アストロイドX 巨人復活 天空と大地のうた
まさきひろ
第1話
真っ白な雲海から山々の黒い頂きが小島のように突き出していた。森園美登里は眼下に広がる絶景の大パノラマに思わず感嘆の声をあげた。
「うわあ、まるで天空の城にいるみたい!」
日本語で言ったので、隣にいた日焼けした白人の女の子(自己紹介の時、ナンシーと名乗った)が「何て言ったの?」と英語で訊いた。
Castle in the Sky、と美登里が答えると、女の子は納得したように頷いた。Castle in the Skyは『天空の城ラピュタ』の英語題名で、おそらくナンシーも映画を見たことがあるのだろう。
しかし、そこは城ではなかった。ハワイ島のほぼ中央に位置するオニヅカ・インフォメーション・センター。標高が2800メートルあり、空気がとても薄かった。
「はい、みんなー」オバマ大統領そっくりの黒人青年(名前はマイケル)が快活な声で告げた。「これから太陽黒点の観察を始めまーす」
オニヅカ・インフォメーション・センターではティーンエージャー向けの天体観測体験が催されていて、美登里は父の薦めでそれに参加したのだった。
美登里たちは天体望遠鏡の用意された空き地に移動した。そこからはバンガローのような切妻屋根の建物と、その背後に、赤茶けた山の稜線が見えた。その山のどこかに、ハワイ島で一番高いマウナ・ケア山があるはずだ。標高4205メートルというから富士山よりも高い。そして、その山の頂には、日本の国立天文台が誇るすばる望遠鏡やNASAの赤外線望遠鏡、マウナ・ケア天文台群があるはずだが、他の山の影になってそれらを見ることはできなかった。
「天体望遠鏡の架台――専門用語では赤道儀と言います――に板がついているよね」とマイケルが口で説明し、アシスタントのアグネス(白人女性と思われるが、黒髪でちょっとオリエンタルな顔立ち、もしかするとアジア系の血が混じってるのかもしれない)が実物の板を指し示した。
「その板に太陽の表面が投影されるから、その上に紙をかぶせて、それに黒い部分、つまり太陽の黒点をスケッチしてみよう」
上空には雲一つなく、日差しが強かったが、暑くはなかった。美登里は言われた通り、太陽投影板の上に紙をかぶせ、固定してから、2Bグラファイト鉛筆でスケッチを始めた。フリーハンドで、まず最初に太陽の輪郭、それから太陽黒点を描いていく。黒点といっても、単純な黒い点ではなく、黒い核の部分の周囲を淡い影が囲んでいた。それらが点々と、あるいは不規則に短く列を作っていた。描きながら何かに似ている、と美登里は思ったが、とくに気に留めず、作業を続けた。太陽黒点のすべてをスケッチし終えた時、美登里はそれが何に似ているのかわかった。それは、広大な太平洋にぽつんぽつんと離れて点在する、ポリネシアの島々だった。北のハワイ、東のイースター島、そして南西のニュージーランドを頂点とした三角形の海域。
不意に、太陽投影板の太陽黒点のひとつが、ぐん、と膨張した。
「えっ!?」
美登里がびっくりした次の瞬間、地面がぐらぐらっと揺れた。
地震だ!
美登里は緊張で身を固くした。地震は日本で慣れているからパニックになることはなかった。
揺れはまもなくおさまった。震度はせいぜい1か2くらいだろうか。
「あら?」美登里は太陽投影板を見て目をしばたかせた。さきほど膨張した太陽黒点が元の大きさに戻っていた。「もしかして目の錯覚?」
「何が?」とナンシーが訊いた。
「太陽黒点が急に大きくなったように見えたんだけど」
「錯覚じゃない。事実だ」と答えたのはマイケルだった。ナンシーや他の子供たちも首を縦に振った。
「最近、多いんだ」とマイケルが話を続けた。「そしてそのたびに地震が起きる。もしかしたら、太陽黒点の異常と地震には何か関係があるのかもしれないな」
本当かしら?
