五章:礼拝堂と真実と秘密④
気がつくと、アナベルは真っ暗な空間にいた。
(……ここはどこでしょうか)
先ほどまで、王太弟と一緒に礼拝堂にいた。床が動き、下へ下りたことまでは覚えている。しかし、今は一人きりだ。先ほどまで触れていた彼の腕の感触はなく、周囲に人の気配も感じない。
(一体、どこに)
そんなことを考えていると、突然女の声が響いた。
「
それは先ほど、礼拝堂で聞いた声だ。天井が降り注いだその声が、今は四方から聞こえる。まるで魔術具を使って、同時に四か所から録音した音を流しているかのようだ。
アナベルは動こうとして、自身が一切身動きが取れないことに気づいた。
(――あれ?)
今、自分は立っているのか。横になっているのか。それすら分からない。どちらが下で、どちらが前なのかさえもだ。
声が再び響く。
「コノ
そう言い終わった瞬間、全身に激痛が走った。
ひどい苦しみだった。ここまでの激痛を感じるのははじめてだった。
(たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて)
アナベルは必死に助けを求める。しかし、声の出せないアナベルの叫びは誰にも聞こえない。届かない。
『この礼拝堂には絶対に近づいてはいけないよ』
かつて聞いた王太弟の警告を思い出す。
『魔術師にとってはとても危険な場所だから。義姉上も一度危ない目に遭っている。下手したら死んでしまうよ』
――彼の言うとおり、この場所に近づくべきではなかったのかもしれない。しかし、後悔しても今更遅い。体を動かすことも、魔術を使うことも今のアナベルには出来ない。
(たす、けて)
脳裏に浮かぶのは銀髪の青年の姿。終わりを覚悟しなければならないのか――そう思った瞬間だ。突然、全身を苛んでいた痛みが消えた。
「シルフィード!」
「わ、私は――」
「よかった。間に合って」
彼はホッとしたように表情を和らげた。アナベルは身体を起こそうとして、全く力が入らないことに気づく。代わりに王太弟が身体を起こしてくれる。
「体は大丈夫?」
「……はい」
全身が全力疾走をした後のような疲労感に苛まれている。寝汗をかいたかのような不快感がある。それでも、先ほどのような痛みはもう微塵もなかった。自身の体に触れるが、特におかしなところはない。
「い、今の何だったんですか」
「――声は聞こえたかい?」
アナベルは頷く。
「
その言葉に何も返すことが出来なかった。ユストゥスは落ち着いた口調で言葉を続ける。
「特に魔術師にはよく効くようだね。でも、もう大丈夫。君は侵入者じゃないと言い聞かせたから、もう同じ目に遭うことはないよ」
「い、言い聞かせたって」
「僕もどう表現するのが正しいかは分からないんだ」
彼は上を見上げる。
「多分、
――それは先ほど響いた声のことだろうか。
アナベルも同じように天井を見上げた。そこには何もない。ただ、空洞だけが続くだけだ。
「でも、それが何かが分からない。人の言葉を話し、一部こちらの言葉も理解しているけれど、人間じゃない。エーレハイデの国王と次期国王を『主』と認識して、命令を聞いてくれはする。でも、質問をしてもろくな回答はくれない。意思の疎通が図れないんだ」
「……ここは、どこなんですか?」
改めて、アナベルは周囲に視線を向ける。
そこは広さだけなら小さな小部屋だった。しかし、明らかに先ほどまでいた礼拝堂とは造りが違う。床も壁も、真っ白な凹凸のない素材で出来ている。石でも、煉瓦でも、木でもない。西方でも、東方でもない、全く違う場所に来たかのような気分だった。
「位置関係でいえば、礼拝堂の地下だよ」
アナベルは再び、天井を見上げる。先ほどアナベルは下に降りた。ならば、床を上下に動かす機構があるはずなのに、この場所にそれらしきものは見つからない。
「……上が全然見えないんですけど」
「そうだね。正確に測ったことないけど、
「に、ひゃく!?」
想定以上の深さにアナベルは呆然とする。魔術機関の《搭》の地下牢獄だってそこまで深くはない。
「何で、そんな地下に!?」
