五章:礼拝堂と真実と秘密②


 侵入者は全部で二十人近く。最後の一人が礼拝堂の扉を閉め、鍵をかける。王太弟は彼らに一歩歩み寄る。アナベルはその背中に庇われる形だ。彼はいつもの胡散臭い笑みを顔に貼りつけ、芝居がかった動作で両手を広げた。


 ユストゥスは最初、「君が来るとは思ってなかった」と言った。王太弟が待っていたのは彼らだったのだろう。


「待ちくたびれたよ。君たちの来訪を首を長くして待っていた。ようこそ、――ヘルマン将軍」


 男たちは全員濃紺の軍服を着ていた。そして、その先頭に立つのは――先日、はじめて顔を合わせた東部を任されている将軍だった。


「すべて、お見通しだったというわけですか」


 ヘルマンはどこか残念そうに息を吐いた。対照的に王太弟は機嫌が良さそうに笑う。


「毒殺なんて、正義感の強い君らしくないなとは思ったんだけどね。葡萄酒に毒を混ぜようなんて発想が出来る人間は限られている。謀反を企むなら、副官の手綱はしっかり握っておかないと駄目だよ」


 ヘルマンの斜め後ろにはエーリクの姿がある。父親は頭を押さえる。


「それについては何の申し開きも出来ない。愚息が浅知恵を働かせてしまったようでしてね。代わりに謝罪いたしましょう」

「俺からしたら、暗殺した方が手っ取り早いと思うんだけど。真正面から殺しに行くっていうのは馬鹿正直すぎるよ」


 エーリクは肩をすくめる。


 ――なんとも緊張感のない会話にアナベルは眩暈がする。


 今の話が正しければ、今目の前にいる彼らは王太弟を暗殺しようとした。それにも関わらず、父親は謝罪の言葉しか口にせず、息子は悪びれもしない。


「それで、我々が犯人と分かっていながら、野放しにされたのはどういうお考えからですか?」

「だって、証拠がなかったからね。それに主犯格が分かっても、他にどこまでが仲間なのかが分からなかった。火種は根こそぎなくしてしまうのが一番だろう?」


 今、オーベルシュタット親子の後ろには多くの仲間がいる。確かにエーリクが毒を仕込んだ犯人と分かっても、他の誰が仲間なのかまでは分からなかっただろう。ユストゥスは自身を囮にして、全員を一網打尽にしようと企んだのだ。


 将軍はどこか不快そうに眉を顰める。


「……我々があなたの思惑通りに動かないとは思わなかったのですか?」

「いいや。罠の可能性があっても、君は動くさ。ヘルマン」


 ユストゥスは目を細めた。


「君が、バルドゥルの甥である僕の即位を許すわけがないだろう?」


 ヘルマンが腰の剣柄に手を触れた。探るような視線をしばらく王太弟に向けてから、大きなため息をついた。それから、そ後ろに隠れるアナベルに視線を向ける。


「アナベル殿」


 彼の声音は前に聞いた穏やかなものだった。こちらに手を差し伸べる。


「どうして貴殿がここにいるかは分からないが……その男の傍にいるのは危ない。こちらに来てもらえるだろうか?」


 困ったような表情からも、アナベルに対しての敵意は感じない。そのことに困惑する。彼は国家反逆を目論む悪人ではないのだろうか。


 アナベルは王太弟と将軍を見比べる。すると、将軍のほうが口を開いた。


「我々がしたことを考えれば信用できないとは思うが――信じてほしい。我々は貴殿の敵ではない。我々はこの国を思って行動しているのだ」

「……この国を?」


 ヘルマンは頷く。


「貴殿はこの国の王位を誰が継ぐべきだと思う?」


 ――そんなこと聞かれても困る。そんなの考えたこともない。


 返答に困っていると、ヘルマンが言葉を続けた。こちらの答えを聞きたかったわけではないらしい。


「この国の正当な王位継承者は元帥――ジークハルト様だ」


 アナベルは目を瞠る。


「それがジークハルト様の特異体質を理由に、次期国王の座が王弟に譲られることになった。どんな体質であろうと、ジークハルト様はエドゥアルト国王陛下とエマニュエル王妃殿下のご子息だ。王座を継げない理由にはならないだろう」


