四章:犯人捜し⑥


 拘束していた手を離し、二人は立って向かい合った。念のため、アナベルは扉側に陣どる。万が一にでも逃げられたら困るからだ。


 アナベルがこの二日間どうしていたかと、リーゼロッテに聞いた話を大まかに伝える。


「そんなことになっていたのか」


 エルメンガルトは落ち着きを取り戻していた。話し方の柔らかさが先ほど心配して声をかけてきたものに近い。


「私が拘束されているのは皆に知らされていないんですか?」

「いや、私は聞かされていない。そもそも、特に仕事を与えられていないんだ。父様たちは警備の応援に行っているが……元帥閣下のことがあって、任務に集中できるはずがないと、私は外された」


 俯く彼女はまるで叱られた子供のようだった。


 彼女を警備から外したのはヘルマンちちおやか、エーリクあにかは知らない。しかし、彼らの判断は正しいだろう。応接室の一件から考えても、エルメンガルトは精神的に成熟していない。今の不安定な状況で任務に就かせるのは、彼女自身もそして周囲も危険だ。


「だが、一人で部屋にいるのも落ち着かなくてな。自主的に見回りをしていたんだ」


 ――そして、偶然アナベルと遭遇したと。


(随分と仕事熱心なことで)


 そう言いたいのを堪え、胸の内に留める。現状、何が何でも彼女を味方に引き入れたい。こちらが余計な言葉を口にすれば、彼女を怒らせ、交渉が決裂しかねない。慎重に言葉を選ぶ。


「調査がどの程度進んでいるかはご存じですか?」

「いや、知らない。調査はニクラス将軍が御自ら動かれている。情報を知る者はかなり少ないと思う」


 エルメンガルトもリーゼロッテ以上の情報は持たないらしい。彼女も今朝までは軟禁状態だったので、当然と言えば当然だ。


 どこか期待するような眼をして、エルメンガルトが訊ねてきた。


「お前は犯人が誰か目星はついているか?」


 アナベルは首を横に振る。


「いいえ。だから、知っていそうな人に話を聞きに行くんです」

「それは誰のことだ」

「王太弟――殿下、のことですよ」


 つい癖で敬称をつけずに言いそうになったのを慌てて付け加える。


「あの人は最初からジークが毒を盛られたことに気づいていました。きっと、何か知っているはずです」

「そんな悠長なことをしていていいのか? 元帥閣下の元へ行き、お守りすべきでは――」


 その言葉に、逆に悠長なのはどちらだと言い返したくなる。アナベルは子供でも分かるように一から説明をする。


「いいですか。現状、おかしなことが起きているのは全部王太弟殿下の策略のためですよ。どういう思惑で私を拘束したのかは分かりませんが、こんなことをしているのは犯人捜しのために決まってます。ジークを殺そうとする人間を、あの人が許すわけないですから」


 彼は甥を助けるために魔術師が死ぬ可能性を理解した上で、調査員アナベルをエーレハイデに呼んだ。同じように――いや、前回以上の危険がジークハルトに迫った。しかも、今回の敵は城内にいる。ユストゥスは一刻も早く、相手をどうにかしたいはずだ。


「今、ジークの周りにはテオバルト将軍ごえいもいれば、ボニファーツ先生いしゃもいます。一部の人間以外近寄れません。犯人が誰だとしても、すぐにジークをどうこうすることは出来ませんよ。それよりはまず、犯人が誰なのかをはっきりさせて、その人をどうにかすべきです」


 ジークハルトは今、隔離されている。限られた人間以外に接触が出来ない。それは逆を言えば、命を狙われる危険性が限りなく低いということだ。アナベルが彼の元へ向かい、無理やり警備を突破すれば、逆に犯人をジークハルトに接触させる機会を作ってしまうかもしれない。それは避けねばならない。


