三章:渓谷の村②


 エッダが向かったのは家の裏手だ。彼女は近くに置いてあった籠に一度服を置く。代わりに紐を手に取ると、それを木にくくりつける。


 どうやら、彼女が無言で家を出たのは、ジークハルトの服を干すためだったらしい。その背中に話しかける。


「手伝いますよ」

「平気よ。中に戻ってて」


 普段であれば、その言葉に全力で乗っかりたいところだ。しかし、今のアナベルは目の前の少女の情報が少しでも欲しかった。


「いやいや。ここまでしてもらって、何もしないわけには行きません」


 茶色の瞳がこちらを射抜く。一度、目を伏せてから彼女は頷いた。


「じゃあ、お願い」


 アナベルはエッダの指示に従い、紐の反対側を別の木に繋ぐ。水気を絞った衣服を彼女はしっかりと張った紐に干す。


 仕事を終えると、少女はこちらを見上げる。


「夕方には乾くと思う。そしたら、取り込んでちょうだい」


 こちらの返事を待たず、エッダは早足で表へと戻っていく。しかし、家に入ることはしなかった。先ほど置いた手桶を手にすると、来た道を戻り始めたのだ。


「あの!」


 慌てて呼び止めると、エッダは立ち止まった。どこか億劫そうに振り返る。


「どうかした?」

「ど、どちらへ行くんですか?」

「帰るのよ。水を汲みに来ただけだから、戻らないと」


 そういえば、エッダは村長の孫娘だ。村のはずれに建っている家は明らかに村の中心人物のものではない。


「後はさっきの彼女を頼って。この家の主人はちょっと気難しい性格だけど、一晩くらいならきっと泊めてくれる。明日になったら早めに出立なさい。この村は巡礼者が長居するような場所じゃないわ」

「それはどういう――」

「私、急ぐから」


 そう言うと、またエッダは歩き出す。今度は呼び止めても振り返らない。


 彼女に着いていくかとも悩んだが、これ以上独断行動をすべきではないだろう。これ以上彼女から話を聞くことを諦めたアナベルは代わりに大声をあげる。


「助けてくださってありがとうございました!」


 どういう理由であれ、彼女が見ず知らずの相手を休める場所まで案内してくれたのは事実だ。振り返らないことは分かっていても、アナベルは頭を下げる。


 木々の向こうに黒髪の少女の姿が消える。そうして、ようやくアナベルは顔を上げ、マーヤの家に戻った。


「エッダちゃん、帰っちゃいました」 

「もうすぐディルクも帰って来るのに」


 二人にそう伝えると、マーヤは残念そうに呟く。


「残念だわ。でも、あの子もお役目があるものね」

「お役目ですか?」


 エッダは川に水を汲みに来たようだった。そうした家の仕事を指すには随分と大げさな表現に聞こえる。アナベルの問いかけに、明らかにマーヤは目を泳がせ始めた。


「あの子、村長の家の子だから。やらないといけないことが多いのよ」


 しばらく、ジークハルトは観察するように彼女を見つめていたが、「立派だな」とそれ以上追及をしなかった。


 マーヤは安堵するように息を吐き、気持ちを改めるように話題を変える。


「それにしても、お客様が来るなんてはじめて。今夜はぜひ泊まっていらっしゃって」

「よろしいんですか?」

「ええ。王都や旅のお話を聞かせてくださらない? 主人はあまりお喋りが好きじゃなくて、事務的な話以外全然してくれないの。この村では外の人の話を聞ける機会も少ないし、話し相手になってくれると嬉しいわ」


 

 ◆



 扉を開けるのには少しの勇気が必要だった。


 一度息を吸ってから、は扉を開ける。代々村の長が住まう家は村の中では一番の大きさだ。玄関ホールを抜け、奥の居間へと向かう。


 居間には村長を含め、村の有力者である数人の老人達がテーブルを囲っている。暗い雰囲気だ。村が今抱えている問題について話し合っていたのがすぐに分かった。


 エッダは頭を下げる。


「ただいま戻りました」


 この家の主が咎めるような視線を向けてくる。


「遅いぞ。何をしていたんじゃ」

「ごめんなさい。すぐに食事を用意します」


 遅くなった理由を言えるはずがない。言い訳もせず、台所へ向かおうとすると、大げさな溜息を聞こえた。


「のろまだのう。誰に似たのやら」


 その言葉は聞こえなかったふりをし、食事作りを始める。


 昔から料理をすることは多かった。作る量もいつも通り、三人分。分量は体が覚えている。


 ――いや。


 果物を三つ手に取ってから、一つ籠に戻した。同じ人数でも、いつもより量は少なくていい。作りすぎてはまた、村長に怒られてしまう。


 果物を切りながら、エッダは思う。


 先ほど偶然出会った巡礼者を名乗る二人。昨日の今日でタイミング悪く現れた旅人を疑う気持ちは強い。彼らを村に招いたことでまた騒動が起きるのではと不安にも思う。


 しかし、あのまま二人を放置して他の村人たちと遭遇した場合、もっと騒ぎになる。もし、彼らが本当にただの巡礼者であれば、あの家の人間以外と接触すべきではないだろう。他の村人たちに気づかれる前に、問題が起きる前にさっさと出ていってくれればそれでいい。それがお互いのためだ。


