第14話




「賀津雄は無事かしら?」

 森園賀津雄の火山観測所同僚であるケイ・ギルモアとハンク・フォアマンはそれぞれのパートナー・家族とともにヒロの南にあるボルケーノという町へ避難していた。

「無事だと思うが、こういう時、携帯電話が通じないのは困るね」

「すべてあのオーロラのせいだわ」

 ケイは恨めしそうに上空で乱舞する血のように赤いオーロラを見上げた。

 町は住民の倍以上の避難民で溢れかえっていた。巨人の心配はあったが、ここまで逃げたら大丈夫だろうという妙な安心感があって、のんびりしたものだった(その安心感の根拠はひょっとしたら町の近くにあるエスケープ・ロードという名前の道のせいかもしれない)。しかし、ボルケーノ(火山)という名前の通り、そこはキラウエア火山のカルデラの火口縁近くに位置していた。すぐ近くにはキラウエアイキ火口もある。1959年の大噴火では溶岩が580メートルの高さまで噴き上げたのは有名な話だ。

 と、突然地面が揺れた。

「落ち着いて!」ハンクは動揺する人々に注意を喚起した。「電線の下にいる人はすぐ逃げて! それ以外は落ち着いて、じっとしていて!」

 指示に従って、全員が静かに地震のおさまるのを待っている中、ケイが西の方角を指さして大声で叫んだ。

「ハンク、あれ見て!」

 ハンクは見た。「……ああ、なんてことだ!」

 キラウエア火山が噴煙をあげていた。そして、その中から炎をまとった岩が三個、北西方向に空高く打ち上げられた。

「あれ、噴石よね?」とケイがハンクに訊いた。

「たぶんね」

「でも大きくない?」

「大きいね。ここからでも見えるくらいだから。大きさは……そうだな、ミサイルくらいあるかもしれない」

「あの噴石で被害が出ないといいんだけど……」


          X


 さっきまで烈しい闘いを繰り広げていたトゥとタウィリの動きは止まり、ただの金属製の立像になったようだった。トゥもタウィリもショックを受けていた。天父神ランギの帰還がもたらす影響は人間だけに限らず、鳥やイルカといった動物にも及ぶとわかったからだ。タネはそんな兄弟たちの横に寄り添うように立っていた。

 このまま動かないままなのかな?

 美登里が心配で巨人を追いかけて来たアオだが、驚きの連続でこれから何が起きるのか、まったく見当がつかなかった。そんなところに、西の空を燃える巨大な噴石が北に向かって飛んでいくのを見て、またまた仰天した。

 巨人たちも巨大噴石に気づいたようで、飛んできた方向に顔を動かして、キラウエア火山が噴煙を上げているのを見ると、ゆっくりと移動を開始した。建物や道路に乗り捨てられた車を避けて、雨で水嵩の増したワイルク川を遡りはじめた。

 タネはすぐには移動しなかった。左の掌を上に向け、その上に右の掌を重ねた。右の掌を離した時、左の掌の上に美登里が乗っていた。まるで手品のようだった。タネは美登里をそっと地面に降ろした。そして、トゥとタウィリの後を追いかけた。

「ミドリ!」

 アオは美登里の元に駆け寄った。

「大丈夫だった?」

「うん」と美登里は肯いてから、上空にたなびく赤いオーロラを見て、「すごい! ハワイでオーロラが見られるなんて! でも気持ちの悪い色してるね」

「まったくだ。このオーロラ、とてつもなく不吉だ。停電引き起こしたり、モバイルに変なメッセージ送ってきたり」

「どんな、メッセージ?」

 アオは送られてきたメッセージを美登里に見せた。「われは主なり。人間は滅ぶべし」と書かれていた。

「これってイタズラよね?」

「だと思うけど、そこいろじゅうの人間のモバイルに同時に送信してやがる。そうやったのか知らないけど、気味悪いったらありゃしない」

「ネットニュースかSNSに何か書かれてない?」

「それがネットにぜんぜん繋がらないんだ。今、世界でいったい何が起きてんだか、さっぱりわからない状態だよ」


          X


 キラウエア火山から打ち上げられた燃える巨大噴石はオアフ島、さらにミッドウェー島を通過して、周囲に島などひとつもない大覚寺海山近くの上空で、ハワイに向かって飛んできていた核弾道ミサイルを迎撃した。


