第5話




 森の静けさをけたたましいローター音が掻き乱し、草むらは強風に吹き飛ばされまいと必死に地面にへばりついていた。着陸した輸送ヘリコプター・CH-47チヌークから降りてきたのは迷彩服の上に赤いハンティングベストを着込んだハワイ陸軍州兵の兵士たちで、全員が重そうなバックパックを背負っていた。上官の簡単な指示の後、兵士たちは森の中に分け入った。吊り橋を抜けると、そこから先は道なき道で、高さ15メートルを越えるアカシアコアの葉叢が日差しと影を入り乱らせ、兵士たちを苛つかせた。


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 前線基地は、滑走路が1本しかないワイメア=コハラ空港のラウンジに設けられた。部屋の中にはクルーカットの兵士たちが詰め、緊張した顔つきでノートパソコンとにらめっこをしていた。

「足跡でしたらワイコロア貯水池までは確認できました」迷彩服だらけの人々の中でひとりだけネイビーブルーの警察の制服を着たゴールディ・ウルフ署長が指揮官のトッド・ハンター中尉に報告した。

「うむ」ハンター中尉はこくりと肯くと、テーブルの上に広げてあった地図を見て、呻くように言った。「その先は森林地帯か。厄介なところに逃げ込んだな」

「そうなんです。山狩りするにも範囲が広すぎて……」

「広さもだが――」ハンター中尉はこれみよがしに手首に巻いていた多機能の高級軍用腕時計を見て、「間もなく日が暮れる。ただでさえナイトハンティングは危険なのに、獲物の正体は巨人なのか、兵器なのか、モンスターなのか皆目不明ときている。日没でいったん打ち切ろう」

 アフガニスタンに派遣された経験がハンター中尉にそう言わせた。クナール州の森林でタリバンの山狩りをしていたが、待ち伏せに遭い、部下を数人失った。

「ということは、朝まで何も手は打たないってことですか?」ゴールディが訊いた。停電もあり、住民たちが不安に耐えられるか心配だったのだ。

「そんなことはない。夜間パトロールは必要だ。いつ敵が森から出てくるともわからんからな」

「それは、もちろん。しかし、捜索は?」

「空から続けるさ」


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 多目的ヘリコプター・UH-72Aラコタがコハラ森林保全区の上空を飛行していた。日中なら豊かな緑や小川、滝といった美しい自然が見られたのに、今は不気味なくらい真っ暗て何も見えなかった。しかし機には赤外線ビデオ機器が装備されていた。小動物は無理でも巨人ならいたら見逃さないはずだ。

 捜索は夜を徹して続けられた。しかし、巨人を発見することはできなかった。


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 ちぎれ雲が朝焼けでところどころ朱く染まっていた。ワイメアから北東に20キロほど離れたホノカアはまだ眠りの中にあった。

「19号線が通行止めなんだって?」午前6時の開店前、品出しをしていた店長のジョシュアが訊いた。

「そうらしいね」新鮮な卵の納品に来ていたホーさんが答えた。眠そうな顔をしているのは、厚い目蓋のせいだ。映画や漫画のチャーリー・チャンによく似ていて、ジョシュアはたまに間違えて、チャンさん、と呼んでしまうこともあった。

