賢者 Lv.2
朝──。
ターニャが目を覚ますと今朝はシャツと下着がまだ身についていた。
(おかしい。絶対に何かがおかしい)
同じ部屋──客間のベッドにルベリウスと寝た昨日の朝は全裸だった。
昨日の夜も、いつもの習慣のようにルベリウスとベッドに潜ったターニャだったが何もされることなく寝付いる。
ルベリウスが〝遊ぶ〟ことをしていない。
悪戯していないのだ。
あの〝遊び人〟のルベリウスが──。
とはいえ、ターニャは自身の心境の変化に違和感を感じている。
今までならルベリウスの一挙手一投足に身体の奥に響いて芯から疼いていたものが、全く感じなくなったのだ。
試しにルベリウスの寝顔を撫でてみる。
それは、これまでと変わらず愛おしいと感じる。
(こういう気持ちは変わらないのね)
昨夜。湯浴みをしたときも同じだった。
ルベリウスの身体を拭き、髪を洗うときに感じる感情は変わらない。
しかし、ルベリウスと過ごすことで煽情されて湧き上がる情欲が半減したように思う。
ターニャはそう感じていた。
ルベリウスは目を覚ます。
いつものようにターニャの囁きで目が覚めてムラムラとしたリビドーのままにターニャの尻を撫でる──はずだった。
だが、ルベリウスはそんな気になれず──
「おはよう。ターニャ」
と、普通に起きた。
(あれ、僕、どうしたんだろう?)
ルベリウスは強烈な違和感に襲われる。
そう言えば一緒に湯浴みをしても俺は何もしてない。
一緒に寝たのにターニャに悪戯をしていない。
そして、脳裏に悪戯を思い描くと遊ぶ気分になれたのでターニャのお尻を撫で上げた。
いつもなら『やぁんッ。坊ちゃまエッチですよ。スケベです』と、笑って返ってくるはずなのが──
「止めてくださいよ。そういうことは夜にしましょう。夜に」
と、真顔で怒られた。
ダメというわけではないから嫌われたんじゃないらしい。
でも、反応が昨日までと違う。
そこでルベリウスはソファーに腰を下ろしてお茶を出してくれたターニャに聞いて確認をする。
「ごめんなさい。ターニャ。何かおかしくない?」
「それ! 私もずっと思ってるんです。何だかいつもと違うんです」
「だよね……。僕がおかしい? それとも、僕、ターニャに嫌われちゃった?」
「好きとか嫌いとかじゃないんです。むしろ今も前と変わらずずっと好きですけど──ノリとでも言うんでしょうか? いつもなら気分を上げてくれる坊ちゃまなのに、気分が上がらないんです。ちょっとだけ上がりそうにはなるんですけど、何か違うんです」
「それって僕が変わったということでしょうか?」
「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。でも、いつもみたいに遊ぼうみたいなオーラが無いんですよ」
「オーラ?」
「そう、オーラですね。これが一番、近い表現かもしれませんね。いつもなら坊ちゃまのオーラに乗せられて気分が上がるんです。さっきだってお尻を撫でてくださったけど、私、坊ちゃまにお尻を触られて嫌じゃないんですよ? でも、遊ぶっていう気分になれなかったんです」
ターニャはそこまで言って納得したように清々しい表情を浮かべた。
「やー、つっかえてたものが坊ちゃまと確認できて、ちょっとスッキリしました。うんうん。これはこれで悪くない。平常心でいられる。さっきお尻を撫でられたときはヤバかったけど」
「でも、それって僕が納得できないです」
ルベリウスは腑に落ちなくてしょげてしまう。
何だか自分がとても楽しくない。そう感じてしまった。
「そう言えば、坊ちゃまは昨日、魔法を使えたって仰ってました」
「はい。僧侶の魔法を使えたんです」
「それっておかしくありません?」
「ですよね……」
「だって〝遊び人〟って魔法が使えないはずじゃないですか」
「厳密に言えばそうですけど、一つだけ僕の切り札があったんです。それが魔法っぽいんですが使ったことがないのでわかりませんが……」
「まあ、そういうところは坊ちゃまは特別な〝遊び人〟ですから良いとして、そういうのは〝踊り子〟にもあるので……」
「でも、確かに使えると確信のある魔法はさておいて、今まで使えなかったものが使えるようになったというのはおかしいですよね」
「坊ちゃまって本当に〝遊び人〟なんですか?」
「だったはずですよ? でも、そこからです?」
「だって、そうじゃないと〝僧侶〟にしか使えない魔法が使える意味がわからないじゃないですか」
「それは確かにそうなんですけど……」
「ん。じゃあ、鑑定しましょう!