「だから、まず、王太弟殿下に話を聞きに行くんです。犯人が分かっているのか、この状況はどういう企みがあってのものか。それを聞かないことには、下手に動けません」


 アナベルとしてはこれ以上なく分かりやすく説明したつもりだった。しかし、まだ、どこかエルメンガルトは納得した様子がない。彼女がどこか困惑したように口を開く。


「その、なぜ、王太弟殿下が犯人を許すわけがないと断言できるんだ?」


 ――なんと当たり前のことを訊ねてくるのだろうと思った。


 あまりのことに言葉を選ぶ余裕がなかった。


「だって、王太弟殿下はジークのこと大好きじゃないですか! 溺愛する甥っ子を殺そうとする相手を許すわけないでしょう!?」


 そう言ってからもう少し別の言い方がなかったかと後悔する。しかし、間違ったことは言っていない。あの二人は仲良しで、ユストゥスはジークハルトを溺愛している。そうでなければ、そもそもアナベルがエーレハイデの王宮魔術師になることもなかっただろう。


 しかし、向こうは困惑を隠しきれない様子だった。


「……だが、王太弟殿下にとって、元帥閣下は立場上敵対する相手だろう?」


 その言葉にアナベルは瞬きをした。


「元帥閣下は王太弟殿下を尊敬していらっしゃるご様子だが、……王太弟殿下が元帥閣下に良い感情を抱いているとは思えない」


 そして、思い出した。そもそも、彼女の言うとおり、二人は政治上は敵対する存在だ。その二人があんなに親密であることを、アナベルも不思議に思ったことがある。


「あなたは、王太弟殿下とお話したことはありますか?」

「いいや、ない」


 エルメンガルトは首を横に振る。


「元帥閣下とは恐れ多くも、幼少の頃よりご交誼に預からせていただいているが、王太弟殿下とはお目にかかる機会はほとんどなかった」

「ご、ごこうぎ?」


 難しい言い回しを使うのはやめてほしい。アナベルが理解出来ていないことを悟ると、エルメンガルトは別の言い方をしてくれた。


「国王陛下が元帥閣下――いや、ジークハルト様の話し相手を探しておられてな。兄がその一人に選ばれたのだ。年も近いからと、私も一緒に登城する許しを得た」


 以前、ディートリヒはジークハルトに幼馴染のようなものがいると言っていた。エーリクも、エルメンガルトもその一人だったのだろう。今までのやり取りでなんとなく察していた部分だ。


 どこか懐かしそうにエルメンガルトは昔を語る。


「ジークハルト様は本当にお優しい方でな。お転婆だと両親に窘められていた私のことも『健康が一番だ。体力があるのは良いことだと思う』とおっしゃってくださったのだ。男の子の遊びに混ぜてくれたり、ときには私のためにおままごとのようなことに付き合ってくださったり。本当に楽しい時間を過ごさせていただいた」


 それはきっと、彼女にとってはキラキラした宝物のような初恋の話。どこか輝くような瞳は雄弁にジークハルトへの好意を語っている。


「軍人になってからも、昔と変わらず優しく接してくださった。公平を重んじる方だから、こっそりとではあったがな。本当にありがたい話だ」

「……あなたは」


 アナベルは迷いながらも言葉を口にする。


「ジークを愛しているんですね」

「ああ」


 返答に淀みはなかった。琥珀色の瞳がこちらを射抜く。


「お前はどうなんだ」

「わ、私ですか!?」

 

 返事をする声が裏返る。こちらがジークハルトの恋人だと信じている彼女からすれば当然の問いかけだ。しかし、まさか、そんなことを訊ねられるとは思ってなかったのだ。


 防波堤になると宣言した以上、ここは『もちろん』と即答するべきだった。だが、アナベルは答えられず、言葉につまる。だって、アナベルは彼女が口にするような異性に対する愛情を誰かに対して持ったことがない。養母以外ではじめて自分を受け入れてくれたジークハルトのことを特別だとは思っているが、それが愛情なのか分からない。まだ、その答えを見つけられていない。


 そんな状態なのに、エルメンガルトの質問に答えることは出来ない。苦悩した結果、アナベルは逃げることを選んだ。


「わ、私の話はどうでもいいじゃないですか! あなた、が昔からのジークと知り合いで、あの人のことを慕っていることは分かりました!」


 無理やり話を戻す。

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