 そう言われて、はじめてアナベルも気づいた。


 ジークハルトが王位を継がないことになったのは魔術に弱い特異体質のためだ。だが、それだけと言えばそれだけだ。


 彼には人の上に立つ素質がある。魔術解除の能力を持っていないことが、そのまま王になれない理由にはならない――かもしれない。


 今までは国王が魔術に弱いのはまずいだろうと西方感覚で考えていたが、エーレハイデでも同じように考えるとは限らないのだ。


 アナベルはこめかみに人差し指を当てて、今までの説明を思い出す。


「でも、魔術解除の能力を初代国王から引き継がれているものなのでしょう? それを受け継ぐために、王族分家を作ったわけですし……それを持たないジークを国王に据えるのは問題があるのでは?」

「確かに王族の特性は次代に引き継ぐべきかもしれない。だが、その点についてはジークハルト様の次の国王を王族分家から養子を迎えることで解決する。一代の国王にその能力がなくても問題はないと思わないか?」

「はっ! 確かに!」


 アナベルは思わず納得してしまった。ユストゥスはどこか呆れたような視線をこちらに向け、ヘルマンは安堵したような息をもらす。


「ジークハルト様ご自身の特異体質についても、王宮魔術師きでんがいれば問題は解決する。今こそ、王太弟殿下の即位を中断し、ジークハルト様に王位についていただくべきだと我々は考えている」


 ――なるほど。アナベルはヘルマンの主張は理解した。


 彼は国王の息子であるジークハルトに王位を継いでほしいわけだ。確かにそれであればヘルマンにとってアナベルは敵ではないだろう。むしろ、大事な主君を守る重要な存在だ。しかし、同時に疑問が浮かぶ。


「では、なぜ、そのように進言されなかったんですか?」


 毒殺未遂はエーリクの独断のようだが、――ヘルマン自身、今行おうとしているのは謀反だ。王太弟が儀式を行っている礼拝堂に大人数で押し入った。全員が武装していることから、彼らは実力行使するつもりだったのだろう。


 だが、そんなことする前にエドゥアルトにそう訴えればいい。あの国王は臣下の言葉に耳を貸さないほど器量の狭い人間ではないはずだ。


「進言ならとっくにした」


 返ってきたのは予想外の答えだった。ヘルマンはどこか苦悩に満ちた表情で視線を床に落とす。


「以前から折りを見て――王宮魔術師きでんが派遣されてからもな。だが、国王陛下は私の言葉に耳を傾けてくださらなかった」


 ヘルマンの語るエドゥアルトの言葉にはどこか違和感を感じる。一度しか対面していないが、エドゥアルトはどういう人物だっただろうか。


「ユストゥスは優秀だ。国王の座に就くにふさわしい。……私の心配は杞憂だとしかおっしゃってくださらなかった」

「心配、ですか?」


 そう訊ねると、彼はユストゥスに視線を向けた。――その目には強い怒りを感じる。


「アナベル殿はご存じないだろうが、キルンベルガーは強欲な、私欲に満ちた一族なのだ」

「……それは、いったい」

「現当主であるバルドゥル殿も、前王妃であるテレージア殿下も自身の我欲ばかり追い求める。目的のために手段を選ばない。バルドゥル殿は若い頃、自身の武勲を挙げるために、多くを犠牲にした。テレージア殿下も王妃の座に就くために、息子を王座に就かせるために卑劣な手を使ってきた。……その犠牲になった者の姿を私は見てきた」


 彼は強く拳を握り締める。


「その血を引くユストゥスを王座に就かせるわけにはいかない」

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