第13話




 ヒロの町じゅうで屋外危険警報サイレンががなりたてていた。このサイレンシステムは本来、津波や地震、噴火のために作られたもので、巨人の襲来を知らせるために鳴らされるのは今回が初めてだった。

 美登里のことが心配で、車を捨て、歩いて自宅に戻った賀津雄だが、家には美登里はいなかった。代わりにダイニングテーブルの上に書き置きが残されていた。

 アオが迎えに来てくれたので一緒に逃げます。心配しないでね。

 と、書かれていた。

 賀津雄は椅子に腰を下ろすと、ほっと長大息した。ひとまず安心だ。しかし、その安心をより確かなものにするために、美登里の声が聞きたかった。賀津雄はズボンの尻ポケットからモバイルを取り出して、美登里に電話した。しかし、繋がらなかった。さっきからずっとだ。システムに障害が発生しているのだろうが、肝心な時に繋がらないのがなんとも恨めしかった。


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 虹の滝は頭上を覆う積乱雲で薄暗く、しかも土砂降りの雨だった。滝水は泥で濁り、荒々しく滝壺に流れ落ち、不吉なとぐろを巻いていた。

「引き返そう!」とアオは叫んだが、美登里は聞こえなかったふりをして、ずぶぬれのまま、滝の方に走った。アオもしかたなく後を追いかけた。

 幾筋もの稲妻が一斉に滝壺に落ちた。そして、滝壺の底から何かを引き上げた。

「巨人だわ! 第三の巨人!」

 美登里は叫んだ。第三の巨人は森の神タネだった。ボディは森の緑色をしていた。美登里はタネに向かって走り出した。

「危ない! 戻って!」

 しかし、その声は美登里には届かなかった。次の瞬間、アオの見ている前で、美登里の体は雲に包まれて、そして消えた。


 タネは瞬時に体の一部を変形させて挿入口スロットを作り、そこから美登里を体内の「神のポケット」に納めると、美登里の脳にあった記憶情報を読込インポートしはじめた。高層ビル、自動車、鉄道、飛行機、テレビ、携帯電話、コンピュータ……。タネが長い眠りについていた間に地球は大きく変わっていた。人間の文明は原始人の時代から急激な進化を遂げていた。タネはそういった情報を得て、状況認識をアップデートしていった。この間、コネクトされた美登里もタネの記憶情報を読込インポートすることはできた。しかし、多次元配列された何十億年分の膨大な記憶メモリであることに加えて、人間が有していない感覚情報も混じり、さらに神と人間のスペックの差も桁違いで、全貌を理解するのは不可能だったが、かろうじて視覚情報のごくごく一部を幻覚として見ることはできた。

 それはこんなものだった。

 美登里=タネは暗い海中にいた。なぜか息はできるのだが、とても息苦しかった。水圧もかなりあった。ハマーシュタイン教授が教えてくれた、マオリ神話の「天と地に挟まれた暗く狭い空間」ってたぶんこのことだわ、と美登里は思った。美登里=タネが親指と人差指をくっつけたり離したり、こすったりしだした。自らの細胞に海中の二酸化炭素を取り込んで新しい生命を創造しようとしているのだ。最初は何も起こらながったが、そのうち、糸のようなものが生まれた。ほとんどはすぐに消えてなくなったが、ひとつが丸くなって透明の球体になった。それは自己増殖して仲間を増やし、そしていっせいに酸素の泡を吐き出した。美登里=タネは泡に押しあげられる格好で海上に浮き上がった。そこは明るく広々とした開放感にあふれた世界だった。光り輝く青空の下、どこまでも広がる大海原。やがて、その海にむくむくと島が隆起した。島にはたちまち緑が芽生え、森を作った。さらに海から両生類たちが上陸し、森は虫、爬虫類、哺乳類で賑わった。そして、恐竜が闊歩しだした。その上空を巨大な岩塊が飛行船のようにゆっくりと浮遊していた。その形はハワイのお土産屋でよく見かける、口を大きく開けた人間の頭部だった。恐竜の世界は弱肉強食の世界ではあったが、それはドキュメンタリー番組で見慣れた自然の摂理として理解できた。その恐竜たちの姿も消え、森から鳥たちがいっせいに羽ばたいて海の向こうへ飛んでいった。と――森の木々が一本、また一本と、次々に伐り倒されていった。人間たちだった。人間は森を切り開き、土地を耕し、集落を作った。人間にとっては生活を安定させるための土地開発だったが、神々にとっては地母神への許しがたい凌辱であった。空中に浮かんでいた頭像の顔が怒りに歪んだ。たちまちあたりに暗雲が垂れ込め、無数の雷霆が地上にいる人間たちを襲った。それを止めに入ったのが――


