賢者 Lv.10

 衣類店でいくつかの服を購入して、持ち帰ったのは下着と部屋着。

 他はサイズの調整等があるため後日、取りに行くことになった。

 この衣類店はターニャのときにもお世話になっていたが、このときはターニャが中心となって店員とやり取りしていて、ルベリウスは〝遊び人〟として女性店員と親しくなったという経緯がある。


「こんなに買っていただいて、申し訳ございません」


 マルヴィナは店を出て頭を下げた。


「いつも頑張ってくれてるマルヴィナさんへのプレゼントってことで受け取ってもらえると嬉しいです」


 ルベリウスはマルヴィナが頭を上げるのを待ってから言う。

 顔を見て言葉を伝えないと、伝わらないと思ったからである。

 マルヴィナはルベリウスを笑顔で、許されたと感じて涙を浮かべた。


「ありがとうございます。……ありがとうございます」


 マルヴィナが服を誰かから買ってもらった記憶はマルヴィナの職分が〝盗賊〟だと分かる前までに遡る。

 ルベリウスがお金を出してマルヴィナに買った服は下着や部屋着でも相当に上等で高価なもの。

 とはいえ、マルヴィナはルベリウスの母親のウルリーケから給金を貰っていて、昼間にはそれなりに自由を与えてもらっているから買い物に出ることもあったが、彼女はそんなときでさえ侍女メイド服に身を包んでいたし、下着は帝城で支給されたもの以外使ったことがない。

 だから、マルヴィナはルベリウスに大事なお金を使わせて申し訳ないと下を向きがちになってしまう。

 一度下を向いたらなかなか顔を上げないマルヴィナの手をルベリウスは引いた。


「次、行こうか」


 そう声をかけてルベリウスは〝遊ぶ〟を使い、マルヴィナの腰に手を回す。


「ああ、ベルさま。荷物は私がお持ちします」

「今はこのままで──それよりもアレをお願いします」


 ルベリウスの声でマルヴィナはしのびあしを使った。

 次に向かった先はレストランである。

 上級貴族向けではないがそれなりに質の高い料理を出すレストラン。


「いらっしゃいませ──ああ、ルベリウス様。お久しぶりでございます。席に案内いたしましょう」


 四ヵ月ぶりくらいに顔を出したこのレストラン。

 ターニャとは月に一度ほどの割合で訪れていた。

 給仕の案内で奥の席へと案内されたルベリウスとマルヴィナ。


「こちらの座席をどうぞ」


 仕切りが施されて周囲から見えないこの席。

 三面を囲い席は対面に座るだけでなく隣り合って座れる配置。

 ルベリウスとマルヴィナは角を経て隣り合って座る。

 この店に初めて訪れたのは中等部のころ。

 ウルリーケに連れられてルベリウスとターニャと三人で食べた。

 それからも三人で来たり、ルベリウスとターニャの二人で来ることもあったし、ルベリウスが学校に通っている間にウルリーケとターニャで食事をすることもあった。


「本日は二名様で宜しかったでしょうか?」

「はい。僕と彼女に二人になります」

「かしこまりました。では、メニューをお持ちいたしましょう」


 給仕が一旦下がってメニューを持ってくると、ルベリウスはマルヴィナに料理を解説しながら何を食べるかを選ぶ。


「宜しいんですか? こんなにお高い料理を戴いても」


 マルヴィナはメニューに書かれた料理の値段に恐る恐る訪ねた。


「値段は特に気にしなくて大丈夫。ここに書かれた料理を全部頼んでも足りるくらいは持ってますから」


 ルベリウスは答える。

 ルベリウスはマルヴィナがどんな料理に興味を持つのか興味があり、マルヴィナが選ぶのを待ったが一向に決まらない。

 そこで、マルヴィナに聞いた。


「マルヴィナさんは、どんな料理が食べたい?」

「ごめんなさい。私、メニューに書かれたものがどんな料理かが分からなくて……」

「ああ、そういうこと。僕もそうでした。マルヴィナさんはどんな料理が食べたいですか?」

「私は、最近ずっと肉料理が中心でしたから魚や貝類を口にしたいと探してたんですが、どれなのかがわからなくて……」

「そうでしたか。魚介でしたら、このへんですね」


 ルベリウスはメニューを指差してマルヴィナに見せる。


「あの……私───」


 マルヴィナが何を食べたら良いか戸惑っているとルベリウスが料理の解説をした。

 そうして、ようやっと料理を頼めたわけだが、ルベリウスは自分やターニャが初めてここに来たときの様子とまるで変わらないマルヴィナに面白おかしくなって少し揶揄って笑う。


「仕方ないじゃないですか……。だって、私、こういうところは初めてで全く知らないんだもの……」


 と、マルヴィナの素の言葉が返ってきた。

 頬が少し赤く膨れて可愛らしい。


「僕も最初は同じでしたから。同じようにお母様に笑われましたし」

「ベルさまもそうだったんですね。もっと賢くオーダーしたりするものだと思ってました」


 ルベリウスの言葉にマルヴィナはちょっとした仕返しの意味を込めて皮肉を言ったつもりだったが、逆に、ルベリウスの生い立ちを聞く羽目になって「申し訳ございませんでした」とポロポロと涙を零して謝るハメに──。

 それから逆に、厳しい環境を過去にして置き去りにできる〝遊び人〟としてのルベリウスにマルヴィナは強い憧憬を抱く。


(私はベルさまに救われましたが、きっとターニャ様も〝遊び人〟のベルさまに救われて、ベルさまから離れる決断を遅らせてしまったのかな)


