五章:礼拝堂と真実と秘密①


 アナベルは溶解魔術で音もなくステンドグラスを融かした。壊したのは上の部分だけだが、そこだけでも結構な値が張りそうだ。後で賠償を要求されないかが少し心配である。


 人一人分出来た穴からアナベルは礼拝堂の内部に侵入する。魔術を使って、ゆっくりと床に着地する。アナベルは立ち上がると、目の前の人影に視線を向けた。


「驚いた」


 そう言ったのは、儀礼用らしき豪奢な白い装束を着ている王太弟だ。彼はどこか面白そうに微笑んでいる。全然驚いているようには見えない。


「まさか、君が来るとは思ってなかった」

「誰が来ると思ってたんですか?」


 アナベルは結わえた髪を解く。ここまで来れば変装の必要もない。ユストゥスはこちらの質問に答えず、別のことを口にした。


「前に説明したのを忘れたかい? 礼拝堂ここは特別な場所なんだ。しかも、今は祈祷の儀といって、戴冠式前にすませる大切な儀式の最中だ。その間、礼拝堂への立ち入りは誰も許されていない。君はとっても罰当たりなことをしているんだよ、シルフィード」

「儀式なんてただの慣習でしょう。しなかったら、王様になれないわけじゃないんですから、別にいいじゃないですか」


 聞く人が聞いたら間違いなく怒られるだろう。しかし、アナベルにとっては本音ではある。


 それを聞いたユストゥスは「あははは!」と笑い出した。


「そうだね。あくまで慣例的なものだけど、為政者の立場を支えるにはそういったものも必要なんだよ」

「なら、さっさと人でも呼んで私を追い出せばいいじゃないですか」


 そうは言ったものの、アナベルは確信していた。彼はアナベルを追い出したりはしない。案の定、王太弟は笑みを浮かべるだけだった。


「それで、僕に何か用かい。シルフィード」

「――誰がジークに毒を盛ったのかを教えてください」


 アナベルは単刀直入に切り出した。一瞬、ユストゥスは眉をひくつかせた。しかし、それ以外に動揺を態度に見せなかった。


「……何でそれを僕に聞くのかな?」

「あなたなら知っていると思ったんです」


 頭のいい彼なら、きっと既に答えにたどり着いているはずだと思った。たくさんある小瓶の中から解毒薬を見つけ出したように、たくさんの容疑者から犯人を見つけ出すことがきっと彼には出来るはずだ。――そして、その考えは王太弟の態度を見て確信に変わっている。


 一歩、王太弟に近づく。


「教えてください。誰がどうして、ジークを殺そうとしたんですか」


 こちらを見下ろす瞳から相手の考えは窺えない。それでも、アナベルの疑問に答えてくれると信じたい。


「教えてください。なんで、ジークが殺されなくちゃいけないんですか」


 気づけば、アナベルはユストゥスの胸倉を掴んでいた。どこに向ければいいのか分からない憤りを彼にぶつける。


「敵はスエーヴィルだけじゃなかったんですか? エーレハイデ国内にも、ジークの敵がいたんですか? 殺そうとするぐらい、あの人を邪魔だと思っている人がいたんですか?」


 必死に、涙がこぼれそうになるのを堪える。


 ――アナベルはジークハルトが毒殺されかけて、ショックだった。それはジークハルトが死ぬかもしれないということもだったが、それ以上にエーレハイデ国内に彼を殺したいと思っている人間がいたという事実に対してだ。


 カミラたちの話を聞いて、エーレハイデも一枚岩ではないことを知った。派閥があり、ジークハルトを嫌う者もいる。でも、彼は王位につかない。それにも関わらず、殺そうとするのは一体どういうことなのか。アナベルには理解が出来なかった。


「教えてください。あなたなら、もう分かってるんでしょう……っ!」


 誰にもぶつけられなかった思いを、唯一答えてくれそうな相手にぶつける。


 大きな手が胸倉を掴むアナベルの手に触れた。ユストゥスはアナベルの手をゆっくりと引きはがす。はがしてもなお、アナベルの手は彼に握られたままだ。


「ジークハルトにどうやって毒が盛られたか、分かるかい?」


 それは昨日、カミラとした推理ごっこの続きだった。あの時は決してたどり着けなかった答え。その答えを目の前の男は知っている。――調査なんてする前から分かっていたのだ。


「毒が入っていたのは晩餐会に出された葡萄酒だ。王族が飲むものは特別製でね。特定の人間に毒を盛るのは最適だったんだと思う。保管庫には警備も敷いてはいたけれど、王城や軍の関係者なら近づくのはそれほど難しくない。警備を味方に引き入れれば、驚くくらい簡単に毒を仕込める」


