二章:ジェカの少女⑤


 山脈の向こうから太陽が昇っていく。藍色の空がどんどん白けていく。


 レルヒェ村を目指し、街道を馬で駆ける。正門で一度兵士に止められたが、些末事だ。元帥の命令に兵士は逆らうことが出来なかった。


 途中、街道を外れ、細い道を選ぶ。周囲も木々が鬱蒼と茂る森へと変わっていく。レルヒェ村はこの先、渓谷沿いにあるという。


「一度、休もう」


 村は目前、という場所でジークハルトは手綱を引いた。後ろのヴィクトリアもそれに倣う。


 馬を降り、四人は道を外れ、森の中へと足を運ぶ。休めそうな平地を見つけ、近くの木の幹に手綱を括り付ける。石を椅子代わりに、作戦会議を始めることとなった。


「まず、私とアナベルとで村の様子を見てくる。ヴィクトリアは村の周囲を見廻ってきてくれ。ミルシュカ、君はヴィクトリアと一緒に行動してほしい。こちらが合図を送るまでは森に隠れていてくれ。レルヒェ村の人々には気づかれないようにするんだ」


 村人たちはエッダを偽物と言うジェカの少女に対し、かなり反感を抱いていた。彼女には身を隠してもらうのが賢明だろう。


 ヴィクトリアは「分かりました」と短く答え、ミルシュカも頷く。膝に肘をついて話を聞いていたアナベルは少女たちからジークハルトへ視線を移す。


「私たちは村に行ってどうするんですか?」

「村人たちの話を聞く。それと、エッダへの接触だ。――ミルシュカ、彼女の特徴を教えてもらえるか?」

「えっと」


 彼女は記憶をたどるように視線を上に向ける。


「長い黒髪の女の子。結んだりはしてなかったかな。背はあたしと同じくらい。どっちもね」

「分かった」


 それだけの情報では、似たような特徴の娘が村に複数いた場合判別は難しそうだ。


 それでも、ジークハルトは「分かった」と頷いた。その彼をミルシュカが窺うように見る。


「ねえ、あたしが村へ行っちゃダメ? あたしなら、どっちのエッダも分かるよ」

「……出来れば第三者を装って接触したい。君はヴィクトリアと一緒にいてくれ」


 その言葉に彼女は項垂れたが、「分かった」と了承してくれた。


 二人と馬をその場に残し、アナベルとジークハルトは道まで戻る。


 来た方向とは反対側。レルヒェ村のある方を見る。ここから見えるのは緑ばかりで人工物は何も映らない。村まではまだ少しありそうだ。


「行くぞ」


 歩き出すジークハルトの後ろを着いていく。その背中をしばらく見つめてから、口を開いた。


「それで? 第三者を装うって言ってましたが、どう説明するつもりですか?」


 軍人であることを隠すつもりであることは、私服を用意された時点でなんとなく察していた。しかし、村人たちにどう名乗るつもりなのだろうか。


「そうだな」


 ジークハルトは一度言葉を区切る。それから、こちらに視線を向けた。


「私と君は兄妹ということにしよう」

「――はい?」

「出身は王都。両親が敬虔深い信徒で、巡礼の旅に出された。その道中で村に立ち寄った。そういうことにしよう」


 口を開けたまま、返事も出来ずにいると、彼は僅かに首を傾けた。


「どうかしたか」

「いや、さすがにそれは無理があると思うんですけど! 私とジーク、全然似てないじゃないですか!」


 肖像画の制作対象モデルになれそうな美青年と近親と名乗れるほどの容貌は持ち合わせていないし、そう名乗るのを恥ずかしいと思わないほど厚顔でもない。


「なら、腹違いということにしておこう」

「いやいや、絶対に不審がられますって!」

「このタイミングで現れた余所者が怪しまれないわけがない。事前にいくら人物像を練っても意味はない」


 唸り声をあげて抗議の意思を現したが、彼はもう振り返らなかった。真っすぐ、村へと続く道を見ている。


 アナベルは頬を膨らませたまま、その背中を睨みつける。しかし、その行動に意味がないことに気づき、途中でやめた。代わりに口を開く。


「あの、さっき言っていた『駐屯地の人間ではこの件を解決するのは難しいかもしれない』ってどういう意味ですか?」


 それは馬小屋で彼が言った言葉だ。一度は頭から吹き飛んでしまったが、冷静を取り戻した今、問いたださずにはいられない。


 しかし、ジークハルトは振り返りもしてくれなかった。


「あくまで可能性の話だ」


 言葉が続くかと、その後を待つ。だが、それ以上は何も言わなかった。


 その短い言葉が答えだったらしい。全く答えになっていない返事に、瞬間的に怒りを覚える。


 アナベルは走り出した。ジークハルトを追い抜き、その前に両手を広げ、立ちふさがった。


「だーかーらー! どういう可能性があるんですか! 私はそれを聞いているんですよ!」

「推測を口にするのは好きじゃない」


 足を止めさせられたせいか、あるいはその追及が気に入るものではなかったのか。そう答えた表情も、声音も少し不快そうなものだった。しかし、苛立っているのはこちらも同じだ。


