賢者 Lv.8

 夏休みを数週間後に控えたその日。

 マルヴィナはジェシカ・ヴァン・アルヴァンへの報告回数を減らすことに成功。

 ルベリウスの寮の部屋に戻るとマルヴィナは着替えるために衣服を脱いで下着姿になると自分の身体を改めて確かめた。

 左腕──二の腕をぐるりと巻いていた奴隷の紋章はもうない。

 それだけじゃなく、両親に〝盗賊〟だと知られてからというもの、親兄弟や転々とした奴隷商人からの暴力で負った打撲痕や傷跡が綺麗サッパリなくなっていた。

 ジェシカの意思や言葉による強制力から解放され、自身の暗い過去を刻んだ古傷もない。そして、今のままの私で良いんだ──と思わせるルベリウスの〝遊ぶ〟という特技スキル

 死にそうになほどの痛みから救い出されたマルヴィナは、光のない人生に道を与えてくれたルベリウスに心から感謝した。

 傷一つ無い身体を見ると沸々と湧き上がる傾慕。


(一生の傷を負って、一生の隷属を背負っていた私を救ってくださった……)


 マルヴィナは鏡越しに見る自分の身体を見て紋章のあった腕や傷跡だった肌を撫でた。

 一生をかけてルベリウスに忠愛を誓いたい──と、マルヴィナは心に決める。

 とはいえ、ジェシカには奴隷商人から買ってもらい、侍女メイドとなりうる教育を施してくれたことへの感謝もある。

 強制力をもって苦痛を与えられ、あわや命を奪われそうになった辛みもある。

 マルヴィナは相反する思いをジェシカに対して抱きながら、人生の希望をルベリウスの中に求めた。

 マルヴィナは矜持である侍女メイド服に着替えて気を引き締める。

 ジェシカに会うために着ていた制服を畳んでタンスに仕舞ったマルヴィナは、それからキッチンに入って鼻歌を歌いながら家事に励んだ。


 その日の翌日。

 第二学校との合同授業で一日中、帝国騎士が護衛として同行し、帝都から出て北の川沿いで行っている橋梁の工事を見学して現場の様子を見学するというもの。

 帝都は北東に湖があり、その湖から流れ出る河川が北を横切っている。

 現在はもともとある橋の隣に幅の広い橋を併設して掛け替える。

 この橋梁工事は帝国の事業として竣工し、管理監督は帝国に仕える臣下が担う。作業員は主に帝国兵や近隣の領兵、それと、奴隷が従事。

 橋梁工事で働く奴隷は主に契約奴隷。犯罪奴隷はこういった仕事には適さないと考えられている。

 そのように多くの身分の者達が働く橋梁工事現場を、ルベリウスは伯爵家の長女のアリシア・ヴァン・アルガンドと二人で並んで見回っていた。

 アリシアはルベリウスの前の席に座る女子でアリシアが何かとルベリウスに気をかけている。

 今回の見学もまた同じでアリシアがルベリウスを誘って一緒に見回ることにしたのだ。

 そうして河岸で作業をする現場を見ていたら、土手を下りてルベリウスに近付く第二学校の生徒たちが、


「ベルくーん」


 などとルベリウスを名を呼んで駆け寄ってきた。


「ニコラ様、ロサリー様。お久しぶりです」

「元気だった?」

「お久しぶりですね。何だかずいぶんとこう、雰囲気がかわりましたね」


 ルベリウスが二人の名を声にすると、ニコラとロサリーがそれぞれ、確かめるようにルベリウスに近寄る。


