閑話
閑話 一
アウル・ヴァン・ダイス。
彼の手元には一通の書簡がある。
その中に封ぜられたのは離縁状。
「プリスティア家から正式な離縁状が届いた。どうしたら良いと思う?」
アウルは執事に聞いた。
「私にはそのような経験がございませんのでわかりませんが、ウルリーケ様はダイス家から見れば格上。それに、ウルリーケ様がこちらに嫁がれた状況を考慮すると、離縁状に書かれた離婚の理由の根拠を覆す必要がございましょう。ですが、これまでの経緯を考えると最早打つ手はないと存じます」
「そうか。シグナールの廃嫡は急ぎすぎたのかもしれんな」
アウルはため息をつく。
「それと、もう一つ。報告がございます」
執事のラトル・ヴァン・ゾイは胸に手を当てて頭を下げて報告の許可を乞う。
「何だ? 申せ」
アウルの許可でラトルは口を開いた。
「かの者が第一学校高等部に進学しSクラスに配置されることになりました」
ラトルがかの者と呼ぶのはアウルの息子、ルベリウス・ヴァン・ダイスである。
ルベリウスが第一学校の高等部、しかも、Sクラスだと聞いて驚愕。
ダイス家でSクラスに入ったのはシグナールだけである。
シグナールは魔術師としてはセグール以下で全く成長が見られなかったが明晰な頭脳で初等部からSクラスを守り続け高等部の卒業後に帝国の臣下として従事していた。
アウルはシグナールを足跡をルベリウスが辿るものだとは全く思ってもいなかった。
話だけでは信じがたく疑念は潰えない。
「それは真か!?」
「はい。信頼できる調査のものの報告です」
「しかし、なぜ、今になって情報が上がってるのだ。合格が決まるのは秋であろう? 調査が遅いんじゃないのか?」
「入学者の名簿が確定し、生徒の配属が確認できるようになるまで時間がかかるようでして……」
「だが、ゴミには金が渡っていないはずだ! あれはどうやって学費と寮費を賄っているんだ?」
「かの者はシルバーカードを所持しておりますから、それほどの実力であれば短期間でもそれなりの費用は賄えましょう」
「ならば、俺が金を払わなかったという事実が広まればどうなる? あのゴミが中等部に入ったときもそうだ。あれで離縁の理由を作ってしまったようなものだろう?」
アウルが声を荒げた中等部の学費について。
ルベリウスが初等部で冒険に出て荒稼ぎした報酬で間に合っている。
第二学校の入学でルベリウスの後見人にウルリーケがアウルの名代として、ウルリーケの名で署名はしたが、これがアウルにとって悪手となっている。
夫人の名前ではダイス家のお金を動かすことはできないため、ウルリーケの自費、もしくは、ルベリウスの自費ということになる。
ウルリーケが自費として費用を捻出した場合は実家のプリスティア家からの援助ということも考えられた。
それがウルリーケの付け入る隙となったわけだ。
アウル・ヴァン・ダイス子爵は自分の息子に金を出さない。
それだけでアウルの面目は潰れてしまった。この影響がイリーナに出てしまって年頃だと言うのに縁談はなく働き先もない。
イリーナはこの状況を喜んでいるがアウルは気が気でなかった。
だからこそ、アウルはルベリウスが第二学校に進学したせいで悪評が出て離縁を申し込まれたと考えている。
ラトルから見れば、ルベリウスの一歳の誕生日にゴミだから捨てようとしたことにウルリーケは怒り、アウルはゴミをかばうのかとウルリーケから距離を置いた。それが原因だと思っている。
「いいえ。離縁の理由は、アウル様はウルリーケ様が最後のお子を産まれて鑑定されたあの日以降のウルリーケ様への扱いに依るもの。アウル様の言動を鑑みると現状の風評を覆すのは非常に厳しいものと思われます」
「ならば、シグナールはどうなのだ?」
「昨年、廃嫡されましたシグナール様はつい先日に男爵位を叙爵されて領地を与えられております故、もはや、ダイス家に未練はないかと──」
シグナールはアウルのウルリーケへの扱いに納得ができずにいた。
領地に戻らず国に仕えるために一旦は帝国の臣下として働こうと思ったのもそのため。
ただ、廃嫡が決まるまでのシグナールはダイス家の嫡男という立場上、ウルリーケがそうするような対応をルベリウスに対して行えず、当たらず触らずの距離を保っていた。
ルベリウスが帝城での合同授業に参加するまでは──。
なお、アウルはウルリーケとの離縁の交渉の際にウルリーケへの脅しとしてシグナールを廃嫡した。
アウルは最下級職〝遊び人〟を産み落としたウルリーケを不良品として扱い、その腹から生まれた〝魔術師〟だから魔術師としての成長が見受けられないのだとウルリーケとシグナールを罵って、それをシグナールの廃嫡の理由としている。
その直後に叙爵されているわけだからアウルの立場は非常に危ういものとなっていた。
「では、ゴミは!? ゴミはどうなっている!?」
シグナールの状況を鑑みたアウルは、もしやルベリウスもシグナールと同じく状況に変化があったのではないかと考え、ラトルに聞く。
「かの者はプリスティア侯爵が後見人として署名をなさって既に第一学校に提出済みとなっております」
「つまり、それは──」
「もはや、アウル様がどうこうしようとできる相手ではなくなりました」
ラトルはアウルの至らなさに呆れてため息を吐く。
