第12話
「なかなか興味深い話だ」電話の向こうでロジャー・ハマーシュタイン教授が嬉しそうに目を細めているのが目に浮かんだ。「その、ヒミコという女性が話したヤマト神話はニュージーランドのマオリ神話に驚くほどそっくりだ」
ハマーシュタイン教授が太平洋に伝わるさまざまな神話の源流を遡って、それらのプロトタイプとなった天地創造説を探そうとしているということはノアから聞いていた。そのノアがハマーシュタイン教授に釈放されたアオの見た幻覚とジャイアント・インパクトのことを電話で使えたいというので、ついでに美登里もヒロ島に戻る途中、日見子から聞いた話をしてみたのだ。
「ヤマト神話のイザナギが太陽にいるということから天父神、同様にイザナミが黄泉の国にいるということから地母神と解釈していいだろう。これはマオリ神話のランギとパパトゥアヌクと同じだ」
「そのマオリ神話ってどういう神話なんですか?」
「はじめにテ・コレ(Te Kore)があった。これは、無・虚空という意味だ。次に、テ・ポー(Te Pō)――夜が生まれ、、テ・アオ(Te Ao)――光が生まれた」
「アオって――」と美登里が言いかけたのに、
「そう。君のボーイフレンドの名前の由来だ」
と言われて美登里はムキになって否定した。「ボーイフレンドじゃないです」
「おや、それは失礼」
誰がアオは自分のボーイフレンドだなんて言ったんだろう。まあ、ノアかアオ本人だろうが。
「さらにテ・マク(Te Mākū)――湿気とマホラヌイアテア(Mahoranuiatea)――暁の雲が生まれ、そのふたりの間に産まれたのがランギだ」
「なんだかビッグ・バンに似てますね?」美登里は天文学には詳しくないがビッグ・バンという言葉くらいは知っていた。
「そうだね。世界のはじまりが無――カオスだったという創世記は世界中にたくさんある。古代バビロニア、シュメール、アッカド、その影響でギリシア、ユダヤ、などなど」
「古代の人たちはビッグ・バンのことを知ってたんでしょうか?」
「古代バビロニアでは天体観測が行われていてそこから占星術が発展するんだが、どうだろう、知っていたとしたらロマンがあるね」
「はい」
「マオリ神話に話を戻そう。ランギはパパトゥアヌクと結婚して多くの子供たちを産んだ。ランギとパパトゥアヌクは人間の姿をしていないが、子供たちは人間の姿をしていた。その中にトゥマタウエンガ、通称トゥという神がいた。ある言い伝えでは、人間はトゥの子孫だとされている。その頃、世界は両親、つまり天と地に挟まれた暗く狭い空間だった。トゥはそれを不満に思い、両親を殺して世界に光をもたらそうと兄弟たちに訴えた。しかし、森の神タネが、両親を殺さずに引き離すことで問題を解決しようという調停案を出し、それに決まりかけた。ところがタウィリマテア、通称タウィリはその計画に納得がいかず、兄弟たちに戦争を挑んだ。戦争はタウィリの敗北に終わり、タネが提案したように、ランギとパパを引き離した。ランギは宇宙に、パパは地底に」
「子供が親を殺そうとするなんて残酷な話ですね」美登里はニュースで報じられる親殺しの事件を思い出して気が滅入った。
「まったくだ」とハマーシュタイン教授も美登里の意見に同意した。「しかし、神話ではよくある話だ。有名なところではギリシア神話の主神ゼウスは父親のクロノスを斃した。そのクロノスもまた父親のウラノスを殺している。どうやって殺したかは言わないでおこう」
よほどグロい猟奇的な殺され方をしたのだろう。美登里も聞きたくはなかった。
「そうそう。ゼウスがクロノスを殺した戦いはティタノマキア――タイタンの戦いと呼ばれる。タイタン、つまり巨人だ」
「巨人!」美登里は思わず叫んだ。「教授、もしかして今回の事件と――」
そこで出し抜けに通話が途切れた。急いで欠け直したが繋がらなかった。メールも駄目だった。
「そういえば地球に近づいてる小惑星のせいで大規模通信障害が起こるかもしれないって言ってたなあ」と横にいたノアが言った。
「それWiFiも?」アオが訊いた。
「だろうな」
「ウソだろ! だったらゲームできねえ!」
「ゲームより心配することあるだろう」
「何?」
ノアは空を見上げて、「その小惑星……地球にぶつからないといいが……」
