五章:礼拝堂と真実と秘密③


 ヘルマンが抱くのは義憤なのだろう。欲にまみれた人間に権力を与えたくない。彼の主張は真っ当なものだ。


 ただ、今まで話した多くの人は王太弟が王になることに問題があると思っていなかった。アナベル自身もだ。


 彼はとても頭が回るし、決断力もある。国王の素質はあると思っていた。だが、目の前の将軍の考えは違う。


「ヘルマン将軍は、この人は王にふさわしくないと思っているんですね」


 彼は頷く。


「今も、実質的にエーレハイデを統治しているとはいえ、あくまで陛下の名代みょうだいだ。陛下の意に沿わないことは出来ない。だが、王になれば、自由にふるまうことが出来る。それを認めるわけにはいかない」


 ヘルマンはユストゥスを強く睨む。


「いくら、立派に陛下の名代を務めていようと、私は知っている。テレージア殿下の暮らす離宮には頻繁に商人が出入りしているそうだな? 高い宝石やドレスを買い漁り、豪勢な生活を贈っているというではないか。商人を手配しているのはあなただと言うではないか。その資金はどこから調達している? キルンベルガー家のものだけでは足りないはずだ。国庫から流しているのではないか?」


 彼の疑念に、王太弟は何も答えなかった。ヘルマンは再び、アナベルに手を差し伸べる。


「我々のしたことは国家反逆罪に問われるものだ。武力行使しようとしたことについては弁解の余地はない。最終的に如何いかなる罰も受けるつもりだ。――だが、その男を王位に継がせてはならない。そのことは分かってほしい」


 アナベルは再び二人を順番に見る。ヘルマンは真剣なまなざしをこちらに向けている。ユストゥスは将軍を見たまま、こちらに視線をくれることはなかった。


 考えた末、将軍に向かって一歩歩き出す。彼は安堵したような表情を浮かべる。


 しかし、三歩ほど歩いて、アナベルはすぐ足を止めた。先ほどとはまではユストゥスがこちらを背に庇っていたが、今度は逆だ。アナベルはユストゥスを守るように、その前に立つ。


 これがアナベルの出した結論だ。


「アナベル殿」


 ヘルマンが悲痛な声をあげる。アナベルは冷静に言葉を返す。


「正直、私は誰が王様になろうと興味がありません」


 彼らにとっては問題だろうが、アナベルにとっては違う。


「私がここにいるのはジークのためです。ジークが国王になることがあの人のためになるなら、考えもしましたが――そうじゃないでしょう?」


 ジークハルト自身は王座は望んでいない。彼はただこの国を守りたいとしか思っていない。王位を継げないと分かっても、他の方法でそれを成し遂げようとしている。


 今更、王になれと言われても、きっとジークハルトは困るだろう。彼は何かを他人から奪うことを善しとしない。欲しいと思ってもいないものを与えられて、ジークハルトは喜ばない。国王という座が彼を幸せにするとも思えない。だから、アナベルの取るべき選択は一つだけだ。


「この国の王に誰が相応しいかなんてどうでもいいです。でも、ジークはこの人を支えていこうと思っています。私はジークの意に反することをするつもりはありません。なので、あなた達に協力することも、あなた達の行動を見逃すこともできません」


 目の前にいる敵は全部で二十人ほど。全員が武装している。一方のこちらは武器になるようなものは何も持っていない。相手は全員魔術耐性のあるエーレハイデ人。こちらには守るべき人間もいる。正直、分が悪い。それでも、逃げるという選択肢はない。


