第4話




 すぐ前の座席にいた、金髪で眼鏡をかけた男性と顎髭をたくわえたおそらくラテン系の男性との間で次のような会話が交わされていた。

「ハワイの天文台群とのネットワークのトラブルは回復したのかな?」

「いや、まだらしい。関係機関は必死で復旧をめざしている。ところで、そのことに関して、いまネットで変な画像が流れてるのを知ってるか?」

「どんな画像?」

「えーと……」眼鏡の男はモバイルを取り出して、動画の検索をはじめた。

「これだ、これ。見てくれ」

 眼鏡の男は興奮した様子で顎髭の男にその動画を見せた。最初に巨大な黒い柱が画面を過ぎって消えた。慌ててカメラが追いかけて、それは足だということがわかった。しかし、人間の足ではなかった。くびれがなく、象の足のような寸胴な足。カメラがズームアウトすると、その足の持ち主の全体像が明らかになった。それは、ヒト型の巨大な像だった。巨人像は2本の足で、のっしのっしと天文台群の方に歩き去った。

「よくできた動画だ」と顎髭の男が心得顔で頷いた。「指数関数的に発展するAI技術には本当に驚かされるよ。本物とフェイクの見分けがつかない」

「でも、コメント欄を見ると、信じてるやつらが多いんだな」

「困ったもんだ」

 その会話を真後ろの席で聞いていた中国人天文学者・曽乃金は思った。

 中国だったら、その手の動画は、フェイクだろうが真実だろうが、検閲で速攻バンされる。中国人民の心を混乱させる、という理由から。でも、いまの俺は、重要なスピーチを控えていて、自分自身の心の平安を保つのにせいいっぱいの状態だ……。

 10分後、時間がきて、国際天文学ネットワーク(IAN)の緊急会議がはじまった。

 開会の挨拶に続いて、議長から名前を呼ばれた曽乃金は緊張した面持ちでステージに向かった。演壇に立つと、世界102カ国から集まった名だたる天文学者たちの視線を一身に浴び、この場から逃げ出したい衝動に襲われた。もちろん、そんなことはできない。曽乃金は大きく深呼吸をしてから、英語でスピーチをはじめた。

「すでにお気づきの方もおられると思いますが、太陽黒点ILPS9111、通称クリムゾン・キングについて重大な発見がありましたので、ご報告いたします」

 ステージ後ろのスクリーンに、太陽黒点クリムゾン・キングの画像が大きく映し出された。その形状は、名前の由来となったロックの名盤『クリムゾン・キングの宮殿』のアルバムジャケットに描かれた、大きな鼻の穴と喉彦まで見えるくらい大口を開けたヒトの顔によく似ていた。

「この独特の形状にくわえて、クリムゾン・キングには他の太陽黒点では考えられない不可思議な点があります。ひとつは、膨張と収縮を繰り返してその大きさを変えていること」

 画面が変わった。宇宙望遠鏡で撮影された太陽表面の動画。真っ黒な宇宙を背景に、オレンジ色の円い太陽の表面に点在する太陽黒点のうち、ひとつが膨らんだり縮んだりしている。

「ふたつめは、クリムゾン・キングが静止していること」

 さきほどの動画が倍速で再生される。ほとんどの太陽黒点は左から右に移動しているのに、クリムゾン・キングだけが動かず、同じ位置――地球から見るとちょうど正面の位置に静止している。

「太陽は自転していますから、本来なら、他の太陽黒点のように、東から西へ移動するはずなのですが、クリムゾン・キングはそうはしない。静止しているように見えますが、実は太陽の自転とは逆方向に移動しています」

「そんなバカな!」前から5列目の席にいたスキンヘッドの男が声をあげた。「そんなことはありえない。ひょっとして、それは太陽黒点ではなく、彗星か何かじゃないのか? あるいは何かの影が太陽表面に投影されているとか――」

「そうであればいいのですが、残念ながらそうではありません」曽乃金は静かに反論した。「クリムゾン・キングは他の太陽黒点と同様に、太陽の表面に存在していることは、観測の結果明らかです」