「さあね。それほど、秘匿したいものがここにあるってことじゃないかな」
話している間に、少しずつ体が動かせるようになってくる。立ち上がろうとしてふらついた体をユストゥスが支える。
「こっちにおいで」
促されるままに、アナベルは進む。しかし、それほど広くない場所だ。二歩も進まないうちに壁にぶつかる。
しかし、突然音もなく目の前の壁が消えた。アナベルは驚きのあまり、体を硬直させる。慣れているのか、王太弟は何の反応も示さなかった。
その向こうは広い空間だった。
壁も床も天井も、先ほどと同じ白い材質で作られている。床の一部が光源となっているのか、青白い光が室内を照らしている。部屋の中央には円柱のモニュメントのようなものがあった。――異質、と呼ぶべき空間だ。
「少し休もうか」
彼はそう言い、モニュメントを指さす。
この部屋には家具も何もない。アナベルは言われるがまま、円柱の横に腰を下ろした。ユストゥスも同じように隣に座る。周囲をキョロキョロ見回していると、彼が話しかけてきた。
「後のことはニクラスが上手くやってくれるはずだよ。僕らは全てが終わるまで、ここで大人しくしているのが仕事さ」
彼はニコニコと笑う。まるで、これで役目が全部終わったかのような口ぶりだ。アナベルは批難するような視線を向ける。
「随分と呑気ですね。ヘルマン将軍達がここにやってくるかもしれないじゃないですか」
「彼らはここに来れないよ」
迷いのない言葉に、アナベルは眉をひそめる。
「エレベーター――此処と礼拝堂を繋ぐあの通路を動かせるのは王族の特性を引き継ぐ男子だけだ。ヘルマン達には動かせないよ。だから、彼らはここに来れない」
「そんな馬鹿な。魔術じゃないんですから」
魔術具の類であれば、使用者を限定させることは出来る。しかし、この国に元々魔術は存在しないし、王族男子は魔術を使えない。
アナベルは笑い飛ばしたが、向こうは笑ってくれなかった。
「本当だよ」
冷たささえも感じる落ち着いた表情と声で、彼はそう言った。とうとう堪えきれなくなったアナベルは立ち上がり、大声をあげた。
「――ここは、何なんですか!!」
先ほどから非常識なものの連続だ。
人の言葉を話すのに、人間ではない謎の声。体内魔力を暴走させる術。地下深くに空間を作れる土木技術。何で出来ているかよくわからない床や壁。火とも、魔術灯とも違う明かり。果ては特定の人間でないと入れないと来た。
ここにあるものは全ておかしい。明らかに現代の技術――魔術でだって、再現出来ないものばかりだ。こんなものが東方の一国の地下にあるわけがない。
「前にも言っただろう。僕も、ここが本当は何なのか分かっていないんだ」
ユストゥスはどこまでも淡々としていた。普段のふざけた雰囲気の一切が鳴りを潜めている。
「僕が知っているのは、歴代のエーレハイデ国王はただの継承者でしかないってことだけだよ」
「……継承者?」
「そう。そのために初代国王がいくつもの仕組みを作った。僕らはただ、それを継承し続けるのが仕事なんだよ。きっと、いつか来るそのときのためにね」
王太弟の言う言葉はいつだって難しい。今の話も抽象的過ぎて、アナベルの理解が追いつかない。アナベルは弱り切ってしまった。
「意味が分からないです」
「……これから話すことは、推測が多く含まれる」
ユストゥスはそう前置きをした。
「王だけが受け継いでいく話と、義姉上の話。それとこの国の歴史や伝承から僕なりに解釈をした推論だ。だから、今からする話は誰にもしないでほしい。ジークハルトにもね。この場所の存在を知り、魔術に精通する君にだけ知っておいてほしい話なんだ」
とんでもない話だ。ジークハルトにさえ秘密にしたい話を、アナベルにしてくれると言う。本来であれば、異国の人間である自分は聞かないほうがいい話かもしれない。
しかし、今更聞かないという選択肢はなかった。
「君だけの胸の中に秘めておくと約束してくれるかい?」
真剣な言葉に、アナベルは頷くしかなった。
「――分かりました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます