遊び人 Lv.16
ルベリウスは自分を呼ぶ声を聞いた。
声の出どころを目で追うと、なりふり構わず走る女性の姿。
うっすらと記憶の奥深くに仕舞い込まれた女性の顔。
思い出そうにも朧げで、でも、向かってくる女性の姿は懐かしくさえ思った。
「ベルッ! ベル──ッ!」
ウルリーケはルベリウスに抱き着いて腕の力を込めて顔中にキスをする。
「ああ、ベル! ベルッ! ベル! ベルぅッ!」
「お──母様……」
ルベリウスはウルリーケを抱き返す。
ウルリーケの大きな胸が身体を圧迫して少し苦しいが、懐かしい匂いにルベリウスはウルリーケを母親だと思い起こせた。
間近で見るウルリーケの顔はシワが増えて六年前のような若々しさはすっかりなりを潜めている。
「ああ、会いたかった……。ベル、ごめんね。ごめんね。今まで本当にごめんね」
ボロボロと涙を流してウルリーケは泣く。
南通用門の広場のど真ん中で。
「お母様、ここでは目立ちますし、ベルも私も時間がないので移動しましょう」
アリスがウルリーケを背中に手を起き、なだめながら諭す。
「あら、ごめんなさい……」
ウルリーケはルベリウスから離れると涙を拭きながらアリスに謝った。
「お母様。もしよろしければ一緒に第二学校に付き添っていただけませんか?」
拭いても拭いても涙が溢れるウルリーケを見てルベリウスは第二学校への付き添いをお願いした。
親がいないよりいたほうが良いとルベリウスは考えた。
「それは良いわね。お母様、ベルと一緒に行くと良いわ」
アリスもルベリウスの言葉に賛同する。
「第二学校? ベルが?」
ウルリーケは何のことかわからず聞き返すが、
「私もベルも時間がないから、あとはベルに聞いて」
と、アリスは返す。
「じゃあ、私、行くから。仕事が終わったら屋敷に行きますから」
アリスはそう言い残してチャミルと教会に向かった。
「では、参りましょう」
ルベリウスはウルリーケに声をかけて手を差し出す。
ウルリーケはルベリウスが差し出した手を取ると、その手の大きさが六年という時の流れを実感させた。
自分が手を引いていたその小さかった手が今、大きくなって手を引こうとしている。
ウルリーケが見守ることができなかった六年で、ルベリウスはウルリーケの手を引くほどに成長を遂げたのだ。
「はい。参りましょうか……」
ウルリーケは涙が止まらず、それでも、歩みを止めることが出来ず、ルベリウスに手を預けて第二学校へと向かった。
第二学校での手続きは早かった。
入学の手続きと入寮の手続き。
必要な費用はルベリウスが一括で支払った。
第二学校の校門を出るとウルリーケはルベリウスの服の裾を引っ張って引き止める。
「聞きたいことがいっぱいあるんだけど良いかしら?」
そして向かった先は南通用門の見える茶店である。
店員がウルリーケを微笑ましく見守るように時折目を向けるのがルベリウスは気になったが、話はここですることに──。
「六年間、何があったのかわからないけれど、どうしてあんなにお金を持っていたのかしら?」
ウルリーケが最初に気にしたのは金銭だった。
子どもがどうやってお金を稼ぐのか。
もしかして悪いことに手を染めているんじゃないか。
そう思うと不安で仕方がなかった。
そんなウルリーケにルベリウスは銀色の冒険者カードを取り出してウルリーケに見せる。
「僕、冒険者やってたんです。第三学校では五年生になったら冒険者ギルドに登録してカードを発行してもらえるので、それから魔物を討伐してお金を稼いでたんです」
「本当に?」
ルベリウスの言葉にウルリーケは聞き返した。
女のウルリーケでも銀色のカードは中級冒険者であることは分かるし、それを十二歳の少年が所持しているという異常性が素直に飲み込めず、思わず聞き返す。
「ウルリーケ様、本当です。そのおかげで私たちはこれまで生活できていたんですから」
ターニャがルベリウスの言葉に追随。
ウルリーケは二人が言うなら間違いないのだろうと信じることにした。
それにしても、本当にそうなら命を賭した危険な道を歩んできたのではないか──ウルリーケは思う。
「こう言っては他人事みたいだけど、ベルは本当に頑張ったのね……」
「僕だけじゃなくて、ターニャにはとても助けてもらいました。だから、ここまで頑張れたんです」
「そう……。ターニャを選んで良かったわ。ターニャも本当にありがとう。ベルをここまでしてくれて心から感謝します」
ウルリーケはまた涙を流し始める。
(本当は私が、彼女の立場になったはずなのに──)
ルベリウスの努力と成長を間近で見られなかったことを心の底から悔やむ。
ターニャへの感謝と同じくらいの大きさで、ウルリーケがアウルに対して憎悪を抱いたのはこの時だった。
(私の家名が変わっても、ベルは私を母親だと思ってくれるかしら──)
ウルリーケはルベリウスの現況を知り、何とかルベリウスの地位を取り戻したいと考えるようになる。
どうしたら良いのかはまだわからない。けれど、できることから始めたいとまだあどけなさのある少年を目の前に考える。
「ところで、食事はちゃんと取れてる?」
「ウルリーケ様、坊ちゃまのおかげで氷室には大量の肉がこざいます。少し前まで確かに食事の面は苦労しましたけど今はとっても間に合ってます」
親が子どもに心配することだ。
ここでルベリウスに曖昧に答えさせると食材が大量に運び込まれて大変なことになるとターニャは察して口を挟んでしまった。
「まあ、ターニャは使用人としてどうなのかしら?」
「い、いいえそういうことではなくて、本当に寮の氷室は坊ちゃまが持ち込まれたお肉の山で大変なんです。何なら奥様に今度お渡ししても良いくらいですから」
主人の会話に使用人が口を挟むことを良しとしないのが貴族。
それを知っていてもターニャが口を挟まざるを得ないまさに台所の事情である。
「本当なの? ベル」
ウルリーケはルベリウスに訊いた。
「先週、ランページ・バイソンの肉を持ち帰ったばかりです。氷室のことはターニャに任せきりなのでいっぱいかどうかはわかりませんが、入り切りませんと怒られたばかりでした」
「そうなのね。ランページ・バイソンのお肉って高級品よね? それでベルはお金を持っているのね」
「それなりには──ですが、自分で進学費用を工面できる程度には稼げるようになりました」
「そう。それは良かったわ。本当にベルは私の知らないうちに成長していたのね……。淋しくなっちゃうわ」
ウルリーケは止まらない涙で声が震えないように、気を張って言葉を紡ぎ、ルベリウスは母親の表情を推し量る──他意があるかもしれないと疑心が少なからずあったからだ。
「ところで、ターニャには給金、届いていたかしら?」
ウルリーケは話を変えてターニャの近況を確認することにした。
「え、給金ってウルリーケ様が支払われていたんじゃないですか?」
「いいえ。途中から主人が支払うことになっていて、私は何も把握できなくなっていたの」
「では、もしかして、私が坊ちゃまの近況を書いた手紙は届いておりませんか?」
「そんな……お手紙をくださっていたの? 私に?」
「はい。お会いする機会を設けにくいとのことでしたし、坊ちゃまのことをどのようなことでも細かく報告をされるようウルリーケ様に言われておりましたので手紙でお送りさせていただいたのですが……」
「そう、では帰ったら確認してみるわね」
「はい。月に一度、毎月送っておりますので、確認してみてください」
ウルリーケの反応で合点がいったルベリウスとターニャ。
今後の反応で母親が信頼に値するか否かの判断ができるだろう。
俯いて涙を拭うウルリーケを視界に収めながらルベリウスとターニャは目線を重ねて確認し合った。
ルベリウスとターニャは寮に戻り、学校に報告することがあったので長居ができない。
そのため、話を切り上げてここで別れることになった。
「次はいつお会いできそう?」
「わかりません。期限付きですが通行証は持ってますし、朝から時間が出来たときに来れるとは思いますが──」
「私は毎日、ここに来るのが日課になってるようなものだから、時間が出来たらこのお店に来てもらえると嬉しいわ」
「わかりました。善処します」
「ふふふ。善処だなんて──。でもありがとう。ベルの姿を見て安心したわ」
「僕も、お母様に会えて良かったです」
「ん。じゃあ、またね」
ウルリーケは店の前でルベリウスに抱き着いて唇にキスをする。
「いつでも待ってるわ」
ウルリーケのその言葉を聞いてルベリウスとターニャは別れの挨拶をしてからウルリーケに背を向けて南通用門から平民街に出ていった。
ウルリーケはルベリウスの姿が見えなくなるまで目で追い続け、ルベリウスの姿が見えなくなったら、それまで我慢していた涙が再び堰を切ったように溢れ出す。
「奥様、少しお休みになられます?」
「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうわ」
茶店の店員の女性がウルリーケを慮って声をかけた。
何年もウルリーケを見守った店員たちは、ウルリーケが何を──誰を待っていたのかを知って涙腺が緩んで涙目で接客をしている。
ウルリーケは茶店に匿ってもらい、今日の出来事を思って人知れず涙する。
泣きながら、ウルリーケの考えは次第に形を成して、その方向を示し始めていた。
(ともかく、今日、アリスとお話をしてからね──)
今日はもう日暮れまで茶店でルベリウスを待つ必要がなくなったウルリーケ。
昼を過ぎて邸宅に戻ろうと思ったが、今日の再会に感謝したくなって、教会に足を運ぶことにした。
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