第8話
曽之金は繰り返し繰り返し、クリムゾン・キングと呼ばれる人間の顔に似た太陽黒点の口の動きに見入っていた。何と喋っているのだろう? 口の開きから母音はわかるが、喋っている言語が何語かわからないので読唇術のプロでも解読は不可能だった。
その日は定時で帰宅した。伍主任のアドバイスに従ったわけだ。築三年の真新しいマンション。建物内は禁煙だ。曽の家はその6階。
「ただいま」
曽が帰宅するなり、妻の桂蘭が生後8ヶ月の娘・蘋果を抱いて迎えに出た。
「あなた、大ニュースよ!」と桂蘭がつぶらな目をキラキラ輝かせて言った。
「どうしたんだ?」
「蘋果が喋ったの! 早くない?」
赤ちゃんがいつ頃から喋りだすものか、曽はまったく知らなかったが、興奮している妻に合わせることにした。「うん、すごいな」
「でしょ?」
「で、何て喋ったんだ?」
桂蘭は自分では答えずに、娘に直に喋らせようとした。「さあ、蘋果。パパに聞かせて」
蘋果は無邪気な笑顔でこう言った。「アイヨ!」
曽は面食らった。というのも「
「ああ、なるほど」
謎が解けて、曽も笑った。両親の笑いにつられて、娘もきゃっきゃっと笑った。絵に描いたような幸福な家庭。
まてよ?
曽はふと思った。
子供は大人の言ってることを模倣して言葉を覚えていく。これは異なった言語を持つ異文化間のコミュニケーションでも同じではないのか? もし、そうなら……。
X
オートバイに乗るのは美登里は初めてで、振り落とされないか心配だったが、道はほぼ直線で、またタンデム用のシートバックが背もたれになっていて危なくはなかった。一番ほっとしたのは、ノアの体にしがみつかなくてもよかったことだ。ノアが嫌いというわけではない。異性と体を密着させるのがまだ恥ずかしい年頃だった。
ノアのオートバイはハーレーダビッドソンだった。
「ケイティ・ペリーの『ハーレーズ・イン・ハワイ』って知らない?」とノアに訊かれた。
「ごめんなさい、知りません」と美登里は正直に答えた。「いつ頃の曲ですか?」
「いつ頃かなあ。5、6年前かなあ」
「ああ、だったら私まだ子供だったんで」
カイルア・コナに入る手前で2台の警察車両と警官たちによって道路が封鎖されていた。
「ここから先には行けない。引き返すんだ」と警官に命令され、ノアはおとなしく引き返したが、こっそり横道に入ると、砂利道を土煙をたてながらカイルア・コナに向かて疾走した。
「こんなことして怒られませんか?」心配で美登里が訊いたら、
「見つかったら怒られるだろうね。でも、こうでもしなきゃ巨人のところに行けない」
「そうですけど……」
「とにかく行けるところまで行ってみよう」
「はい」
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太平洋上、西日で赤く染まった空は戦場の血の色を思わせた。水平線に沈みつつある太陽はなおも玉座からギラギラと威光を放ち、果てしなく続く黒い巨人と青い巨人の戦いを見守っていた。戦いの場は発電所近くから何も無い広い空き地に移っていた。発電所の被害は免れたものの、巨人たちは徐々に住宅街に近づきつつあった。住民は全員避難しているものの、建物に被害が出るおそれがある。そうならねばいいがと軍な警察が願っていたところ、青い巨人が倒れた黒い巨人の両足を両脇で抱えあげて、ぐるぐると回転させはじめた。プロレスでいうところのジャイアント・スイングだ。
「ま、まずい!」
青い巨人が手を離し、吹き飛ばされた黒い巨人は住宅街に突っ込んで、数軒の垢抜けた家々を破巻き添えにした。青い巨人はさらに黒い巨人を追って住宅街にずかずかと踏み込む。車は押し潰され、手入れの行き届いた庭は荒らされ放題だ。
「どうしますか? 攻撃しますか?」
「い、いや。我々が攻撃しても被害が広がるばかりだ……」
青い巨人が倒れた黒い巨人の体を引っ張って起こそうとした。しかし黒い巨人は逆に青い巨人をうつぶせの状態で肩に担ぎ上げた。
「また、ぶん回すつもりか?」
しかし、黒い巨人は青い巨人を担いだまま、住宅街から空き地へと移動し、そこで地面にちからい叩きつけた。そして、そのまま人家を避けて南西へ逃げ出した。青い巨人はよろよろと起き上がって、黒い巨人を追いかけだした。
軍のヘリが巨人たちを追いかけた。しかし夜になって、ホヌアウラ森林保護区の中で2体とも見失ってしまった。
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キイイイーという悲鳴のような鳴き声が森の中に響いた。
「な、何の声?」美登里が怯えた顔で訊くと、
「メンフクロウだよ」とノアが教えてくれた。
