第11話




 アオが釈放されたので美登里とノアと一緒にヒロに戻ることにした。

 ダニエル・K・イノウエ国際空港で出発までの待ち時間をフードコートでハンバーガー(アオの希望だ)を食べて過ごした。

「本当に覚えていないの?」

 巨人の中にいた時のことについて美登里が訊いた。

「覚えてない」ハンバーガーを食べながらアオは答えた。

「ぜんぜん?」

「うーん……」アオはちょっと考えてから、「ぜんぜん覚えてないわけじゃない。幻覚を見た」

「どんな幻覚?」

 FBIの取り調べで何度も訊かれて、話すのにうんざりとしていたが、アオは話した。煮えたぎるマグマの海に空から巨大な星が落ちてきて混じり合ったこと。その後、雲が生まれ、雨が降って、海が出来たこと。そこから島々が隆起したこと。その島に緑が芽生えたこと……。

 話を聞き終えて、ノアがぼそっと言った。「……ジャイアント・インパクトだな」

「なんですか、ジャイアント・インパクトって?」

「天文学で、初期の地球にテイアという星が衝突したという説だ。それによって月が生まれたと言われている。同様に、地球の水も氷を含む小さな惑星の衝突の結果だ、と」

「もしかして生命も宇宙から?」と美登里は訊いた。

「そういう説もあるね」

「でも、なんで僕、そんな幻覚見たのかなあ?」アオが他人事のように言った。「巨人=ジャイアントだから? でも、ジャイアント・インパクトなんて今まで聞いたこともなかった……」

「神話と関係はないのかしら?」と美登里が言ったのに、ノアが反応した。

「関係なくもないかな。天父神と地母神(sky father and earth mother)って知ってる? 天を司る父神と大地を司る母神のカップリングは世界中の神話に見られる。インド神話だとディヤウスとプリティヴィー、メソポタミア神話だとアヌとキ、ギリシア神話だとウラノスとガイア。ポリネシアにもある。マオリ神話のランギとパパトゥアヌク、ハワイ神話のワーケアとパパハナウモクがそうだ。エジプト神話ではなぜか性別が逆転して地父神ゲブと天母神ヌトだけどね。で、ジャイアント・インパクトと神話の関係性だが、原始地球と惑星テイアをぞれぞれ母なる地球と父なる天に置き換えてみたら、その衝突は結婚と言えなくもない」

「日本はどうなの? イザナギとイザナミは?」と美登里。

「どうなんだろう。ハマーシュタイン教授に訊いてみないとわからない。今度訊いてみよう」

 その時に一緒にジャイアント・インパクトのことも話して見ようとノアは思った。それが、ハマーシュタイン教授が探している天地創造説の原型の手がかりになってくれればいいのだが……。

 

          X


 アメリカ海洋大気庁(NOAA)、ドイツにある欧州宇宙機関(ESA)、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)などの宇宙天気予報局は異常な電磁放射を観測した。発生源は太陽方向なのだが、太陽表面に太陽フレアやコロナ質量放出といった活動は確認されなかった。ということは、太陽と地球の間にある未知の天体と思われるが、眩しい太陽の光のために観測することは不可能だった。そうした見えない天体の中には、地球と衝突する危険なコースをとるものもあるかもしれず、2023年にNSF国立光赤外線天文学研究所が発見した小惑星アステロイド2022AP7は「プラネット・キラー」と呼ばれていた。

 いずれにせよ、宇宙天気の悪化による、通信・放送、人工衛星、航空無線、電力への影響が懸念された。


          X


「何だって! 欠航だって?」

 ヒロ国際空港行きの便のチェックインを済ませて搭乗しようとしたところ、突然、全便欠航のアナウンスが流れて、アオは声を上げた。

「全便欠航なんてただごとじゃないな」とノアが言えば、

「もしかしてテロ予告?」美登里は怯えたが、それは杞憂に終わった。欠航の理由は空港管制部の無線システムに不具合が発生したせいらしい。いつ回復するかは現在のところわからないということだ。

「待つしかないか」覚悟を決めてノアが言った。

 しかし待てない乗客もいた。日見子・大熊の御一行だ。大熊は受付スタッフに日本語で噛みつき、カウンターを蹴り、それでも埒が明かないとわかると、モバイルでどこかに電話をかけた。