          X


 サドル・ロードをヒロに向かって走っていた日見子と大熊たちの乗ったジープの向かって左側の林から3体の巨人が揃って現れた。

「危ない!」

 急停車したジープの前で、巨人たちは道路を跨いで右側の林に消えた。

 日見子は大熊に、「海幸彦様たちはどこに向かっている?」と訊いた。

「ええと」大熊はハワイ島の地図を開いて、「キラウエア火山じゃないかと思います」

「そこにはどう行く?」

「ええと……この道をまっすぐ行って、それから南ですね」

「わかった。行くぞ」

「へい、姉御!」

 再びジープは走りだした。


          X


 それから数日間、ハワイでは平和な日々が続いた。もっとも電気や通信、さらに浄水処理や給水ポンプに電気を使う水道が使えないサバイバル生活ではあったが。

 さらに人々の気を滅入らせるのは上空を覆う血のように赤いオーロラで、南国の青い空が奪われたのは悲しかった。


 ハリー・ゲッツとマーブ・ピーターシャムは黒い巨人に天文台群が破壊されて以来、休業中だった。自分たちは何て不幸なんだろう、とその時は思ったが、今はそうは思わなかった。巨人たちの闘いで家を失った人たちがヒロには大勢いたからだ。そんなわけで二人はボランティアとして瓦礫の撤去に参加していた。

 そんなところに州軍が水と食事の支援にやってきた。

 ハリーはクルーカットの州兵から災害時の備蓄用非常食を手渡されたが、

「おいおい、こんなの渡されても困る。どうやって食べればいいのかわからない」

 と文句を言った。

「そうですか。じゃあ実演してみますね。他にもわからない方がいたら見て下さい」と言って州兵はMREの袋の中から「DO NOT OVERFILL」と書かれた緑がかった色の袋を取り出し、その口を開け、中に水を注いだ。「FRHといって、水で発熱します。しばらくして熱くなったら料理の入った袋をくっつけて、温めて食べてください」


 冷蔵庫が使えないためスーパーマーケットや食料品店では生鮮食品の棚が空っぽになる店が多かった。しかし、ホノカアにあるジョシュアの店では、産みたてほやほやの新鮮な卵が棚に並んでいた。

「チャンさんのおかげで助かったよ」

 とジョシュアは納品に来ていたホーさんに感謝した。

「それは良かった」

 ホーさんは名前を間違えられたのに、にこにこしていた。毎度のことで慣れていたからだ。ホーさんの笑顔はワーナー・オーランド扮するチャーリー・チャンにそのくらいそっくりだった。


 ワイメアのタッカー牧場では近隣住民を招いてベーベキューを無償でふるまっていた。さらに子供たちには投げ縄や蹄鉄投げのレクリエーションまで。

「お礼の言葉もありません」

 と母親から言われた時、牧場主のトーマス・タッカーははにかんだ笑みを浮かべてこう答えた。「お礼なんていいさ。こんな時だ。子供たちが不安に押し潰されることなく、明るく元気でいてくれれば、それが俺の幸せだ」


 しかし現実には、不安と不自由な生活からフラストレーションが溜まって喧嘩が相次いでいた。相次ぐ逮捕者に、ワイメア署の女性署長ゴールディ・ウルフは「そのうち暴動が起こるんじゃないかしら」と大いに危惧していた。そんなところに、