高さ2〜6メートルのハープウが生い茂る森の中は夏なのに涼しく、メンフクロウもそれに一役買っていた。
焚き火の火を起こしているノアを見ながら、美登里がぽつりと言った。
「電気がなかった時代、人間ってこうやって灯りをともしていたんですよね」
「そうだね。でも、ぼくみたいに点火器具は使わなかったと思う」ノアはおどけてそう言ってから、「発電所を壊したのはぜったいにアオの意思じゃない」
「どうして?」
「アオはゲームなしでは生きられないやつなんだ。だから巨人の意思だろう。アオは巻き込まれたんだ」
美登里もそう信じたかった。アオが悪い人とはどうしても思えなかった。「それにしても……黒い巨人と戦っている青い巨人って何なのかしら? 海から出てきたから海の神? ハワイに海の神様っています?」
「いるよ、ナーマカとか。でも、青い巨人がナーマカかどうかはわからない。それより、お腹減ってない?」
「ぺこぺこです」
「だったらご飯にしよう」
ノアはシートバックの中から紫色をしたペースト状のものが入ったビニール袋を取り出すと、その中身を木製のボウルに装い、スプーンと一緒に美登里に差し出した。
「夕食だ」
美登里は一口食べてみたが、なんともいえない味に顔をしかめた。「……これ、何ですか?」
「ポイ、だ」ノアは答えた。「ハワイの伝統料理。タロイモを蒸したやつだけど、どう?」
「酸っぱいです……」
「うんうん、みんなそう言うね。中には、壁紙用のりみたいだという人も」と言いながらノアは平気な顔でぱくぱく食べた。他に食べるものもなく、美登里も我慢して食べた。
「マウナ・ケア山は天空の神ワーケアと大地の女神パパハーナウモクの子供って話したでしょ」
「はい」
「ワーケアとパパハーナウモクには他にもホオホクカラニという娘がいたんだけど、ワーケアはその実の娘と交わって子供を作ったんだ。子供は死産だったけど、その子を埋めた場所から芽を出したのがタロイモだった、と言われている」
その話を聞いて、さらにポイが美味しくなくなったが、ノアはかまわず話し続けた。
「ちなみにハワイの島々もワーケアとパパハーナウモクの子供たちなんだ」
「神様が島を作ったという神話は日本にもあります」図書館で読んだ本にたしかそう書いてあった。神様の名前は覚えてなかったが、
「イザナギとイザナミだね」
ハワイ人のノアが日本神話のことを知っていたのに、美登里はびっくりした。
「どうして知ってるんですか?」
「大学で神話学を学んでたって言ったろう。ぼくの先生であるロジャー・ハマーシュタイン教授は比較神話学が専門でね、とくにパン・パシフィック神話の研究で名高いんだ。つまり、太平洋の神話だね」
「ハワイと日本の神話ってつながりがあるんですか?」
「うーん……」ノアは難しい顔で腕組みして、「あるのかもしれないし、ないのかもしれない。ほら、日本もハワイも島国で、火山活動も活発だろう。海底隆起で島が形成される過程とかが島生みの神話になったのかもしれない。とはいえ、類似した神話は太平洋の他の島々にもあって、海を渡って神話が伝播したという考えも捨てきれない。ハマーシュタイン教授は太平洋のさまざまな神話に共通する天地創造説の原型が見つかるのではないかと期待して研究を続けてるんだ」
「見つかるといいですね」
「うん」とノアは少年のように屈託なく笑った。
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明け方、美登里はけたたましいヘリコプターのローター音で目を覚ました。
見上げると、蜂の大群のような編隊を組んだ軍用ヘリコプターが東に向かって移動していた。
「巨人が見つかったんですか?」美登里は先に目覚めてモバイルを見ていたノアに訊いた。
「ニュースでは何も言ってないけど。たぶんそうだろう」ノアはモバイルをポケットに仕舞って、「追いかけるよ」
「はい」
軍用ヘリが向かっている先には眩い朝日を背にした黒い山影が見えた。標高2521メートルのフアラライ山だ。
狭い林道、ノアと美登里のハーレーの前を黒塗りのジープが走っていた。ジープのサンルーフから男が二人、上半身を出していた。黒い背広を着たパンチパーマとスキンヘッドの男たちで、どう見ても日本のヤクザだ。
かかわりあいになっちゃダメ。
日本人なら誰だってそう思うが、ハワイ人のノアはそうではなかった。スピードをあげると、よりによってクラクションを2度も鳴らして、ジープの横をすり抜けた。
美登里の顔から血の気が引いた。きっとヤクザはノアがあおったうえ、追い越したと思うだろう。ヤクザが黙っているはずがない。鬼の形相で追いかけてきて、追突して、そして殺されるに違いない。美登里は震えながらノアの背中にしがみついた。