 葡萄酒は昨日も候補として出されたものだ。確かに酒瓶に毒を仕込めば二分の一の確率でジークハルトを毒殺出来る。しかし、それは動機面で可能性は低いとカミラに否定された。


「で、でも、そのお酒はあなたも飲むものなんですよね?」


 困惑しながらも、訊ねる。


「国内でジークを殺すとしたら強硬派なんですよね? お酒に混ぜたら、あなたが死ぬかもしれないじゃないですか」

「いいや。酒に混ぜれば、確実に対象を殺せるんだよ」


 ユストゥスはどこまでも落ち着いた態度だった。


「二本ある瓶にはそれぞれ別のものが入っていた。一本は葡萄酒。もう一本の中身はただの葡萄ジュースだよ。ジークハルトはお酒は飲めないからね」


 それはアナベルが知っているのとはまったく違う情報だった。だから、すぐに反論を口にする。


「そんなの嘘です! 前にディート副官に聞きました。ジークの誕生日祝いに、一緒にお酒を飲んだって。お酒が飲めないなんてそんなわけありません」


 それは二ヶ月前のことだ。ジークハルトの誕生日祝いを準備するため、アナベルは情報収集をしていた。その際にディートリヒが言っていたのだ。『俺は物はあげてないよ。お酒を買って、一緒に飲んだ』と。


「うん、そうだね。正確にはちょっと違うかな」


 彼はその指摘を素直に受け入れた。


「あの子はお酒は飲めるけど、弱いんだよ。人前に出せなくなる酔い方をするから、公の場では決してお酒を飲まない。だから、ディートリヒはジークハルトに買ったお酒を一緒に飲んだんだ。王子が酒に弱いってことが知られれば、このことを悪用されかねないからね。皆には秘密にしているんだ」


 まだ、腑に落ちない部分はある。しかし、その説明を否定できる材料をアナベルは持っていない。何も言い返すことが出来ない。ユストゥスは説明を続ける。


「だから、二本ある瓶の中身は違っていた。事前に目印をつけておいて、給仕長はそれを元に給仕する予定だった」


 彼の説明に、アナベルはどこか違和感は覚えた。二本の瓶の中身は違う。二人に飲む飲み物ドリンクは別のもの。だから、毒を仕込むことが出来た。だが、何かがおかしい。


 ユストゥスは一度口を閉じる。それから、苦笑いを浮かべた。


「でも、手違いがあったみたいでね。目印が逆に伝わってたんだ。一口飲んですぐ気づいたよ。給仕長か誰かが間違えたんだなって。――僕が飲んだのは葡萄酒じゃなかったから」


 ようやく、アナベルは気づいた。王太弟は最初、毒が入っていたのは葡萄酒だと言った。そして、標的が誰なのかは明確に口にしていなかった。彼は一度も、ジークハルトが狙われたとは言っていない。


 彼はよく胡散臭い笑みを浮かべる人だった。なのに、今、彼の笑い方はどこか自嘲めいている。


「でも、逆に良かったのかもしれないね。ジークハルトには本当に申し訳ないことをしたけど、手違いがなく僕があのまま葡萄酒を飲んでいたら、きっとそのまま死んでいたから」


 アナベルは絶句した。何も言うことが出来なかった。


(毒殺されかけたのは、ジークじゃなくて王太弟……?)


 これ以上ない混乱にさいなまれる。そうなると、そもそもの前提が覆る。ジークハルトを殺そうとした人間はどこにもいなかったことになる。


「だ、誰が」


 考えがまとまらないまま、アナベルは疑問を口にする。


「誰が、あなたを殺そうとしたんですか」


 ただ、その疑問の答えは決して難しいものではなかった。


 先ほどユストゥスは葡萄酒を使えば標的を確実に狙えることを教えてくれた。派閥的には王太弟と王子は相反する立場だ。別の言い方をすれば合わせ鏡のようなもの。ジークハルトを殺す動機があるのが強硬派だとすれば――ユストゥスを殺す動機があるのは穏健派ということになる。


 アナベルの脳裏に浮かぶのはクラウゼヴィッツ家の人々の姿だ。メルヒオール。ディートリヒ。ルイーゼ。彼らの誰もが、こんなことを企てるとは思えない。


「ジークハルトがお酒に弱いっていうのを知っているのは本当に一握りの人間だけなんだ。僕やメルヒオール、あとは給仕長なんかの一部の使用人。あとは」


 ユストゥスは視線をアナベルの後方へ向ける。


「ジークハルトの古い友人たちだけだよ」


 礼拝堂の扉の向こうで、いくつもの足音が響く。乱暴に扉が開かれたのは、その直後だった。

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