「急いでハワイ島に戻りたいんだ。何とかしろ!」

 日本語が通じてるということは日本語スタッフのいる現地の旅行会社のようだ。

「……プライベート・ボート・チャーター? おお、それでいい。で、場所は? うん……うん……」

 電話を切った大熊は美登里に気づいて声をかけた。「よお、姉ちゃん」

「こんにちわ」美登里は朗らかな笑顔でちょこんと頭を下げた。

「もしかして姉ちゃんたちもハワイ島に戻るのか?」

「はい」

「だったら一緒に戻ろうぜ。いいっすよね、姉御」

 と大熊に言われて、日見子は黙って肯いた。


 通常は釣りやダイビング、あるいはホエール・ウォッチングなどレジャーに使われることが多いという、爽やかな外観をした二階建てのクルーザーが波を切って走っていた。

 美登里は広々としたデッキから青い海原と緑の島影を眺めていた。1778年、キャプテン・クックがハワイ諸島(クックはサンドイッチ諸島と名付けた)を発見する遥か昔から、ポリネシア人たちは船で海を渡ってきた。南米のモンゴロイドは氷河期にアジアからアラスカに歩いて渡り、そこから南下したものと言われてきたが、最近ではポリネシアから南太平洋を船で渡ってきたのではないかとも言われている。ユーラシア大陸を歩いて広がったインド・ヨーロッパ語族には海を移動するという概念が欠落しているのだろうか。自分たちが大航海時代を迎えるまで、人類は海を移動したことはないと思っているのだろうか。

「美登里に頼みたいことがあるんだ」とアオが話しかけてきた。

「何?」

「あの日本人の女の人に訊きたいことがあるんだ」

「ああ、通訳ね」

「通訳もだけど……」アオは言いにくそうに、「彼女、僕と話してくれるかな?」

「え、どういうこと?」

「僕の乗った黒い巨人と彼女の乗った青い巨人って戦ってたんでしょ? ってことは、僕のことを敵と思ってないかな?」

「うーん。どうなんだろう。でも、思ってたら船に乗せてくれなかったと思う」

「そうだなあ」

「ここで悩んでてもしょうがないわ。当たって砕けろでいきましょう」


 2階デッキでギラギラと輝く太陽を見上げていた日見子は美登里に話しかけられて億劫そうに答えた。

「いいわよ。で、何を訊きたいの?」

 美登里の通訳で、アオは質問した。「僕はどうなってたんでしょう? 巨人を操縦してたってことないですよね?」

 日見子は嘲るようにアオの顔を見て、「それはない。人間に神を操縦できるわけがない」

「じゃあ、僕たちは何のため?」

「神々は長い眠りから覚めたばかりで現在の人間の文化を知らぬのだ。目の前のものが何であるか、どこに何があるか、その情報をおまえの記憶から吸い上げたのだ」

「えー! それって、もしかしてSDカードみたいなもの?」

 アオの言葉を伝えたが、日見子が何も答えてくれないので、美登里は気になって訊いた。「あの、SDカードってわかります? 携帯電話やゲーム機とかに使う――」

「わかっている」日見子はふてたように刺々しく答えた。「たぶんそんなところだ」

 アオは少なからずショックを受けた。「じゃあ、黒い巨人が天文台や発電所を壊したのは僕の記憶から? でも僕、どこにどんな発電所があるかなんて知らないよ」

「おまえが思い出せないだけで脳は記憶しているのだ」

「信じられない……」アオは納得できないようだったが、次の質問に移った。「僕たちは巨人のどこにいたの?」

「中だ」

「具体的にどこ? ここ? ここ? ここ?」アオは順番に頭、胸、お腹を指して尋ねた。

「中としか言えない」

「ひょっとして知らないの?」

 日見子は無言を貫いた。本当に知らないようだ。

「まさかgod's pocketってことはないよね?」

 美登里はgod's pocketを「神のポケット」と直訳して日見子に訊いたら、日見子からそれは何かと尋ねられた。美登里もわからなかったので、アオに質問すると、服のポケットもバッグもない時にものをしまう場所、と教えられた。

「たとえば?」

 アオは肛門とは答えられずに、「自分で考えて」と言うにとどめた。

 もやもやした疑問がすっきりするどころか余計にもやもやが増してアオは質問を終わらせた。次は美登里の番だった。「大熊さんたち、青い巨人を海幸彦って呼んでましたけど、それなら黒い巨人は山幸彦なんですか?」