しかし、それは美登里の杞憂に終わった。
怖くて振り返ることはできなかったが、ジープのエンジン音は遠ざかった。怒りのクラクションの音も聞こえなかった。美登里はほっと安堵した。
X
ぽつぽつと緑に覆われているものの、火山岩でできた赤い地面に穿たれたクレーター群を見ていると、まるで月か火星の上空を飛行しているような錯覚におそわれた。
「目標を確認!」
ヘリのフロントガラス越しに、逃げる黒い巨人と、追いかける青い巨人が見えた。周囲に建物はまったくない。
「これより攻撃を開始する!」
AH-64 アパッチからヘルファイア・ミサイルやハイドラ70・ロケットが巨人たちめがけて次々に発射された。
しかし、巨人たちの動きを止めることはできず、2体はフアラライ山頂に達し、もつあれあったまま、すり鉢状の火口の縁から底へと滑り落ちた。AH-64 アパッチはなおもミサイルやロケットを射ち続けたが――
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森園賀津雄は10分おきにモバイルの画面を見てはため息をつき続けた。昨夜、「心配しないで」というメッセージの後、娘・美登里からの連絡が途絶えている。
アオのことが心配なんだろうとは思うが、かといって日本から来た娘に何ができる。どうしているのかは知らないが、無事でいてくれたらと願う。しかし、その無事を確認できるのは、娘からの連絡以外にない。
「大変!」
地震観測データをモニタリングしていたケイ・ギルモアが悲鳴のような大声をあげた。
「どうした?」上司のハンク・フォアマンが尋ねる。
「見て、これ!」とケイはモニタに映った不穏な波形を示し、賀津雄もハンクと一緒に見た。そ!まで真っ平らだった直線が突然狂ったように上下に振れていた。
「どこだ!」
「フアラライ山よ!」
X
フアラライ山の火口から巨大な火柱とともに大量の煮えたぎったマグマがほとばしった。
「緊急回避! 緊急回避!」
AH-64 アパッチは飛んでくる噴石を避けるため、全機、火口付近から退避した。
赤と黒の噴煙越しにかろうじて見えたのは、マグマの池と化した火口の底で、人間の武器ではびくともしなかった巨人たちが、あっぷあっぷともがきながら、地獄の底へ呑み込まれてゆく姿だった。
X
ノアと美登里はフアラライ山の噴火を呆然と見ていた。巨人たちはどうなったんだろう? アオは無事なんだろうか? 溶岩流は? 麓の町を襲わなければいいが......。さまざまな思いが頭をよぎった。
と、火口から2個の発光体がこちらへ向かって飛んでくるのが見えた。
「噴石かな?」
2つの発光体は鮮やかな赤い花を咲かせたオヒアレフアの茂みをクッションにして、地面に静かに落ちた。その形状は、卵に似ていた。銀色に光り輝く金属の卵。その卵の殻がぱっくりと割れた。卵の中に現れたのは――
「アオ!」
マウナ・ケア山でいなくなった時の格好のままだった。胎児のように身体は丸まっている。
ノアはアオに駆け寄って身体を揺すった。
「アオ! しっかりしろ!」
美登里も駆け寄り、アオを見た。反応がないのに、「大丈夫ですか?」と心配して訊いた。
ノアはアオの息と瞳孔を確かめ、「死んではいない。でま心配だ」
もうひとつの銀色の卵からは、さらし姿の若い女性が現れ、さきほど追い越したヤクザたちが、「姉御! 起きてください、姉御!」と声をかけていた。
アオを病院に連れていかないと!
美登里のアオを助けたい気持ちは、日本にいたならぜったいにしなかったであろう勇気を奮い立たせた。美登里はヤクザのところに行き、「友達を病院に連れていきたいんです! ジープに乗せてくれませんか!」と日本語で直談判した。
ヤクザたちはポカンとして顔を見合わせた。長髪を後ろで束ね、もじゃもじゃの髭を生やし、黒いサングラスをかけたプロレスラーみたいな大男がすくっと立ち上がって美登里に訊いた。「お姉ちゃん、日本人かい?」
「は、はい!」美登里は頑張ってそう答えたが、怖さで足はガタガタ震えていた。
「こっちも病院に用事があるんだ。どこかいい病院知らないか?」
「ノアが知ってると思います」
「そうか」大男はサングラスを外すと、ニカッと微笑んだ。「だったら一緒に行こう。後部座席に乗せな」
「あ、ありがとうございます!」美登里は深く頭を下げて、アオのところに戻った。そこに、
「フリーズ!」
という声がした。振り返ると、サブマシンガンを構えた迷彩服を着た兵士たちが美登里たちの周りをぐるりと取り囲んでいた。
(つづく)
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