二章:観光とイゾラの大使②
「あちらは何でしょう?」
イゾラ船の向こうの一区画。そこには高い白い壁がそびえている。ここからでは中を窺うことはできない。
「ああ、あれはイゾラ居留地だな。イゾラから来た船乗りとか商人とか、あとは役人か。そういう奴らが住んでるだぜ」
「居留地?」
「あー。――ディー。バトンタッチだ」
アナベルの問いに答えず、マックスは隣の幼馴染の背中を叩いた。ディートリヒは呆れたように溜息を吐いてから、代わりに説明を始めた。
「いくら友好関係を築いているといっても、イゾラは他国だからね。海を渡ってきた相手を誰でも気軽に入国させるわけにはいかない。だけど、大陸側にはイゾラの領地はない。だから、
陸続きであればやってきた相手を通さなければいいだけだが、島国相手ではそうもいかないというわけか。
「居留地で何か問題が起きたらどうするんですか?」
「イゾラの軍――って表現であってるのかな? 治安維持を行う人員は本国から派遣されているようだから、そちらで対処している……で、合ってるよな?」
「そーそー。神兵な。あっちは
何かに気づいたようにマックスは周りをきょろきょろと見回す。その表情は鬼気迫るものだ。それから、安心したように額を拭い、息を吐いた。
「あー、よかった。聞かれてなかったみたいだな。――イゾラの奴らの前でこういうこと言うのはやめろよ? 向こうは信仰深い国だからな。王族を侮辱する行為は外交問題になりかねねえんだぜ」
「……俺はお前の発言が一番心配だよ」
今さっき、イゾラ人を怒らせかねない発言をしたばかりの友人をディートリヒは冷たい目で見る。それからなぜかこちらにも不安そうな視線が向けられる。
ひどく不本意だが、副官が何を心配してるのかは分かる。杞憂を払拭するため、アナベルは胸を張った。
「ご安心ください。そもそも私がこの国にいる経緯をお忘れですか? 調査員の仕事も王宮魔術師としての派遣も、魔術機関にとっては外交の一貫です。つまり、私は外交のプロと言ってもいいでしょう。西方でだって王族と謁見した経験があります。文化の違う異国の人へはもちろん、他国の王族に対しての接し方をわきまえているわけです。そんな私が他国の王族を馬鹿にするような発言をするわけがないじゃないですか!」
「……間違ってないんだけど、腑に落ちないのはなんでだろう」
熱弁を振るったにも関わらず、ディートリヒの表情は明るくならない。アナベルは大きく息を吐き、腰に手を当てて笑った。
「まあ、本当に安心してください。外国人と下手なトラブルを起こしたくはありませんから。向こうから喧嘩を売ってこないかぎりは私も大人しくしてますよ」
今でこそ自由奔放にやらせてもらっているが、信用できない相手との差し障りない接し方もわきまえているつもりだ。副官が危惧するようなことにはまずならないだろう。
それからしばらく、アナベルたちは港で海と船を眺める。ちょうど、船が入港してくる。
それはエーレハイデの船舶らしい。アナベルたちがいる場所からほど近い場所に停泊する。そして、数人のエーレハイデ人――服装を見るかぎり商人だろうか――と一緒に、たくさんのイゾラ人が降りてきた。
それを見て、小声でマックスが話しかけてきた。
「おお、珍しい。――アレ、イゾラの大使ご一行様だぜ。真ん中にいるキラキラジャラジャラした装飾の男分かるか? あの男が大使のクラウディオ。向こうの王族でもあるんだぜ」
言われて、アナベルもクラウディオという男を見る。
例にもれず、褐色の肌に金の瞳をした三十代中頃の男性だ。髪の色は銀色。服装は黒い礼服のようなものを着ているが、貴金属の装飾品をやたらと多く身に着けている。それがイゾラの文化なのか、あの男の趣味なのかはアナベルには分からない。