 マルヴィナにはそう思えて仕方がなかった。

 仮にルベリウスが〝賢者〟だったとしても、マルヴィナはルベリウスによって人生を救われ大恩から、心の中で生涯の忠愛を誓っている。

 料理を選ぶのに戸惑ったマルヴィナだが、食事の所作は見事なもので、流石に帝城で厳しい教育を受けてきただけのことはあるとルベリウスは目を見張った。


 食事を終えて次に向かったのは精肉店。

 滅多に行かないその場所は貴族街に住居を構える邸宅向けに肉を卸している。

 台車を購入して調達したルベリウスは塊肉を購入して寮に持ち帰った。

 部屋に戻るころには既に日が傾きかけていて、ゆっくりするだけの時間を作ってあげられなかったとルベリウスがマルヴィナに謝ると、マルヴィナがルベリウスに近寄って恥ずかしげな表情を向けて強請ねだる。


「で、でしたら、あの──おっ……お尻を撫でてほしいです。そしたら、どんなときでも頑張れますから」


 ルベリウスが〝遊ぶ〟を発動して、異性の尻を撫でると、撫でられた方は傷と疲労が癒えるのであった。

 マルヴィナの願いを聞いてルベリウスがマルヴィナを抱き寄せると、マルヴィナがルベリウスの耳元で囁く。


「ところで、ベルさま。もしかして、私たちが監視されていることに気が付かれてました?」

「僕が監視されているのは以前からのことですが、今日はマルヴィナさんの〝盗賊〟がどう働くのか試したくなったんです」


 ルベリウスは帝国の監視下にあったことは以前から知っていた。

 一歳という年齢で職分が顕現しており、年齢とともに職分も成長する。

 どこまで監視されているのかはわからないが、少なくとも初等部のころも中等部のころも学校内では教師たちを中心に、また、帝国の密偵も時には働いたのだろうということをルベリウスは勘付いていた。


「そうでしたか。それで結果はおいかがでした?」

「上々でした」


 ルベリウスは抱き寄せたマルヴィナの尻を手で鷲掴みしてギュッと持ち上げた。


 静かで薄暗い部屋であれやこれやとしている間にルベリウスはマルヴィナに監視について説明。

 マルヴィナはジェシカ皇女から放たれた刺客だったが、ルベリウスを長く監視していた者たちは違うとマルヴィナがルベリウスに伝える。

 とはいえ、マルヴィナはジェシカから最低限しか言われておらず、詳しいことは一切知らされていない。

 マルヴィナがジェシカから命じられたのは、ルベリウスの日常を報告することと、〝遊び人〟の特技スキルで多くの被害が出たり、万が一〝賢者〟として使用した魔法で帝国に害をなすなど、場合によっては殺害もやむ無しということだけ。

 ルベリウスによって犯罪奴隷から解放された今となっては、ジェシカの命令に強制力はなく、彼女の意思に反して彼女が望まない行動をマルヴィナが取ったとしても、もうマルヴィナが傷ついたりすることはない。

 マルヴィナは素肌が露わになったとき、ルベリウスに救われたときのことを思い出して、彼への感謝と忠愛に心を震わせる。

 ルベリウスによって救われた命だから、ルベリウスにこの命を賭す──マルヴィナはルベリウスの心音に触れながら、この瞬間、この時間がいつもでも続いていて欲しいと願った。


 それから、しばらく──。

 第一学校高等部は夏季休暇に入った。

 まだ薄暗い夜明け前にマルヴィナはベッドから起き上がる。

 散らかった部屋着や下着を拾って彼女はまだ眠っているルベリウスの頬を撫でてからベッドから下りて浴室に向かう。

 マルヴィナは数日前から従者用の部屋にあるベッドで眠らなくなった。以前の使用人だったターニャと同様にマルヴィナはルベリウスの〝遊ぶ〟の効果でいつの間にかルベリウスと一緒に眠る。昨夜もマルヴィナはルベリウスと褥を共にした──ということである。

 浴室に入ったマルヴィナは湯槽に湯を貯めるのに蛇口を捻った。

 寮の──学校内の水は魔道具で汲み上げられた地下水を各建物に配管されており各戸に水が通っている。

 この仕組みで水道をとおしているのは貴族街のみで、平民街は相変わらず井戸水を汲み上げて部屋に運んで使用する。

 マルヴィナはジェシカに買われて城に住んでいたというのに蛇口を捻って湯槽に注がれる湯に浸かって身体を洗うという経験をしたのはルベリウスに仕えてからが初めてだった。

 魔道具で温められた湯で身体の汚れを落としていく。

 湯を浴びながら左腕を上げて二の腕を擦る。

 マルヴィナは未だにルベリウスによって消された奴隷の紋章が記憶に焼き付いたまま。

 身体中あったはずの痣や傷もなくなって、まるで生まれたばかりの赤子のような白く艷やかな玉の肌が水を弾く。


(ベルさまに救っていただいたけれど、私の身分はまだ、ジェシカ殿下の奴隷のまま──)


 そう分かっていてもマルヴィナの心は既にジェシカから離れていた。


「さあ、今日から冒険です」


 マルヴィナは朝の準備にとりかかり、夏季休暇に入ったルベリウスと共に行く冒険の度に胸を弾ませた。

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