息を吐く。

 いくら可愛い孫息子でも平民同然で、しかも職分クラスが最下級の〝遊び人〟では成人するまでの後見人として名前を貸すくらいしかできない。

 プリスティア侯爵として、何とかしやりたいとは思っても、どうにもならない。

 娘のウルリーケは〝僧侶〟の職分を持っているから家に置いておいて公務に携わらせたり神殿を手伝わせることはできる。

 クレフは孫娘の一人、アリス・ヴァン・ダイスをダルムットのダルム神殿で働かせていたこともあったほど。

 孫は誰の子であっても可愛いものだ。できれば手を差し伸べて救ってあげたい。たとえそれが最下級職〝遊び人〟のルベリウスだとしても。

 経験豊かな老獪であっても、こればかりはなかなか妙案が浮かばない。

 ウルリーケが抱える辛い思いを解消したいという父心も当然ある。

 そんな父の苦悩をウルリーケは感じていた。


「お父様には本当に迷惑をかけるわね。ごめんなさい」

「可愛いお前と孫のためじゃからの……」

「私やお父様は、お母様だってそうだけど『〝遊び人〟だとしても気にしない』と言ったところで世間は許してくれないものね……」


 ウルリーケは『家名をプリスティアに改めても良いのよ』とルベリウスに言えたらどれだけ楽なのかと心を痛める。

 ルベリウスには〝僧侶〟が使う魔法の詠唱のルールをいち早く見付け出してウルリーケに伝えたことがある。

 夫だったアウルのもうひとりの妻で公妾のオフィーリアからも、ルベリウスにつけた魔法の講師リアナ・ダン・サイリスからも、〝魔術師〟が使う魔法の詠唱も同じように詠唱を分析して魔法の改造方法を教えたりしていた。

