第2話



 

「マウナ・ケア山の地震はおさまったわ」複数のディスプレイに映し出された地震監視ネットワークの広帯域地震計の観測データを見ながら、ケイ・ギルモアがほっとした顔で告げた。

「そいつは良かった」

 上司であるハンク・フォアマンも顔を綻ばせたが、ケイの報告にはまだ続きがあった。「でも、残りの2つ――ケアラケクア湾沖とヒロ北部の揺れはまだ続いている」

 そこはヒロにあるハワイ島火山観測所。元々、観測所はキラウエア火山のカルデラ縁にあったのだが、2018年のキラウエア火山噴火で山頂部分が部分的に崩壊し、施設は修復不可能な被害を受けた。そこでヒロのコモハナ通り、イミロア天文学センターの向かい側の広さ6万平方フィートの国有地に、太平洋諸島生態系研究センターと共有の建物を建設し、そこで観測を再開することになった。

「それにしても奇妙な揺れだ」と言ったのは、日本から招かれた地震学者・森園賀津雄である。「波長と周波数から、この3つはどれも地殻変動ではない」

「地殻変動じゃないとしたら何かしら?」

「一般的に原因として考えられるのは――」森園は間をおかず答えた。「化石燃料や地下水の採掘、地熱エネルギーの開発、水圧破砕、二酸化炭素の地下貯留なんだが、どれも当てはまりそうにない」

「3つの地震が同時に発生しているのも謎ね」

「共振しあってるんじゃないのか?」とハンク。

「共振って、何と何と何が?」

「それはわからんが、震源はどこもすごく浅いだろう。何かが埋もれているんじゃないかな、共振しあう何かが……」


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 カイルア・コナの沖合。コバルトブルーの海は穏やかに凪いでいて、揺れが少ないので、早田日見子はフィッシングボートのデッキに余裕で立っていられた。日見子はそこから南の空を見つめていた。そこには、ティキ像のような形の積乱雲がそそり立つように浮かんでいた。

「どのあたりだろう……」

 と日見子が独りごちたのを、自分への質問だと勘違いして、大熊壮介は地図を広げた。「えーと……おそらく、キャプテン・クック記念碑のあたりかと……」

「キャプテン・クックが殺されたところか」日見子はぼそっと言った。

「へえー、そうなんですか。ところで、キャプテン・クックって誰ですか? 誰に殺されたんですか?」

 日見子は切れ長の目で大熊を冷ややかに見て、「知らないのか?」

 大熊は恐縮して巨体を折り曲げて、「へえ、すいません」

「キャプテン・クックは18世紀のイギリスの航海者だ。太平洋の島々を航海してまわったすえ、ハワイで原住民と衝突し、殺された」

「そうだったんですかい。で、殺された理由は?」

「知らない」日見子の答えはすげなかった。

「なに、おおよその察しはつきまさあ。武器ちらつかせて原住民にミカジメ要求したら、原住民の反感を買った、バラされたんでしょう」

 爽やかな潮風が吹いてきて、日見子の前髪をさらさらと揺らした。

 ところで、二人が乗ってるこのボートは二人のものではない。カイルア・コナでボートをチャーターしようとしたのだが、あいにく、カジキマグロのトローリング世界大会が開催中で、ボートの空きがなかった。そこで、出港しようとしていたボートのオーナーの白人にボートを貸してもらえないか、大金を積んで頼んだのだが断られた。大会で得られる名誉は金では買えない、というのが男の言い分だった。しかし、日見子たちはどうしてもボートが必要だったので、やむをえず実力を行使することにした。その結果、いまボートのキャビンには、両手の骨を折られたオーナーが床に転がっている。釣りもできなくなったのだから、諦めてくれることだろう。

 気流のせいだろうか、積乱雲が薄まりだし、形も崩れだした。

「大変です、雲が消えかかってます!」大熊は狼狽えたように叫んだ。「姉御、どうします? 急いで船を移動させますか?」

 大熊の質問に日見子は静かにかぶりを振った。「今から移動しても間に合わない。次の機会を待つ」

「でも、いつになるか……」

「長くはないだろう」日見子は雲散していく積乱雲を見ながら、粛然と言った。「何世紀も待ったんだ。数日、数週間なんてたいしたことじゃない」


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 マウナ・ケア山に現れた黒い巨人像を、美登里とアオは呆然と眺め続けていた。地面の揺れはいつのまにかおさまっていたが、二人はまだそのことに気づいてもいない。

 しばらくして、おもむろに美登里が口を開いた。「形はだいぶ違うけど、これって、イースター島のモアイみたいなものですかね?」

「そうかもね」とアオが答えた。

「地中に埋もれていたのが地震のせいで地表に押し出されたってことでしょうか?」

「たぶん」

「作ったのは、古代ハワイ人ですか?」

「どうなんだろう」

「作られたのはいつ頃でしょうか? 紀元前?」

「そんな昔じゃないよ」それまで相槌を打つしかできなかったアオが異を唱えた。「ポリネシア人がハワイに入植したのは西暦1000年から1200年の間だと言われている。イースター島もそのくらいだ」

「えー、そんなに遅いんですか!」美登里は目を丸くした。「日本だと何時代になるんだろう……えーと、えーと…鎌倉幕府が出来たのが1185年だから、そのくらいかあ。なーんだ意外と最近じゃん」