「この人を殺そうって言うなら、あなた達は私の敵です」


 それはアナベルからの反逆者に対しての宣戦布告だった。


 ヘルマンは残念そうに眼を閉じた。


「……そうか」


 将軍が手を振って合図を出す。彼の部下たちは一斉に剣を抜いた。アナベルは彼らを警戒したまま、背後のユストゥスに声をかける。


「私、どうすればいいですか! 囮になったからには作戦はあるんでしょう!?」


 彼頼みになってしまうのは腹立たしいが、何かしら策は講じているはずだ。返事は少し遅かった。


「前にミヒャエルが見せたような、目くらましを。少しの間だけでいい」


 指示の理由も考えず、アナベルは言われたとおりに閃光魔術を発動させる。周囲を眩い光が包む。もちろん、発動直前に目はつぶった。おそらく、ユストゥスも同じだろう。遠くから男たちの困惑する声が聞こえる。矢継ぎ早にまた、後ろに指示を仰ぐ。


「この後は――」

「それだけでいいよ」


 今のアナベルには何も見えない。ただ、腰を掴まれたのは分かった。


「もう、後は何もしなくていい」


 真っ白な光の中、アナベルを抱き寄せた王太弟は後ろに下がった。彼がいったい、何をやろうとしているか分からない。どんな表情をしているのかも分からない。


「残りは荒事が得意な人間に任せればいい」


 それでも、声音からきっといつもの胡散臭い笑いを浮かべているのは想像に容易かった。


「――命令ヲ受諾シマシタ」


 空から声が降ったのと、床が揺れ始めたのは同時のことだった。



 ◆



 王太弟がどう抗おうと、分はこちらにあった。礼拝堂の出入り口はたった一つ。ヘルマンたちの後ろにある扉だけだ。だから、王太弟は袋の鼠だ。鍵もかけた。外からの救援が来るにも時間がかかる。目くらましなんて時間稼ぎにしかならない。――そう思っていたのに。


「命令ヲ受諾シマシタ」


 閃光の中。突然、空から声が響いた。見知らぬ、女の声だ。


 ――誰かいるのか。


 ヘルマンは天井に警戒を向ける。少しずつ光が収まっていく中、視界がはっきりとしていく。しかし、そこには誰の姿もない。礼拝堂の高い天井が広がるだけだ。再び、ヘルマンは前方に注意を戻す。そして、目を疑った。


 王太弟と王宮魔術師の体は床に沈んでいた。もう、頭しか見えない。彼は綺麗な笑みを浮かべる。


「じゃあね」


 ヘルマンたちが駆け寄ったときには遅かった。既に祭壇の前に二人の姿はなく、ごく普通の石で出来た床がある。


(どういうことだ)


 ヘルマンは床に触れる。先ほど確かに二人は下へ消えていった。おそらく、舞台で使われるセリと同じ仕組みだ。しかし、床にはそれらしき隙間もなければ、周囲にその機構を動かすような何かもない。


 ――礼拝堂の扉が乱暴に叩かれたのはそのときだ。


「オーベルシュタット、ここを開けろ!」


 扉越しに向こうから聞こえるのは将軍であるニクラスの声だ。


 彼は今回、元帥毒殺未遂の犯人捜しのため、警備から外れている。そのため、今朝からヘルマンはあの気難しい将軍と顔を合わせていなかった。


 ヘルマンは先ほど、アロイスと入れ替わる形で警備を引き継いだ。礼拝堂周辺の警備を自身の部下で固め、王太弟を襲撃した。毒を盛られたのが自身であることに気づいているはずの彼の動きは明らかに罠の気配を感じた。


 それでも襲撃を実行したのは、ユストゥスさえ殺せれば後はどうなってもいいと思っていたからだ。キルンベルガー家の人間であるユストゥスに王位を継がせることを阻止さえ出来れば、その後どう処罰されようと覚悟の上であった。まさか、礼拝堂に隠し通路があるとは思っていなかったのだ。


 しかし、まだ、時間の猶予はある。ヘルマンたちが扉を押し壊すまでの間に地下への道を探し、ユストゥスを殺害すればいい。


「探せ。どこかに床を動かす装置があるはずだ」


 部下たちに指示をし、祭壇回りを調べさせる。数人に扉を警戒させる。



 ――しかし、いくら探しても、王太弟の後を追う手掛かりは見つからなかった。

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