三章:リーゼロッテの縁談①
西方を見ても、東方を見ても、婚姻制度には様々な形がある。
結婚できる年齢。国への届け出は必要か。同姓か別姓か。家族のつながりが重要視される場合、本人の意思は無視をされることもある。
イゾラの婚姻制度で特徴的——アナベルの感覚においてだが——なのは、一夫多妻制を取り入れているところである。
身分の高い低いに関わらず、男性は複数の妻を娶ることが許されている。特に王族ともなれば妃が数十人いる、というのも珍しくないらしい。
「現在、クラウディオ大使は妃が五人。リーゼが輿入れすることになれば、第六夫人になるわけか」
「やめてください、小父様」
面白そうに笑うフェルディナントにリーゼロッテは痛そうに頭を押さえて答える。
――イゾラ大使に求婚された後のことだ。
突然の求婚に最初驚いたリーゼロッテも、冷静さを取り戻してから丁重に断りの文句を口にした。
『大変光栄なお言葉です。そのようにおっしゃっていただけて、大変嬉しいですわ。……ですが、私は一介の看護師です。イゾラの王族でいらっしゃる大使に嫁げるような身分ではありませんわ』
アナベルはレーヴェレンツ家がエーレハイデ建国からある旧家の一つであることを知っている。彼女の親族であるボニファーツとフェルディナントがユストゥス主催の晩餐会で
リーゼロッテの言葉が謙遜であり、建前であることはすぐに分かった。そして、その謙遜はクラウディオにも通用しなかった。
『先ほど、医師と話しているのを聞いたよ。レーヴェレンツ。古い由緒ある家だと言うじゃないか』
リーゼロッテの頬が引きつる。
それ以上、隣国の大使の気を害さないような言い訳が思いつかなかったのだろう。口ごもってしまう。——そこに助け舟が出された。
『大使。本気で彼女に求婚されたいのであれば、正式な手順をお踏みください』
二人の間に割り入ったのは——意外なことに——ディートリヒだった。クラウディオはどこか不愉快そうに訊ねる。
『——君は?』
『ディートリヒ・M・クラウゼヴィッツ。宰相であるメルヒオール・S・クラウゼヴィッツの息子、エーレハイデ王族分家の者です』
元帥副官は珍しく、毅然とした表情で隣国の大使に向き合う。
『今日、我々がここを訪れたのは私的な理由で、彼女が救護活動を行なったのもただの善意です。申し入れは公的な外交ルートを通してください』
自身の身分の高さを強調する名乗りも。はっきりとした物言いも。そのどちらもが、牽制のためなのは明らかだった。
クラウディオはそれ以上足掻くことはせず、肩をすくめる。
『少し気が急いてしまった。ディートリヒ殿のおっしゃるとおりだ。後日、正式に書面を送らせてもらおう』
そうして、イゾラ大使は妻のもとへ帰っていった。そんなことがあって、観光に集中できるわけもなく、アナベルたちは司令部に戻ることにした。
そして一晩明けた次の日。
宣言通り、クラウディオはリーゼロッテ・K・レーヴェレンツを妻に迎えたいと公式文書を送ってきたのだった。
事前に昨日の事件について、元帥や将軍には報告済みだったため、それほど騒ぎにはならなかった。
しかし、リーゼロッテへの縁談は簡単に片付けられるような問題ではない。
結果、軍責任者としてジークハルト。南部の軍責任者とその補佐としてアーダルベルトとヴァルトラウト。リーゼロッテの保護者代理としてフェルディナント。そして、当事者としてリーゼロッテと、昨日の事件に立ち会った四人――計九人が会議室に集まることになった。
「本気だったんですねえ、あのヒト」
リーゼロッテが頭を抱える横で、アナベルはのんびりと呟く。
世の中には息を吸うように異性を口説くタイプの人間もいる。もしかしたら、あの大使はそういう人種なのではと思ったが、本気の本気でリーゼロッテと結婚したいらしい。
「まあ、リーゼは可愛いですし、性格もいいですし。気持ちは分からなくもありませんが――あの男、そこそこの年齢ですよね? こんな若い女の子に求婚するなんて恥ずかしくないんでしょうか」
「これぐらいの年齢差、イゾラの王族では珍しくないんだよ」