美登里は、後でお父さんに訊いてみよう、と思った。というのも、美登里の父親、森園賀津雄は地震学者で、ヒロに新設されたハワイ火山観測所で働いているからだった。
X
美登里たちを乗せたマイクロバスは蛇行する緩やかな坂道をすいすいと下っていった。周囲は、疎らに灌木が生えているだけの褐色の大地。なんとも殺風景で荒涼とした景色。対向車もほとんどなかった。
幹線道路と交わるT字路に差し掛かったところで、バスは停車を余儀なくされた。丸太のバリケードで道が塞がれていたのだ。その周りに、大勢の人たちがたむろしていた。色々な図柄の旗を立て、腰をくねらせてフラダンスを踊っていた。
「あの人たち何やってるの?」美登里は隣の席のナンシーに訊いた。「まさかパーティじゃないよね?」
「天文台に抗議してるの」とナンシーは教えてくれた。
「抗議? どうして?」
「詳しくは知らないんだけど、天文台のあるマウナ・ケア山はハワイの人たちにとって聖なる山なんだって。テレビで言ってた」
ナンシーはそう言ってから、モバイルを弄りだした。水色のアロハシャツを着た運転手も同じだった。クラクションを鳴らすことも、バスを降りて道路を封鎖するグループを追い払うこともせず、諦めた様子でモバイルのゲーム・アプリに興じていた。
マジ?
美登里は困惑した。父親と夕食の約束をしていたのだ。
かといって異邦人である自分がバスから降りて、抗議する人たちに物言う勇気はなかった。
どうしよう……。
バスの中では、現地の子供たちがぺちゃくちゃお喋りをしだした。美登里にはその声が耳障りでイライラが募った。しかし、どうやら焦れているのは自分だけだ、ということに気づいた。日本人の、それも都会っ子だからだろうか、電車が五分遅延しただけでも苛ついてしまう。美登里は自分自身に「テイク・イット・イージー」と言い聞かせ(声には出さない)、先ほどオニヅカ・インフォメーション・センターでパシャパシャ撮った写真を、日本にいる友達にメールで送ると、返信があった。時差は五時間。東京は夜の10時過ぎだった。
――あの、ギザギザのやつ、何?
――あれはマウナ・ケア・シルヴァーソードっていう植物。
――なんだあ。てっきりソニックかと思ったよ。
そんなメールのやりとりを終えて、ふと窓の外を見て、ひとりの青年に、いやその青年の着ているベージュのアロハシャツに気づいた。そのアロハシャツの柄というのがドラゴンボールのイラストだったからだ。
この人、日本のアニメが好きなんだ……。
美登里はあらためて青年を見た。背が高く、日焼けした面長の顔。日本人に似てる気もするが、日本人の血が入ってるのだろうか。
彼に話しかければ何とかしてくれるかも、と美登里が思ったのは、美登里もアニメが好きだったからだ。日本人だってアメリカ人だってアニメが好きな人に悪い人はいない、と思ったのは、藁にも縋りたい気持ちが導いた楽観論かもしれない。
30分ほどして、警察のパトカーが到着した。バリケードによる車の行列は三方向に及んでおり、その中に警察に通報した者がいたのだろう。
警察官たちはバリケードを撤去し、足の不自由な老人は抱きかかえて、天文台反対運動のグループを解散させた。
やっとバスが動き出して、窓の外を見たら、さっきのドラゴンボール・ファン(ファンよね。ファンだからドラゴンボール柄のアロハシャツ着てるのよね?)の青年と目が遭った。美登里は親愛の印に青年に〈かめはめ波〉のジェスチャーを送ろうと思ったが、やめにした。かめはめ波の名前の由来はハワイのカメカメハ大王で、バカにしてると誤解されるかもしれないと考えたからだった。
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「ロコモコはね、ここヒロで生まれた料理なんだ」
と久しぶりに会った父親の賀津雄はそう美登里に教えてくれた。
