二章:ジェカの少女①


 彼女はミルシュカと名乗った。


「あたし、ジェカなの。旅芸人の一座で、ずっと旅をしている。この国には少し前にやってきたの」


 駐屯地の一室を借り、ジークハルトは改めて少女の話を聞くことにした。途中、方々ほうぼうへの連絡を終えたディートリヒが戻ってきた。


「あの、ジェカってなんですか?」


 壁際に立つアナベルは隣の副官に小声で訊ねる。


「国を持たない移動民族だよ。ここから南西の地域周辺を旅していることが多いんだけど、ナルスとの講和以降はエーレハイデうちでも見かけることが増えたね。前に王都を観光したときに見た大道芸の一座もジェカだよ」

「なるほど」


 納得すると同時に、少しだけ不安を覚える。こちらの心情に気づくわけもなく、ジークハルトたちは話を続けている。


「ナルスから入って、次はイゾラへ向かう途中だったの」


 イゾラはエーレハイデの南東の海の向こうにある島国の名だ。北のスエーヴィル、西のナルスとは敵対関係が長く続くが、イゾラとは交易が盛んと聞く。最近覚えた知識だ。


ヴァルムハーフェンみなとまちを目指す途中で、レルヒェ村にも立ち寄って、そこでエッダと知り合って――」


 一瞬、ミルシュカは視線をさ迷わせる。


「用事を思い出したから、ヴァルムハーフェンから戻ってきたの。あたしたち、一週間後の船で異国イゾラへ向かうの。……その前に、話をしておきたかった」


 彼女は他の仲間たちに一言も告げず、こっそり港町を出てきたそうだ。レルヒェ村の方面へ向かう行商人に途中まで同行させてもらい、この駐屯地近くで見廻りの兵士と遭遇したらしい。山奥にあるレルヒェ村へ向かおうとする少女を案じ、兵士は彼女に同行した。


(すごい行動力ですねえ)


 アナベルが感心していると、同じことを思ったのかジークハルトが口を開く。


「よく一人で」

「旅するのは慣れているもの。仲間たちみんなが他の人に同行を頼む様子も見たことあるし。それに一人じゃないもの」


 そう言って、彼女は足元の犬と膝に乗せた猿を撫でる。先ほど、ミルシュカは自己紹介と一緒に二匹の紹介もしてくれた。


「護衛にはちょっと心もとないかもしれないけど……ゾルターンは鼻がとっても利くし、ネラは賢いんだから」

「そうか」


 自慢げに言う少女に、ジークハルトは僅かに笑う。


(こんな小さい動物じゃ、何の役にも立ちそうにないんですけど)


 一方アナベルはそんなことを思ったが、黙っておく。今はジェカの少女の反感を買うべきではないだろう。


「それで、みんなの協力もあってレルヒェ村に戻れたんだけど、……そこにいたのはエッダじゃなかったの」


 定期的に村へ巡回をしている兵士は村の人々とは顔なじみだったらしい。『エッダという子はいるか?』と兵士が訊ねると、村長は一人の少女を呼んだ。しかし、姿を現したのはミルシュカの知るエッダではなかった。


「確かに髪色も瞳の色も同じだった。遠目だったら似てると思うかもしれないけど――でも、全然別の子だったもん。なのに、村長って人も、他の村の人も、その子のことをエッダって呼ぶの」


 最初、ミルシュカはエッダという名前の子が複数いるのかと思ったそうだ。しかし、村長は『おかしなことを言うな。この村にはエッダはこの子しかおらんぞ』と言われた。そして、はじめて顔を合わせる少女が『私の顔を忘れたの?』と、笑いかけてきたのだ。


「でも、どれだけ思い返しても違う子だったから、『あなたのことなんて知らない』って言ったの。そしたら、どんどん空気が変になっていって」


 そして、兵士の一人がミルシュカを村の外へと連れ出した。その間にもう一人の兵士を村人に話を聞いてくれた。しかし、彼らがくだしたのは『一度村を離れたほうがいい』という決断だった。