アウルは何度も離縁状を読み返し、ラトルは天を仰いだ。
少し前後して、ルベリウスが初めての合同授業で帝城に入ったころ──。
ルベリウス・ヴァン・ダイスが
「ルベリウス・ヴァン・ダイス。久しく見ぬ間に随分と成長したな」
アルヴァン帝国の皇帝、バレット・ヴァン・アルヴァンは吹き抜けとなっている訓練場の上から合同授業の様子を伺っていた。
ルベリウスが隣の帝国兵に倣って木槍で木の人形を打ち続けている。
難しい技でも真似をして打ち込んでいる様子はまさに鳥肌モノで城内にルベリウスが人形に打ち込む打撃音がけたたましく反響していた。
「人形が壊れそうですね。あれに傷を付ける木槍使いは我が国にはおりませんよ」
上から眺めているだけでも、ルベリウスの凄まじさは伝わっている。
バレットの言葉に続いて皇太子のライン・ヴァン・アルヴァンが続けて、ルベリウスを称賛。
ルベリウスが人形を打つと、ルベリウスの姿勢はぶれずに人形を打ち切り、人形の軸がしなって木片が飛んでいる。
「たかだか〝遊び人〟があれか……。さすがシルバーカードホルダーと言ったところか。ダルム神の気まぐれとは言えこれは凄まじい」
バレットは踵を返して訓練場から下がる。
ラインもバレットの後に続いてその場から去った。
バレットは言う。
「時にラインよ。まだルベリウス・ヴァン・ダイスを婚約者候補から外してはおらぬよな?」
「今のところは他に婚約者候補を立てておりません故──しかし、シンシアよりジェシカが未だかの者への興味を持っているようで……」
「ほう、それはまた何故?」
「魔法です。ジェシカはルベリウスに魔法を教わってから急激に成長を遂げました。その時の体験が記憶に強く残っているのか今でも時折その話をしてくるほど」
「なるほど、それは面白いことになりそうだ」
バレットは「がっはっは」と大笑いしながら執務室に向かって歩いた。
それから、また、時間は前後する──。
アウルがプリスティア家との離縁の協議を本格し始めたころ、私室に引きこもるイリーナ・ヴァン・ダイスは、ルベリウスの似顔絵を眺めて表情を恍惚とさせてはニチャニチャと笑っていた。
「はあ、ベルぅ……。私のベルぅー……。もうすぐよ。もう少しで私も自由になれるわ……。そしたら、私、貴方のものになりに行くの……。待っててね……」
熱気を帯びた息が吐き出され、イリーナは上気した表情でルベリウスの似顔絵に語りかける。
「ねえ、知ってる? ベル? お母様、正妻になるんですって。私、正妻になんてなりたくないってげんなりしてらしたの。面白いでしょう? 私のお母様は貧乏男爵家の出だからって正妻にならない条件で娶られたのにって愚痴ってたの。おかしいよね。出世できるのにしたがらないって。私、教養がないし職分だけで何もできないから、絶対無理って言って利かないんだから。ユーリ母様がいるから公妾になったんだって言って憚らないの。だから、ユーリ母様が離縁なさるのなら、お母様も家を出るって言うんだよ。それで、私もお母様に着いていくことにしたんだ。そしたら、私、貴方と同じく冒険者になるわ。ベルと同じ冒険者だったら、ベルと同じシルバーカードだったら一緒に旅ができるよね? ああ、ベルぅ。お姉ちゃんはベルに会いたくて会いたさすぎて震えちゃうの……」
ルベリウスの似顔絵を抱きながらイリーナは身体をピクピクと震わせた。
この似顔絵、実は、ある伝手で書かせたものである。
それもほんの数日前に届いたばかり。
ほんのりと火照った身体に浸っていたら扉を小さく叩く音がする。
「イリーナ、準備はどう?」
「お母様、私はもうできてるよ」
「じゃあ、行きましょう」
「ん。分かった」
イリーナは少しばかり大きなカバンを背負って部屋を出た。
扉の先にはオフィーリア。
「ごめんなさいね。私、ユーリ様みたいにはなれなかったわ」
「良いじゃない。私もお姉様みたいにはなれないもの。そういうものよ」
「そうね。じゃあ、行きましょう」
「セグ兄様は良いの?」
「セグールはもう私を必要としていないから大丈夫でしょう。イリーナはベルくんでしょ?」
「そう。ベルのところに私は行くの」
「私もベルくんのところに行こうかしら?」
「お母様ならベルと結婚できるから良いかも知れないね」
「ふふふ。冗談よ。先に行くところがあるんだし」
「そうだね。ウィンスティに行こう」
「ええ。そうしましょう」
オフィーリア・ヴァン・ダイスとその娘、イリーナ・ヴァン・ダイスはその日、ダイス領を出た。
領城から出ると下町で身分を隠して服を変え平民として旅立つ。
最初に向かったのはウィンスティ男爵領。
ダイス領の西南に位置する男爵家の領地である。徒歩なら五日ほどの距離。
女二人の旅は本来なら危険とされている。
しかし、綺麗な薔薇に棘があるように、若く美しいイリーナの棘は特に鋭い。
弟を溺愛する余り、実力を偽り続けたこの少女は四歳の誕生日に〝魔術師〟となった天才である。
彼女たちに近付いたならず者の冒険者たちは、その身元がわからないほどの状態で黒焦げになった。
誰もイリーナに近付けない。
害をなそうものなら瞬時に燃やされてしまう。
イリーナは帝国で唯一人の無詠唱魔法の使い手であった。
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