三章:渓谷の村③


 昼餐ランチはお世辞にも楽しげな雰囲気、とは言えなかった。


 ディルクは明らかに来客を歓迎していない。彼は改めてアナベルたちが自己紹介をした時も、ひどく素っ気ない態度だった。食事中もほとんど口を開かず、ただ黙ってサンドウィッチを口に運んでいた。


 エッダはディルクのことを気難しい性格だと評したのを思い出す。


(普段からこういう人なんですかねえ)


 そう思いながら、アナベルも林檎に手を伸ばす。マーヤは夫へと話を振る。


「午後はどれくらいに戻ってきそう? 今日は一日エーミールさんのところのお手伝いをしているんでしょう?」


 しかし、返事はない。難しい顔で黙り込んだままだ。夫人は困ったように微笑み、俯いてしまった。


(――そういうわけでもなさそうですね)


 先ほど、マーヤは事務的な話しかしてくれないと言っていた。何度か妻がディルクに事務的な話題を振っているが、どれに対してもこんな対応だ。マーヤも困惑しているのが見て取れる。ディルクが機嫌が悪いのは間違いないように思えた。


 林檎を一口かじる。口の中に広がるのは爽やかな酸味と甘味だ。


(機嫌を損ねた原因は私たちでしょうねえ……)


 その考えにはすぐに行きついた。


 彼はアナベルたちが一日留まることを許可してくれた。しかし、歓迎はしていない。


(その原因は余所者だから。……というよりは巡礼者だから、なんでしょうか)


 ディルクとエッダ。二人の態度からは巡礼者に対しての含みを感じる。だが、その理由は分からない。


 チラリと隣に座るジークハルトを見る。彼は食事をしながらも、夫妻の様子を覗っているようだ。何かを思案しているのか、いつにもまして感情が読みにくい。


(この情報。さっき、ジークに話しておけばよかったです)


 額を押さえ、俯く。


 エッダが帰った後、ずっと彼と話す時間が取れていない。二人ともマーヤの手伝いをしていて、二人きりになるタイミングがなかったのだ。


 唯一ジークハルトを呼びに行ったときはマーヤたちに気づかれずに会話ができそうであったが、すっかり失念していた。


 どうするべきか、悩む。どうにか、この二人からエッダあるいはこの村に関する情報を得たい。そのキッカケに出来そうな話題であるが、話の仕方次第では警戒心を強めてしまいかねない。


(相手から情報を引き出すなんて、私の専門じゃないんですけどねえ)


 相手の懐に上手く入ることも、自分の術中に嵌めることも得意ではない。お人好しで人望厚い元帥でも、話術に長けた印象はない。


(やっぱり、ディート副官を連れてくるべきだったのでは)


 思わず、大きなため息を吐いてしまう。それに気づいたマーヤが気遣わしそうにこちらの顔を覗く。


「お口に合わなかったかしら?」


(――ハッ!!)


 その言葉で失態に気づく。


 ただでさえ、夫の冷たい態度に心を痛めていそうな彼女の心労が溜まる行動は避けるべきだ。サンドウィッチを手に掴み、勢いよく立ち上がる。


「いやいや! まさかそんなわけないじゃないですか! 美味しいです! 林檎は爽やかな酸味と控えめな甘さがちょうどいいハーモニーを奏でていますし、サンドウィッチも挟んであるサラミの塩気とパンの相性が抜群です!! まさか、こんなところで南部の庶民の味を知れることになるとはおも――っ」

「アナベル」


 力強く呼ばれ、我に返る。隣に座るジークハルトに腕を掴まれた。


「食事中は静かに」

「……はい。失礼いたしました」


 アナベルはすごすごと椅子に座り直す。


 フォローをしないといけないと焦ったばかりに余計なことまで喋ってしまった。夫妻は不審に思っていないだろうかと、そっと様子を窺う。


 ディルクは不快そうな表情を浮かべ、マーヤは怪訝そうに瞬きを繰り返す。


(誤魔化したほうが、いや、話を逸らしたところですが――)


