賢者 Lv.9

 合同授業が終わってルベリウスは寮の部屋に戻る。

 いつものと変わらず、ドアノッカーを叩いて、


「戻りました。ルベリウスです」


 と、扉の向こうに聞こえるように声を出す。

 すると小さな足音が近付いてきて、扉がそっと開かれる。


「おかえりなさいませ。ベルさま」


 マルヴィナ・ヴァン・ダッカダルはお尻で扉を、両手はお腹を押さえて丁寧に腰を折る。

 まるでそれが侍女メイドの矜持だと言わんばかりに。

 部屋に入るとマルヴィナは着替えを持ってルベリウスに近付いて──。


「お荷物をお持ちします。お召し物を交換いたしましょう」


 マルヴィナはルベリウスの手荷物を受け取ると一旦椅子に置きルベリウスの着替えを手伝った。

 以前は身体の至るところをペタペタと触っていたが、ルベリウスが本当に〝遊び人〟なのか確かめたかったのだとマルヴィナはルベリウスに伝えたことがある。

 今のマルヴィナはルベリウスに生涯の忠愛を心の中で誓い、無闇に探ることをやめている。

 ルベリウスがターニャのころからの手癖で尻を撫で、胸に顔を埋めるなどすると、マルヴィナは満更でもない表情で、


「ベルさま。今、されても良いのですが、食事の用意が遅くなってしまうので、それからなら存分に」


 と返してくる。

 実は〝遊ぶ〟を発動していないルベリウス。

 先日の一件からマルヴィナは〝遊ぶ〟の有無に関わらず態度が全く変わらない。不思議に思ったが深いことは考えないルベリウスだった。


「ところで、変わりはない?」

「至って平穏です。ですが、氷室に蓄えてあるお肉類がそろそろなくなりそうです」


 氷室の肉は長ければ一年ほど保存できるが、氷室にいっぱいの肉を保管しても二人で食べれば半年を待たずに底を尽きる。

 ルベリウスは氷室の様子を確認すると確かに肉が残り僅かというところまで減っていた。


「最近、肉の量が減ってきたと思ったらそういうことだったんですね」

「もうしわけありません」

「大丈夫ですから。遠慮なく言ってください。お金のほうも僕が用意しますので」

「かしこまりました。今後はもう少し早めに報告するようにいたします」


 ルベリウスはマルヴィナにお金を渡して肉を買いに行かせても問題はなかったが、せっかくなのでマルヴィナと歩くのも悪くないと考える。

 ターニャのときはルベリウスが幼かったのもあって、最初から二人で買い物に行っていたし、それが習慣付いて、二人で出掛けることが多かった。

 そうやって、寄り添って生きてきたからこそできた関係性もある。

 ルベリウスはそういった経験から、マルヴィナともできる限り行動を共にしたほうが良いんじゃないかと判断して、マルヴィナを誘うことにした。


「では、週末に買い物に行きましょう。僕と一緒に」

「そんな──このようなことで主の手を煩わせては侍女メイドの名折れ。些末なことは私めに命じてくだされば誠心誠意対応させていただきますので──」

「そういうことなら、週末に僕と買い物に行くということでお願いします」


 やや命令口調のルベリウスの言葉に、マルヴィナは断る理由がなく、おずおずと答える。


「宜しいんですか? 私のような端女と……」

「もちろん。マルヴィナさんと二人でどこかに行ったことがないから、この機会にどうかと思ってね」

「承知いたしました」

「ん。お願いします。それに夏には帝都の外に出て稼がないとなりませんし」

「そちらはターニャ様に伺っておりましたので、準備はできるのですが……。私、ああいった生い立ちですので男性と二人で──という経験がないものですから、そういったお作法に疎くて……」

