賢者 Lv.5

 アルヴァン帝国の皇太子、ライン・ヴァン・アルヴァンは皇族以外に立ち入りできない禁書庫から一冊の本を見つけた。

 最上級職と呼ばれる〝勇者〟に匹敵する上級職〝賢者〟。

 特殊な書物を持ってその内容を習得した上でダルム神殿で祝福を授かることで賜る職分。

 そう記されていた。

 だが、小さな文字でこう書かれていたのをラインは見つける。


『充分な成長を遂げた〝遊び人〟は〝賢者〟に至る』


 ラインは衝撃を受けた。

 最下級職の〝遊び人〟が最上級職の一つである〝賢者〟になれる。

 そして〝充分な成長を遂げた〟という記述。

 ラインの脳裏にはかの者の名が過ぎった。


──ルベリウス・ヴァン・ダイス。


 だが、何故、ルベリウスなのか。

 ラインは考えた。

 そもそもダイス家は伝説の大魔術師マーリンを祖とする魔術師の家系である。

 マーリン以降、大魔術師と呼べる者は現れていないがその血脈は色濃く受け継がれている。

 ダイス家の家督が長男だけでなく、〝魔術師〟としての才覚が考慮されているのはそのためだ。

 それに似た家系がもう一つ存在する。それがプリスティア家である。

 従順な神の僕として伝説の大僧侶ゼネルの血を受け継ぎ、神に愛された血族が当主を継ぐ。

 ルベリウスはそのダイス家とプリスティア家の血脈にある。

 兄のシグナールは父親の系譜なのか〝魔術師〟で、姉のアリスは〝僧侶〟。

 ルベリウスはその両方を受け継いだために〝賢者〟に至ることのできる〝遊び人〟となったのではないだろうかとラインは推測。

 ルベリウスが一歳未満で〝遊び人〟が顕現したのは〝賢者〟に至るための素性が高かったから。

 〝遊び人〟で能力を調整し〝賢者〟で一気に能力を開花させる。

 とはいえ〝遊び人〟として充分な成長を遂げるということは多くの異性を手玉に取ってきたんじゃないだろうか──とラインは考えた。

 事実、第二学校中等部においてルベリウスの浮名を知らない生徒は一人としていない。

 ルベリウスの浮名の相手には女生徒や女教師の名前が挙がるのだが、その誰もが後悔をするどころか、幸福感で満たされており、今でもルベリウスに懸想するものもいるくらいだ。