 そのため、ミルシュカは兵士たちと一緒に駐屯地にやってきたらしい。その道中、彼らはミルシュカの話をうんうん聞いてはくれたものの、あまり信じている様子ではなかった。まるで村人の言うことを信じているようだったと、彼女は言った。


「あたし、嘘なんてついてない」


 ミルシュカは猿を抱きかかえる。


「勘違いもしてない。確かにあたしがエッダと話したのは日が沈んだ後のことで、時間もすごく短かったけど、――でも、だからって、間違えたりしない。あの子はエッダじゃない」

「……そうか」


 ジークハルトは頷いたきり、黙り込んでしまった。室内に沈黙が流れる。ミルシュカの前には紅茶が置かれていたが、すっかり冷めてしまっている。代わりのものをヴィクトリアが淹れ直し、客人の前に置く。ようやく元帥は口を開いた。


「君の訴えは理解した。まだ不明確な部分も多く、断言は出来ないが、なるべく君の要望に沿うように働こう」

「……本当?」


 先ほどまで訴えを聞き入れてもらえていなかったからだろう。訊ねる声音はどこか訝しげだ。


 ジークハルトは立ち上がる。


「ああ。確認したいことがある。少し、席を外させてもらう。――ディートリヒ。その間、彼女の相手を頼めるか?」


 突然指名された副官は声に出さなかったが、明らかに『俺?』という目を上官へ向ける。ジークハルトは黙って頷いた。人当たりの良い彼は、若い客人の相手をしてもらうのには適任だろう。


(まあ、他にいませんからねえ)


 ジークハルトについていくため、アナベルも一歩歩き出す。すると、途端に子犬がこちらに威嚇するように唸り始めた。それを主人がすぐに窘める。


「ゾルターン、駄目だよ」


 その声を後ろに聞きながら、アナベルは逃げるように足早に部屋を出た。



 ◆



 執務室に戻った元帥は、先ほどジェカの少女と揉めていた兵たちを呼び出した。階級だけでいえば、二等兵に過ぎない二人は緊張した面持ちで事情を話し出した。


「あの少女が説明したとおりです。巡回中に出会った行商人に頼まれて、レルヒェ村まであの子を送ることにしました」


 村で起きたことはミルシュカが語ったとおりで間違いないらしい。そして、彼女を村から出した後、残った兵士のほうは村長と話をしたそうだ。


「村長はかなり怒ってました。他の村人もあの子にあまりいい印象を持っていないようだったので、あれ以上村に留まるのは良くないと思い、こちらに連れてきた次第です」

「なるほど」


 ジークハルトは執務机に置いた紙に目を落とす。そこにはミルシュカから聞いた話と、兵士の報告が簡単にまとめられている。先ほど、彼自身で書いたものだ。思案ののち、口を開く。


「お前たちはどう思う? あのジェカの娘の発言は本当だと思うか?」


 二人の兵士はお互いに顔を見合わせる。それから、片方が遠慮がちに答える。


「あの子も嘘をついているようには見えませんが、村人たちが我々を騙しているとも思いにくいです」


 その言葉に椅子に座り、話を聞いていたアナベルは目を見開いた。


「エッダという子は村長の孫なんです。娘夫婦を十年近く前に亡くしているということもあって、村長は孫娘をかなり溺愛していて。だから、ジェカの子に別人と言われて、相当頭に来た様子でした。あそこまで怒った姿を見るのははじめてでしたよ。村長の孫娘にも、ジェカの子の話と食い違いがないか、念のために確認しましたが、発言に矛盾はありませんでした」


 二人が話をしたのは、ジェカの一座の芸が終わった後のことだという。公演の後、年の近い二人はしばらく話をしたらしい。そして、別れた。その辺りの証言に食い違いはなかったそうだ。


『夜で暗かったから、私の顔を忘れてしまったのかもしれない』


 そのエッダはそう語ったらしい。


 アナベルは眉間に皺を寄せる。

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