三章:リーゼロッテの縁談③


 ヴァルトラウトの話を聞き、リーゼロッテは少し落ち着いたようだった。


 その後、イゾラの話から世間話に話を変わっていき、話し合いの結論は『イゾラ側には考える時間がほしいと回答する。その後のイゾラの出方を見よう』ということになった。


 アナベル――とヴィクトリア――はそのことをジークハルトに報告してからまた、リーゼロッテのところへ戻ってきた。


 今、彼女がいるのは先ほどの会議室ではなく、割り当てられた兵舎の部屋だ。寝台に座った少女は枕を抱きしめ、深いため息を吐いた。


 その様子を見てアナベルは怪訝に思う。


 寝台の横まで椅子を持ってきて、腰をかける。そして、リーゼロッテに話しかけた。


「いいじゃないですか。断っても問題ないってお墨付きをもらったんです。こんな縁談さっさと断りましょうよ!」

「ほとんどお話もしていないのに、私の都合だけでお断りするのは大使に失礼だわ」


 リーゼロッテは困ったように言う。


 まだ彼女は自分以外のことを気にしているようだ。アナベルは呆れてしまう。


「昨日はその場で断ったじゃないですか!」

「あれは大使が冗談をおっしゃったと思ったからよ。まさか、本当に公式文書を出してくると思っていなかったのよ」


 確かにアナベルだって、クラウディオが本気だとは思っていなかった。王族の求婚をその場で断るより、公式文書を送れと言うほうが角が立たないだろう。それ以上はアナベルも反論できなかった。


 リーゼロッテは深い、深い溜め息をつく。そして、ぽつりと呟く。


「何で、私がいいのかしら」

「何でって」


 たくさんの兵士たちから天使と呼ばれ、好意を寄せられているのに一体今更何を言っているのだろう。


「そりゃあ、リーゼは可愛いですし、性格もいいですし。私が男性でも結婚したくなりますよ」

「……アナベルから結婚したいなんて言葉が出てくるとは思わなかったわ」

「そうですか?」


 そんなに意外だろうかと首を傾げてから、自分でも納得してしまう。


「確かにそうですね。私は誰が相手でも結婚したいとは思ってませんから。――まあ、だから、男性だったらというのは仮定の話です。それだけ、リーゼは魅力的な女性ということですよ。少なくとも、私が男だったら、私自身と結婚したいとは思いませんもん。私を選ぶ人がいたら趣味が悪いと言いたいです」


 アナベルとしては本心で言ったことだが、冗談と受け取られたのだろうか。


 リーゼロッテはくすくすと笑う。


「私も今すぐ結婚したいとは思っていないわ。共に生きていきたいと思う相手が現れたら、いつかはとは思うけど……今はまだ仕事を頑張りたいわ。結婚しても働き続けられるならともかく、クラウディオ大使に嫁ぐというのはそういうことじゃないでしょう?」


 エーレハイデ人との結婚であれば、仕事を続けることは可能だろう。しかし、大使と結婚すれば、この国の人間ではいられない。


(やっぱり、さっさと縁談は断るべきだと思うんですけど)


 相手を尊重しようとするリーゼロッテの考えは、あまりアナベルには理解できないものだった。



 ◆



 翌日、アーダルベルトからある書面を受け取ったジークハルトは、それをディートリヒに手渡した。


「あちらから、リーゼロッテに会いたいと要望が届いた。フェルディナントに届けてきてくれ」


 それはイゾラから届いた返事だ。紙を受け取ると、副官――と一緒に仕事を終えた将軍も――は執務室を出ていく。ソファに座って一連の流れを見ていたアナベルは素直な感想を漏らした。


「随分と不躾な要求ですね。国同士のやり取りって、こう、もっと回りくどく、時間をかけるイメージがあるんですけど」

「向こうも、こちらの事情を理解しているのだろう」


 アナベルが首を傾げると、それまで別の資料に目を通していたジークハルトが顔をあげる。


「リーゼロッテは南部の人間じゃない。あと一週間ほどで王都に戻ってしまうからな。――あちらも分かっているのだろう。外交ルートを使って、リーゼロッテとの縁談を政略的に進めるのは難しい。なら、当人をその気にさせた方がいい。彼女が王都に戻ってしまったら、直接接触することは不可能に等しい」


 イゾラの情報網がどの程度なのかは分からないが、元帥が視察に来ていることぐらいは知っているだろう。そして、リーゼロッテが南部の人間ではなく、元帥の視察団の一員であることも突き止めたわけだ。


 そして、直接リーゼロッテから陥落させようとしているとは。迅速な対応に、アナベルは感心を通り越して、呆れてしまった。


「そこまで本気なんですね、あの人」


 この速さは向こうの熱意の表れのように思う。


 アナベルの呟きにジークハルトは何も答えなかった。再び、資料に目を向ける。その反応が面白くない。


 こちらは真剣に友人の行く末を心配――というよりは気になっているが正しいような気がする。とにかく、ここ数日、一番関心を持っている話題なのに、ジークハルトは何も言及しない。気になっている自分が馬鹿みたいに思えてくるのだ。


 アナベルは立ち上がり、執務机の前まで進む。そして、ジークハルトの手から資料を奪い取った。仕事の邪魔をされて、さすがに気に障ったのだろう。不快そうに眉間にしわを寄せ、こちらに視線を向けてくれた。


