二章:観光とイゾラの大使①


 司令部に戻ったアナベルは私服のワンピースへと着替え、ジークハルトに声をかけに行く。護衛の兵士に挨拶をしつつ、アナベルは彼の部屋の扉を叩く。


「入れ」


 部屋にはジークハルトだけでなく、ディートリヒもいる。彼も以前王都を案内してくれたときのような軽装だ。ソファに座るジークハルトは軍服のままだ。


「じゃあ、ちょっと街まで行ってきます。何かあったら魔術具で爆発でも起こして知らせてください」

「アナベルちゃん、物騒なこと言うのやめてもらえるかな」

「……そんな魔術具ものは持ち合わせていないし、持っていたとしてもそんなことはしない」


 ――では、ジークハルトに何かあったとき、どうやって気がつけばいいのだろう。


 そんな風に不満に思っていると、その心中を呼んだのかジークハルトが口を開く。


「心配しなくても何かは起こらない。アーダルベルトが警備を固めてくれているし、私も夜まで部屋を出るつもりはない」

「……それって、つまらなくないですか?」


 何時間も部屋にこもりきり、というのは窮屈ではないだろうか。


 しかし、こちらを見るジークハルトはどこか不思議そうだ。


「ディートリヒが本を用意してくれた。退屈はしない」


 実際にソファの前にある机には何冊も本が重なっている。勤勉なジークハルトは読書を楽しむことができるだろう。退屈はしないという言葉は本心なのだろう。


 アナベルは無性に悲しくなった。ジークハルトは不自由を不自由と思っていない。彼にとって他の皆が外で自由に歩き回っている間、部屋の中で一人で本を読むのは当たり前のことなのだ。


 ――この気持ちを上手く伝えられる気がしない。


 だから、アナベルは別の言葉を口にする。

 

「……一緒に街を見て回りたかったです」


 ジークハルトは目を見開いた。それから珍しく微笑を浮かべる。


「私の分も楽しんできてくれ」


 アナベルは後ろ髪を引かれたまま、マックスたちとの待ち合わせ場所である入口に向かった。



 ◆



 昼過ぎ、司令部を出発したアナベルたちはまず腹ごしらえをすることになった。向かうのはマックスのおススメという食堂だ。


 そこはヴァルムハーフェンの商人や船員たちがよく利用する『商人達カウフマンの店』と呼ばれているそうだ。店内には所狭しとテーブルと椅子が並び、二百席はありそうだ。


「お嬢ちゃんたち、好きな物頼みな。全部、俺のオゴリだぜ」

「ホントですか!」


 気前よく宣言すると、マックスはメニューを女性陣に渡す。そして、ついでのように「あ、ディーは自分で払えよ」とつけ加え、ディートリヒは「分かってるよ」と溜息とともに返す。


「それはさすがに申し訳ないですわ」


 厚意に甘えようとしたアナベルに対し、リーゼロッテは困ったように申し出を辞退しようとする。


 アナベルはここ数日毎日顔を合わせていたが、日中別行動をしていたリーゼロッテはマックスと今日が初対面だ。抵抗心は強いのだろう。


「いいんだよ、こうしてるのも縁なんだしさ。一期一会って言うの? 俺はそういうのを大事にしてんだ」


 リーゼロッテはまだ逡巡する様子を見せたが、決心したように笑顔を作る。


「それではお言葉に甘えさせていただきますわ。ありがとうございます、マクシミリアン尉官」


 聞き覚えのない名前に、メニューを食い入るように見ていたアナベルは顔を上げる。それと同時に「わあああああああああ!!」と頭を抱えて、マックスが立ち上がった。


「その呼び方はやめてくれ!! 俺はそう呼ばれるのがこの世で一番嫌いなんだ!!」


 そう言ってマックスは寒さを訴えるように両腕をさする。大げさな反応にアナベルはぽかんと口を開けた。


「――マクシミリアン?」

「マクシミリアン・J・フライエンフェルス。マックスの本名だよ」


 ディートリヒに説明され、そういえばアナベルはマックスの家名を知らないことに気づいた。


「申し訳ありませんでしたわ。マックス尉官」

「……いや、こっちも騒いでわりぃ」


 リーゼロッテが謝罪すると、マックスはおとなしく席に座りなおす。アナベルは首を傾げる。


「なんでそんなに本名で呼ばれるのが嫌なんですか?」


 確かに本名のマクシミリアンと愛称のマックスでは響きは大分違う。マクシミリアンのがいいとこのお坊ちゃん――王子の友人として選ばれるからには彼も有力貴族の子息のはずだ――感がある。しかし、そこまで拒否反応を示すほどおかしな名前ではない。


 マックスは忌々しそうに口を開く。


「マクシミリアンってのはうちのご先祖様の名前なんだよ。元々一商人でしかなかったうちを一代で有力貴族にまでのし上がらせた傑物だって、うちの親父やじいさんは『マクシミリアン』って名前を有難がってんの。そんで息子にその名前をつけるんだぜ? 最悪だろ! そんなに尊敬してるなら自分の名前を改名しろってんだ!」


 よっぽど名付けが不服なのだろう。マックスはかなり怒っている。


 昔の偉大な人間の名を受け継いでいるという意味ではアナベルも似たようなものだが、『シルフィード』というのは称号だ。名前とはまた違う。


(確かに私も名前が『シルフィード』だったら嫌ですねえ)


 そういう意味では真っ当な名付けをしてくれた養母に感謝だ。


「それは災難ですね」


 アナベルは無難な返答をし、それから「ところでマックス尉官。オススメのメニューはどれですか?」と話題を戻した。


 マックスが薦めてくれたのはパンフィッシュ――白身魚のソテーにジャガイモが添えられている料理だ。全員がマックスのおススメに従い、女性陣は食後のデザートにマジパンケーキも頼んだ。


 腹ごしらえがすむと、マックスの案内で街を歩く。


 様々な店が立ち並ぶメインストリート。ヴァルムハーフェンで商いや貿易をする商人たちの集まる商人組合の集会所。そして、最後に辿り着いたのは港だった。


「この辺りの船がイゾラと行き来してる貿易船だぜ。エーレハイデの国旗が描かれてるのがヴァルムハーフェンの商人たちの船で、――ああ、あれがイゾラの国旗な。あっちの桟橋に停泊してるのがイゾラの所有する船」

「どれも大っきい船ですねえ」

「そうじゃなきゃ、大海原を渡れねえからな」


 イゾラはここよりも大分南東にある国らしい。当然ながら海を眺めても島影の一つも見えない。


(ミルシュカちゃんは今その大海原なんでしょうね)


 一週間ほど前に別れた異邦ジェカの少女のことを思い出す。そのとき、物珍しそうに船を眺めていたリーゼロッテが「あの」と遠くを指さした。

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