第7話
「ガリレオ・ガリレイが太陽黒点を観察するずっとずっと前、紀元前に初めて太陽黒点の観察をしたのは中国の天文学者だ」
ふさふさの白髪、まるまると太った伍家廉主任は、ロバ肉とピーマンを皮がパリパリの焼餅でハンバーガーのように挟んだ驢肉火焼を手づかみで食べながらそう言った。
「どういう意味ですか?」と曽乃金が尋ねると、
「中国は天文学の後進国じゃないということさ」と言って伍主任はにこっと笑った。「小曽、西洋の学者たちは君の大胆な仮説を嘲笑うかもしれない。あるいは、ありえないと否定するかもしれない。しかし、考えてもみろ。ダーウィンだって、ガリレオだって、ケプラーだってみんなそうだったんだ」
「そんな偉人たちと一緒にされるとは恐縮至極です」と曽はおどけて拱手した。
「いや、いや、わからんぞ。百年後二百年後、おまえは地球を救った英雄として称えられるかもしれない」
曽乃金は太陽黒点ILPS9111、通称クリムゾン・キングの口に見える部分が開いたり閉じたりしているのは太陽フレア、つまり太陽面の爆発ではないかと考えた。もしそうなら、太陽フレアに伴い電磁波を放射しているのではないか。そこで太陽観測衛星の観測データを念入りに解析したところ、それらしいX線の増加を確認した。それは口が開いたときに生じていて、グラフにしてみると規則性のある波形が認められた。さらに遡って、同じ波形を探し、その時間の黒点の変化を確かめると、やはり口にあたる部分の開閉を確認できた。
偶然なんかじゃない。太陽がメッセージを送っている。ひょっとしたら、SOSメッセージ?
「伍哥」曽乃金は伍主任の目をじっと見つめて訊いた。「太陽に知性があると思われますか?」
伍主任は熱いプーアル茶をずずっと啜ってから、「我々と太陽と何が違うんだ?」
「え?」
「どちらも元素でできているぞ。元素組成は多少違うけどな。はっはっは」と伍主任は豪快に笑った。「それより小曽、家には帰ってるか?」
「いえ、あんまり」
「娘さん、産まれたばかりだろ?」
「そうですが……」
「帰ってやれ。奥さんも子供も喜ぶぞ」
「はあ……」曽乃金はため息まじりに肯いた。
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ヒロに着いたら雨でじめじめしていた。
「まったく困ってたんだよ、車がなくて。しかも機材を積んだまま」と恨み言を言うアオの叔父、ノア・アカナは美登里が想像していたよりもずっと若い、長髪でイケメンのお兄さんだった。ノアは美登里の目を見て、「で? アオのことで話があるって、どんな話?」
「それが……」
美登里が話し出しに苦慮していると、父親の賀津雄が代わりに喋りだした。
「その車はいまマウナ・ケア山にあります」
「マウナ・ケア山のどこ?」
「口では説明しにくいなあ。紙とペンありません? 簡単な地図を書きますから」
賀津雄が地図を書いている間、美登里はずっとうつむいたままだった。アオのことをどこまで話したらいいいか、ヒロに着くまでの間、美登里は父親と質疑応答の練習をしてきた。美登里の質問に父親がアオのおじさんの立場になって答えるのだが、まったく信じないか、アオが死んだと思って悲しむか、心配して警察に駆け込むかで、いまは何も言わないでおこうという結論に達した。美登里としては心残りで、その気持がダイビング・ショップを立ち去る時、美登里にこう言わせた。
「あの……念の為、わたしの連絡先お教えしときます。もし何かあったら連絡ください」
思い詰めた顔で深くお辞儀する美登里にノアは脳天気な笑顔で答えた。「オーケー、そうするよ」
ダイビング・ショップを出て、父娘はひとまず自宅に戻った。
「疲れたろう。ゆっくり休みなさい」と言った賀津雄は着替えもせずにまた出かけようとする。どこに行くのか、美登里が尋ねたら、
「火山観測所だ」と賀津雄は答えた。「ちょっと気になることがあってね」
ケイ・ギルモアはランチに出ていて、ハンク・フォアマンがひとりで留守番をしていた。