 第二学校を調査するとそういった話がボロボロと沸いてくる。


「ルベリウス・ヴァン・ダイス──。新たに職分クラス鑑定をする必要がありそうだ」


 ラインは禁書を閉じて、目を瞑り、深呼吸する。


「父上に──陛下への報告も必要だな」


 禁書を禁書庫から持ち出すことはできないため、本を戻して禁書庫を出た。

 ラインはルベリウスに対して十年間という長い間、抱き続けた疑問がようやっと解消された達成感が軽快な足音でも分かる。

 そうして皇帝バレットに報告をしようと執務室に入ると、第一学校からの報告が上がっていた。


 〝遊び人〟ルベリウス・ヴァン・ダイスが魔法を使った──と。


 ラインはその報告で確信する。

 ルベリウス・ヴァン・ダイスは〝遊び人〟を昇華して〝賢者〟に至った。

 ラインは執務室でバレットとふたりきりなると、禁書庫で見つけた書物の内容を伝える。


「〝賢者〟……か」

「はい。禁書庫にある禁書の一つに小さく記載がありました」

「余にも見せてくれるか?」


 バレットはラインと禁書庫に入り〝賢者〟について記載のあった禁書を手に取り深く読み込んだ。

 そして、そこにはもう一つ、遊び人に関して記された禁書が存在する。

 その禁書には、こう記されていた。

 極まった〝遊び人〟は国をも滅ぼしかねない。


 もし、ルベリウスが極まった遊び人であるならば、ルベリウスが本当に賢者であるならば。

 そのどちらにおいても確実に知っておかなければならない。

 場合によっては、手をかけなければならない──そういったことになるのかもしれない。

 対処は早ければ早いほど良い。

 薄暗い禁書庫でバレットとラインはルベリウスの処遇に悩む。


 ルベリウスが第一学校高等部に入学して一週間と少し。

 週末になり、家でダラダラと過ごしていたら、ウルリーケが訪れる。


「ごきげんよう。ベル、ターニャ」


 部屋に入ってきたウルリーケが挨拶するともう一つの足音が聞こえてきた。

 スラリとした体型の凛とした女性である。

 ターニャと同じ侍女の服を来ている彼女はおそらくターニャの後任としてルベリウスに仕える専属侍女なのだろう。

 ターニャはウルリーケと挨拶を交わすと、自分より背が高い彼女に近寄って声をかけた。


「はじめまして。私はターニャ・ヴァン・ダンジクと申します。ダンジク子爵家の三女で、ルベリウス様に十年ほど仕えるものです」


 ターニャは丁寧に言葉を綴り、ゆっくりとカーテシーを披露する。

 優雅さにはかけるが、気品と落ち着きを感じさせる柔らかい印象を与えた。


「はじめまして。私はマルヴィナ・ヴァン・ダッカダルと申します。ダッカダル男爵家の長女でございます。この度、ルベリウス様の使用人としてお仕えすることになりました」


 マルヴィナと名乗った女性は非常に若く、見た目が整っている。

 背が高く胸は標準よりやや大きめ。加えて、そこはかとない色香を漂わせる雰囲気があった。


「そういうわけで、ベル。このマルヴィナはあなたの専属の使用人として傍にいてもらうことになるわ」


 ウルリーケはルベリウスに新しい侍女を紹介する。


「はい。わかりました」


 ルベリウスはウルリーケに返事を返してから立ち上がり、マルヴィナを向いて右手を胸に当てて頭を下げた。


「ルベリウス・ヴァン・ダイスです。よろしくおねがいします」


 ルベリウスは名を名乗るだけの簡単な挨拶をする。


「んー。この子はあまり裕福じゃない男爵家の子で料理などもお母様から習ったそうよ。長く世話をしてくれたターニャとはまた違うかも知れないけれど、くれぐれも失礼のないようにお願いするわね」


 ウルリーケはマルヴィナについての補足をルベリウスに伝えた。

 ルベリウスはウルリーケの言葉をかいつまみ、ターニャみたいに接してはいけないということだと捉える。

 要するにマルヴィナに〝遊ぶ〟はNGということだ。


「はい。わかりました」


 ルベリウスはそれに了承して、それからウルリーケを中心にターニャからマルヴィナへの引き継ぎの説明に移る。


(ターニャがいなくなるんだ……)


 そういうことを強く実感させる空気がルベリウスには辛くて、


「少し、外の空気を吸ってきます」


 と、寝室に籠もりバルコニーに出て外の景色を眺める。

 ずっと傍にいた従者で、一番親にいてほしかったときに親代わりのように寄り添っていたのがターニャ・ヴァン・ダンジクという女性。

 お金がなくて苦労したり、ルベリウスが稼いでくるようになって一緒に楽しんでくれたのも彼女だった。

 ルベリウスにとって、そのひとつひとつがルベリウス・ヴァン・ダイスという人間を形成する重要なパーツである。

 だから、いなくなってしまうと思うとまるで自身の半身が削り取られるような痛みで胸が強く締め付けられる。

 それを受け流したくて一人でバルコニーに出て景色を眺めていたのだが──。

 しばらくすると、ターニャがバルコニーに出てきた。


「坊ちゃま。私のわがままですみませんね。本当に」


 ターニャにはルベリウスが淋しそうに見えている。

 ルベリウスが辛そうにしていると彼女もまた辛いのだ。

 ターニャにとっても十年という長い月日を共にした似た者の同志である。

 思えばルベリウスの〝遊び人〟という部分にはとても助けられていた。

 だから、離れることを選べなかったし、いつも楽しいということに甘んじてしまった。

 それが〝賢者〟に変わったことでターニャにも変化を生じる結果となる。


「私も悩んだんですよ。ですが女として生まれたからには子を生み育てたいとも思ったんです。坊ちゃまとの間に──とは思ったりもしましたが、やはり年が違いすぎますし、それに坊ちゃまにはもっと大きな未来があると思ったんです。だから──」

「大丈夫。ターニャがいなくなることを考えるととても辛いのは確かです。けれど、僕ではターニャを引き止められないし、僕は大人にならなければならないんでしょう……。ずっと、子どもじゃいられないというのはこういうことなのかもしれませんね」


 ルベリウスはターニャの言葉を遮って、言葉を紡いだ。

 ずっと、ルベリウスは納得できる理由を探している。

 そんなルベリウスを慮ったターニャはルベリウスを後ろから抱き締めた。


「私は坊ちゃまはまだ子どものままで良いと思いますよ。それに引き留めようとしたって良いじゃないですか。そうして私を坊ちゃまのモノだって思わせてくれたって良いんですよ? まあ、それでも、私がお暇をいただくのは変わりませんがね」


 ターニャが揶揄い混じりで自分の考えを伝えると、それもそうかとルベリウスは〝遊ぶ〟を意識する。


「やぁんッ。坊ちゃま。でも、そういうので良いんですよ? そしたらきっと、私じゃなくなっても坊ちゃまはもっと幸せになれると思いますから」


 しかし、ルベリウスは知った。

 その時はわからせられても、時間が経てばそうではないのかもしれないことを。

 落ち着いたルベリウスはウルリーケとマルヴィナが待つリビングに戻って、これからの話しを聞いた。

 マルヴィナはターニャがいなくなる日までは、朝に来て夜に帰る──といってもウルリーケが住むプリスティア邸宅に戻るだけだが。

 ターニャの最終日にマルヴィナと入れ替わりでルベリウスと一緒に寮で住むことになる。

 それまでの間は、ターニャはマルヴィナにルベリウスの好みや生活ペース、家事などを引き継ぐ作業を中心に職務に従事。

 なお、マルヴィナは寮の氷室に保管する大量の肉を初めて見たときは卒倒したという。


「このお肉、どこに行っても高級品扱いですからね。坊ちゃまは使用人でも食事を一緒にって人ですからマルヴィナ様もきっと気に入ってくださると思いますよ」

「凄い……。オークにランページ・バイソン、これはストロング・ホーンですか……」

「はい。ストロング・ホーンは坊ちゃまと冬期休暇を使って東の山の麓まで行った時にとってきたものです」

「なかなか、見られない貴重なものですね」

「森の奥までは流石に手練の冒険者でもキツいですからねぇ。あ、しばらくはこのストロング・ホーンを使ってくださいね。冬にとったものなので、できれば早くに使い切っておきたいところですし」