 アオは眉を顰めた。「最近じゃないと思うな」

「最近ですよお」美登里は自分の意見を曲げるつもりはないようだ。「でも、それ以前にハワイに人はいなかったんですか?」

「いや、いたことはいたらしい。西暦400年前くらい」

「西暦400年っていうと、日本は古墳時代かあ。もっと前は? 紀元前は?」

「やけに紀元前にこだわるんだなあ。何か理由でもあるの?」

「とくにないですけど……巨人像ってなんか紀元前っぽくないですか?」

「そうかなあ」

「そうですよ。ロドス島の巨像も紀元前だったはず。あと、ストーンヘンジも!」

「はあ…」

「紀元前に存在した巨石文化って、夢とロマンを感じませんか?」

 アオは答えるかわりに肩をすくめた。

 美登里の興奮は止まらなかった。「そうそう、ムー帝国もあります! あ、別にわたし、ムー帝国が実在しているとは思いませんけど、夢がありますよね。実は〈夢〉を日本語では〈む〉って言うんです」

「ありがとう。勉強になるよ」

「ポリネシアには紀元前には文明はなかったんですか?」

「あったよ。ポリネシア人の祖先のオーストロネシア人や、そのまた祖先のラピタ人の文明が」

「ラピタ!」

 美登里が目をきらきらと輝かせたのを見て、アオは念の為、釘を刺しておくことにした。「言っとくけど、ラピタ人はガリバー旅行記のラピュタとも、天空の城のラピュタとも関係ないよ。陶器の名前からつけられた民名前だ」

 縄文土器から縄文人って名前がつけられたのと同じことか、と美登里は思った。

「ところで――」アオはあらためて巨人像を見て、「これに使われてる石、モアイ像やストーンヘンジとは明らかに違うよね。黒いし、表面がツヤツヤしている」

「そうですね」実物のモアイ像もストーンヘンジも見たことはなかったが、美登里はアオの意見に同意した。「何でできてるんでしょう?」

「調べてみよう」というなり、アオは巨人像に近寄って、その黒光りする表面を手で触れようとした。

「ちょ、ちょっと! 触って大丈夫なんですか?」美登里は慌てて止めた。

「触るくらい大丈夫でしょ」

 アオは笑って、巨人像の足、ふくらはぎ部分をそっと撫でた。「……火山ガラスみたいだ」

「火山ガラスって?」

「黒曜石ならわかる?」

「ああ、黒曜石ですか」美登里は肯いた。「でも、こんな大きな黒曜石ってあります?」

「継ぎ目は見当たらないけど、組み合わせてるんじゃないかな」

「そうですね」と美登里は肯いて、「ところで、これからどうします? 見つけたこと、誰かに知らせたほうがよくないですか?」

「それだったら――」アオはポケットからモバイルを取り出して、「動画を撮ってアップロードしよう。ぼくたちが第一発見者って証拠にもなるし」

 アオはカメラを前面カメラにして、自分たちと背景の巨人像が同時にフレームに収まり、かつ、見栄えのするアングルを探った。しかし、巨人像があまりも大きすぎて、良いアングルが見つからない。

 見かねて美登里が提案した。「わたしが撮りましょうか?」

「何言ってるの?」アオは信じられないという顔をした。「それじゃあ君が写らないじゃない」

「いいんですいいんです。わたし、べつに写りたくないんで」

 美登里はアオからモバイルを奪い取って、カメラを背面カメラに切り替え、アオに向けた。「最初にアオさん、何か喋ってください。それからカメラを上に向けて巨人像を撮りますから。それでいいですよね?」

「素晴らしい!」アオはサムズアップした。「じゃあ、始めよう。カメラが回ったら知らせて。アクションって」

「わかりました」美登里は動画の録画をはじめた。「……アクション!」

 アオはカメラに向かって話しだした。「ハーイ、みんな。ぼくの名前はアオ。実は今日、ガールフレンドのミドリと一緒に、マウナ・ケア山に来たんだが、すげーものを発見した。見てくれ!」

 勝手にガールフレンドにされたことに、美登里は釈然としなかった。アオはどういう意図で自分のことをガールフレンドと呼んだのか、問いただしたい気持ちもあったが、それこそが敵の罠かもしれないと考え直し、聞かなかったことにした。

 撮影が終わると、美登里はモバイルをアオに返し、次に自分のモバイルで、離れたところから、巨人像とティキ像の形をした不思議な積乱雲を1つのフレームに収めた動画を撮ることにした。澄み渡った青空に赤茶けた大地というリアルな自然の中に、ありえない形をした雲とありえない大きさの巨人像という非現実的存在がまぎれこんだ光景に、美登里は既視感があった。それは、サルバドール・ダリの油絵に似ていた。そんな動画を他人に見せて、はたして現実のものだと信じてもらえるだろうか? AIで加工したフェイク動画と思われないだろうか?

「あら?」

 美登里は何かに気づいて、撮影をストップした。それから、撮ったばかりの動画を再生した。

 動画の中の積乱雲と、現在の積乱雲の高さが違う。積乱雲の高さが下がっている。つまり、積乱雲は降下している。

 アオに言わなきゃと思った。アオはいま、巨人像を真下から撮影することに夢中で、雲の降下に気づいていないようだ。

「アオさーん!」

 美登里が大声をあげると、アオは気づいて、美登里に向かって手を振った。舞台の幕が切って落とされるように、積乱雲が急降下し、アオと巨人像をすっぽり覆い隠した。つづいて、雲の中でけたたましい雷鳴が轟いた。

「アオさーーーーん!」 


                                 (つづく)

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