「好きとか嫌いとかって問題じゃありません! こうしてついてきている以上、ジークが何を考えて何をしようとしているのか知る権利が私にはあるじゃないですか」


 不確実なことを言いたくない、という考えは分からなくもない。しかし、何も知らないまま、分からないままでいることに納得は出来ない。


 ジークハルトを真っすぐ睨む。


「答えなかったらこれから、魔術でレルヒェ村まで一飛びして、本物のエッダはどこかって村人たちを脅しまわりますよ! そうしたら、絶対に後々問題になりますよ! 私が騒ぎを起こしてもいいんですか! 後で泣いて後悔したって遅いんですからね!」

「……それはどういう脅しの仕方だ」


 目を閉じ、呆れたように溜息を吐かれた。しかし、再び目を開いたとき、彼の顔に浮かぶのはいつもの元の無表情だった。

 

「何故、ミルシュカの前に偽物のエッダが現れたんだと思う?」

「なぜって、……それが分からないから今からレルヒェ村へ行くんでしょう?」


 質問の意図が分からない。訊ね返すと、「これはあくまで推論の一つだ」とジークハルトは言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。


「双方の主張が矛盾する以上、誰かが嘘をついている。村人が嘘をついている場合、彼らはエッダでない別人をエッダと呼んでいることになる」

「まあ、そうですね」

「では、何故、村人たちはそんなことをしている」


 アナベルは首をひねる。


「別人をエッダに成り代わらせる。それは誰かを謀ろうとする行動だ。では、その相手は誰だ」

「……それがミルシュカじゃないんですか?」


 事実、ミルシュカの前にはそうして偽物のエッダが現れた。しかし、ジークハルトは首を横に振った。


「彼女が戻ってきたのは偶然的な出来事だ。それにも関わらず、村人は全員口裏を合わせていた。ミルシュカを騙すために事前に別人にエッダを名乗らせたのは計画的な出来事である可能性が高い」