「離せ! 離しやがれー!」

 と喚き騒ぐ男が警官四人がかりに取り押さえられて署に連行されてきた。男は痩せぎすの白人男性で、服には血がべっとり付着していた。

「どうしたの?」

 とゴールディが部下に訊いたら、

「ショッピングモールで数人を刺したんです」

「まあ。被害者たちは?」

「病院に搬送しました」

「怪我の具合は?」

「幸いなことに軽症で命に別状はないそうです」

「それは良かったわ」ゴールディは心底ほっと安堵した。停電のため、病院では満足な手術ができないからだ。

「離せ! 離せったら!」犯人の男はまだ喚き立てていた。「俺は神のお告げに従ったのだ! おまえたちも神のお言葉を受け取ったはずだ。人間は滅びねばならんのだ!」


 オアフ島沖を航行中だった輸送揚陸艦は、上空からキラリと光るものが落下するのを発見した。

「何だ、あれは?」

 まさか未確認飛行物体ではあるまいなと注視していたら、4つのパラシュートが同時に開いて、静かに海に着水した。

 さっそく現場に向かい、正体が判明した。クルードラゴンだった。ISSから離脱して地球に帰還したのだ。

 クルーたちはただちに回収され、オアフ島のパールハーバー・ヒッカム統合基地に連れて行かれた。

「何だって! 全面核戦争が起こったって?」

 クルーたちから衝撃の事実を知らされたキース・H・タワーズ中将の顔からいっきに血の気が引いた。

 ハワイ出身の女性宇宙飛行士ティンティン・アキノが詳細を説明した。「パリ、ロンドン、そしてモスクワの順番で核爆発が起きたのをこの目で見ました。続いて我が国でも、あちこちに黒い雲が……」

「そうか……」

 キース・H・タワーズ中将の出身地で親族・友人が大勢いるフィラデルフィアもおそらくその中に含まれるのだろう。シェルターに逃げ込むなどして無事ならよいのだが、あまり希望は持てそうになかった。

「ユーラシア大陸と北米大陸の主要都市はほぼ壊滅したと思われます」とティンティンは続けた。「一方、ここ太平洋諸島やアフリカ、オーストラリア、南米、それに南極には直接的な被害は見受けられませんでした。間接的な被害は、これからいろいろ出てくることでしょうが」

 皮肉なものだ。アメリカ、イギリス、フランスによって何度となく核実験の場にされてきた太平洋諸島が、実際の核戦争では無傷だったなんて。

「通常はクルードラゴンの着水地点はフロリダ沖なのですが、フロリダがあんなことになって、さらに地上とも連絡がつかなくなり、思い切ってこちらの基地近くに着水地点を変更したんです」

 フロリダにも友人はいたが、タワーズ中将は「賢明だ」と相手を褒めた。

「それにしてもこちらの基地はよく無事でしたね? ミサイルは飛んでこなかったんですか?」

「うむ、飛んでこなかった。なぜだろう?」

 と考えて、タワーズ中将は思い出した。「そういえば、この島の上空を巨大な噴石が飛んでいったな」

「噴石ですって?」

「ああ。キラウエア火山から飛んできたということだが――」


          X


 日見子、大熊、それに美登里とアオはハレマウマウ展望台から、あちこちから噴き上がる白い煙が薄くたなびくキラウエア火口を見下ろしていた。彼らはヒロで合流し、行動を共にしていたのだった。(賀津雄は心配しているだろう。今回は書き置きも残せなかった)

 あたりには二酸化硫黄のきつい刺激臭が立ち籠め、美登里は具合が悪くなりそうだった。

 火口には大きな穴が口を開いていた。アオは双眼鏡でその穴を観察して、「足跡がある」と言った。

「足跡?」

「うん、巨人たちの足跡だと思う」

「見せて?」

 美登里はアオから渡された双眼鏡で穴の周囲を見た。アオの言う通り、地面には複数の足跡があり、それはみな穴の手前で途切れていた。美登里は双眼鏡から目を離し、アオに訊いた。

「ねえ、これ、どういうこと? もしかして巨人たちはあの穴の中に消えたの?」

「そうじゃないかな」

「あの穴は何なの?」

 美登里の質問に日見子が答えた。「おそらく黄泉比良坂よもつひらさかだ」

「ヨモツヒラサカ?」

「黄泉の国に通じている坂だ」

 日見子は自信たっぷりだが美登里は釈然としなかった。

 と、その日見子が急に空を見上げた。

 すかさず大熊が訊いた。「姉御、何か見えますかい?」

「うむ」日見子はそのままの姿勢で答えた。「……イザナギ様が見える」

「え、どこにですかい?」

「月のすぐ近くだ」


 日見子たちヤマト神話ではイナザギ、マオリ神話ではランギと呼ばれる天父神はいま月のすぐそばを通過した。地球到着はもう間もなくだった。


                                 (つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る