「そうだ」と日見子は肯いた。

「日本の神様がどうしてハワイに現れたんですか?」

「海幸彦様も山幸彦もヤマトの神々ではあるがヤマトにおられたわけではない」

 日本の神々と言わずヤマトの神々と言ったのが気になったが、深く考えないことにした。

「そのヤマトの神がハワイにいるってこと、どこで知ったんですか?」

 日見子は頭上の太陽を指さして、「ヒノワカミヤからのお告げだ」

「ヒノワカミヤ?」

「イザナギ様のお隠れになられた場所だ。天の岩戸ともいう」

「天の岩戸って、天照大神じゃないの?」

「それは偽りだ。ヒムカの者どもが我々ヤマトの神話を奪い、作り変えたのだ」

「えっと……」知らない言葉も出てきて美登里は混乱してきた。「ヒムカって何ですか? ヤマトって日本と違うんですか? あなたたち、誰なんですか? ひょっとして隼人? 熊襲?」

「おいおい、熊襲はねえだろう」横で話を聞いていた大熊がむくれた顔で抗議した。「たしかに俺の名は大熊だが、熊襲ってのはヒムカの奴らが俺らにつけた蔑称だ。俺たちの本当の名はヤマトだ」

「でも、ヤマトって大和朝廷じゃ――」

 と言い張る美登里に、日見子が訊いた。「ヤマトタケルって知ってる?」

「は、はい」

「ヤマトタケルの本当の名は小碓尊ヲウスノミコト。ヒムカの神話では、小碓尊が熊襲を征伐した時、熊襲の長のクマソタケルからヤマトタケルの名を譲られた、と書かれてある。しかし、我々の神話では違う。小碓尊は我々ヤマトの国に戦を仕掛け、滅ぼした末、ヤマトという名前とその神話を盗んだのだ」

「えっ、えっ、えっ!」衝撃的な話で美登里は二の句が継げなかった。

 日見子の話は続いた。

「ヤマトは中国ではヤマタイと呼ばれた。そう、邪馬台国だ。ヒムカはヤマトから太陽の昇る方角にあった。日が向く方角、つまり東だ。ヒムカの者どもはヤマトの名を奪うと、我々をヒムカ、後には熊襲、服属してからは隼人と呼んだ」

「でも、どうして国の名前を奪うの?」

「『魏志倭人伝』に出てくる歴史ある国名を名乗ることで国内外にその正当性を主張するためだ」

 本当かしら? 美登里は日見子の言うことを信じていいのかどうか、判断がつきかねた。なにしろ美登里は歴史学者でも何でもない普通の女の子だ。歴女ですらない。大河ドラマも見たことない。そういうわけで、ハマーシュタイン教授が言ったように、邪馬台国が発掘されるまでは判断を保留することにした。

 日見子は次に、真のヤマト神話を話してくれた。

 天地の初めの時、世界は混沌としていた。そこに高天原からイザナギが降臨し、妣國ははのくにのイザナミと結婚した。ふたりから海幸彦様をかしらに八百万やおよろずの御子神たちが産まれた。神々のおかげでこの世は常世とこよの繁栄を見た。しかし、山幸彦がイザナギに反旗を翻した。両親を殺して、子供たちだけで世界を治めようというのだ。山幸彦は他の兄弟たちに共闘を求めた。応じた者もあれば保留にした者もいた。海幸彦は断固反対し、ここに神々の戦いがはじまった。この戦いで地上は荒廃し、それを嘆いたイザナミは黄泉國に籠ってしまった。最終的に勝利したのは山幸彦の軍勢で、イザナギは日之少宮ひのわかみや、すなわち太陽に封印されてしまった。

「しかし、イザナギ様は日之少宮から地上にいる我々にお言葉を送られた。それを受け取ることができる者を日読ひよみ月読つくよみと呼ぶ。月の光は太陽の光の反射だからな。邪馬台国の昔より代々受け継がれてきたわたしの名前、日見子は文字通り、日を見るむすめという意味だ」

 美登里はそれを聞いて、自分でも太陽が見れないか、空を見上げた。しかし眩しすぎてすぐに目を逸らした。

「やめておけ。普通の人間は太陽の光で目が潰れる」

「はい」美登里は謙虚に日見子の忠告に従った。「でも、日見子さんには見えるんですね。いまも見えますか?」

「いまは見えぬ」

「え!?」

「イザナギ様は日之少宮をお出になられた」

「ええ!」

「イザナギ様はまもなくお戻りになられる」

「戻るってどこに?」

「ここに、だ」

          X


 仮に「小惑星アステロイドX」と名付けられた謎の天体がいま、水星の軌道上を通過した。地球からはまだ見ることはできないが、それはただの小惑星ではなく、ハワイのティキの頭像、イースター島のモアイ、あるいは『クリムゾン・キング』のカバーアートを思わせる人面をしていた。それはこれまで太陽黒点と思われていたものだった。

 アステロイドXは強烈な電磁波を放ちながら、宇宙空間を威風堂々と地球に向かっていた。



                                 (つづく)


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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