そう困ったように答えたのはアーダルベルトだった。
「過去には初老の王に十代前半の妃が嫁いだ例もある。むしろ、王族に嫁げるのは名誉なこと、というのがあちらの考え方だから。相手は喜ぶはず、とさえ考えているかもしれないね」
「随分と上からですね」
「そういう国だからね。あちらは」
将軍の口ぶりは仕方ない、とでも言いたげだ。
イゾラの血が混ざっていても、彼自身はエーレハイデ人という意識なのだろう。他人事のように聞こえる。
アナベルはため息を吐き、テーブルに膝をつく。
(……まあ、どこでも王族は偉い偉いって持ち上げられて当然って思ってるんでしょうけど)
魔術機関で研究員をしていた頃に、西方の王族に謁見したことがある。それはそれは偉そうにふんぞり返っていたのを思い出す。
むしろ、お人好しすぎる元王子や、表面的にも敬う気持ちになれないふざけた態度をしている国王がいるこの国が特殊なのだ。
そして、その王族にも関わらず傲慢さのない元帥は、しばらく部下たちのやり取りを見守っていたが、満を持したように口を開いた。
「それで。――リーゼロッテ。まず、君自身の気持ちを聞いておきたい」
それまで少し緩さのあった会議室の空気に緊張感が取り戻される。頭を押さえていたリーゼロッテも背筋を伸ばす。
「確かに由緒あるレーヴェレンツ家の血を引く君は高貴な身分と言える。高い身分には相応の責任も伴うが、……私自身は君が医術の道に従事することでその責任は果たしていると考えている。国のために君自身の未来を閉ざされるようなことはあってはならない」
いつもより少しゆっくりとした話し方は、いつも以上に言葉を選んでいるように思えた。リーゼロッテに命令できる立場というのを考えれば当然なのかもしれない。
「君の希望が最優先だ。嫌なら大使の申し入れは断ろう」
ジークハルトとしては本当にリーゼロッテがどうしたいかを尊重したいらしい。しかし、当の本人は曖昧な表情のまま、何も言わない。
「元帥。お言葉ですが、この場ですぐにリーゼに答えを出せってのは酷ってもんです」
その沈黙を打ち破ったのはフェルディナントだった。
「元帥がリーゼの気持ちを最優先しようとご配慮してくださってるのは分かります。本人も今のところ乗り気とは言えないでしょう。でも、昨日今日の話です。すぐ答えを出せる問題じゃない。本人にもゆっくり落ち着いて考える時間が必要です。その猶予をいただけないでしょうか?」
彼は先ほどまで親戚の娘に降って湧いた話を面白がっていたとは思えないほど、落ち着きのある表情をしていた。
ジークハルトも性急だったことに気づいたのだろう。謝罪を口にする。
「もちろんだ。考えが足りず、申し訳ない」
「あまり元帥が謝罪を口にすると、余計にリーゼが凝縮してしまいます。この件は一旦、俺に預けてもらえませんか? あちらさんも今すぐ、回答しろってわけじゃないでしょう?」
「ああ。よろしく頼む」
リーゼロッテをよく知り、この場で冷静な判断を下せた軍医官が責任を持つ。今のやり取りだけで、アナベルにも最良の采配に感じられた。
話に一区切りついたためだろう。ジークハルトは立ち上がり、将軍に視線を送る。
「私たちは仕事に戻ろう。――アーダルベルト」
「ヴァルトラウトは残していこう。同じ女性の方が話しやすいだろう。マックス、代わりを頼めるかな?」
「もちろんです」
アーダルベルト。マックス。ディートリヒ。次々に男性陣が立ち上がる。アナベルも席を立つが、ジークハルトに止められた。
「アナベルとヴィクトリアも残ってくれ。軍の敷地内だ。護衛はいらない」
自分が残って何の役に立つのか疑問に思うが、リーゼロッテが気になるのは事実だ。アナベルは座り直す。
「はーい。分かりました」
こうしてフェルディナントを除いた男性陣が会議室を去る。残ったのはリーゼロッテ、アナベル、フェルディナント、ヴァルトラウト、ヴィクトリアの五人だ。
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