 スキンヘッドの男は反論ができず、つるつるの頭を撫でて、着席した。

「まだ続きがあります」曽乃金はスピーチを続けた。「太陽の自転速度緯度によって異なるのですが、全体としてその速度が遅くなっているんです」

「遅くなったってどういうこと?」最前列にいた白髪の女性天文学者が質問した。「まさか太陽が質量を失って膨張しているってことじゃないですよね?」

「その可能性は否定できませんが、クリムゾン・キングの存在が太陽の自転のブレーキになっている可能性も考えられます。いずれにしても、このまま太陽の自転速度が減速し続けたら、大変なことになります。角運動量保存によって地球の自転は加速し、やがて、地球の軌道は徐々に太陽から遠ざかっていくことになるでしょう」

 会場にどよめきが起こった。

「そこで皆さんにお願いがあります」曽乃金は切実な顔で訴えた。「クリムゾン・キングと太陽の観測を強化して、その謎を解明しましょう。そして、もし太陽の自転速度を元に戻せるもののなら戻しましょう。これは、誇張でもなんでもなく、全球災難危機です。国境を越えて、我々の地球を終末から救いましょう!」


          X


 燦々と輝く太陽の下、高原のなだらかな斜面いっぱいに生い茂る牧草をのんびりと食んでいる牛たちを、トーマス・タッカーは離れたところから眺めながら、満足そうにほくそ笑んだ。

「けっこうな発育だと思わないか、ベン?」

 隣りで腕組みしていた年かさのパニオロ(ハワイではカウボーイをそう呼ぶ)のベン・キャシディは頷いて答えた。「ああ、よく食べてくれた。出荷が楽しみだ」

 そこはハワイでありながらハワイには見えない、まるでヨーロッパの田園地帯のような牧草地だった。

 と、牛たちが急に興奮して鳴き声をあげだした。

「どうしたんだ?」

「さあ」タッカーは首を捻り、「ちょっと見てくる」

 タッカーは馬にまたがって、牛たちの様子を見に行こうとした。すると今度は騎乗した馬がおかしくなった。

「どうした? どーどー」

 となだめてみたが、興奮はおさまらない。タッカーは振り落とされないよう手綱をぎゅっと握りしめた。

「いったいどうしちまったんだよ?」

 その時、タッカーは南東の山の上に、巨大な何かが立っているのに気付いた。自由の女神や、アジアの巨大仏像に似た、巨大な立像。

「いつのまにあんなものができたんだ?」タッカーは訝しんだ。「というか、うちの敷地内じゃないか。ベン! あれは何だ? 誰が許可したんだ?」

「おれじゃない。それより、変だぞ、あれ!」

「何が?」

「う、動いてる! こっちに向かって来る!」


          X


 美登里は父親の賀津雄に、自分がモバイルで撮影した巨人像の動画や、ネットに流れていた天文ツアー客の動画(美登里がアオのモバイルで撮影してあげた動画は見つからなかった。アオは何という名前でどこに投稿したのだろう?)、それに噴石丘から続く巨大な足跡を見せたが、父親は困惑を隠せなかった。

「パパ、信じてくれる?」と美登里に訊かれて、賀津雄はしぶしぶ肯いた。「足跡は信じるよ。これは自然にできたものじゃない。でも、動画はちょっと半信半疑だな」

「信じるなら全部信じてよ!」

「信じたいけど、動く巨人像なんているわけない」

「それがいたのよ! お願い、信じて!」

 娘の勢いに気圧されて、賀津雄はしかたなく譲歩することにした。「わかった、わかった、信じるよ。おまえは嘘をつく子じゃない」

「ありがとう、パパ」

「で、その巨人像の中におまえのボーイフレンドが乗っているんだな?」

「ボーイフレンドじゃない!」美登里は唇を尖らせた。

「ボーイフレンドじゃないのか。そうかそうか」賀津雄はちょっとほっとした気もした。

「とにかく追いかけなきゃ。アオさん、助けなきゃ。まずはマウナ・ケア山の天文台。お願い」

「無理だ」

「どうして?」

「4WDでないと登れないんだ」

「えー……」


          X


 タッカー牧場からの動く巨人像についての911通報は当初、通報を受けたオペレーターによっていたずら電話として処理された。

 しかしいま、巨人が鉄骨構造の変電施設を次々にへし折り、引っ張られた送電線が激しくスパークしているのを見ては、もう誰もいたずらだという者はいなかった。発電所のフェンスの外には数台のパトカーが停まっていたが、大勢の武装した警官たちはなす術なくギャラリーとして事態を傍観するしかなかった。巨人はさらに背の高い送電塔を押し倒し、発電施設を粉砕していった。