「娘さんは?」とハンクに訊かれて、賀津雄は嘘をついた。「病院に行って、薬をもらって、それ飲んで、どうにか熱はおさまった」
「そりゃ良かった。そうそう、おさまったといえば、ケアラケクア湾沖の共振もおさまったよ」
「何だって!」賀津雄は驚いて声を荒げた。「おさまったのはいつ?」
「だいぶ前……」ハンクはテイクアウトのキャラメル・マキアートをのんびりと飲みながら答えた。「もう一つ、ヒロ北部のは残ってるが、1つだけだからもう共振とは言えないな」
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いつもは車がスムーズに流れているクィーン・カアフマニュ・ハイウェイが今日にかぎっては大渋滞だった。いつまでたっても動かないのに、ぴかぴかに磨かれたクリーム色のオープンカーに乗ったカップルは苛立って、
「早く動けよ!」
男がクラクションを鳴らしまくった。
車の間を汗をかきかき走り回っていた警官がやってきて、
「降りた、降りた! いつまで待っても動かんよ。さあ、歩いた歩いた」
と指示した。
理不尽なことを言われているわけではないのはわかる。ワイメアとホノカアで暴れまわった巨人がこの町に近づいているのだから。とはいうものの何か言わずにはいられない。
「畜生、この車、一か月も乗ってないのに!」
と男は悪態をついた。助手席のトロピカルな花がら模様のワンピースを着たショートヘアの彼女も負けずに、「こんな時、車が使えないなんてどういうこと!」と不満を漏らした。
とはいえ命が大事なので二人は車を捨てて歩いて逃げることにした。
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ハワイ島で直接指揮を取ることにしたキース・H・タワーズ中将を乗せたC-40Cはコナ国際空港(正式名称はエリソン・オニヅカ・コナ国際空港)に着陸態勢に入った。滑走路は1つきりだが、その長さはハワイ諸島ではホノルル空港に次ぐ長さだ。
「こちらザ・クリッパー。これより着陸する」
「ザ・クリッパー。了解――い、いや、だめだ!」とマニュアル通りの応答が急に狼狽えて声が裏返った。「着陸不能! 着陸不能!」
「何だ?」と機長が呆れたように言った。
「何でしょうね」と副機長は答えて、コックピットの窓から右下の海を見て仰天した。「きょ、巨人だ! 海から巨人が!」
「何だと!」
マカコ湾に姿を現した巨人はずぶ濡れのまま、コナ国際空港に上陸した。そのボディは黒ではなく青かった。青い巨人は陸地の感触を確かめたいのか、両方の膝に手を当てて腰を落とすと、まず左足を高く上げ、大地を強く踏みしめた。次に右足。それを数回繰り返してから、ボディにびっしりと張り付いていたフジツボや海藻を擦り落としはじめた。
C-40Cの窓からそれを見ていたキース・H・タワーズ中将は同乗していたニューマン大佐に問うた。
「これはいったいどういうことだ!」
「わ、わかりません……」
タワーズ中将は叱責するように、「巨人が2体もいたということか!」
「そ、そのようです……」とニューマン大佐は泣きそうな声で答えた。
「何てことだ!」タワーズ中将は頭を抱えた。「巨人1体でも手に負えないのにもう1体現れるなんて!」
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美登里のモバイルにノアからテキストメッセージの連絡が入った。「ふたりきりで話したいことがある」
SMSでどこで会うかやりとりした。美登里が地理に詳しくないことを告げると、アオから父親のことを訊かれた。仕事に出かけていると伝えると、だったら家まで行くと言われた。
20分後、ノアがやってきた。黒革のライダースジャケット姿で、その前面にはワッペンがべたべた貼られていた。雨はもう止んだのだろう、服は濡れていなかった。