「ひょっとしてここが最初の店?」
と美登里が訊くと、
「いや、違う」父親は首を振った。「ロコモコ誕生の店はもう潰れてないそうだ」
椰子の木が並ぶ南国の湖畔に面したテラス席で、ゆったりと打ち寄せる波の音を聴きながら食べるディナーはロマンティックで食は進んだ。
食後のデザート(トロピカルフルーツがトッピングされたアイスクリーム)が配られたところで、思い出したように父親が言った。「ママも来ればよかったのになあ」
「うん」美登里は頷いた。「でも、ママ、忙しいから」
「そうだね」と父親は肯き、ビールをぐいっと呷った。
「ところで、パパ――」アイスクリームを食べ終わって、美登里は話を切り出した。「太陽黒点と地震って関係があるの?」
「え? 何だい、急に、やぶからぼうに」
美登里は今日の午後、太陽黒点の観測中に起きた出来事を語った。娘の話を最後まで聞き終えて、父親は静かに話しだした。
「まず、古くから、地震雲や地震雷、流星、さらにはナマズなどを地震の前兆だとする考えはあった。太陽黒点に関しては、21世紀になってから、九州大学の湯元清文先生が、東日本大震災は太陽黒点数が少ない時期に起きたことから、関連性があるのではと主張されている」
「で、あるの?」
「どうかな」と父親はひょいと肩をすくめた。「仮説としては興味深いが、まだ学界の支持は得られていない」
「パパの意見はどうなの?」美登里はぐっと身を乗り出して低声で訊いた。「ここだけの話、正直に答えてよ」
「やれやれ」父親は苦笑して、「地震学にもいろいろあってね、これは物理学――より厳密にいうと、宇宙物理学で扱う問題なんだ。パパの専門はそれじゃない。つまり門外漢ってわけだ」
「そうなんだ」美登里は残念そうにため息をついてから、「ためしに訊くけど、パパの専門って何?」
「火山地震学に地殻およびマントル地震学だけど、わかるかい?」
「なんとなく」美登里は曖昧に頷いた。
「ところで明日の予定は?」と父親が訊いた。
「決まってない」
「じゃあ体験ダイビングに行くといい」
「わたしが泳げないって知らないの?」
「ダイビングに泳ぎは関係ないよ」
「そんなことないでしょう」
「パパは泳げないけどダイビングは出来た」
「マジ?」
「ああ、マジだ。せっかくハワイに来たんだ。コバルトブルーの海を満喫しなくてどうする」
「でも、やったことない」
「誰だって最初はやったことないさ。大丈夫、おまえは出来る。自転車だって覚えるのが早かった。自信を持て!」
「でも……」
と尻込みした美登里だが、夏休みが終わる前におまえと一緒に潜りたいんだ、という父親の熱意に抗うことはできなかった。
X
その翌日。
ヒロとは島の反対側、つまり東側にあるコナ国際空港に、日本の成田空港からの直行便が着陸した。タラップを降りてくる客の中に、10人ばかりの黒服の集団が混じっていた。髪型は角刈り、パンチパーマ、スキンヘッド。どう見てもヤクザ。周囲の客は用心のため、彼らと距離をとっていた。
集団の中に、ひとり、女性が混じっていた。年齢は20代? いや、ひょっとすると10代かもしれない。整った顔立ちに、切れ長の鋭い目、固く結ばれた唇。鳩羽色の麻きものを着、頭には貝殻の形のかんざし。本物か偽造かわからない彼女のパスポートには「早田日見子」という名前が書かれていた。
彼女のすぐ後ろに、縮れた剛毛を後ろで束ね、もじゃもじゃのヒゲを生やした、プロレスラーのような大男(パスポートには「大熊壮介」)がいて、日見子に静かに話しかけた。「姉御」
日見子は振り向きもせず、凄みのある声で答えた。「何だい?」
「長旅でお疲れでしょう? 先に宿でチェックインを済ませてはいかがですか?」武骨な風貌に似合わない、丁寧な物腰。
しかし、日見子はかぶりを振って、「疲れてない」と、そっけなく答えた。