「大丈夫です。そういったものは気にされなくても、こう見えて〝遊び人〟でしたからね」


 ルベリウスはそう言って〝遊ぶ〟を発動させる。

 その〝遊び人〟に近しい雰囲気がマルヴィナの自己肯定感を強めて安心感に繋げた。


「そうでしたね。では、ベルさまのお言葉に従いましょう」


 マルヴィナは口元を綻ばせながら腰を折って頭を下げる。

 しかし、マルヴィナにはメイド服とジェシカに会うために使用する制服以外の衣服を持ち合わせていないのだった。


 そして、週末──。


「申し訳ございません。私にはこのような服しか用意できなくて──」


 マルヴィナは侍女メイド服姿で出るしかない。

 と、悩んでいたが、背丈が似たルベリウスとマルヴィナである。

 ルベリウスは自身の服をマルヴィナに貸すことにした。


「僕とマルヴィナさんは背丈が似てるから僕の服を着ると良いよ」


 というルベリウスのおすすめのまま、マルヴィナはルベリウスのズボンを履き、シャツを着る。

 すると、尻がパツンパツンでシャツは胸のところがキツい。男性用と女性用の違いにルベリウスは疎かった。


「では下はそのままで、上は侍女メイド服のシャツを使って羽織るものに──これを使ってください」


 そうしてルベリウスのズボンと上着にマルヴィナのシャツを組み合わせるとスラッとして体型にキリッとした印象を与える容貌魁偉な女性に仕上がる。

 これにはルベリウスが唸りを上げ、


「マルヴィナさん。すごく綺麗だ……」


 と、褒め称えた。

 特に、ルベリウスから見たマルヴィナのお尻の造形は素晴らしい。

 小さくないが決して大き過ぎず、キュッと上がり丸みのあるお尻はマルヴィナの細い腰に非常に良く映える。

 全体的に筋肉質なのもあってスリムさとグラマーさを兼ね添えた見栄えにルベリウスは呼吸を忘れてしまうほど。

 ルベリウスは未だ〝遊ぶ〟を発動していないにも関わらず、マルヴィナのお尻に手を伸ばしたい衝動に駆られた。


「ベルさま。ありがとうございます」

「ん。服もついでに買いましょうね」

「申し訳ございません」

「大丈夫。マルヴィナさんが新しい服を着るのが楽しみにしてます」


 ルベリウスはそう言って〝遊ぶ〟を発動してマルヴィナの腰に手をあてがう。

 いつもならこのまま、お尻を撫でるのだが、ルベリウスはマルヴィナに頼み事をする。


「アレ、お願いしますね」

「はい。かしこまりました」


 マルヴィナは〝盗賊〟の特技スキル、しのびあしを発動。

 マルヴィナとマルヴィナに密着するルベリウスの気配が周囲から消えて、誰にも気が付かれることなく第一学校の校門を跨いで貴族街へと消えていった。


 ルベリウスはマルヴィナの服を揃えたい。

 侍女メイド服のような堅苦しいものだけじゃなく、ターニャがそうだったように普段着姿でくつろいでもらいたいと考えていた。

 それとこういう外出する時に主従ではなく隣を並んで歩ける服装である。これを数着持たせておきたい。

 さらに、冒険用の装備も欲しい。

 マルヴィナは〝盗賊〟。〝踊り子〟のターニャにしたみたいに職分に見合った装備を見繕いたかった。

 とはいえ、冒険者の装備は貴族街では売っていないから、今日は買えない。だが、冒険者の装備は既製品が主であるため、これから買おうとしている服とは違って注文をする必要がない。