「話ってのはアオのことだ」応接室のソファに座るなり、ノアは話を切り出した。「さっきはお父さんがいて喋りたくても喋れなかった? 違うかい?」
「はい、そうです」美登里は正直に肯いた。「でも、どうしてそれがわかったんですか?」
「アオはYouTubeやっててね。最後の投稿で君のこと話してた。君はアオのガールフレンドなんだってね?」
「ち、ち、違います!」美登里は顔を真赤にして反論した。「わたし、彼のガールフレンドなんかじゃありません!」
「そうなの」ノアはひょいと肩をすくめて、「まあ、それはいいとして、君とアオが、いまハワイ島のあちこちで暴れている巨人を発見したというのは本当なんだよね?」
「は、はい」美登里は肯いた。
「で、いまアオはどこにいるの?」
「アオさんは――」美登里はノアに事件の一部始終を話しだした。話している間、ノアは軽く相槌を打つだけで、質問や疑問はいっさい挟まず、黙って傾聴してくれた。
話し終わったところで、ノアは大きく肯いた。
「アオさん、どうなったんでしょう?」と美登里の方から訊くと、
「アオ、でいいよ。呼び捨てで。僕のことも、ノア、でいい」
「は、はい」
「で、アオがどうなったかだけど、率直に言って、わからない」
「そうですか……」美登里は残念そうに言うと、独り言のように、「でもあの巨人っていったい何なのかしら? 最初見た時は古代ハワイ人が作った巨人像だと思ったんだけど、それが動き出すなんて……」
ノアがぼそっと言った。「もしかすると、山の神かもね」
「山の神?」
「マウナ・ケア山は、天空の神ワーケアと大地の女神パパハーナウモクの間に生まれた山の子供なんだ」
「あ、それ! アオさん――いえ、アオも同じこと言ってました」
「ぼくがアオに教えたんだ。こう見えて僕、大学で神話学を学んでてね」ノアは自嘲気味に笑うと、ソファからすくっと立ち上がった。「お邪魔様」
「もう帰られるんですか?」
「うん、これから巨人を追いかける。そうすればアオと会えるような気がするんだ」
「だったら――」美登里は躊躇なくノアに訴えた。「私も連れてってください!」
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青い巨人はターミナルビルの横を通り抜けてコナ国際空港から出ると、クピピ・ストリートを越え、障害物となる建物があれば遠慮なく破壊し、駐車場やレンタカー会社に停めてあった車は踏み潰しながら、発電所へ向かった。
一方、黒い巨人は建物や道路を避けながら反対方向から発電所にゆっくりと近づきあった。
青い巨人が突然立ち止まり、黒い巨人に向かって両手を大きく広げた。
「何だこいつ、再会を喜んでいるのか?」
M240機関銃を搭載したハンヴィーで発電所前に待機していた兵士たちはそう思った。
しかし、そうではなかった。青い巨人は腰を低く屈めて、地面に手をつくと、黒い巨人に向かって突進をはかった。黒い巨人は青い巨人の体当たりに吹き飛ばされ、尻もちをついた。青い巨人はさらに黒い巨人の首に手を巻いて、豪快に投げ飛ばした。
予想もしなかった展開に兵士たちは唖然となった。
「何だ、こいつら仲間じゃないのか?」
「ひょっとして青はおれたちの味方で、黒を止めてるのか?」
「だといいんだが」
青い巨人は黒い巨人を掴んでは投げ、掴んでは投げを繰り返した。
「黒はやられっぱなしだ」
「圧倒的に青が強い!」
「そうかな。黒が抵抗してないだけじゃないのか?」
青い巨人がさらなる投げを仕掛けようとしたところで、黒い巨人がはじめて反撃に出た。投げられまいと青い巨人に抱きついたのだ。そのまま逆に引き倒そうとする黒い巨人と、引き剥がそうとする青い巨人との間でじりじりとした膠着状態が続いた。
「どうします?」兵士のひとりが上官に指示を求めた。
「どうするもこうするも、われわれの武器では歯がたたない。しばらく静観するしかない」
(つづく)
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