「やっぱり、あのせいなのかな」ジョシュアは言いづらそうに言った。「昨夜テレビのニュースでやってた……巨人のせい……」

「だと思うよ」ホーさんはもっさりと肯いた。

「あんた、巨人なんて信じられるかい?」

「中国にはね、耳は虚、目は実、と言うことわざがある」

「確かにな。フェイクニュースがはびこってる時代だからこそ、自分の目で見ないと信じちゃダメだね」

 ズン!と床が揺れ、棚に並べられていたワインボトルの中身が波打った。

「ま、まさか……」

 ジョシュアとホーさんは店の外に飛び出した。

 店のすぐそばの林の端に巨人が立っていた。ニュースで見たのと同じ巨人だった。赤い車が一台こっちに向かって走ってくるのが見えた。

「危ない!」

 ジョシュアは道路に飛び出して、車に向かって大きく手を振った。ドライバーは巨人に気づいてすぐにブレーキを踏み停車した。

 それを待っていたかのように、巨人は道路を横断しだした。車にもジョシュアたちにも目もくれず、堂々とした歩調で、巨人は道路を渡りきると反対側の林の中に消えた。


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「何だと! ホノカアに現れただと!」

 連絡を受けたトッド・ハンター中尉の顔色から血の気がまるみる引いていった。ホノカアはまったくのノーマークだったからだ。

「ホノカアのどこだ? なに、発電所? またか……」

 これで巨人は、マウナ・ケア山頂の天文台群を破壊した後、ワイメアとホノカアで連続して発電所を襲ったことになる。となると、次もまた発電所が狙われる可能性が高い。

「近くにある発電所を調べろ!」

 ハンター中尉の命令で兵士たちはノートパソコンで発電所の情報を調べはじめた。その間、ハンター中尉は苛立ちを隠せず、無意識に爪を噛みだした。そんな彼に声をかけるのは躊躇われたが、ゴールディ・ウルフ署長は勇気を出して話しかけた。「天文台や発電所ばかりを襲っているということは、あの巨人はそれが何かを知ってるってことですよね?」

「どういう意味だ?」ハンター中尉はゴールディを睨みつけて訊いた。

 ゴールディは怯むことなく、「つまり、攻撃目標としているってことです。電力インフラの破壊というと軍事的意図を感じますが、どうでしょうか?」

「私を軍人とわかって質問しているのだよね?」

「差し出がましいとお怒りでしたら申し訳ありません」

「そうは思わん。言いたいことがあってら遠慮なく言いたまえ」

「じゃあ言わせていただきます。あの巨人はロボット兵器の可能性が高いと思います。ドローンみたいに遠隔操作してるのか、中にパイロットが搭乗しているのかはわかりませんが」

「その可能性はなくもないが、ひとつ大きな疑問がある」

「何でしょうか?」

「なぜハワイ島なんだ?」

「……それはどういう意味ですか?」

「なぜオアフ島じゃないのか、という意味だよ。米軍のハワイの軍事拠点はハワイ島ではなくホノルルのあるオアフ島だ。軍事的観点からハワイ島を攻撃する意味はあまりない」

「じゃあなぜ発電所ばかり……」

「電気エネルギーを餌にしているのかもしれない」

「餌……」

「べつにあれが生き物だとは思っていないがね」

 ハワイ島には原子力発電所がないことがハンター中尉にとってはせめてもの慰めだった。ハワイ島は地震や津波が多いので法律で原子力発電所の建設が禁じられていた。

「ハワイ島の発電所マップです」部下がノートパソコンの画面にハワイ島の地図を表示した。「赤い点が発電所です」

 ハンター中尉は画面の地図のワイメアからホノカア、さらに東海岸沿いに指でなぞって、ヒロの手前の赤い点で指を止めた。「ここはどこだ?」

「ペペエケオです」

 ハンター中尉はそこを指でトントンと2度軽く叩いた。「次に巨人が襲うのはここだ。我々はここで巨人を迎え撃つ」


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 カワイハエ・ロードの通行止めが解除された。前日、山側の190号線が通行止めだったので引き返し、遠回りだが西海岸沿いに19号線を北上し、そこからワイメアを目指そうとしたのだが、そこもまた通行止めで車中泊を余儀なくされた森園賀津雄と娘の美登里だったが、ようやく車を走らせることができた。青空の下、前方にコハラ山脈、見渡す限りの平原にはカートゥーンのロードランナーそっくりのひょろ長い木々がぽつんぽつんと立っていた。

「朝のニュースだと巨人はワイメアの東のホノカアに現れたって言ってたけど……」と美登里が言った。

「心配するな。この道をまっすぐ行けばワイメア、さらに行けばホノカアだ」勤め先の火山観測所には娘が病気で、と嘘をついた。もっとも巨人の中に知り合いの男の子が乗っているという美登里の話を病気と診断する医者もいるだろう。

 道は空いていて快適なドライヴとなった。賀津雄がカーオーディオで音楽をかけたら、美登里から「何?」と訊かれた。

「オアシス」と賀津雄は答えた。

「アーティストが誰かを訊いているんじゃない。どうしてかけたの?」

「おまえの緊張をやわらげるためだ」

「ああ、そう」

 美登里がそれ以上何も言わなかったので、音楽はかけっぱなしにした。

 20分ほど走って、ワイメアの手前、周囲に民家のない場所で、賀津雄は向かって左側の高原を黒い巨人がのしのしと右方向に歩いているのを目撃した。

「ど、どうしてこんなところに!」賀津雄は仰天した。「ニュースじゃ、ホノカアからヒロに向かってるって言ってたのに!」

 まさか、わたしがここにいるのを知って戻ってきたってことないわよね?

