賢者の章
賢者 Lv.1
ルベリウス・ヴァン・ダイスは考えた。
(僕は遊んでいて良いのか、何か他にすべき事があるような気がする)
ふとした拍子に脳裏に過ぎる言葉。
ルベリウスは母親のウルリーケ、姉のアリス、従者のターニャ・ヴァン・ダンジクと共にウルリーケの実家──プリスティア侯爵領の領都ダルムットに訪れた。
最後に会ったのはルベリウスが六歳──第三学校初等部に入学する前年である。
髪の毛がすっかり抜け落ちた領主のクリフ・ヴァン・プリスティアは成長したルベリウスを抱きしめて再会を喜んだ。
「大きくなったのう。見違えたわい」
「お祖父様、本当にお久しぶりです」
ルベリウスは一瞬、クリフが誰なのかわからなかった。
それでも祖父のクリフだと分かったのは彼の隣りにいた祖母のミレア・ヴァン・プリスティアが十年前の記憶の姿と全く変わっていなかったからである。
「よくいらっしゃいました。これもダルム神様のお導き。今日の再会に感謝します」
ミレアもクリフに続いてルベリウスを抱き締めた。
それから三十代の半ばを過ぎて少し頭頂部が薄くなった嫡男のチャッド、その隣にいる彼の妻のキャスリィと握手を交わしてから抱き合い再会を確かめる。
「あの頃から、絶対に
キャスリィは旦那が隣に居るというのに頬を赤くして艶のある表情を見せた。
彼女は〝パラディン〟という上級職。キャスリィはルベリウスを抱擁すると胸の奥から違和感が湧き上がる。
(この子、なにかありそう──)
不思議な感覚だった。
そして、付け足すようにキャスリィは自分の子どもたちを紹介する。
「あ、そうそう。紹介するわ」
キャスリィは思い出したかのようにキャスリィのスカート掴んでルベリウスを見る少年と少年の後ろにいる少女を紹介する。
「こっちがオルトで、こっちの大きいほうはファミル。ファミルは〝僧侶〟の職分を授かってるの」
二人とも人見知りできょとんとした顔でルベリウスを見つめていた。
オルトは弟でファミルは姉という姉弟である。
ルベリウスは人見知りの二人の子どもにニコリと笑顔を向けた名乗った。
「ルベリウス・ヴァン・ダイスです。よろしくおねがいします」
ふたりから返事は返ってこなかったが、ルベリウスはそれでも笑顔を向けて、その反応で伝わっていると感じ取る。
この日はルベリウスとの再会を祝った晩餐で豪華な食事をして過ごしたのだが──。
翌朝──。
ルベリウスはアリスに連れ出されて二人でダルム神殿に入った。
ダルム神殿はこのダルムット市中央にある小高い丘の頂上にそびえる巨大な建造物である。
「どう? 初めてじゃない? 神殿に入ったのは」
神殿に足を踏み入れて、真正面にある男神ダルムの巨大な神像が壮大で、ルベリウスは目を奪われる。
ダルム神殿は巨大な神像がある大聖堂が吹き抜けになっていて左右には小部屋が何階層かに渡って設けられている。
その小部屋の一室でアリスは一時期、生活を営んでいたわけだ。
「凄い……」
どんなに豊かな語彙があったとしてもその神像を一目見ると汎ゆる言葉を失ってしまう。
それほどまでに神々しい巨大な神像である。
誰がいつ作ったのかわからないこの神像がこの地の崇拝の対象となっていた。
「さあ、せっかく来たのですからお祈りをしましょう。ベルの祈りは私、神徒アリス・ヴァン・ダイスが見守りましょう」
ルベリウスが祭壇の正面に跪くと、アリスが壇上に立ち祈祷する。
すると天から光が舞い降りて燐光がルベリウスの周囲を踊る。
ルベリウスの近くにいた人間たちが「おおおお」と歓声を上げた。
やがて光が収まり、ルベリウスは立ち上がる。
(あれ……何かおかしい……)
その様子に気がついたアリスは壇上を駆け下りてルベリウスに寄り添い声をかけた。
「大丈夫? 何かあった?」
ルベリウスは数分前よりも力の入らない身体で祭壇を下りる。
アリスはその介添してルベリウスの身体を支えた。
「やっぱり、何かおかしい……。雰囲気が変わったっていうか──」
「アリス姉様、ごめんなさい。身体が重くなって──力が入らなくて……。少し休ませてもらっても良いですか?」
それから小一時間ほどかけてルベリウスとアリスはダルム神殿を出て領城に戻る。
ルベリウスは領城の訓練場で剣を振って身体の具合を確かめることにした。
剣を一振り、二振りとして、少し前までのキレがない。
さらに剣を三振り、四振りとしても変わらない。
ルベリウスはここでくちぶえを吹くことにする。
その昔、ルベリウスは城の中庭でくちぶえを吹いたことがあったのだが、記憶には残っていない。
あの時のくちぶえで魔物が出てくるという経験を積んだから誰もいないところでくちぶえを吹いて魔物を呼び、戦って遊ぶということを覚えた。
なお、ここダルムットの城で出てくる魔物は鉄大蟻である。
ルベリウスはくちぶえを吹いて鉄大蟻と戦う。
鉄大蟻はあっという間にルベリウスに倒された。
だが、何かおかしい。そう感じてルベリウスは納得ができるまで何度も何度もくちぶえを吹く。
そうして、何十匹と鉄大蟻を倒したが、違和感が拭えずにいた。
(おかしい。転ばないし、踊りたくならない。敵を揶揄いたくならないし、何だこれは!?)