 しかし、良い話題が思い浮かばない。気持ちばかりが焦る。ずっと黙っていた家主が口を開いたのはそのときだった。


「俺は、お前たちのことを歓迎していない」

「ディルク」


 彼は妻を無視し、言葉を続ける。


「今夜は泊めてやるが、明日、すぐに出て行ってくれ」

「あなた方は私たちにとって恩人だ。そう望むのであれば、日が昇ったらすぐに出立しよう。――だが」


 怯むことなく、ジークハルトが訊ねる。


「その理由を教えてもらえないだろうか」


 蒼い瞳が真っすぐにディルクに向く。真剣なまなざしだ。彼の実直さに、今まで心を融かした人間も多い。


「余所者には関係ない」


 しかし、エッダが気難しいと評した男には通じなかった。彼は粗野な動作で立ち上がり、「仕事に戻る」と玄関へと向かう。その背にジークハルトは言葉を投げた。


「あなたがどう思おうと、私は関係ないとは思っていない。恩人であるあなた方の助けになりたいと思っている」


 男はジークハルトを一瞥する。


「余計なお世話だ」


 そして、そう吐き捨てると、乱暴に扉を閉めた。大きな音が響く。


 しばらく、沈黙と気まずい空気が流れる。静寂を破ったのはマーヤだった。彼女は申し訳なさそうに、苦笑いする。


「ごめんなさいね。うちの人が」

「ご主人を不快にさせたのはこちらだ。奥方が謝る必要はない」

「……元々、あんな人じゃなかったの。もっとおおらかで活発な人だったんだけど、色々あってね」


 俯く、彼女の瞳は潤んでいた。アナベルは慰める言葉も口に出来ず、黙り込むしか出来ない。ぎゅっと自身の服を掴む。


「それはご主人の怪我のことだろうか」


 ジークハルトの言葉にマーヤは顔をあげる。その表情は悲しそうなものだった。


 ディルクは家を出るときも、右足を引きずっていた。そのことにジークハルトも気づいたのだろう。


「不躾な物言いをしてしまった。申し訳ない」

「いえ、そんなことないわ」

「あの。ご主人のお怪我がどうして――?」


 繊細な話題と分かっていても、アナベルはマーヤに訊ねてしまった。ディルクがこちらを拒絶している以上、話を聞き出せるのは彼女だけだ。


 躊躇いを見せながらも、彼女は二人に教えてくれた。


「あの人は元々ヴァルムハーフェンで船匠をしていたの」


 アナベルは瞬きを繰り返した。


「熱意に満ちた、ひたむきに夢に突き進もうとする人だったわ。その頃は棟梁の下で働いていたけど、いつか独立して、自分が棟梁になるんだって言っていた。……けれど、運悪く作業中に足を踏み外してね。命に別状はなかったけれど、もう仕事は続けられないと宣告されてしまったわ」


 熱意という言葉は今のディルクとは縁遠いように思う。事故により大怪我を負い、夢を追えなくなったことが彼の生き方に大きな影響を与えてしまったのだろう。


「不幸なことは続くものね。その後、ご両親も災害で亡くなってしまって、……残った妹の面倒を見るためにも故郷のレルヒェ村に戻ってきたの。今は船匠として働いていた頃の知識を他の皆に教えることで生活をしているのよ」

「それは、……大変だったんですね」


 アナベルからしてみれば、ディルクは態度の悪い大人だ。好感を抱く要素はない。それでも、彼の苦労を考えると、少しだけ憐憫に思う。


「そうね。そんなあの人を助けたくて、押しかけてきちゃったんだけど……そのことが逆にあの人を苦しめているかもしれないわ。この村は外の人間に好意的じゃない人も多いから」


 その言葉にこの村に漂う不気味さを思い出す。同時に、マーヤがレルフェ村の人間ではないことを悟った。そういえば、先ほど彼女はディルクがヴァルムハーフェンにいた頃のことを知っていた。その頃の知り合いだったのだろう。


 ――これはチャンスなのではないだろうか。


 目の前の女性は、村の外から嫁いできた人間だ。立場的にはアナベルやジークハルトに近いかもしれない。外の視点に立って、この村のことを教えてもらえるかもしれない。


「ここは、どういう村なんですか?」


 気づいたときには、その言葉が口から漏れていた。


「さっき、エッダちゃんに言われました。巡礼者が長居するような場所じゃないって。ここは普通の村じゃないんですか?」


 マーヤは一度、窓の外に視線を向ける。しかし、村はずれにあるこの家の周囲には人影は何もない。ただ、木々が映るだけだ。


 彼女は困ったように微笑む。


「私は普通の村だと思っているわ。少し排他的なところはあるけれど、田舎の村ならそういうこともあるでしょう」


 それから彼女は手元に視線を落とした。

 

「もし、何か違うところがあるとするなら、……古い風習を守り続けていることかしらね」

「古い風習?」


 漠然とした表現だ。アナベルは戸惑う。


 マーヤは迷う素振りを見せながらも、意を決したように話し始めた。

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