賢者 Lv.7
痛みに身を捩り、苦しみ藻掻くマルヴィナをルベリウスはどうにかしたい。それから、時間との戦いが始まった。
マルヴィナの様子は明らかにおかしい。
指で体中を抉って削る自傷行為を始めている。マルヴィナは自身の服を引き裂いて肌のあちこちが表に出てくるとルベリウスは彼女の腕に刻まれた奴隷の紋章を目にした。
ルベリウスはこれまで一度もマルヴィナの素肌を見たことがない。
ターニャが去って少なからず傷心だったから、そうした気分になれないというのもあった。
する気が起きないから〝遊ぶ〟を使わない。
ルベリウスはマルヴィナと仲良くするつもりはなく、仕事として付き合うだけの日々を過ごしていた。
だが、今日、マルヴィナとの関係を見直して、コミュニケーションやスキンシップを図るために〝遊ぶ〟を使ってマルヴィナを籠絡しようとしたらこの有様である。
それも左腕に奴隷の紋章を刻まれた犯罪奴隷。
ルベリウスは記憶の中から奴隷に関する情報を掘り起こす。
犯罪奴隷は魔法でかけられた特殊な状態異常である。
ルベリウスにはそれを解く手立てがあった。
何が起きるかわからないその魔法。〝遊び人〟のルベリウスが唯一覚えた魔法である。
(このままでは彼女は死んでしまう!!)
迷う理由はなかった。
その魔法を──禁呪であるその魔法をルベリウスは唱えた。
〝遊び人〟だったルベリウス。それも一歳になる前からそれは顕現していた。
それからルベリウスはウルリーケに徹底的に教育を施され誰にも負けないかしこさを手にする。
それと同じくルベリウスには生来のうんのよさがあった。
〝賢者〟になってうんのよさは微減したが〝賢者〟としての研鑽を積んでいるうちにルベリウスのうんのよさは〝遊び人〟だったころに以上に磨きがかかっている。
ルベリウスが〝遊び人〟だったころに唯一覚えた魔法は発動。
すると、ルベリウスの身体から不思議な
マルヴィナにかかっていた魔法は全て解除された。
奴隷という特殊な状態異常もなくなり、腕に刻まれていたはずの奴隷の紋章が綺麗に消えている。
ルベリウスは回復魔法を唱えてマルヴィナの火傷を完全治癒する。
「申し…訳ありま……せん………。ごしゅ……じん………さ…………ま……………」
マルヴィナは気を失って倒れてしまった。
マルヴィナが目を覚ましたのは翌日の昼下がりの午後。
着ていたはずの衣服は無く下着姿である。
覚えているのは激しい痛みと苦しみ。
もう死んだ──とマルヴィナは思っていた。
マルヴィナは起き上がって周囲を見渡すと使用人の私室ではなく、ルベリウスの私室であることに気がついた。
ボロボロに引き裂かれた服は椅子にかけられていて、マルヴィナがそれを手にして広げると血の跡がべったりとくっついている。
痛みで自傷したこともマルヴィナはうっすらと覚えていた。
だと言うのに、身体に痛みは一切ない。
おかしいと思って身体を確認すると痣や古傷が綺麗サッパリ消えている。
(何、これ!?)
左腕にあったはずの紋章が見当たらない。
あの紋章がないということは──もしかして……。
奴隷じゃなくなったのかもしれないと、マルヴィナは考えた。だが、それはすぐに打ち消す。
そうして悩んでいるうちに、扉の鍵が回る音が室内に響いてルベリウスが帰ってきた。
「ああ、私……」
何もしていないのに、主が帰ってきた。
ルベリウスが部屋に戻ってくると、マルヴィナは両膝をついて頭を床に擦り付けて謝罪する。
「ご主人様。申し訳ございませんでした」
マルヴィナのパンイチ土下座である。
ルベリウスは持ち物を机に置いてベッドの縁に腰を下ろした。
「頭を上げてもらえる? それにご主人様って俺のことじゃないでしょ」
ルベリウスはマルヴィナの状況を説明する。
何らかの理由で主の意思に反する思考や行動が発生していたために奴隷の紋章による懲罰があったこと。
それをルベリウスが解いたこと。
その後破れた服や下着を脱がせてベッドに寝かせたこと。
それらをざっくりとマルヴィナに伝えた。
それから、ルベリウスはマルヴィナに謝罪ではなく説明を求める。
マルヴィナはもう奴隷ではないから、何を言うにも自由なはずだと、ルベリウスの言葉を信じて全てを明かした。
「そうか。マルヴィナさんも
マルヴィナはルベリウスの言葉が暖かく感じて涙腺が崩壊。
涙がポロポロと溢れてきた。
そして、目の前のルベリウスは怒りの余り、語気が強い。
奴隷には二種類存在する。
契約奴隷と犯罪奴隷。
契約奴隷は契約書に基づくもので借金などの事情で身を崩したものが、その対価として法的な取引の一環で主従契約を書類で結ばれる。
もうひとつ──犯罪奴隷は殺人や強盗、戦時などで魔道具によって魔法の力で拘束される強制奴隷。
主の意思や命令に背くと腕に刻まれた奴隷の紋章が鍵となって奴隷に痛みを伴う罰を与え、場合によっては死に至らしめる。
奴隷は主が変わる時──犯罪奴隷の場合は魔道具を用いて一旦、主従を解除する。
犯罪奴隷を購入した場合、主の変更のために奴隷状態を解除するが、新しい主が望めば新たに魔道具を用いて犯罪奴隷として契約することができる。
主に死ねと言われれば死ぬしかない魔法で縛る犯罪奴隷は基本的に使い捨て。
マルヴィナの主は〝盗賊〟の職分を持ったというだけの幼気な少女を買い取ったわけだが、使い捨てても良いように魔道具で奴隷の主従を結んだのだ。