彼の後ろには三人の女性――彼女たちは皆イゾラの民族衣装らしき長いワンピースを着ている――がおり、大使と女性を守るように屈強な男たちが周囲を囲っている。その全員が白い服に鎧をつけ、帯剣しているところを見ると、彼らがイゾラの神兵なのだろうか。
「あの船、レーニッシュ商会のだな。イゾラの大使を船に乗せてるってことは何か大きな商談でもあったのか、あるいは――」
そんな独り言のような呟きをマックスがしていたときだ。
突然、大使の傍にいた女性の一人がふらりとよろける。それから、桟橋に倒れこんでしまった。大使や、他の二人の女性が彼女に駆け寄る。
「リーゼロッテ!」
そのとき、突然ディートリヒが衛生下士官の名前を叫んだ。
何事かと振り返ると、先ほどまで隣で静かに海や船を眺めていたリーゼロッテの姿がない。桟橋に続く階段を勢いよく駆け下りていく長い金髪の少女の背が見える。
「マックス! 追いかけてくれ!」
ディートリヒが言い切る前にマックスがリーゼロッテを追いかけていく。さすが軍人だろうか。そのスピードはリーゼロッテより早く、桟橋につく頃には追いつけそうだ。
しかし、そんな風に呑気に構えているわけにもいかない。
「俺達も行こう」
「ええ」
真剣な表情のディートリヒに短く答える。そして、少し駆け足程度のスピードで二人の後を追った。
桟橋に着いたときには既にリーゼロッテは患者の様子を診ているようだった。
マックスは少し離れたところで中年の商人と話をしている。ディートリヒはそちらへ近づく。アナベルは迷ってから、リーゼロッテの方へ向かう。
桟橋には布が敷かれ、倒れた女性はその上で横向きに寝かされている。
リーゼロッテは女性の手を取り、脈を確認している。その彼女の腕を、別のイゾラ人の女性が掴んだ。
「ええ。ねえ、アンネッタは大丈夫なの?」
悪気はないのだろうが、それでは脈拍数が正確に測れない。
乱暴と思いながらもアナベルは無理やり女性の手を引きはがす。非難するような目を向けてきた女性になんと言うべきか言葉を探そうとし、諦めた。
「心配なのは分かりますが、リーゼの邪魔をしないでもらえますか?」
こういう状況ならハッキリ言ってしまっても構わないだろう。後々文句をつけられても、非常事態だったというので全て言い訳が通る。
向こうも自分の行動の浅はかさに気づいたのだろう。我に返ったようにバツの悪い表情を浮かべる。それから手を引き、黙り込んだ。
そのことに安堵し、リーゼロッテの様子を窺おうと思っていると、今度は別の方向から質問が投げかけられた。
「彼女は医者なのかな?」
そう訊ねてきたのは、イゾラ大使――クラウディオだ。それまで静かに治療の様子を見守っていた男がこちらを向いている。
――なんと答えるべきだろうか。
リーゼロッテは医師ではない。衛生下士官だ。しかし、軍属であることを簡単に他国の人間に明かしてもいいか分からない。
アナベルが迷っていると、すぐ傍から否定の言葉が返ってきた。
「いえ、私は看護師ですわ」
リーゼロッテは倒れた女性の手を置く。それから大使に向き直る。
「介抱はできても、病名の診断も、治療もできません。――呼吸と脈は正常ですわね。ですが、早急にお医者様に診てもらわないといけませんわ」
「大使。よろしければレーニッシュ商会の部屋をお貸しします」
そう申し出たのはマックスと話をしていた商人だ。
「今、若い者に医師を呼びに行かせました。居留地に戻るより、早いでしょう」
「ああ。ありがとう」
布を簡易的な担架にし、女性を神兵たちが運んでいく。周りに声をかけながら道を作っていくのはマックスとディートリヒだ。
リーゼロッテも当然のように付き添っていったため、仕方なくアナベルもヴィクトリアとともに
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