 マルヴィナへの引き継ぎはそんな感じで進んでいった。

 そうしてあっという間に月末となり、ターニャの最後の日。

 奇しくもこの日、ルベリウスは学校で朝起こして送り出したらそれでお別れだ。

 ターニャは一糸まとわぬ姿で目が覚めて起き上がると、隣には主の寝姿。


(愛おしい……)


 そっと、頬を撫でる。

 熟睡しているとなかなか起きないルベリウス。

 ターニャはそっとベッドから出て散らかった下着や部屋着を拾って浴室へと向かった。

 ルベリウスが中等部に上がってからというもの、ほぼ毎日がこのサイクル。

 身体を湯で流して臭いを落としてから、家の仕事に取り掛かる。

 朝食の支度を始めようとしたところで、マルヴィナが一人でやってきた。


「おはようございます。ターニャ様」

「マルヴィナ様。おはようございます。今日はよろしくおねがいします」


 ターニャは丁寧に頭を下げて挨拶をする。

 最後だからとひとつひとつ丁寧に作業を進め、マルヴィナはそのひとつひとつを真剣に見て取った。

 ルベリウスの着替えを用意して、制服を整え、それから、主を起こしに寝室に入る。

 マルヴィナが見ているが気にせず、ターニャはルベリウスに耳元に唇を寄せて囁いた。


「坊ちゃま。おはようございます。朝ですよ」


 寝ぼけたルベリウスはターニャを抱き寄せて〝遊ぶ〟。


「やんっ。ちょっと。そういうのは良いですから。今日は早く起きないとダメな日ですよ」


 ターニャがルベリウスを押し退けて身体を引き剥がすと、ルベリウスは目を擦りながら起き上がった。


「おはよう。ターニャ」

「はい。起きられましたね。では、着替えお願いします」


 ターニャが着替えを促すとマルヴィナがルベリウスの着替えを手伝う。

 ここ数日の癖で〝遊ぶ〟を発動させながらマルヴィナの着替えに応じるルベリウス。

 マルヴィナはいちいち触れてくるルベリウスに「んっ」とか「あっ」と呻いて何とか耐え凌ごうと必死。

 ターニャはそれを見ながらマルヴィナの様子を楽しんだ。


(私も最初はああだったかもしれないな)


 とはいえ、最初のルベリウスは六歳とか七歳のころで、まだ子どもが相手という認識だったから許容できたところがあったかもしれない。

 考えてみれば今も一緒に寝ては居るけど、それも同じ理由で、ルベリウスが子どもだったからで、それからは一緒に寝るのが当たり前になってしまっていた。

 マルヴィナがルベリウスを着替えさせるのを見届けてからルベリウスを洗面所に送り出しマルヴィナと食事をテーブルに配膳する。

 食事と言っても朝は軽食で一口二口のパンやビスケットにお茶などを添えるだけ。

 そして、最後にルベリウスを送り出す。


「坊ちゃま……今日までありがとうございました。どうかお元気で」

「僕こそ。ターニャには本当にお世話になりました。僕の母親代わりみたいなことをしてもらったのに、それ以上にお世話してもらって……。なのに僕はもっとターニャに──」

「それ以上は言わないでください。でも、最後に良いですか?」

「ん? 何?」


 ルベリウスの言葉を遮ってターニャはルベリウスに抱きついてきつく抱き締めた。


「ルベリウス様、私、あなたを本当に愛してました。大好きです。さようなら」


 ルベリウスの耳元で囁いた。

 それから、ターニャははルベリウスを引き剥がして「さあ、行ってらっしゃいませ。遅刻しちゃいますよ?」と扉の向こうに押し出す。


「ターニャ……」

「さ、さ」


 ターニャの催促にルベリウスは渋々「いってきます」と言葉を置いて階段を下りる。

 踊り場からルベリウスが寮を出て校舎に向かう姿を見送ってから寮の部屋に戻ると、ターニャはボロボロと大粒の涙を流して泣いた。

 ルベリウスと入れ替わりでやってきたウルリーケはその様子を見てひどく驚いたのだが「ベルに泣かされたの?」と盛大に勘違いをしたそうだ。


 ターニャが寮を出たのはこの日の午後。

 あまり良い思い出のないダンジク領に戻って暇を楽しもうとしていたターニャだったが、実家に帰ってから数日としないうちに縁談が舞い込んだ。

 断る理由のないターニャは縁談を受けるかどうかは別として話を聞くくらいなら応じても良いと父親に返事をする。

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