大熊は恐縮して、「余計なこと言ってすいません」
「気にしないでいい」
日見子たちは空港ビルを出るとタクシーに分乗した。
「どちらまで?」と運転手に訊かれ、大熊は「カイルア・コナ」とだけ答えた。
車が発進してから、運転手は、ルームミラー越しに後部座席の日見子と大熊に話しかけた。「もしかしてお客さん、トローリング大会に参加されるんですか?」
日見子は興味のないことを示すつもりか、そっぽを向いた。海側に座っていたが海は見えず、だだっ広い原っぱが見えるだけだったが。
「それとも見物?」
運転手がしつこいので、大熊は「シャラップ!」とドスの利いた声で注意した。運転手はすっかり気圧されて、それ以上何も言えなくなってしまった。
X
美登里は先にブティックで水着を買って(ワンピースだ。店員からは大胆なビキニを薦められたが、まだビキニを着る勇気が美登里にはない)、それから予約したダイビング・ショップを訪ねた。1階に食料品店やベーカリーの入った2階建てのタウンハウスの、2階だった。
「アロハ」
Akahai Diving Shopと書かれたドアを開けて。美登里が中に入ると、若い男の店員が迎えた。「アロハ」
あら、この人……。
美登里は青年の顔に見覚えがあった。昨日、オニヅカ・インフォメーション・センターでの太陽黒点観測からの帰り、天文台反対の抗議集会で道路を占拠していたグループの中にいた、あの青年だった。昨日はドラゴンボールのアロハシャツを着ていたが、今日は椰子の木や海といった、いかにもハワイらしい柄のアロハシャツを着ていた。
「ミドリ・モリゾノ?」
と青年は予約の書き込んであるノートを見ながら尋ねた。おそらく美登里のことは覚えてないようだ。直に話したわけじゃなく、バスの内と外で、せいぜい目が遭ったくらいだから、覚えてないのが当然だが、ちょっと寂しい気持ちがした。
「はい」と美登里は答えた。
「OK」と青年は肯いて、「さあ、行くぞ」
「え……他の人は……」
「他はいないよ。君だけだ」
「そ、そうなんですか……」天文台建設に反対するような活動家の青年と二人きりになるのに、美登里はちょっと気後れして、キャンセルも考えた。そうしたら、
「君はとてもラッキーだ」
と青年に言われた。
「ど。どうしてです?」
「窓の外を見てごらん。今日はすばらしい快晴だ」青年は白い歯を見せて爽やかに笑った。
「いつもは快晴じゃないんですか?」
「うん。この町はハワイの他の町と違って雨が多い」
「そうなんですか」
「ダイビング・スポットまでは車で行く。機材はもう車に積んである」と言って、青年はオフィスを出ていきかけ、急に思い出したように立ち止まり、美登里を振り返って言った。「いけね。自己紹介がまだだったね。僕はアオ。光、昼、昼の光、って意味。約束するよ。今日は最高に気持ちの良いダイブになる」
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気持ちが良いなんてとんでもない。ダイビングはさんざんだった。簡単なアドバイスを受けてエントリーしたはいいが、美登里がウェットスーツの浮力でなかなか水中に潜れないでいると、アオは美登里の足を引っ張って海の中に強引に引きずりこんだ。それで美登里がパニクってジタバタしていると、今度は愉快そうに笑った。美登里が泳げないことを知りながら! 美登里は、ハラスメントだ、ぜったい訴えてやる、と息巻いたが、訴えなかったのは、生まれて初めてのダイビング体験があまりにも素晴らしかったからだ。無重力に近いので、ちょっと身体をひねっただけで、くるくるとアクロバティックな回転をする。色とりどりの可愛らしい魚たちはまったく人間を怖がっておらず、手を伸ばせば届く距離をすいすい泳いでいた。そして、紅白のサンゴの絵にもかけない美しさ!