これがルベリウスの違和感だった。
ルベリウスはこれまでの違和感を拭うように再び繰り返しくちぶえを吹いて鉄大蟻を倒し続ける。
しばらくすると身体の復調を感じたルベリウスは鉄大蟻を狩るのを止めて、鉄大蟻の死骸を鉄大蟻が沸いて出た穴に埋めて誤魔化すことにした。
これが見つかったら大事になりそうだ。
そう思いながらも、とりあえずの応急処置である。
しかし、違和感はまだ尽きなかった。
ルベリウスはウルリーケの私室に行こうとしたところ途中で可愛らしい女の子に呼び止められる。
「ルベリウス様。あの、よろしいでしょうか?」
「え……と、ファミルちゃん!」
ルベリウスは何とか名前を思い出した。
良かった……と胸を撫で下ろす思いだ。
「そうです。少し聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと?」
「はい。私〝僧侶〟なんですが魔法が上手く使えなくて、そしたら、ウルリーケ様がルベリウス様ならわかりやすく教えてくださると仰ったので……」
ファミルが
それから何とか回復魔法を使おうとしたが上手く出来ず、ファミルは悩んでいたところだった。
「わかりました。では、どこでお教えしましょうか?」
「私の部屋で良いです? 使用人は呼んでありますから、二人きりにならないので大丈夫だと思います」
いくら幼いファミルでも男性を部屋に招くのは憚られるので、事前に使用人を呼んで準備をしていた。
「わかりました。そういうことなら伺いましょう」
ファミルは昨日とはまた違った雰囲気のルベリウスに好印象を抱く。
昨日は心も体もまるごと引き込まれそうだったけど、今のルベリウスは雰囲気が柔らかく話しかけやすい。
それがなければファミルはまた躊躇したかもしれなかった。
ファミルの私室でファミルは回復魔法の詠唱を披露する。
自信が無能であるが故にウルリーケの負担になりたくないと詠唱論を研究し尽くしたルベリウス。
ファミルのミスにルベリウスは気がついた。
「詠唱式のここが、少し文法が違っていて──こうなんだ」
ファミルはルベリウスの言葉に耳を傾ける。
ルベリウスは発動したことがないからと、詠唱式の全文をファミルの前で声に出して読んでみせた。
すると──。
「ひゃああッ!!」
魔法が急激に発動する。
それも強力な回復魔法だった。
一気に魔力の渦が形成されて周囲の魔素を巻き込んで燐光を発生させる。
ルベリウスの魔法がファミルに向かって発動した。
「ああッ! 凄い! これがルベリウス様の魔法なのですね!!」
ファミルは興奮した。
あの詠唱式で凄まじい回復量だと分かる。
それだけのものをファミルが感じたのだ。
「あれ? 今、魔法が発動しましたよね?」
ルベリウスの違和感が凄まじく。
「はい。ルベリウス様の魔法。凄いです。もっと教えて下さいませんか?」
自分が魔法を使えた違和感を感じる暇もないほどに、ファミルはルベリウスに興奮する。
これまで、ルベリウスに興奮する女性の多くはまた違った種類の興奮だった。ファミルが向けた興奮はルベリウスの自己肯定感を強めるもので、それほど悪い気はしなかったのだが──。
ファミルは自分が知りうる魔法の全てを教えてほしいルベリウスに請い、ルベリウスは律儀にそれに応えた。
そして、どの魔法もルベリウスは見事に発動させてみせる。
ファミルのおかげでルベリウスは気がついた。
(僕、僧侶の魔法が使えてる)
とはいえ、その内心では「どうして?」という疑問が尽きない。
ファミルが満足してくれて、ルベリウスはようやっと解放された。
ルベリウスはその足で改めてウルリーケの私室に向かう。
ウルリーケの部屋に入るとルベリウスは魔法を使えたことを報告する。
「お母様! 僕、魔法が使えるようになりました!」
ルベリウスはここで喜んでくれて抱き締められるんじゃないか──と、ウルリーケの行動を予測したのだが、ウルリーケは喜びはするもののルベリウスを抱き締めるまではしなかった。
「本当に! 凄いわ! ベルはとっても頑張ってたものね」
今までと変わらずに喜んでくれているのに、抱き締められない。
ルベリウスはそれが淋しくて悲しくなった。
ウルリーケにお茶を注いでいたターニャも驚いている。
「坊ちゃまがついに魔法を! と言いますか、少し雰囲気変わりました?」
ターニャがルベリウスの変化に敏感に反応を示した。
これまでなら見ているだけでギューッとお腹の奥が締め付けられるほどの想いが込み上がったのに、今は、まるでルベリウスが初等部のころのような、おだやかに見守っていたいという気持ちに落ち着いている。
(あれ? 私が変わったのかな?)
ターニャはこれが自分の心の変化なのかなと不思議な気持ちである。
だが、ルベリウスのターニャに対する接し方も変わった。
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