三章:リーゼロッテの縁談②


 ヴァルトラウトが立ち上がる。


「お茶を淹れてくるわ。――ヴィクトリア。手伝ってくれる?」

「かしこまりました」


 そう言って二人も部屋を出ていく。


 残ったのが緊張する必要のない親しい相手だけになったためだろう。リーゼロッテの体から力が抜けるのが分かった。


 それでもその表情は思い悩んでいるように見える。リーゼロッテはちらりと小父に助けを求めるような視線を向ける。


「……小父様はどう思われます?」

「どうって言ってもな」


 フェルディナントは姿勢を崩し、背もたれにもたれかかる。


「一人の男がお前に惚れて求婚してきた。それ自体はこれまでだって何度もあった話だろ? その相手が他国の王族だったってだけだ。あまり複雑に考える話じゃないだろう」

「でも」


 リーゼロッテは納得できないように反論する。


「元帥閣下はああおっしゃってくださったけれど……私が縁談を断ってしまったら、問題になってしまうのではないかしら」


 彼女は縁談に乗り気ではない。


 それにも関わらず、相談をできなかったのはそれか理由だろう。自分より周りを気にかける彼女らしかった。


「その大使がどの程度本気なのかにもよりそうだな」


 フェルディナントは冷静に答える。


「『娶れたらラッキー』ぐらいの軽く気持ちだったら問題ないだろうが、本気の本気だったらどうだろうな。俺は直接会ってもいないから判断できないが――」


 そう言って、彼の目がこちらに向く。完全に傍観者のつもりだったアナベルは少し身構える。


「准士官はどう思う?」


 問われ、アナベルは考える。しかし、出てきたのは質問の回答ではなく、呆れの感情だった。


「私に聞くんですか?」

「君しかいないだろう」


 リーゼロッテのようにモテるわけでもない。ミアのように恋愛に興味があるわけでもない。自分に聞くのは間違った選択肢だと断言できる。


 しかし、フェルディナントは「ここには他に君しかいない」と当たり前のように返してきた。改めて少し考えてみる。


 クラウディオがどれくらい本気かはアナベルには分からない。それでも、自分なりに答えをひねり出す。


「……イゾラの王族は神様に等しい扱いを受けてるんでしょう? そういう相手なら、自分の思い通りにならなかったときに怒って無理難題言ってきても驚きませんよ」


 矜持プライドの高い人間は自分より下に思っている人間が歯向かってきたとき、強い反感を抱く。フェルディナントのように楽観的な意見は持てない。


 続いてリーゼロッテの方を見る。


「私個人としてはそんなヤツのご機嫌伺いなんて絶対したくありませんけど。リーゼは国のため、自分を犠牲にできるんですか?」


 リーゼロッテは軍属だ。軍人は国のために犠牲になることもあるだろう。


 しかし、彼女の行動原理は国のためというよりは人のためのように思える。自分を犠牲にしてまで国に尽くすことはできるのだろうか。


 疑問に思い、確認の意味で問いを投げかけた。しかし、彼女の表情が強張るのを見て、アナベルは自分の発言を後悔した。


 彼女が迷っているのはあくまで自分の行動がエーレハイデに不利益をもたらすのではないかという不安であり、自分自身を犠牲にできるほど国に高い忠誠心を誓っているわけではないと気づいたからだ。


「わ、私は出来ればそんなことしないでほしいと思っていますが! 海を越えて、文化や価値観の違う異国に嫁ぐのってすっごく大変だと思いますよ」


 慌ててフォローすると、少しだけリーゼロッテの表情が和らぐ。フェルディナントも頷いてくれた。


「嫁ぐのに覚悟がいるってのは俺も同じ意見だな。もっとも俺もイゾラの文化には詳しないんだがな」


 困ったように呟くと、ちょうどお茶を持ってヴァルトラウトとヴィクトリアが戻ってきた。フェルディナントはこの場で一番詳しいだろう将軍副官に訊ねた。


「副官はイゾラについて詳しいか?」

「アーダルベルト将軍の補佐を任される程度には」


 ヴァルトラウトは涼やかな微笑を浮かべる。


「君から見て、エーレハイデ人がイゾラに嫁ぐってのはどう思う? 苦労すると思うか?」


 軍医官の質問に彼女は即答した。


「苦労するでしょうね。イゾラからエーレハイデに来て上手くいったという例は多く聞くけれど、逆はあまり聞かないわ」


 ヴァルトラウトは部屋の人間全員を見回す。


「イゾラとの文化の違いは多くあるけど、一番の違いは身分制度と女性の自主性ね。エーレハイデも身分制度はあるけど、それほど厳格なものではないでしょう? でも、イゾラでは身分制度は絶対的なものよ。向こうには身分が五つあって、基本的にその垣根を越えることはできない。婚姻は必ず同じ階級同士ときまっているし、親が農民なら子は田畑を耕すことしかできないわ。王族に嫁いでも、妃は元の身分に応じた位分けをされる。同じ妃でも、身分の低い妃は身分の高い妃に従わないといけない。下剋上なんてありえない国よ。それと、女性は男性の所有物という意識の強い国だから、女性の発言権はほとんどないわ。結婚するまでは父親に、結婚してからは夫に、夫が死んでからは息子に従うの」

「うわあ……」


 身分制度がなく、女性の割合が多いため女性優位である魔術機関出身のアナベルはドン引いた。


 どんなに脅されようとアナベルだったら絶対に行きたくない国だ。そこで暮らすくらいなら国を滅ぼしてしまいたい。そして、そんな場所にリーゼロッテを送りたくはない。


「リーゼ! やばい国ですよ! 絶対、この婚姻はやめるべきです!!」


 アナベルは立ち上がり、リーゼロッテに強く主張する。一息置いてからヴァルトラウトがまた話し出す。


「同時に、男性が女性を守るという意識が強くもあるわ。いい夫にめぐり合えれば、絶対に守ってくれる。大使と奥方の噂はこちらにも流れてくるけど、夫婦仲は良好らしいわ。全員、大使を陶酔と言っていいほど敬愛しているそうよ」


 さっきまで否定的な意見を言っていたのに、突然肯定的なことを言い出す。アナベルはつい、噛みついてしまう。


「あなたはリーゼを止めたいのか、後押ししたのかどっちなんですか!」


 その抗議に、ヴァルトラウトは素直に謝罪する。


「聞かれたことに対して中立的な立場で答えようとしただけなのだけれど。混乱させてしまったなら、ごめんなさい」


 彼女は特にリーゼロッテの縁談に賛成も反対もしていない。だからああいった物言いになってしまったのだろう。否定的な意見だけを聞いて結論を出したアナベルが尚早だったのだ。


「…………こちらこそすみませんでした」


 そのことを反省し、謝って席に戻る。話を黙って聞いていたリーゼロッテが苦笑う。


「イゾラで暮らす自分というのはあまり想像できそうにありませんわね」


 確かに身分の垣根なく、人々の命を救おうと考え、行動するリーゼロッテと身分が絶対的なイゾラという国の相性は良くないようにも思う。


「この縁談を断って、イゾラはエーレハイデに対して何かしらの抗議を行うんだろうか」

「したとしても、こちらが損害を受けることはないでしょうね。あちらは島国だもの」


 ヴァルトラウトは当たり前のように言ったが、アナベルにはあまり意味が理解できなかった。


 フェルディナントやリーゼロッテの顔を見る。二人も同様らしい。


「……島国だと、なんなんですか?」


 代表して、質問をする。彼女はなんでもないことのように言った。


「海を越えるというのは本当に大変なことなのよ。イゾラがエーレハイデに進軍してくることは絶対にない」


 アナベルは息を吞む。


 その発言で、イゾラが抗議をする方法に武力行使が存在することを理解する。


 例え、長年友好的な関係を築いていても、イゾラは別の国だ。そして、先ほどの話を聞くかぎり、文化や価値観は大分異なるように思える。


 半永久的に今の関係を続けられるとはかぎらないのだ。


 そのことは南部の軍を取りまとめている将軍を補佐しているヴァルトラウトには当たり前のことなのだろう。落ち着いた口調で言葉を続ける。


「それほどの造船技術も人も物資も、イゾラにはないわ。他に損害を与える方法があるとすれば、貿易をとりやめることだけど、……それも別に国として行っていることではないわ。ヴァルムハーフェンの商人たちの懐は悲しいことになるでしょうけど、彼らはまた別の商いを探すことでしょう。むしろ、ウチはイゾラの主要貿易国の一つよ。大陸の貴重な貿易港を失いたくはないでしょうね」


 エーレハイデとイゾラの関係性において、エーレハイデは優位な立場にある。だから、どれほどイゾラが抗議しても意味はないのだ。


 そうして、ヴァルトラウトはリーゼロッテに笑みを向ける。先ほどまでの軍人らしさが消え、柔らかな雰囲気に変わる。


「だから、あなたがこの縁談を断っても、何も問題はない。理由もなく断るのが申し訳ないというなら、それなりの理由だって作れる。他に縁談の話が進んでいる。修道に入る予定がある、とかね。イゾラの王族に嫁ぐには清らかな身でなければいけないわ。他の宗教を強く信仰しているというのもご法度」


 つまり、リーゼロッテが気にしたように、縁談を断っても不利益はないというわけだ。


 その事実に少なからず、アナベルは安心した。


 誰と結婚するかはリーゼロッテの自由ではあるが、数少ない友人が遠くに行ってしまうのは寂しいと思うからだ。

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