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NASAではアステロイドXの地球衝突を阻止すべく緊急の対策が講じられていた。2022年に小惑星ディモルフォスに対して行われた、宇宙船を衝突させて軌道を変えるという二重小惑星方向転換試験(DART)は大成功だったが、準備には時間がかかる。そこで検討されたのは、核爆発で小惑星を粉砕するという案だった。実はこの案はアメリカ合衆国の国家核安全保障局(NNSA)、NASA、およびエネルギー省の兵器研究所で2018年から研究が続けられてきた。緊急対応用超高速小惑星緩和ミッション(HAMMER)だ。小惑星の軌道を変えるミッションは中国でも予定されていたが、現段階で地球を救えるのはアメリカ合衆国しかない。その使命感と危機感から計画は極秘裏かつ急ピッチで進められ、そして実施に至った。
核爆弾を搭載したロケットはアステロイドXを直撃した。直撃の瞬間、クリムゾン・キングのようなその顔が顰め面になったものの、粉砕することはおろか傷ひとつつけることはできなかった。それもそのはずアステロイドXは核融合を繰り返す太陽の中でも生き延びてきたのだから。また軌道を変えることもできなかった。たとえ変えられたにせよアステロイドXは自分の意思で元の軌道に戻れたろう。アステロイドXはただの小惑星ではなかった。ランギ、ワーケア、イザナミ、ウラノスとさまざまな異名を持つ天父神! 原始地球に
子供たちによって地球を追放され、太陽内部に
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「また共振が始まったわ」
とケイ・ギルモアが言ったのに、ハンク・フォアマンが反応した。「おさまっていたマウイ・ケア山とケアラケクア湾沖の微小地震が再発したのかい?」
「ところがそうじゃないの。震央はヒロ北部とフアラライ山」
「フアラライ山なら火山性地震じゃないのかい?」と森園賀津雄が指摘した。
「そうかもしれない。でも、かなり浅い場所。それに揺れが同期してるのはなぜ?」
巨人のせいかもしれない、と賀津雄は思った。というのも以前の共振地点のうち、マウイ・ケア山からは黒い巨人が、ケアラケクア湾沖からは青い巨人が現れていたからだ。フアラライ山はその2体の巨人が溶岩の中に消えた場所である。もし仮にこの共振が巨人同士の間で起きているものだとすれば、ヒロ北部に3体めの巨人が眠っているということか?
「ヒロ北部ってワイルク川だよね?」と賀津雄はケイに訊いた。
「そう。虹の滝のあたり」
賀津雄は虹の滝にまつわる伝説を思い出した。滝の裏には秘密の洞窟があり、そこにマウイの母親であるヒナが隠れ住んでいるというのだ。まさかそのヒナが第三の巨人ということはあるまいが……賀津雄は気になって調べに行ってみることにした。
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フアラライ山の噴火は沈静化に向かってはいたものの、噴火口内はぐつぐつと煮えたぎる紅蓮の溶岩でさながら地獄の釜のようだった。
その溶岩の一部が引力に逆らって火口壁を上に上に逆流しはじめた。そして火口縁に達したところで、溶岩は形を変化させはじめた。人の形に。赤熱したどろどろの溶岩が冷え固まって強固な金属のボディを持つ黒い巨人となった。黒い巨人はマオリ神話ではトゥ、ヤマト神話では山幸彦と呼ばれる神だった。
神々はジャイアント・インパクト後の地球の高温のプラズマの中で生まれた。高濃度のイオンや分子が帯電し、自己組織化し、生命を獲得した。その段階では神々はイオン化した気体だった。つまり、肉体を持たない魂、ともいえた。人間を含む地球の生き物は炭素を含む有機化合物で出来ているが、神々は炭素を含まない金属元素単体と金属間化合物で出来ている。原始地球が数億年かけて冷却化すると、やがて神々の肉体は相転移して、気体から液体に、液体から固体に変わった。
トゥは火口縁に仁王立ちし、空を見上げた。
兄弟たちとともに太陽に閉じ込めた天父神ランギが地球に迫っている。
トゥは兄弟を蘇らせるために移動をはじめた。ヒロに!