 では、誰を騙そうとしたのか。その答えは、聞かずとも教えてくれた。


「街道から外れた村に訪れる者はそう多くない。行商人と、あとは駐屯地の巡回ぐらいだろう」


 アナベルはようやく理解した。大声をあげる。


「村人たちは兵士たちを騙すために、偽物のエッダを用意したってことですか!」

「……あくまで、推測の一つだ。もしそうなら、兵士を派遣しても誤魔化されるかもしれない。すぐに真相を明らかにするのは難しいだろう」


 兵士たちの話を聞くかぎり、レルヒェ村は普通の村のように聞こえた。例え嘘をついていたとしても、その相手は異国人の少女だ。大したことではない。


 しかし、ジークハルトの推測が正しければ、村人たちは兵士を謀ろうとした。それは一大事ではないだろうか。


 村長の孫娘の偽物を仕立て上げ、それを村人全員で本物と偽る。村長は溺愛している孫娘を偽物と見破られ、激怒する。


 ――そう考えると、今から向かう場所がとても恐ろしいところではないかと思えてきた。背筋を冷たいものが走る。


 その直後、突然額を軽く小突かれた。アナベルは「いたっ」と声をあげ、額を押さえる。


「結論を急ぐな。視野を狭くすると、本当のことは見えにくくなる」

「でも、でも! ジークはあの子のこと信じてるんですよね? あの子が嘘ついてないなら、村人たちが嘘をついてるってことになるじゃないですか!」


 ならば、推測は真実に近いのではないだろうか。だが、またしても、彼はこちらの言葉を否定した。


「いや。ミルシュカも村人も正しいというパターンもある。ミルシュカの言う本物のエッダが嘘をついた場合だ」


 その言葉にぽかんと口を開ける。――そんなの考えてもいなかった。


「エッダじゃない何者かが、エッダと名乗った。なら、ミルシュカも村人も間違ってはいないだろう。その場合はエッダを自称した人物を特定する必要がある」


 彼はどうやら、かなりこの件について考えているらしい。痛くなってきた頭を押さえ、アナベルは呻く。


「…………一日で解決出来る気がまったくしないんですが」

「頼りにしてるぞ」


 ジークハルトはこちらの肩を叩き、再び歩き出した。


 ――推理についてはまったく頼りに出来ないだろうに。


 先ほどよりも足取り重く、アナベルは後を追う。遠くに灰色の屋根が見えてきた。村までもう少しだ。


 村の手前には橋があった。石を積み、その上に板を渡した簡素なもの。渓谷を流れる川は穏やかで、川底が見えるほど浅い。


 水温を無視すれば、そのまま渡れるような小川だ。もしも、橋が壊れても、行き来が出来なくなることもないだろう。


 橋を渡っている最中、突然、ピタリとジークハルトが足を止めた。周りをキョロキョロ見回していたアナベルは気づかず、その背にぶつかってしまう。


「うわっ」


 そのまま、バランスを崩しかけたところを、腕を掴まれて支えられた。川に落ちなかったことにアナベルは安堵の息をもらす。それから、ジークハルトを見上げた。


「どうしたんですか?」

「村に滞在する理由をどうするか考えていた」


 その言葉にアナベルは首を傾げる。


「そんなの、さっき決めたじゃないですか。腹違いの兄妹。王都出身。巡礼の旅の最中です」

「それは村に立ち寄った理由だ。村に留まってもおかしくない状況がほしい」


 ふと、蒼い瞳が何かをとられた。アナベルも視線をそちらに向ける。彼が見ているのは道の少し下を流れる川だ。――なんとなく、嫌な予感がした。


 止める間もなく、ジークハルトが一歩足を横に進める。当然、そこには足場はない。


「ちょっと――!?」


 伸ばした手は空を切る。バシャンという大きな音とともに、水しぶきがあがった。


 自ら川に飛び込んだジークハルトはずぶ濡れになった。わざと濡れるためにしゃがみこんだために、下半身どころか上のシャツも水分を吸って色が変わっている。外套マントもしばらく使い物になりそうにない。


 アナベルは両手を頬にあて、声にならない悲鳴をあげる。


「な、ななななに考えてるんですか!! 今、十一ノ月ですよ!?」

「考えはさっき言っただろう」

「何でそんな馬鹿なことを考えたかを聞いてるんです!! もっと、他にやりようはあったでしょう!?」


 彼を起こすためにアナベルも川に踏み込もうとしたが、こちらに手のひらを向けられ、止められた。


(どうせ、靴が濡れるだけなのに)


 自分は濡れ鼠の癖に、こちらの被害は気にするところが本当に気に入らない。


 アナベルはむくれたまま、緩慢な動きで立ち上がったジークハルトの手を強引につかみ、無理やり橋の上へとあげた。


「あなたって、時々本当に考えなしですよね」


 外套マントや衣服から水が勢いよく落ち、橋の板を濡らす。アナベルの非難に数度瞬きをしてから、ジークハルトはどこか不服そうに返してきた。


「君に言われたくはない」

「なっ!!」


 普段であれば真っ当な指摘も、この状況で言われれば、言い返されたようで腹が立つ。反論を口にする前に、別の声が割って入ってきた。


「あなたたち、大丈夫?」


 気づくと、橋の向こうに一人の少女が立っていた。


 手に持っているのは桶だ。川に水汲みでもしに来たのだろうか。彼女はこちらに近づいて来る。それから、ジークハルトを見上げて、不思議そうに目を瞬かせる。


「川に落ちたの?」

「ああ、足を滑らせた」


 それだけにしてはずぶ濡れだろう彼を見て、少女は少し眉を顰める。


「抜けてるのね」

「は!?」


 多少辛辣ではあるが、水深の浅い川に落ちた人間に対してごくごく普通の反応を示した少女に対して、声をあげたのはアナベルだ。言われた当人は表情一つ変えずにいる。


「ごめんなさい。つい」


 こちらの怒りの表情に気づいたのか、少女は謝罪を口にする。しかし、言い方は抑揚がなく、表情も生気に乏しい。本当に悪いと思っているように見えない。


「やめるんだ。アナベル」


 敵意を向けるアナベルを諫め、ジークハルトは少女に問いかけた。


「君はこの先の集落の人間か?」

「ええ、そうよ。あなたたちは?」


 そう訊ねる声音は堅い。どこか警戒しているようだった。


「私はジーク。こちらは妹のアナベルだ。巡礼の旅をしている」

「…………巡礼」


 自己紹介としてはそれほど不審なものではないだろう。しかし、何故か彼女の表情は余計に険しくなった。何故か二人の間に緊張した空気が流れている。アナベルは大きく咳ばらいをした。


「大変申し訳ないんですが、――御覧の通りはびしょびしょなんです。こんな寒い時期にこのままでは風邪をひき、果てはこじらせてポックリ死んでしまうかもしれません。どうか、助けていただけないでしょうか?」


 少女はアナベルとジークハルトを見比べる。それから、少し考えるそぶりを見せてから頷いた。


「ここから他の集落までは遠いものね。なんとかしてあげるわ」


 そう言って、少女は持っていた手桶に川の水を汲み上げる。それを重そうに両手で持ち上げ、村の方角へと歩き出す。


「来なさい。……着替えを貸してくれそうな家に案内してあげる」


 乗り気ではないものの、なんとか村の人間の助けを借りることが出来そうだ。アナベルは安堵の息をもらす。


(もしもの際は魔術でどうにか出来るとはいえ、せっかく川に落ちたのが無意味になってしまいますからね)


 ジークハルトは「ありがとう。助かる」と感謝の言葉を言ってから、ふと思い出したように訊ねた。


「君の名前を教えてもらえるか?」


 少女は一度足を止める。風が吹き、彼女の長い黒髪がなびく。どこか覗うような視線をこちらに向けてから彼女はこう答えた。



「エッダよ」

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