「今日は出会えなかったけど、ウミガメもいるよ」と陸に上がってから、アオが教えてくれた。
「会いたかったなあ」と美登里が残念そうに言うと、
「次は会えるさ」
アオの屈託ない笑顔に、美登里もそんな気がしてきた。
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「もしかして日系ですか?」
帰りの車中(車はトヨタのタコマという車。聞いたことない)、心地よい疲労感に浸りながら美登里はアオに質問した。
「違うよ。中国人の血はちょっとだけ混じってるけど」
「でも、まだ若いのにショップのオーナーなんて凄いですねえ」
アオはぷっと吹き出して、「違うよ。ショップを経営してるのはおじさんで、僕は夏休みの間、手伝ってるだけ」
「あ、そうなんですか」
「ミドリはバカンスでハワイに来たの?」
「はい、そうです。お父さんがこっちで働いてて、遊びにおいでって。夏ならオフシーズンで旅費が安いからお得だって」
「実は俺、ダイビングもやるけど、得意なのはサーフィンなんだ。きみ、サーフィンやってみたくない?」
「でも泳げないから……」
「さっき泳げたじゃない」
「あれはウェットスーツ着てたから」
「サーフィンもウェットスーツ着てやるから同じだよ」
「そうですね、やってみようかなあ」
と美登里が言ったのは、夏休み明けに友達に自慢できるかもしれないと思ったからだ。
はるか前方に黒い山影がうっすらと見えてきた。
「あの山……もしかしてマウナ・ケア山ですか?」
「そう」とアオは肯いた。
美登里は思い切ってアオに尋ねた。「昨日、あの山の入口で天文台反対の抗議集会をやってたんですけど、もしかして参加してませんでした?」
アオはきょとんとした顔つきで、「してたけど……どうしてそれを知ってるの?」
「実は私、それで足止めを食らったバスの中にいたんです」
「そうだったの」
「あの山、ハワイの人たちにとって聖なる山なんだそうですね」
「うん」とアオはさっきまでのおどけた顔から真面目な顔になって肯いた。「ハワイ神話ではあの山――マウナ・ケアは、母なる女神パパハーナウモクと天空の神ワーケアの第一子とされている。つまり、あの山は地と天が結びつく場所ってことだね」
「そうなんですか」
「日本にもそういう場所はあるだろう?」
「はい」と答えはしたものの、具体的な地名を美登里はひとつも思いあたらなかった。おそらく、パワースポットと呼ばれている場所のどこかだろう。
「そんなところにさ――」アオは話を続けた。「見晴らしが良いからって、分譲マンションが建てられたらイヤでしょう?」
「分譲マンションと天文台は違うと思いますよ」と美登里は反論した。
「どう違うの?」
「分譲マンションはお金をいっぱい持っている人の道楽でしょうけど、天文台は、宇宙の謎を解き明かそうという、人類にとって有意義な目的があります」
自分でも驚くほど言い方に熱が入った。
しかし、アオは冷ややかに、「宇宙の謎を解き明かしていったい何がどうなるっていうの?」
「そ、それは……えーと……」美登里が言い淀んでいると、
「宇宙なんかより大事なものがいっぱいあるんじゃない。たとえば、ポリネシアにツバルって島があるんだけど、地球温暖化の影響で、これ以上海面が上昇すると、島が沈んでなくなってしまうって言うよ。地球温暖化の理由はわかっているよね?」
「は、はい……」詳しいメカニズムは知らなかったが、CO2、温室効果ガスというワードは美登里もニュースでよく耳にしていた。
「地球温暖化は人間がやったことだ。人間の科学、文明が……」
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緑豊かなヒロのコモハナ通りには、ハワイ大学天文学研究所、日本の国立天文台ハワイ観測所、スミソニアン天文台、イミロア天文学センター、東アジア天文台、ジェミニ天文台といった天文台が集まっていた。その時、そのすべての天文台が太陽黒点のこれまでにない異常を同時に観測した。
X