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賀津雄は虹の滝に来ていた。駐車場から歩いてすぐのところにある。この滝が有名なのは、名前にもある美しい虹が見られることだが、あいにく虹は出ていなかった。虹が見られるのは晴れた日の早朝だからだ。
階段を登って滝の上に行くと、そこはガジュマルの森だった。その巨大さに賀津雄は圧倒された。神秘的で、沖縄のキジムナーに似たハワイの精霊が棲んでいそうな気がした。
引き返している途中、地面が揺れた。微小な揺れでほとんどの人は体感できなかったことだろう。ふと空を見上げると、コップに色水を垂らしたように白い雲が広がってみるみるうちに巨大な雲の柱ができあがった。
一雨来るぞ。
賀津雄は駐車場に走って戻った。賀津雄の予感を裏付けるように、積乱雲の中で禍々しい閃光が走った。
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フアラライ山とヒロのちょうど中間に位置するポハクロア訓練場ではちょうど第3海兵連隊が訓練中だった。黒い巨人接近の報を受け、さっそく水陸両用戦闘車(ACV)数台が進路を遮るように横一列に並び、一斉射撃で迎え撃ったが、黒い巨人の進撃を阻止することはできず、突破されてしまった。
兵士たちは去っていく黒い巨人の後ろ姿を呆然と見送りながら、
「溶岩の中で溶けたんじゃなかったのか?」
「それでも無事っていうのなら、もう俺たちにできることは何もない」
「そのとおりだ。人間の武器の通じる相手じゃない」
と口々に言い合った。
しかし、だからといって手をこまねいて何もしないでいいわけはなかった。20分後、青い巨人が現れた時、彼らは、内心無駄とは思いながらも、軍人としてやるべきことをやった。
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黒と青の巨人たちがヒロに近づいているとわかり、ヒロの人々はこぞって避難をはじめた。森園賀津雄のカムリは渋滞に巻き込まれて立ち往生してしまった。娘の美登里に連絡したかったが、電波障害で電話は繋がらない。
「くそっ、こうなったら」
賀津雄は車を乗り捨てて、歩いて自宅へと向かった。
クラクションが立て続けに鳴ったので、美登里はカーテンを開けて窓から外の道路を見た。スクーターに乗ったアオが手を振っていた。
「どうしたの?」外に出て美登里が訊くと、アオは迎えに来た、と言った。
「迎えって?」
「巨人がこっちに向かってるらしい。危険だ。逃げよう」
「に、逃げようってどこに?」
「とりあえず南。発電所と離れたとこなら安全だろう」
ふたりの乗ったスクーターはハワイ・ベルトロードを南に、渋滞を縫ってすいすいと走った。町外れまで来たところでアオはいったんエンジンを停め、美登里はモバイルで父親に電話したが通じなかった。
「心配だね」
「うん。大丈夫とは思うけど……」
美登里は後ろ髪を引かれる思いでヒロの町の方を見ると、町の上空に、マウナ・ケア山で黒い巨人が現れた時にあった積乱雲そっくりの雲が見えた。
「あの雲!」美登里は叫んだ。
「うん」アオも肯いた。
「行ってみましょう!」
「えっ」アオは狼狽えて、「だ、駄目だよ。危ないよ」
「そうね……」美登里もいったんは諦めかけたが、どうしても諦めきれない、いかんともしがたい衝動で胸が疼いた。美登里は聞き分けのない子供のように言った。「でも、行ってみたい!」
「だめだ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
「そういうアオはあの時、マウナ・ケア山の上にあの雲を見た時、言ってたよね?」
「え? 僕、何か言ってた?」
「言ってた。呼ばれてる気がする、って」
「……そうだっけ? 覚えてない」
「わたし、いま、あの時のアオと同じ気がするの。あの雲に呼ばれている。だから、お願い! 連れてって!」
アオは渋面を作って、しばし考えた末、言った。「わかった。連れてくよ。でも危なくなったらすぎ引き返すからね」
「うん!」
(つづく)
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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