二章:ジェカの少女④


「どうにか今日中に問題を解決しよう。明日の朝に出立すれば、船になんとか間に合うだろう。それでいいか?」

「うん、大丈夫」

「まずはレルヒェ村へ向かう。詳しい話は向こうに着いてからだ。ヴィクトリアと一緒に馬に乗ってくれ。アナベル、君は――」


 ジークハルトはこちらを振り返る。


 ヴィクトリアも自身の馬を馬房から出す準備を始め、ミルシュカもそれを手伝い始める。さも、レルヒェ村へ向かうのが決定事項のようだが、アナベルにはそのことがとんでもなく気に食わなかった。


 不機嫌さをまったく隠さず、仁王立ちする護衛を見て、彼は口を閉じる。 


「ちょっと、いいですか?」


 すぐ傍にミルシュカがいる。彼女の前で怒りを爆発させるほど短慮ではないつもりだ。


 馬小屋の奥、ミルシュカたちからは死角になる場所までジークハルトを押す。腕を引くと、意図を察して、少し屈んでくれた。小さな声で訊ねる。


「本気で、あの子がいるうち今日中に解決させるつもりですか?」

「ああ」

「無茶です」


 吐き捨てるように言う。


「レルヒェ村で何があったのか、何もなかったのかも、分かってないんですよ。村人たちが嘘をついてるとなったら、すぐに口を割るかも分かりません。――まあ、事と次第によってはすぐ解決するかもしれませんけど、それもまったく保証はないじゃないですか」


 ミルシュカとエッダを再会させてあげたい。そう思う気持ちは素晴らしい。しかし、アナベルの立場からすれば、この状況は看過できない。必死に抗議する。


「そもそも、ジークが一緒に行く必要性が分かりません。そんなの、ここの兵士に頼めばいいでしょう。レルヒェ村の人たちとも顔なじみなわけですし。全くの部外者である我々が行くより適任だと思います」

「駐屯地の人間ではこの件を解決するのは難しいかもしれない」


 不可解な言葉にアナベルは眉を顰める。しかし、ジークハルトはその言葉の意味を教えてはくれなかった。どこか探るような眼でこちらに向ける。


「どうしても、反対か」

「ええ」


 アナベルは自身の胸を叩く。


「ディート副官とも約束したんです。ジークが無茶なことをしないか見張ってるって」

「……いつそんな約束をしたんだ」

「こないだですよ。こないだ。王都を出てジークが暴走しないか心配だって」


 彼は痛そうに額を押さえている。


「とにかく、私は反対ですからね。見も知らぬ外国人の女の子にまで優しくできるのは貴方の美徳ですが、そのせいで危ない目に遭ったらどうするんですか!」

「これから向かうのは普通の村だ。危ない目に遭うわけがないだろう」

「分かりませんよ。突然、村人全員が奇声をあげて襲い掛かってくるかもしれません」


 ありえないだろう、と蒼い瞳が訴えられた。そのうえで、ジークハルトは言葉でも反論する。


「もし、万が一。そんなことが起きても対処は可能だ。ヴィクトリアもいる。君の手を借りずとも、君たち二人を守るぐらいの腕は持っている」


 そう言って、彼は腰に佩いた剣に触れる。確かに訓練もしていない一般人が元帥を負かすのは難しいだろう。


 アナベルは両手でバツを作る。


「それでも、です」


 どう考えても軍の最高責任者である彼がわざわざ足を運ぶようなことではない。アナベル個人の感情としてもレルヒェ村に向かうのは面倒であるし、厄介ごとに首を突っ込みたくない。


「少なくとも、独断で動くのは賢明ではないと思います。せめて、他にも護衛を連れていきましょう」

「待ってくれ」


 ディートリヒを呼んでこよう。そう考え、扉に向かおうとしたが、引き留められた。


「何ですか」


 いくらジークハルトが相手でも、そう易々やすやすと引き下がるつもりはない。説得されるつもりもない。


 じっと睨み続けると、彼は一度目を閉じた。まるで覚悟を決めるように――そう思った瞬間、再び開いた瞳が真っすぐにこちらを見つめる。


 真剣な眼差しに、思わずアナベルは一歩後ろへ後ずさる。


「な、何を言っても無駄ですよ。簡単に丸め込まれたりは――」

「君だけが頼りなんだ」


 その言葉に、アナベルは目を見開いた。


「どうにか、ミルシュカの希望を叶えてやりたい。兵士を連れて大人数で向かえば、村人たちに警戒され、かえって状況を複雑にする可能性がある。軍人と悟られないような顔ぶれで最少人数で向かうのが望ましい。だから、このまま一緒についてきて欲しい」


 ――今、アナベルの脳内には大きな天秤がある。


 片方にはディートリヒと交わした約束。もう片方にはジークハルトの頼みが載っている。


 先に約束をしたのは副官のほうだ。元帥の安全、そして、厄介ごとに首を突っ込みたくないという素直な気持ちを優先すれば、ここはどうにかジークハルトを引き留めるべきだ。


 そのことはアナベルにも分かっている。


「頼む」


 しかし、誰かに頼られるということにこれ以上ないほど、アナベルは弱かった。しかも、その相手がジークハルトとなれば――天秤に比重がどちらに傾くかは明白だった。


 アナベルは大きく息を吸う。


「分かりました! 喜んでお供します!」


 脳内の天秤と共に、ディートリヒと交わした約束を吹っ飛ばす。


「さあ! 無駄な時間はありません! 今すぐ、早急に出発しましょう。私はジークの後ろに乗ればいいんですよね。ほら、早く準備してください」


 先ほどまでと一変し、上機嫌に笑うアナベル見てをジェカの少女は瞬きを繰り返す。一方、険しい表情を浮かべたジークハルトが額を押さえている。


「ジークハルト様。顔色が良くありません。お加減でも悪いのでしょうか?」

「…………いや、なんでもない。大丈夫だ」


 どこか照れたように満面の笑みを浮かべる王宮魔術師に、どこか痛ましそうな視線を彼は向けた。

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