「あら、この子は新しいオンナ?」


 ニコラ・ヴァン・トーリが隣にいたアリシアに目を向けて聞く。

 ニコラは子爵家の長女で〝戦士〟の職分を有するファイター。

 中等部時代もSクラスに所属していてルベリウスの〝遊ぶ〟の餌食となっていた一人である。


「ははは。新しいオンナだって? ベルくんはいったいどんな中等部時代を過ごしてたんだい?」


 アリシアは興味津々に聞き返した。


「私たちは、ベル様に囲われてたんですよ。今の雰囲気では想像できないかも知れませんけれど、とーってもエッチで──」


 答えたのはロサリー・ヴァン・ナイルという女生徒。

 ロサリーは伯爵家の長女で〝魔術師〟の恩恵を持っているニコラと同じ第二学校高等部でもSクラスに所属。

 彼女もまたルベリウスの〝遊ぶ〟に陶酔する一人だが、ルベリウスはロサリーに魔法の詠唱について少し教えたことがあった。

 ルベリウスは女性たちに囲まれて少し居た堪れなく〝遊ぶ〟を発動して乗り切ろうとする。

 ここで〝賢者〟として振る舞えば遠巻きに見ているシンシアに〝遊び人〟でないことがバレてしまうかも知れない。

 そういった牽制もあった。


「んんっ!」


 ルベリウスはアリシアの腰に手を回して尻を撫でる。

 アリシアが艶めかしく呻くとニコラとロサリーがニヤリと笑んだ。


「もうっ。こんなところでぇっ」


 アリシアは身を捩ってルベリウスの手を掴もうとしたがルベリウスに躱される。

 ルベリウスはその手でロサリーを抱き寄せて尻を撫でる。


「はぁっ……。ああ、久し振りのこの感触……」


 ロサリーは嬉しそうにしてルベリウスに密着しようとしたが、ルベリウスは少し移動してニコラの手を掴んで引き寄せて彼女の尻に手を伸ばす。


「私のならいくらでも触って良いんだよ。ベルくん」


 ニコラはルベリウスの手を歓迎した。

 ルベリウスの〝遊ぶ〟によって尻を撫でられると傷や疲労が癒える。

 この橋梁工事の見学で長い距離を歩いたからこの三人の女生徒の体力は見事に回復。


「やはり、ベル様のこれ、とっても良いわ」


 ロサリーはルベリウスに近寄ると胸元に身体を寄せて上気だつ貌でルベリウスを見つめた。


「それはどうも……」


 ルベリウスが短く返答するとロサリーは名残惜しそうに残念がる。

 彼女たちはルベリウスの傍に長居できないのだ。


「また、私の部屋に来てくださったら宜しいのに……」

「や、それは私もだけど、他の子もそうでしょ」

「わかってるわよ。第二と第一では、遠いものね」

「ほんとだよね。せめて寮くらいはもう少し近くても良かったのに」


 それからも少し会話をして二人は去っていった。

 残ったアリシアがルベリウスに言う。


「ベルくん。第二では随分と親しまれていたようだね」

「それなりには……」

「──それなりに、ねぇ。どこからどう見たって、それなりには見えないけど?」


 アリシアは訝しげにルベリウスを見るが、彼は〝遊び人〟だということを考えれば、そういうものかと状況を飲み込んだ。


(それにしても、お尻を撫でられたら、とても身体が軽いんだけど)