それでも、マルヴィナから見れば今まで一度も行儀作法や武技の訓練を積ませてもらったことがなかったから、多くの事を教えてくれて褒めてくれたジェシカに感謝した。
ところが、ルベリウスから聞いた話では使い捨ての道具でしかないという。
マルヴィナは昨夜のあの激痛が記憶に過ぎると、ルベリウスの言葉を信じざるを得ないと思うしかなかった。
「あの、失礼ですが、私の身体の傷は……?」
古傷や痣までなくなった身体である。
奴隷を解いただけではないのだろうと考えたマルヴィナは恐る恐るルベリウスに問う。
「あれは回復魔法です」
「ではルベリウス様はやはり……」
「きっと思ってるとおりだと思いますが、できれば口外しないでもらいたい」
「わかりました。私はご主人様に救っていただいた身ですから、ご主人様の仰せのままにいたしましょう」
「いや、僕、ご主人様ではありません。マルヴィナさんのご主人様はジェシカ殿下ですよね。僕のことはルベリウスかベルで良いです」
「かしこまりました。では、ベルさまとお呼びさせていただきます」
「その丁寧すぎる言葉も良いですから」
ルベリウスは制服を脱いでハンガーにかけると、部屋のタンスからルベリウスのシャツをひとつ取り出して彼女に着せた。
マルヴィナはシャツに首を通すとクンカクンカと鼻を鳴らしてシャツの匂いを確かめる。
「これがあの噂の彼シャツというものなんですね」
奴隷だったというのに何故そんなことを知っているのかルベリウスは気になった。
彼女は奴隷ではあったが城内で教育を受けており、ときには女性たちの会話に交じることもあったわけで、そういったところで過分な知識をある程度身に付けている。
「そんなことより、昨日はあんなことがあって今まで休んでいたわけですし、今日はこのまま休んでて良いですから。食事は僕が作ります」
ルベリウスがそう言うと、マルヴィナはそれを断る。
「いいえ。私は大丈夫ですから、私にお世話をさせてください。ターニャ様ほどでないにしろ、ターニャ様がしていたようなことは、できるように努めさせていただきたいんです。それに──」
マルヴィナは昨日の記憶で鮮烈に残っていることを言葉にした。
「昨日したみたいに、お、お……お尻を……私のお尻を撫でてください。ベルさまがお尻を撫でてくださったら、とても身体が軽くなったんです。だからまた、ベルさまがお尻を撫でてくださったら、今日の夕飯も私が頑張れますから」
ルベリウスの〝遊ぶ〟の効果は抜群。
なお、ルベリウスが女性からお尻を撫でてと言われたのはこれが初めてである。
ルベリウスはマルヴィナが望んだ通りに〝遊ぶ〟をしてマルヴィナのお尻を撫でた。
その日の晩餐は会話が弾む。
会話と言っても今後の取り決めである。
マルヴィナはジェシカの所有物でジェシカの命令でウルリーケが募集した仕事に申し込んでルベリウスの下に潜り込んでいる。
潜り込んでいるからにはルベリウスの状況の報告をしているのだが、それはほぼ毎日行うことになっていた。
つまり、倒れていた今日も報告の予定があったということで、それはウルリーケが訪ねて来ていて出られなかったということにする。
それからルベリウスについて日々メモをとっていてそれを毎回渡しているが、これについては日々の出来事は正直に伝えても良いとルベリウスはマルヴィナに言った。
それに主人であるジェシカがどこまで意図しているのかも気になっている。
ジェシカの意図にはルベリウスは絶対に裏と表があると考えていた。
「ああ──それにしても何だか初めて食べ物を食べて美味しいって思えた気がします」
マルヴィナにそう言わせたのは彼女の生い立ちである。
マルヴィナ・ヴァン・ダッカダルはダッカダル男爵家の長女として誕生。
それから弟が出来、妹が生まれと幸せな人生を送るはずだった。
だが、それは六歳の誕生日に行った
マルヴィナは〝盗賊〟が発現。〝戦士〟や〝魔術師〟などと同格かそれ以上に有益な職分だというのに犯罪職として広まっていて貴族の家に生まれたことを良しとされないものだった。
マルヴィナはダッカダル男爵によって犯罪奴隷として売られ、しばらく、奴隷商人の下で管理される。
この若い奴隷はみすぼらしくて誰にも買われず奴隷商人から奴隷商人へと転々として偶然、ジェシカの目に止まった。
ジェシカが皇太子についていった遊説先でのこと。
そこでジェシカがマルヴィナを買い、皇太子のラインの言葉に従ってジェシカはマルヴィナを犯罪奴隷として主従の契約を結ぶ。
それからは帝城に移住し、帝城に住む使用人の中でも最低クラスの居室に放り込まれ、そこで料理や家事、それから行儀作法などを教わった。
マルヴィナがジェシカの下僕として活動するようになったのは、ジェシカが中等部に上がってから。
〝盗賊〟としてのスキルを磨いたのもそれからだと、マルヴィナはルベリウスに伝えた。
そんな感じで育ってきたからマルヴィナは美味しいものを美味しいと感じる食事をしたのは〝盗賊〟だと分かる前。
それ以前の記憶は曖昧で覚えていないから、こうして記憶に残りそうな食事をマルヴィナは喜んだ。
その日から、ルベリウスとマルヴィナの関係性が飛躍的に変わった。
彼女にとって、真の主を得た記念となる日。
この日を彼女は未来永劫、大事にして祝うようになったとか──。
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