 そんなわけでルベリウスがマルヴィナの腰を抱き寄せて連れて行った先は帝城前広場という城門前に円状に広がる広場の傍の商店街。

 最初に立ち寄ったのは衣類店である。


「いらっしゃいませ──。あ、ルベリウス様、お久しぶりでございます。その後はおいかがでしたでしょうか?」


 店員の女性がルベリウスを見つけると、艶のある表情を向けて応対。

 女性は馴れ馴れしくルベリウスの胸に手のひらを置き、うっとりした顔でルベリウスの言葉を待った。


「ターニャに買った服のことでしたら大変良かったです。いつも良いものを用意してくれてありがとうございます」

「ああ、良かった。ルベリウス様に喜んでもらおうと努めた甲斐があったというものです。ところで、本日はどのようなご用件で」


 女性はルベリウスに身を寄せ、ルベリウスは女性の腰に手を回す。

 ルベリウスは〝遊ぶ〟を維持しているから女性は〝遊び人〟のルベリウスと接しているかのように感じていた。


「今日は、彼女の服をいくつか見繕いたいんです」


 ルベリウスがマルヴィナに顔を向けると、女性もルベリウスに追随。


「あら、素晴らしいプロポーションね。とってもバランスが取れてますし、ちょっと拝見させていただいても宜しいです?」


 女性はマルヴィナに興味津々の様子。


「僕は構いませんが、彼女はどうでしょう?」


 ルベリウスがそう言うと、女性はルベリウスから離れてマルヴィナの回りをぐるぐると回って観察する。


「よろしいかしら?」


 女性がマルヴィナに詰め寄って確認すると、マルヴィナは後退って「ルベリウス様が許してらっしゃいますからご自由にどうぞ」と苦手そうに返答。

 すると店員はマルヴィナの下乳や脇など際どいところに触れてサイズ感を確認し始める。


「採寸いたしましょうか」


 女性がマルヴィナを確認し終えるとルベリウスにマルヴィナを採寸を希望。

 ルベリウスは許可するとマルヴィナの渋い表情のまま、奥へと連れて行かれた。

 店の売り場から女性が消えると、今度は男性の店員がルベリウスに話しかける。


「ルベリウス様、ご無沙汰しております」

「お久しぶりです」

「本日はターニャ様はいらっしゃらないようですが」

「ターニャは退職しましたので──」

「そうでしたか。とても親しく見えておりましたし、ターニャ様も楽しんでおられるようでしたが……」

「もう少し一緒にいてくれると思っていたんですが女性としての幸せを望みたいとのことでしたので、母上共々、ターニャの離職を認めたんです」

「そういうことなら仕方がありませんね。随分とお辛かったのでは?」

「そうなんですが、ターニャからは時々手紙が届いてますし、母上が新しく迎えた使用人のマルヴィナも良く頑張ってくれているので、淋しいと言ってられないような気がしましてね」

「それもそうでしょうね。それにしてもマルヴィナ様という女性。素晴らしい美貌の持ち主で驚きました。あれほどの上等な女性をお連れしていらっしゃれば、外に出て苦労されることもないでしょう」


 聞きにくいこともずけずけと聞いてくるこの男性店員。

 ルベリウスから見て彼は地位も身分も年齢も上なので、何も言えないのだが、割と目をかけてくれていて言うことも強ち間違いじゃないからルベリウスは気にするのをやめている。

 マルヴィナは侍女メイド服に拘らなければとても映える佇まいである。これはルベリウスも理解していて、何とか普段は普段着で、侍女服よりも上等な衣類で着飾って隣を歩かせたいと考えた。

 帝国の貴族は貴族の集まりを一人で行くことを嫌う傾向がある。そこでパートナーを随伴する。共にするものが誰もいなければ親兄弟や従者を伴うことが多い。従者を同伴させる場合は見た目や佇まいが重要視されており、こういった部分に疎いと煙たがられることもあった。

 そういう意味で今のマルヴィナは大変素晴らしい従者と言える。

 年齢的にもパートナーとして隣に置くにはちょうど良いし、何よりも見栄えと佇まいである。どこに出しても恥ずかしくない振る舞いができるパートナーを連れ歩ける人物という、その人の人となりが現れるもの。

 男性店員はそう評価したのだ。


「ありがとうございます。とても良くできる従者なので助かってるんです」


 ルベリウスがそう言ったところで、採寸が終わり、女性店員とマルヴィナが戻ってきた。

 マルヴィナは心做しか疲れ切った表情で「ベルさま。戻りました」とルベリウスの背に控える。


「とっても素晴らしいスタイルで感動しました。うちのモデルにしたいくらい」


 女性はホクホク顔で上気している。


「ところで彼女に良さそうな服をいくつか見繕ってもらえますか?」


 ルベリウスが女性にそう伝えると、彼女は嬉しそうに答えた。


「かしこまりました。ルベリウス様のお目に適う衣装をご用意させていただきましょう」


 女性はいくつもの服を既に用意していた。

 ひとつひとつ吟味してマルヴィナに重ねてみたりと、ルベリウスは楽しんでいる。


「下着も何点かご用意させていただきますね」


 女性店員が「夜を彩る素晴らしい造形ですよ」なんて言うものだからマルヴィナもルベリウスも少し居た堪れない気持ちになったのは言うまでもない。

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