 サイレンを鳴らしながら新たなパトカーが走ってきて、停車した。車の中から、ブロンドの髪をひっつめた40代の女性が拡声器を手に持って現れた。彼女はゴールディ・ウルフ。勤続20年を経てハワイ警察ワイメア署の女性署長に就任したばかりだった。

 ゴールディは拡声器越しの割れた声で巨人に呼びかけた。

「警告します。あなたは包囲されています。ただちに投降しなさい。さもないとわれわれは強硬手段を取ることになります」

 しかし、巨人はゴールディの警告を無視して、発電施設の破壊を続けた。

「繰り返します。あなたは包囲されています。ただちに投降しなさい。さもないと――」

「失礼ですが、署長、あの化け物に話が通じるとお思いですか?」まるまると太った部下の男性警官が半ばばかにしたように尋ねた。

 ゴールディはムッとする気持ちを抑えて、「話が通じないと勝手に決めつけて、安直に武力や銃器の使用に訴えるのはどうかしらね? 可能な限り、非暴力手段を適用して、それで解決できればそれに越したことはないでしょう。それより、住民の避難は進んでる?」

「はい」

「あと、道路の封鎖もお願い」

 巨人は火力発電施設を根こそぎ破壊すると、フェンスを乗り越え、北側にある駐車場からさらにカワイハエ・ロードに出ようとした。

 ゴールディは拡声器を通して叫んだ。「それ以上進むと撃ちますよ!」

 しかし、巨人は止まる気配がない。やむなく、ゴールディは命令を下した。「撃て!」

 防弾ジャケットを着た警官たちがそれぞれの銃(シグザウエルP320、AR15ライフル、レミントンM870)で巨人を一斉射撃した。しかし、巨人はびくともせず、やすやすと道路を横切った。

「こんな銃じゃだめだ。対戦車ロケット弾でも持ってこないと」

 道路を越えたところには民家が数軒あった。住民の避難は済ませてあったので、家が踏み潰されるのはしかたなかったが、巨人は家々を避けて、その先の森の中へ消えていった。

 ゴールディは呆気にとられた。「わざと避けたのかしら?」

「そのようですね」

「発電所は壊しても人間には害は与えたくないということ?」

「どうでしょう。それより追いかけますか?」

「そうして。でも、くれぐれも気をつけてね」

「了解」

 ゴールディは追跡隊を見送ると、本署と軍に応援を要請した。


          X


 父親のトヨタ・カムリでいったんヒロの父親の家に戻る途中、美登里は何か動く巨人像の情報が得られないかと、モバイルで検索して、地元ハワイのテレビ局のブレイキング・ニュースを見つけた。

 男性レポーターがワイメアという町からレポートしているところだった。

「この平和で静かな町がいま前代未聞のパニックが襲われています。正体不明の巨人像が突如として、町を破壊したのです。発電所が壊滅的な被害を受け、町ではいま広範囲で停電が発生しています」

 カメラがレポーターから、破壊された発電所跡にパンした。

「死傷者がいなかったのは幸運でした。巨人はその後、北の森林保護区に消え、現在、警察による山狩りが行われています」

 美登里は父親に訊いた。

「ね、嘘じゃなかったでしょ、パパ?」

「誰も嘘だなんて言ってないよ」

「ワイメアってどこかわかる?」

「おれはわからなくても、カーナビはわかるだろう」

「お願い! 連れてって!」

「うーん……」賀津雄が逡巡したのはもちろん危険だったからだ。

「お願い、パパ!」

「……わかったよ」

 いざとなれば命をかけて娘を守る覚悟で、賀津雄は首を縦に振った。賀津雄はカーナビでワイメアまでのルートを調べ、ハンドルを切ってUターンした。


                                 (つづく)

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