 と美登里は考えたが、すぐに否定した。

 それはない。だってわたしがここにいること、わかるわけない。それよりも――

「止まらないで!」

 まるで賀津雄の心理を見透かしたのように美登里が叫んだ。賀津雄が止まろうか止まるまいかと躊躇している間にも車は進み、ええい! どうにでもなれ!と賀津雄は覚悟を決め、そのまま車を走らせた。対向車が、よせ! 引き返せ! と言わんばかりにクラクションを鳴らしたが、賀津雄は止まらず、相手のドライバーにはありがとうのハンドサインを送った。

 報道から、巨人は荒々しい破壊者のような存在だと勝手にイメージしていたが、実際に見る巨人は日本の大仏や観音像、あるいはパルテノン神殿のアテナ・パルテノスのように、穏やかで、神々しかった。

 巨人は賀津雄たちの500メートルほど前方で、二車線の道路を渡った。

「パパ、停めて!」美登里が叫び、賀津雄は条件反射的にブレーキを踏んだ。

 車が停まると、美登里は車から飛び出し、車の前を回って路肩に出て、歩き去る巨人にありったけの大声で叫んだ。

「アオさーん!」

 しかしその声は巨人に届かなかったのか、巨人は草原を南方向に直進を続けた。

 それでも美登里は叫ぶのをやめなかった。

「アオさん! お願い! これ以上、町を壊さないで!」


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 国際会議で国境を越えた天文学者の一致協力を訴えた曽乃金だったが、まずNASAが拒否してきた。中国または中国所有の企業と二国間活動をしてはならない、という法律がその理由だった。そのため、NASAの太陽観測衛星SDOのデータを使うことはできかったが、中国のASO-Sや日本の〈ひので〉などで問題の太陽黒点ILPS9111、通称クリムゾン・キングの観測を続けることができた。

 曽乃金の机の上には毛糸で編まれたファンシーな動物たちのぬいぐるみが並んでいた。天文台の中では、電波観測に支障をきたさないようモバイルの使用は禁じられていて、暇つぶしのゲームができない。そこで始めたのが、かぎ針を使って毛糸でぬいぐるみを編む〈編みぐるみ〉だった。指を動かすことで脳が活性化されるし、心の平安も得られるしで、良いこと尽くめなのだが、男らしさ・女らしさにこだわる党に知られたらお咎めがあるかもしれない。

 と、モニターに映っていた高解像度のクリムゾン・キングの動画に変化が見られた。

「えっ?」曽乃金はその動画が信じられず、目をぱちぱち、しばたたかせた。

「……気のせいかな?」

 曽は寝不足の疲れ目が見た幻覚かと思い、まぶたを軽く揉みほぐし、もう一度、動画を見た。

 幻覚ではなかった。クリムゾン・キングの口にあたる濃い部分が開いたり閉じたりしていた。まるで何かを語りかけているようだった。


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 潮の香り、磯に打ち寄せる波の音……椰子の木こそないが、そこは大熊壮介の故郷とよく似ていた。ハワイ島西海岸コナ南部にあるプウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園。古代ハワイ人の聖地で、カアフマヌ・ストーンや溶岩樹型は大熊たちが儀式に使っている縄文時代のストーンサークルを連想させた。古代ハワイ人と縄文人にどんな関係があるのか、日見子に訊いてみたかったが、日見子はいま、それどころではなかった。空を見上げて、太陽のお告げを受けている最中だった。人間は直接肉眼で太陽を見れないし見てはいけない。怖いもの知らずの大熊でさえ、太陽を見る時はサングラスをかける。しかし、日見子は違った。日見子は裸眼で太陽が見れるのだ。日見子だけでない、日見子の先代も先々代も、皆それが出来た。だからこそ彼女たちは〈日見子〉の名前を襲名できたのであるが。

 日見子が下を向いて、ふうとため息をついた。

「お告げはどうでしたか、姉御?」と大熊が訊くと、

「時は来た」と日見子は静かに答えた。いつも通りの無表情だが、唇の端がわずかに微笑んでいるようにも見えた。

「おお、そうですかい!」大熊は嬉しそうに手の関節をボキボキ鳴らせた。「そいつは楽しみだ」

 日見子は軽く肯いて、それから北の空を見た。ケアラケクア湾の上空だろうか、雲が集まって積乱雲を作りつつあった。

「行くよ」日見子はそう言うと、肩で風を切って、公園出口に向かって歩き出した。


                                 (つづく)

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