 〝遊び人〟に遊ばれると身も心も軽やかになれる。

 こういうのが毎回のように実感できたらルベリウスにハマりそうだと、アリシアは端正な顔立ちのルベリウスに見惚れた。


「アリシア様もそういうことに興味をお持ちなんです?」


 ルベリウスは目線を向けたままのアリシアに第二学校の女子のようなことに興味を持ったのかを訊くと、アリシアは満更でもなさそうに俯く。


「ボ、ボクは……そういうことに何も興味がないというとそれは嘘になるかもしれないけれど、でも、ベルくんとなら──」


 アリシアは小さい声で返答をするが言葉を発するごとに声が小さくなってルベリウスの耳にはほぼ届いていない。

 ルベリウスがアリシアの様子を観察すると、アリシアがプルプルと小さく震えてることを知る。


「僕は怖がる少女を取って食べたりしませんよ」


 ルベリウスがまた、アリシアの耳元で囁くと、途端に頬が紅潮。


「ボクは子どもじゃないんからねッ!」


 上ずる声で荒げるアリシアにルベリウスは笑いをこらえる。


「むっ! 失礼な男だな。キミは!」


 ぷいっと顔をそらして怒るアリシアがまた可愛らしいと感じてルベリウスは声を押し殺して笑った。


「せっかくですから、もう少し歩いてから、アリシア様にあった遊びでも考えましょうか」

「もうっ! いちいちそんなこと言って! ボクは子どもじゃないんだからッ!」


 ルベリウスが先に歩きだすと、アリシアはしっぽを振って主を追いかける子犬のようにルベリウスの隣に速歩きする。


「話は変わるけど、この橋を広くして何か変わるんです?」


 隣に並ぶアリシアを視界の端で視認したルベリウスは〝遊ぶ〟を解いてアリシアに質問を投げた。


「ベルくん。たまにまともなこと訊いてくるけど、いつも急だからボクの頭を切り替えるのが大変だよ。落ち着くまで少し待って」


 アリシアはスーハースーハーと大きく深呼吸を繰り返す。

 落ち着きを取り戻したと感じたアリシアはルベリウスの質問に答えた。


「ボクはこの橋梁工事にはそれほど期待していないんだ。北部は穀物を多く生産する農家が多いけど、商業的には帝都より北に向かうこの橋を渡るより西の街道、もしくは、南の街道が交易路として重要とされている。この橋の工事は人や物の輸送を太くするためだけのものだとボクは考えてる。完成したら北部の平民は生活が少し苦しくなるだろうね──」


 アリシアは更に言葉を続けるわけだが、ルベリウスは興味がわかなくて右から左に抜けていく──はずだったが、実はちゃんと聞いている。


「アリシア様はこの橋の工事は利便性を高めるためのものじゃないって考えてるんですね」

「ん。そうだよ。だって、農作物の生産量なんてたかが知れてるし、増税したとしても、橋はこのままで問題ないはずなんだ。では、どうして必要かと言うと納税にかかる期間を短縮したい。一度に納税する品目を増やしたい。それから、帝国は今、南部、南東部の開拓や整地を急いでいて、特に南部は築城事業を進めている。ここの橋は商業や農業のためではなく徴兵や食糧の手配から確保までの期間の短縮を狙った軍事目的の事業だとボクは思ったんだ。どうかな? ベルくん」

「そうか。それでお兄様が──」


 ルベリウスの兄のシグナールは国の臣下として働いた後、功績を称えられて叙爵されて帝国南東部の領地に封ぜられている。

 アリシアはルベリウスの兄がシグナールだと知っていた。


「あの人選は見事だった。帝国各地で検地や検収で見事な実績があり、物流に通じていて商流を理解している方ですから、多くの領主の運営を分析して改善点を提示し数々の領地の発展を助けた優秀な人材です。叙爵されて領地を与えられたのは南部への物資の調達と軍の駐留場所の確保のためだと思うけどね」

「ということは……戦争?」

「そう。アルヴァン帝国はこれまで北へ西へと領土を拡大したけど南方への軍事行動はまだ取っていないからね」


 アリシアの実家は帝国西部のアルガンド伯爵領。

 古くから西方の国々との交易路を結ぶ要所として栄えた。

 帝国が拡大路線を推し進める以前は辺境の地だったが現在は西に帝国領が伸びた関係で帝国の中心に近い南方と西方を結ぶ流通の中心地として更に発展を遂げている。

 アリシアはそのアルガンド伯爵家の長女として生まれている。

 そう言った環境だったからか、アリシアは〝商人〟という職分に目覚めた。

 アリシアと〝商人〟は相性が良い。アリシアがルベリウスと関わりを持とうと思ったのはお金の匂いがしたからである。

 そして、アリシアは戦争の匂いも帝都の市場から感じ取っていた。


「ともあれ、まだまだ先のことだから」


 アリシアは満足するまで話しきった様子ですっかり顔色が戻っていた。

 ルベリウスは〝遊ぶ〟を発動させてアリシアの腰に手を回し、


「そろそろ、戻ろうか」


 と、アリシアを誘って尻を撫でる。

 アリシアは「んふぅっ」と声を漏らし──


「せっかく、忘れてたのになんてことをするんだい? 全くもう! ベルくんはエッチなんだからぁ」


 ルベリウスをポカポカと叩いて頭をもたげてルベリウスに預けた。

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