ターニャはルベリウスに鑑定を提案して自分のティーカップをテーブルに置いてお茶を注いだ。
それから、ターニャはルベリウスの正面の椅子に腰を下ろして言葉を続ける。
「坊ちゃまが嫌なら私がお金を出します。幸いここはダルムットで近くにダルム神殿がありますから。すぐですよ。すぐ」
「うーーーん。まあ、悩んでても仕方がないですし、ターニャの言う通り鑑定しても良いけどお金の無駄にしかならないような気がするんですよね」
「だから、私がお金を出すから気にするなって言ってるんです」
「それはそれで気にしますよ。雇い主が使用人にお金を出させるのは何か違うと思うんですよね」
ルベリウスはそこで言い淀むと、ターニャはティーカップを手に持って、カップを唇に寄せてお茶を啜る。
ターニャは「んー、美味し」と優雅に微笑んでから佇まいを正して口を開く。
「それはそれ。これはこれ。でも良いじゃないですか。坊ちゃまのおかげで私、冒険者として稼げてますし、その感謝の印として今日、鑑定に連れて行かれてください。私に」
ここまで言われたらルベリウスには断る理由がなくて、
「わかりました。じゃあ、行きましょうか。ダルム神殿に」
と応じることにした。
「でも、お茶を飲み終わってから準備しますから、それまで待ってくださいね」
ターニャが優雅にお茶を啜る姿はそれは綺麗で、ルベリウスは改めてターニャは本当に可愛らしい女性だと実感。
それから、ルベリウスは出かけるための準備をする。
準備を終えてルベリウスとターニャが客室を出るとプリスティア家の家人に出会した。
「ちょっと市内を観光してきます」
ルベリウスはそう言ってやり過ごす。
家人は「左様でしたか、お気をつけていってらっしゃいませ」と通り過ぎた。
「あ、坊ちゃまってそういうところは変わってらっしゃらないのね」
ターニャはいちいち茶々を入れる。
プリスティア領の領城を出てすぐ、ダルム神殿が丘の頂きに見えた。
(昨日も行ったんだよな)
俺は何故か、ターニャに手を引かれてダルム神殿に続く長い階段を昇る。
「私、ダルム神殿は初めてなんです。緊張します」
ターニャの手に汗が滲んでいるのをルベリウスは気がついた。
「大丈夫です。僕も昨日は緊張したんです」
ルベリウスがそう言うと、ターニャがルベリウスを引き寄せてルベリウスの手を自分のお尻に押し付ける。
「こういうところ、変わっちゃったんですね。今までならさりげなくお尻を撫でて緊張を和らげてくれたのに……」
ルベリウスは確かにそうだとハッとした。
それと同時にターニャが淋しそうに目尻を下げていることに気がついて心苦しくなる。
「ごめん……」
「謝らなくて良いんです。これからその謎を確認しに行くんですから」
ルベリウスは申し訳ない気持ちのまま、ターニャに手を引かれて神殿に入った。
「わ、すご……」
「昨日、僕も同じこと言いました」
目の前に尊大に立つダルム神の神像である。
「私、見たいところですが先に鑑定にいきましょう」
ルベリウスはターニャに手を引かれたまま、
司祭が鑑定紙を受け取ると祈りを捧げてダルム神による
──
「な……なんということでしょう」
司祭が最初に驚いた。
「いけない続けなきゃ……」
司祭は仕事に戻る。
「汝、ダルム神様により賜われた職分は賢者なりて、司祭、マルモットがダルム神様の慧眼を伝えたり──」
鑑定の結果は〝賢者〟だった。
しばらく無言で、ターニャはルベリウスの手を掴んだまま神殿を出る。
「坊ちゃまって〝遊び人〟じゃなかったんです?」
「そんなことはないはず……。僕が〝遊び人〟だったのは間違いないと思います。実家の記録、見ましたし」
「ですよね。じゃなかったら今の坊ちゃまはありえませんもんね」
「でも〝賢者〟って何?」
「私もわかりませんが、図書館に行ってみます? 調べたら分かるかも知れませんよ?」
「そうしましょうか……」
ターニャの提案に乗ってルベリウスは神殿の南西にある図書館に入った。
「ここの図書館、大きいですねー」
神殿の傍にあるだけあって、とても大きい図書館だ。
ルベリウスとターニャはあまりの広さに驚いたが目的を先ず探すことにする。
「司書を探して場所を聞こう」
ルベリウスはターニャと二人で館内を歩き回り司書を探した。
司書はすぐに見つかり、目的の本の場所を聞いたが、職分に関する本ならということで、その場所を教わりターニャと二人で本を引っ張り出しては読み漁る。
「んー……。〝賢者〟についての本を見つけたけど……」
「お、坊ちゃま。本当ですか?」
ルベリウスは上級職について記載されている本に〝賢者〟について記されていたものを見つけた。
だが、他の上級職である〝魔法戦士〟、〝パラディン〟といったものよりも格段に情報量が少ない。
「読むと、全ての魔法を使うことができる──みたいな書き方で終わってしまって、詳しいことは何も書いてないんですよね……」
ターニャがルベリウスの隣に座って身を寄せ、ルベリウスが開いている本を覗き込む。
(いい匂いだ……)
そうして、意識的に遊ぶを発動してみる。
ルベリウスはターニャの腰に手を回して、その手でターニャの尻を撫で回した。
すると、ターニャがこういう。
「あー、これですよ。これ! この感覚。ちょっとないだけで随分と恋しくなるものですねー」
そんなことを言いながら腰をくねらせてルベリウスの悪戯をどことなく楽しんでいる。
どうやら〝遊び人〟だったときの名残りは残っているらしい。
だが、ターニャは更に言葉を続ける。
「でも、前みたいな感じじゃないですよね。坊ちゃまが初等部で冒険者を始めたときくらいの感じです。でも、これならまだイケますよ」
ルベリウスはようやっと、望んだ表情を目にした気がした。
たった一日である。それだけでこうなのだ。
ルベリウスの深層には〝遊び人〟であることが身に染み付いているのである。
(意識的に使う遊ぶなら〝遊び人〟のときに近付けるのか……)
とはいえ、ルベリウスの感覚的には半減に近い状態である。
意識しなければ〝遊び人〟だったときのようなみりょくはほとんど感じられず、ルベリウスが意識したときは〝遊び人〟だったころにやや劣るみりょく──それでも、平均的な〝遊び人〟と比べたらずっとみりょくは高い。
ルベリウスの意識的に使用した〝遊ぶ〟の効果が弱まると、ターニャは小さく息を吐いた。
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