マウナ・ケア山の上空に、にわかに積乱雲が発達をはじめた。白い雲の柱。表面がでこぼこしていて、まるで人の顔のように見えた。美登里はそれを見て、
「あの雲……イースター島のモアイ像に似てませんか?」
とアオに言った。
「モアイ像というか、ティキ像だね」
「ティキ像って?」
「お土産屋さんで見なかった? トーテムポールに似た、人の姿をした木彫りの像」
「見ました見ました」美登里は思い出した。「目が吊り上がって、口を大きく開けた、何かに怒ってるような人の顔ですよね?」
「そうだ」
「遠くだからそう見えるんですかね? 近くから見たら、そうは見えないのかも」
と美登里が言うと、アオはアクセルを強く踏み込んだ。
「ど、どうしたんです?」
急スピードに美登里がびっくりして尋ねると、
「どう見えるか、近くに行って見てみようよ」
「そ、そんな、わたし、そこまで……」
「気にしない、気にしない。今日はもうお客さんいないから、大丈夫」
アオの顔はさっきまでの真面目な顔から、元のおどけた顔に戻っていた。
美登里とアオの乗った車はヒロ市街を抜け、サドル・ロードを西へと向かった。開けた窓から吹き込む風が気持ち良く、快適なドライブだ。昨日、天文台反対の抗議集会が行われていた(そして、美登里の乗ったバスが立ち往生していた)場所で車は右折。正面にマウナ・ケア山と、ティキ像の形をした雲を見ながら、山道を登っていった。
「僕たちはあの聖なる山に登ってはいけないことになっている」とアオが言った。
「じゃあ、行くのまずくないですか?」
「でも、呼ばれたら別だ」
「呼ばれたらって、誰が呼んでるんです?」
「あの雲だ。よく見て、あの顔、こっちにおいでって顔してない?」
Y字路に差し掛かって、アオはハンドルを右に切った。その道は未舗装のデコボコ道だが、タオは構わず、タコマを猛スピードで疾走させた。途中に水たまりもあったが、アオはスピードを緩めたりはしなかった。おかげで車体は激しく揺れ、美登里は危うく屋根に頭を打ち付け、舌を噛むところだった。
周囲には、大小さまざまな噴石丘があり、地面は赤みがかっていた。
「火星みたい」と美登里が言うと、
「よく言われる。そのせいかどうか知らないけど、この山じゃない別の山、マウナ・ロア山では、将来の火星探検のための模擬実験が行われている」
そして、二人の乗ったタコマは雲の柱のちょうど真下に到着した。アオはタコマのエンジンを切ったが、揺れは続いていた。車の揺れではなく、地面の揺れだった。
二人は車を降り、雲の柱を見上げた。思った以上に大きな雲で、雲の裾の部分では稲妻が光っていた。
美登里は昨夜、父親の話に出た地震雲と地震雷のことを思い出した。
太陽黒点の異常と関係があるのだろうか?
美登里は太陽の表面を見て確認したかったが、眩しすぎて、とても直視することはできなかった。
X
高度約680キロメートルに浮かぶ日本の国立天文所の太陽観測衛星〈ひので〉からは太陽の表面をはっきりと見ることができた。太陽表面では黒点が膨張して、人の顔のような紋を描いていた。口を大きく開け、歯を剥き出したその顔を、担当者は報告書に「クリムゾン・キングの宮殿のような顔」と記した。
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二人のいる場所に近い噴石丘に、けたたましい衝撃音とともに雷が落ちた。
「きゃあっ!」
風も出てきて、雨になりそうだった。
「帰るか」とアオが言い、車に乗り込もうとした時、異変が起きた。落雷のあったあたりの土石が、上空に、いや雲の柱に、吸い上げられだしたのだ。
「……嘘だろ」
それだけではない。噴石丘の地底から、黒い、巨大な何かが、突き上げるように地上に現れた。
「何なの、あれ!」
巨大な何かは、まるで見えない起重機で引き上げられるかのように、少しづつ、少しづつ、全貌を露わにした。
それは――黒い鉱物で作られた、ヒト型の、巨大な像だった。
(つづく)
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