四章:犯人捜し⑦


「それで王太弟殿下とお話したことがないのに、なんであの人がジークを愛しているというのを信じないんですか!!」

「……私は王太弟殿下と直接言葉を交わしたことはないが」


 エルメンガルトは逡巡するようにゆっくりと言葉を区切る。


「強硬派が元帥閣下を邪魔だと思っているのは知っている。筆頭のテレージア前王妃殿下は元帥閣下のことを悪くお思いだ。その影響は王太弟殿下にもあるはずだろう?」


 ――多分、何も事情を知らなければアナベルも彼女の言葉を信じていただろう。


 この国も一枚岩ではない。派閥がいくつかに分かれている。


 強硬派に担ぎあげられているのがユストゥスと、穏健派であるクラウゼヴィッツ家と親交の深いジークハルト。


 元々ジークハルトが王位を継ぐはずだったのに、ユストゥスがその場を奪った。表面上友好関係を築いていても、王太弟と王子の心うちがどうなのか――穿った見方はいくらでもできる。


 でも、アナベルは知っている。


 あの二人はとても仲が良い。本当の兄弟のような関係だ。ユストゥスはジークハルトを裏切らないし、ジークハルトもユストゥスを裏切らない。何も知らない周囲がどう思っていても、アナベルはそのことを知っている。


 なぜ、幼馴染と言ってもいいはずのエルメンガルトがそのことを知らないのか。そのことは不思議でしかたない。しかし、それを問いただしているほど暇ではない。


「一つ、私の知っていることをお教えします」


 だから、アナベルは事実だけ伝えることにした。


「私がこの国に派遣されることになったのは王太弟殿下がそう強く望まれたからです。そして、王太弟殿下が望まれたのは、元帥の御身を心配してのことです。そうでなければ、この国に魔術師なんていらないでしょう?」


 エルメンガルトの瞳が揺れる。アナベルの言葉に明らかに動揺したようだった。


「お前がこの国に来たのは元帥閣下に惚れてではないのか?」


 違う、と大声で否定したかったが、ぐっと堪える。先ほどの質問もそうだが、いちいち彼女がアナベル達の嘘の関係に言及してくるのが本当に面倒くさい。百面相をした後、アナベルは暴露することを決めた。


「もうこの際なのでお伝えします! 新聞で取り上げられた元帥と私が恋人同士というのは嘘の報道ですよ!」


 この状況で嘘をつき続けるのは、事実を伝えにくくなる。防波堤になると宣言しておきながら、ほんの数日でそれを破ってしまったことは申し訳なく思う。しかし、非常事態なので許してほしいと思う。


「嘘をついていたのは、元帥に好意を寄せる方々へのけん制のためです! なので、惚れた腫れたというのは事実無根です!」


 力いっぱい叫んでから、ぜえぜえと荒い呼吸をする。エルメンガルトは驚いたようにこちらを見ている。


「私がこの国に来たのは」


 一瞬、間を空ける。


「王太弟殿下のお考えに共感してのことです」


 この言い方だとまるでアナベルがエーレハイデに来たのは王太弟のためのように聞こえてしまうかもしれない。しかし、これも嘘ではない。ユストゥスはジークハルトを守ろうとした。アナベルも同じように王子を守りたいと、彼の役に立ちたいと思ったのだ。そのあたりの事情を説明すると、また話が脱線しそうなのでやめておく。


「あの人はジークに危害を加えられることを善しとはしません。決して」


 アナベルは力強く断言した。女性尉官はしばらく何も言わなかった。それから視線を落とす。


「……そうか」


 その呟きはどこか傷ついたもののように聞こえた。



 ◆



 二人は階段を上る。道中、兵士とすれ違ったが、エルメンガルトが対応してくれた。おかげでアナベルは彼女の後ろに隠れ、話さずにすんだ。


 向かったのは屋根裏だ。天窓から屋根に移り、猫のように屋根上を歩く。エルメンガルトは身体強化魔術を使っていないにも関わらず、こちらと同じぐらいしっかりとした歩みで後ろをついてくる。さすが軍人だ。


 礼拝堂に一番近い建物まで移動すると、下から見えないように屈んだ。こっそりと下を覗きこむ。


 ここからでも礼拝堂の周囲に多くの兵士がいるのが見える。しかし、当然ながら礼拝堂の屋根には誰の姿もない。兵士たちは周りを警戒しているが、空を見上げることもない。これであればうまく礼拝堂の屋根に飛び移れるだろう。


 アナベルは眼鏡を外し、ポケットにしまう。立ち上がると、エルメンガルトが声をかけてきた。


「ここからでも届くか?」

「問題ありません」


 この程度の距離なら範囲内だ。あとは着地の際に音を立てないように風魔術の準備をしておいた方がいいだろう。アナベルは詠唱しようと口を開ける。


「――今更だが」


 呪文を口にする前に、エルメンガルトが話しかけてきた。アナベルは彼女を振り返る。


 エルメンガルトはどこかばつが悪そうに、視線をさ迷わせる。そして、こちらを真っすぐに見つめた。


「自己紹介をきちんとしていなかったな。私はエルメンガルト・I・オーベルシュタットだ。君の名前を聞いてもいいか?」


 名前なんて、彼女も知っているだろう。アナベルも向こうの名前は知っている。改めて自己紹介をしようだなんて、とんだ堅物だと思った。それでも、アナベルは彼女に応える。


「アナベル・シャリエです」

「――アナベル。他に私に出来ることはあるか?」


 エルメンガルトの表情は真剣だった。


 こちらとしては自分のすることに目をつぶってくれれば十分だと思っていたが、彼女はまだ協力する気らしい。悩んだ末、アナベルは一つ頼みを口にする。


「厨房近くの掃除用具用の物置に私の友人たちがいます。彼女たちの手助けをしてくれませんか?」


 エルメンガルトが行けば、ヴィクトリアは自由に動ける。元『牙』クルイークの侍女なら警備を崩すことなく、ジークハルトたちに接触することも出来るかもしれない。


「分かった」


 彼女は力強く頷く。そのまま、立ち去るかと思いきや、こちらを見つめたまま動かない。アナベルが礼拝堂に忍び込むのを見届けるつもりなのかもしれない。


「『風よ』」


 改めて、アナベルは詠唱を口にする。それから足に魔力を込める。


「では」


 エルメンガルトに分かれの言葉を告げ、アナベルは助走もなく、跳びあがる。そのまま、暗闇に乗じて、礼拝堂の屋根に静かに着地した。元いた屋根上を振り返ると、そこにもう誰の姿もなかった。

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