(――でも)


 そう思うと同時に、何か起きてくれないかと期待してしまう自分を否定することも出来なかった。



 ◆



 この家の家主が戻ってきたのは昼の少し前のことだった。アナベルは昼食の準備をするマーヤを手伝う。テーブルを拭き、お皿を並べていると、玄関が開いた。


「――ア」


 振り返ると同時に、相手は何かを呟いた。


 そこにいたのは二十代の黒髪の青年だ。おそらく、彼がマーヤの夫なのだろう。


 最初見開かれていた瞳は、警戒したものへと変わる。見知らぬ客人アナベルを凝視する夫に、マーヤは声をかけた。


「ディルク、お帰りなさい。彼女はアナベルさん。お兄さんと一緒に巡礼をされているんですって」

「はじめまして。お邪魔しています」


 深々と頭を下げる。ディルクは露骨に顔を顰める。


「巡礼、だと?」


 その反応は妙な既視感があった。首を傾げ、先ほどのことを思い出す。


 ――そうだ。エッダと出会ったときと似ている。


 その言葉を口にしたとき、彼女は妙に険しい表情をしていた。そういえば、別れ際、この村は巡礼者が長居するような場所じゃないとも言っていた。あれはどういう意味だったのだろうか。


「おい」


 近寄ってきた妻の腕を引き、ディルクはこちらに背を向けて小声で話し始めた。


「なんで巡礼者がここにいるんだ」

「道に迷ってしまったのですって。お兄さんのほうは川に落ちてしまって、服が濡れてしまったの。今夜は泊めてあげてもいいでしょう?」

「なんでそんな面倒なことを」


 二人はきっと、会話は聞こえていないと思っているだろう。しかし、アナベルは魔術を使って、聴力をあげている。二人の密談がよく聞こえる。それでも、何の話をしているんだろう、と夫妻に惚けた顔を向ける。


「……エッダが連れてきたの。――だから、いいでしょう?」


 それ以上、ディルクは妻に何も言わなかった。眉間に皺を寄せたまま、こちらに近づいてくる。右足を引きずるような歩き方だ。


 アナベルには何も言わず、彼は乱暴に椅子に腰をかけた。マーヤが困ったように微笑む。


「もうお昼が出来るわ。アナベルさん、ジークさんを呼んできて」

「分かりました」


 ジークハルトは薪割りをしている。家の裏に回ると、斧を振り被る彼の姿があった。その傍にはいくつもの薪の束が置かれている。


 それを見て、アナベルは思わず声を漏らした。


「……うわあ」


 一国の王族が村人の代わりに薪を割る。彼の王族らしからぬ行動はいくつも見てきたが、今回はひと際だ。アナベルも違和感がありすぎて、眩暈がする。


 蒼い瞳がこちらに向く。


「何だ」

「いえ、なんでもないです」


 言ったところで、怪訝そうな顔をされるのがオチだろう。大きく咳払いをする。


「マーヤさんの旦那さんが帰ってきました。昼食だそうです」

「分かった」


 彼は斧を壁にかけてから、「そうだ」と口を開く。


「先ほど、ヴィクトリアと話した」

「えっ!?」


 反射的に周囲を見回す。緑ばかりで人影は何も見当たらない。


「ミルシュカを村から離れた場所で待機させている。報告を受けてすぐに戻らせた。野生のオオカミや猪に遭遇した場合、ミルシュカだけでは危ない」


 ジェカの少女が連れてきた小動物たちは護衛にもならなそうだ。それなら一緒に連れて来ればよかったのではないかとも思ったが、それだと村人たちに見つかる可能性が高くなってしまう。身軽で気配を隠す芸当はヴィクトリアでないと出来ないだろう。


「それで、ヴィーカちゃんはなんと?」

「村の外で」


 そこまで言って、ジークハルトは言葉を止めた。その視線は家の中へと向けられている。


 振り返ると、窓からこちらを見るディルクの姿が見えた。


「後で話そう」


 そう言うと、ジークハルトは足早に玄関へと向かった。

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