「で、出たーっ! 黒い巨人だ!」

 アオは滝の上のガジュマルの森から現れた黒い巨人トゥを見て叫んだ。緑の巨人タネも気づいて振り返った。トゥが滝壺に飛び降りようとしたところ、背後から青い巨人タウィリがタックルをしかけた。2体はもつれあったまま滝壺に落ちた。大きな水飛沫があがり、既に雨で濡れ鼠だったアオは大量の水を頭からかぶった。滝壺の中で揉み合う2体をタネが止めに入ろうとしたが、タウィリに手で突き飛ばされた。その間、トゥは陸地に上がり、タウィリも続いた。タウィリは右手を広げて地面に差し込み、土中から槍のような長い柄を持つ棍棒を抜き出した。タウィリはそれを両手で持ち、踊るようなフットワークでトゥを殴打しだした。

「地面にあんなものが埋まってるの?」

 とアオは思ったが、そうではなかった。タウィリが土の中に含まれる元素から合金を作り、それを成形したのだった。アオと日見子が溶岩から排出された時の銀の卵も、巨人たちが溶岩に含まれる元素から作ったものだった。

 一方、トゥも土から武器を作った。それは先端がサボテンの葉のような短い棍棒で、タウィリの攻撃を受け止め、また、手首のひねりを入れてタウィリの頭部を打った。

 トゥとタウィリはそれぞれの武器で殴り合いながら、東にある市街地に移動しだし、タネもそれを追いかけた。


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 人間が電気を実用化するに至ったのは19世紀のことである。それまでは、電気は神々だけのものだった。そもそも神々がその誕生時、イオン化された気体の肉体でありながら知性を持ち得たのは、神経細胞間で電気化学信号を送受信するネットワークを形成できたからである。このネットワークは、神の細胞を雛形にして創られた地球の生物(もちろん人間も含む)にもあるもので、コンピュータのAIにも応用されている。

 さらに神々は電気をワイヤレスで自由自在に操ることができた。太陽から解放された疑似天体アストロイドXこと天父神ランギは金星の軌道を通過したところで、その力を使って、地球上空のスパイ衛星にアクセスして、地球の衛星画像を盗み見た。

 地球は変わり果てていた。森林は破壊され、海には重油やプラスチックごみが浮かび、地面はコンクリートと人工建造物とで厚く覆われ、大地は――愛する妻、地母神パパは――皮膚呼吸ができず窒息状態だった。

 あの時、人間を一人残らず滅ぼすべきだった。トゥが邪魔しなければ、それはできたのに……。

 ランギは怒りの電磁波を大量に放出した。


          X


「ば、ばかな!」

 賀津雄は上空を見て驚愕した。ありえないことが起きていた。ハワイの上空に、あろうことか、オーロラがはためいているのである。しかも、その色は血のように真っ赤で、賀津雄は戦慄を覚えた。

 と、さっきまでまったく繋がらなかったモバイルのメッセージ通知音が鳴りだした。賀津雄のだけではない、近くにいた人たちのモバイルも同時に鳴っていた。賀津雄はメッセージを開いた。そこにはこんなことが書かれていた。


   I am a Load

   Human must die

  (われは主なり。人間は滅ぶべし)


「な、何だ。これは……?」


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 アントウェルペンではオーロラの中を流れる電流によって、地上の送電線やパイプラインに誘導電流が流れ、電力系のすべてが停止した。