 リアナはその後、一冊の魔導書を世に送り出している。


「せめてベルの有能さだけでも広まってくれたら──」


 そうしたら、きっとプリスティア家にとどまらず帝国もルベリウスのことを良きに取り計らってくれるはずだとウルリーケは願った。

 その昔、皇女の婚約者候補に名を連ねたことがあるほどなのだから──と。

 ルベリウスがプリスティアに到着したのはその数日後のことだった。


 一方、その頃──。

 ダイス領では離縁に応じたことを認める書簡が帝都より届いた。

 同時にこれでルベリウスはダイス家から離脱。

 当面、家名の使用を許したがそれは成人となる二十一歳の誕生日までということも署名付きの書状で認められた。

 ダイス家は当主のアウル・ヴァン・ダイスとその嫡男、セグール・ヴァン・ダイスの二人のみとなる。


「これで俺も独り身か……」


 正妻のウルリーケはアウルがルベリウスに対する対応で反発して別居し、そのまま離婚。

 公妾のオフィーリアはウルリーケがアウルと離婚するなら自分も離婚すると書き置きを残してイリーナと二人で出ていった。


「どれもこれも、全部あの無能のせいだ」


 セグールは声を怒りで震わせる。


「あのゴミがどうなろうと俺の知ったところではないが、セグール──お前の縁談が纏まらないのは癇に障る。全部、あのゴミが悪い」


 アウルは皇帝からルベリウスが二人の皇女の婚約者候補に名を連ねたことがあった。

 帝城に登城した際にルベリウスではなく〝魔術師〟として将来有望なセグールは如何かと上申したことがある。

 その頃からだ。

 多くの貴族からそっぽを向かれて見向きされなくなり、それ以降、セグールの縁談相手を探すのに苦慮している。

 それに加えて、ルベリウスを蔑ろにしたことでウルリーケからの協力が得られず、ウルリーケの人脈を当てにすることができなくなっていた。


「あの時、やはり殺しておくべきだった」

「あの時──か……俺の与り知らぬところではあったが、その時に死んでいたら今よりずっと良かったかも知れないな」


 ルベリウスが幼い頃。セグールはルベリウスに手を上げ、魔法の標的にして遊んでいた。

 それをいつも咎めたのがアリスとイリーナ。そして、オフィーリアだった。

 ウルリーケは正妻としてアウルが不在の際には公務に当たる。

 それでウルリーケは知らなかったのだ。ルベリウスが命を失いそうになったことを。

 セグールはルベリウスを殺すことに躊躇はなかったが、実母のオフィーリアと実妹のイリーナが身を挺してルベリウスを庇う姿を見て断念。

 そのことをオフィーリアがウルリーケに知らせたことでルベリウスは領城の離れの一室にウルリーケと暮らすことになった。

 まだ初等部の試験を受ける前のことである。

 これを知ったアウルはルベリウスを家から遠ざけ追放するために第三学校に願書を提出した。


「まあ、あのゴミはもう平民。見かけたら殺すよ。父上」

「ゴミを始末はどうしようと構わんが、しばらく領から出ることがままならんぞ」


 ダイス領はウルリーケとオフィーリアがいなくなってから多くの家人も辞めている。

 執事たちも多くが去って今や執務を執り行えるのはアウルとセグールの二人だけ。

 領地の運営でふたりは多忙の身となっていた。


 第一学校高等部は夏季休暇。

 帝城の奥にある宮殿はジェシカが中庭を眺めるテラスでゆっくりとお茶を啜っていた。


「ねえ、マルヴィナの消息はまだわからないのかしら?」


 ジェシカの斜め前で片膝を付いているのは間者の一人。

 彼女に与えられた予算で雇われた者だ。

 マルヴィナをルベリウスの下で働けるように図り、夏季休暇の間は報告不要と夏季休暇前の最後にマルヴィナに伝えてあった。

 間者にはマルヴィナを含め、ルベリウスを調査するために雇ったわけだが、その報告内容がどう芳しくない。


「はっ。申し訳ございません。今朝方までマルヴィナがイリーナ・ヴァン・ウィンスティとルベリウス・ヴァン・ダイスが寮の一室にいたことは分かっているのですが、それ以降、全く足取りが掴めず……」


 間者はジェシカの命令でルベリウスの周辺を監視していたが、マルヴィナの〝盗賊〟の特技スキルで気配を殺して目をくらませている。

 こういったことが最近は多々発生。

 部屋にいる気配がないのなら室内に忍び込んで何かしらの調査はできたのではないかとジェシカは考え、間者に聞くことにする。


「そう……。ベルさま・・の部屋には入られて?」

「それが、堅牢な魔法鍵で施錠されておりまして、解錠に至っておりません」


 魔法を使った鍵の施錠は魔術師なら誰でもできる。

 ジェシカも魔術師であるため魔法鍵のことを良く理解していた。

 それでも多少の腕のある〝盗賊〟なら魔法鍵を破ることができる。

 それが出来ないというのだから、どれほどのもなのだろうか。ジェシカは考えた。

 ジェシカの魔法鍵は〝盗賊〟にあっさりと解錠されるだろう。

 雇った〝盗賊〟の間者はそれなりの手練。それを以て解錠できないといわせるのだから相当の魔術師だということ。

 ルベリウスの周囲の魔術師といえば義母のオフィーリアと姉のイリーナ。

 特にイリーナはルベリウスを溺愛して止まない筋金入りのブラコン。

 ルベリウスのために協力を惜しまないのだから魔法鍵を使ったとしたらイリーナだと断定。


「ベルさまのお姉様の仕業でしょうか?」

「イリーナ・ヴァン・ウィンスティは〝魔術師〟と伺っております──が、能力が高い魔術師とは思えません」


 イリーナは第一学校での成績は全体の真ん中。魔術師としての実力も目立ったものがない。

 彼女は人生の全てをルベリウスに費やしたくて常に平凡であることを目指したその結果の評価で、イリーナの真の実力を表現するものでなかった。

 だが、それを間者どころか誰一人として知る者はいない。


「そうですか……。それは仕方ありませんね」


 ジェシカはため息を吐いてお茶を優雅に啜る。


「調査は続けてくださるかしら? 足取りが掴め次第、追跡をお願いするわね」

「はッ! 承知いたしました」


 そうして再び放たれた間者。

 イリーナが帝国に大きなニュースをもたらしたのはその数日後のことだった。


 バレット・ヴァン・アルヴァンは立て込んだ謁見を済ませて執務室に下がろうとしていたら、大臣に呼び止められる。


「陛下、緊急のお知らせがございます」

「む、余はこれからしばし休憩を──」

「冒険者が小鬼の集落を発見して捕らわれていた多くの娘たちを救助してまいりました。その中には──」


 大臣は執務室に入ろうとする皇帝を呼び止めて話を続けた。

 救助した女たちの中には貴族の娘もいるということで話を聞かざるを得ない。

 バレットは大臣を伴って執務室に入り報告を続けさせた。


「そうか。冒険者ギルドのギルド長を呼べ」

「ギルド長は待たせてあります」

「ならば、ここに通せ。ついでにラインを呼んできてくれ」


 疲れて動くのが億劫になったバレットは、ギルド長から事の詳細をじっくり聞きたいため、執務室にギルド長を呼ぶことにした。

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