「ジークはどう思います? この縁談」


 何も言わないのだったら、こちらから言わせればいい。答えるまでは書類を返すつもりはない。


 しかし、返ってきたのは冷淡な回答だった。


「私の立場から発言することは何もない」


 そして、元帥は机の上にある別の資料を手を伸ばす。それを先にアナベルが取り上げた。


「『私の立場』ってなんですか!」


 彼が王族であり、軍の最高司令官トップの立場から発言に気を遣っているのは分かっている。


 しかし、今執務室にいるのは彼と自分とヴィクトリアだけ。ここで彼が何と発言しようと、アナベルさえ黙っていれば、外部に漏れることはないのだ。


「私は元帥閣下にご意見をお伺いしてるわけじゃないですよ。ジークに話を聞いてるんです! 私とあなたの仲でしょう。水臭いことは言わないでください」


 レルヒェ村でもそうだったが、この男は本当に口が重い。あのときはなんとか脅して口を開かせたが、その一回だけではこの悪癖は直せないようだ。


 長い沈黙の末、ジークハルトは嫌々そうながらも口を開いた。


「…………彼女は人が好い。周りの都合を優先して、自分を疎かにする選択を取らないことを願ってる」


 人が好い、というのは彼に言えたことではないだろう。


 しかし、そんなことより、アナベルは自分が望んだどおりの対話ができたことを嬉しくて、満面の笑みを浮かべる。


「そうなんです! リーゼったら、そんなノリ気じゃないのに、『ろくにお話もしていないのに、私の都合だけでお断りするのは大使に失礼』とか言ってるんですよ。人が良すぎますよね。嫌ならさっさと断ればいいのに」


 上機嫌なこちらに対し、ジークハルトは無表情のままだ。彼はじっとこちらを見つめたまま、口を開く。


「君がこの縁談を嫌がってるのは、彼女が遠くに行ってしまうかもしれないからだろう?」

「――うっ!」


 図星をつかれ、アナベルは胸を押さえる。


 本当ならここで否定をしたいが、それさえも強がりであることはすぐに見抜かれてしまうだろう。唸りながら、アナベルは正直に叫んだ。 


「そ、そりゃあ、当たり前じゃないですか! 友達が遠くに行くのは寂しいですよ! リーゼと友達になったら、と紹介したのはジークでしょう!」


 後半は完全にいちゃもんだ。ジークハルトはそうとは指摘せずにいてくれた。


「……紹介。確かにあれは紹介か」


 そんな風に、なぜか一人で納得している。アナベルは「とにかく!」と声を張りあげる。


「リーゼは本当はノリ気ではないんです! なので、王族権限でも、元帥権限でもいいので、この縁談はさっさと断りましょう! それがリーゼのためです!」

「――そんなことができるわけないだろう!」


 熱弁したものの、いつもよりずっと強く語調で叱責された。


 それほどこちらの要求が馬鹿馬鹿しかったのだろう。職権乱用なんて、世界がどう転ぼうが、目の前の聖人君主のような元帥はやろうとはしないだろう。


 アナベルは溜め息をつき、執務机に上半身をもたれかからせる。その際に机の上に落ちた先ほどの資料をジークハルトが回収する。


 ポツリと呟く。


「……なにか、私にできることはあるんですかね」


 リーゼロッテに遠くに行ってほしくない。だから、縁談を断ってほしい。そう思うのは本心だ。


 それと同時に、彼女が誰かの気持ちや事情を優先して、自分を蔑ろにするのではないかという心配がある。そんなことにはなってほしくないとも思う。


「黙って見守ることも、時には必要なことだ。向こうが助けてを求めてきたら、手を差し伸べればいい」


 アナベルは彼女のために、と考えている。しかし、リーゼロッテはまだ悩んでおり、結論を出していない。彼女の考えを無視し、勝手に動くことは自分勝手エゴだろう。


 そんな話をしていると、ディートリヒがフェルディナントとリーゼロッテを連れて帰ってきた。アナベルは居住まいを正す。


 元帥の前に歩み出たのは本件を任されたフェルディナントではなく、当事者のリーゼロッテだった。彼女は背筋を伸ばし、朗々と話す。


「元帥閣下。大使にお会いします。そのようにお返事いただけますか?」


 今の彼女から昨日の塞ぎ込んでいる様子は見受けられなかった。


 元帥は「分かった」と短く答え、アナベルは「いいんですか?」と小声で訊ねる。リーゼロッテは微笑む。


「一度、きちんとお話をしようと思っていたの。そのうえで、今回の話を受けるか決めるわ」


 昨日から彼女は話をしていないことを気にしていた。これで、無事、結論を出せるだろうとアナベルは安堵する。


 返答を受け、ジークハルトは顎に手を当て、考え始める。


「場所は――どうするか。軍の敷地内に大使を入れるわけにはいかない。できれば、軍にもイゾラ側にも与しない、第三者の立会いがほしい」

「アーダルベルト将軍のご指示で、今マックスがレーニッシュ商会に場所の提供を依頼しています。あそこは国や軍とも取引をしているが、イゾラとも親交が深い。会合に使えそうな建物をいくつか所有しているし、一番適任だろうって」


 そう答えたのはディートリヒだ。


 副官か将軍か、どちらが主導かは分からないが仕事が早い。リーゼロッテとクラウディオの対面の場はすぐに決まりそうだ。


 それから、リーゼロッテがおずおずと切り出す。


「それで、大使とお会いするときなのですけれど、……アナベルとヴィーカはお借りできますか?」


 予想外の要望に、アナベルは瞬きをする。こちらを向いたリーゼロッテに改めてお願いをされる。


「大使とお話するときは別の場所にいてもらうことになるかもしれないけど、……少し心細いから、一緒について来てほしいの」


 確かにお見合いしている場所に友人が同席するのは場違いだろう。しかし、会場まで同行するぐらいなら喜んでしよう。


「本人の了承さえあれば、連れて行ってもらって構わない」

「二人ともいいかしら?」


 上官の許可も下りたことで、アナベルは笑顔で「もちろんです」と返す。ヴィクトリアも黙って頷いた。

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