 トロントではデリンジャー現象によりGPSが使用できず自動運転車の暴走事故が相次いだ。

 インドでは300を越える衛星テレビ・チャンネルがすべて映らなくなった。

 モスクワでは「死の手」と呼ばれる核兵器自動制御システムに誤作動が起こり、作戦配備されていた500発余の核ミサイルが一斉に発射された。同様のことがアメリカ合衆国、イギリス、フランス、中国、北朝鮮、インド、パキスタン、イスラエルでも起こった。ここに大規模核戦争が勃発した。


          X

 

 トゥとタウィリは民家やビルを次々と破壊しながら転戦し、ヤシの木が立ち並ぶヒロ湾沿岸までやってきた。タネは何度も両者の間に割って入って争いを止めようとしたのだが、そのたびに突き飛ばされ、跳ね返された。

 虹の滝の上空にあった積乱雲はとっくに散って消えていた。代わりに、オーロラが空を真っ赤に染めていた。突然、その空に黒い雲が沸き起こった。通常の雲ではない。雲は小さな粒でできていて、CGのパーティクル・システムのように次々と形を変えていた。

「な、何だ、あれ?」

 その怪しい雲が近づいてきた。

「こっち来るー!」

 間近まできて、やっと雲の正体がわかった。それは夥しい数の鳥の群れだった。オーロラによる地球磁場の乱れで、方角を見失い混乱しているのだ。鳥の群れは竜巻のように渦を巻いて巨人たちを飲み込んだ。鳥たちは闇雲に巨人たちと衝突し、ばたばたと地面に落ちて死んだ。

 それだけではなかった。浜にはイルカたちが打ち上げられた。ランギの放った電磁波は人間たちでなく動物たちにも被害を出していた。

 トゥとタウィリは呆然となり、争いを中断した。


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 フィリピン系アメリカ人女性宇宙飛行士のティンティン・アキノは国際宇宙ステーション(ISS)にドッキングされているクルードラゴンのキューポラの複層ガラス窓越しに地上ではじまった全面核戦争の様子を息を詰めて眺めていた。クルードラゴンの設計上、地球はティンティンの眼下ではなく頭上にあった。青く美しかった地球の表面には緑と赤のオーロラが波打ち、さらにあちこちで核爆発で生まれた赤い雲が毒々しい花を咲かせていた。

 誰もものを言う者はいなかった。ショックを通り越していた。冷戦時代のキューバ危機から現在までずっと危惧されていたものの、まさか本当に起きるなんて。

 最初の核爆発は位置的にパリと思われる。続いて、ロンドン。そして、モスクワでひときわ大きな爆発が続けて起こった。

 重い沈黙はどのくらい続いたろうか。やがて嗚咽の声が漏れだし、そしてカナダ人クルーのハル・ダグラスが黙示録の一節を涙声で呟いた。

「神の怒りの大いなる日が来た。誰がそれに耐えられようか?」

 アステロイドXの接近による放射線の増加からISS滞在クルーはクルードラゴンとソユーズに別れて一時避難していたが、ソユーズにいるロシア人クルー(彼らは善良だ)は何を思っているだろう。

 ティンティンは生まれ故郷のハワイが気になった。ティンティンがティーンエージャーの頃、ハワイ州の公共警戒システムが誤作動したことがった。通りではサイレンがやかましく鳴り響き、モバイルが緊急警報を受信した。「ハワイへの弾道ミサイルの脅威。ただちに避難せよ。これは訓練ではない」。ティンティンはどこに避難すればいいのかわからず焦ったものだった。いま、ハワイにいる家族や友人たちはパニックに陥ってることだろう。しかし遠く離れた宇宙にいるティンティンには何もできない。ISSの現在位置から見ることさえ。

 ああ、神様……。

 祈るしかなかった。


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 北朝鮮の発射した大陸間弾道ミサイル(ICBM)が日本上空を通過した。大規模停電のためJアラートは発令されず、イージス艦およびペトリオットによる迎撃も失敗に終わった。大陸間弾道ミサイルは放物線を描きながらハワイに向かった。


                                 (つづく)

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