序章:そして彼女は旅立った④
「出奔したって人でしょう? おかげで機関からは除名。記録は全て消されたって」
「ああ、そうだ。今から二十七年前に彼女は失踪した。――先代のシルフィード、エマニュエル・ロワ。彼女は私の親友だったんだ」
アナベルは目を見開く。
フラヴィの昔話は色々と聞いてきたが、そんな話を聞くのははじめてだ。彼女はどこか懐かしそうな表情を浮かべる。
「学院の一つ下の後輩だったんだ。エマは元々他国で生まれ育った子でね。本人も長く魔術師としての才能があることを知らなかった。偶然、彼女に出会い、その素質に気づいたウンディーネ様が連れてきたんだ。――当時、私以外にも『四大』になりうる魔術師が現れたとちょっと騒ぎになったよ。でも、彼女はもともと普通の一般人として生活をしていた。なかなか、魔術機関の生活に馴染めずにいたようでね。私も彼女には興味があったから話しかけてみたんだ。彼女はちょっと変わったところはあったが……とても優しい子だった。すぐ仲良くなったよ」
アナベルはフラヴィの話に静かに耳を傾ける。
「学院時代はとても仲が良かった。でも、学院を卒業したあと、私は派遣員として魔術師の介入が必要な問題の解決のため大陸を駆け回る毎日だ。エマとはすれ違いの日々が続いた。ときどき会って話してはいたんだが、今思えば少しよそよそしかったかな。昔みたいに何でも私に相談できなくなってしまってたんだと思う。――ある日、突然、エマは魔術機関から姿をくらましてしまった。正確な理由は分からない。ただ、もしかしたら、もともといた一般人の世界に帰りたくなったのかもしれない」
――外の世界に帰りたい、というのはどういう心境なのだろう。
アナベルも故郷は生まれたのは魔術機関ではなく、外の国だ。ただし、肉親と呼べる存在はすでにいない。
もしかしたら、母と父と呼ぶべき存在は生きているかもしれない。しかし、アナベルには関係のない話だ。幼いアナベルを
生まれ育った国に関しても同様だ。アナベルは外の世界にいい思い出が一切ない。
アナベルの家族はフラヴィだけだ。そして、彼女がいる
「当然、行方をくらましたエマを『
『黒猫』とは、魔術機関の特殊部隊だ。彼らは魔術機関脱走者を追い、捕縛する。
脱走者を野放しにしておくのは危険だ。これまで培ってきた魔術機関の技術が流出させかねない。そのため、『黒猫』は血眼になって脱走者を探す。『黒猫』は探知魔術を使う。周囲に魔術反応がないか、過去に魔術が発動した形跡がないか調べることが出来る。そのため、脱走者は『黒猫』から逃れるためには、一切魔術を使わず、誰にも接触せずに隠れ住む必要がある。
もし、『黒猫』に捕まれば、その脱走者は機関に連れ戻され、一生太陽を見れない暮らしを送ることになる。これは比喩表現ではない。《塔》の地下深くにある牢獄に捕らえられ、二度と地上へ戻ることが叶わなくなる。
そもそも、抵抗の最中に誤って殺されてしまうこともあるし、上手く逃げ延びたとしても先ほど述べた理由から真っ当には暮らせない。魔術機関を出奔するというのはかなりリスクの高い行為なのだ。
「だが、『黒猫』はエマを見つけることが出来なかった。私も彼女がどうしているのか全く知らないままだった。ところが、今から一年程前、彼女から手紙が届いたんだ」
――それは十二月の暮れのことだ。
その手紙を持ってきたのは、普段フラヴィが世話になっている隣国の商人だった。昔からの知り合いで、以前フラヴィが助けた恩義もあって、色々と融通をしてくれる男だ。久しぶりに訪ねてきた彼は『預かり物がある』と、その手紙をこっそり渡してきたらしい。
封筒の宛名の筆跡を見てフラヴィは驚いた。
フラヴィは商人にこの手紙をどうやって手に入れたか聞いた。商人は『先日偶然酒場で知り合った男から渡してほしいと頼まれたんだ。中身を検分してもいいから、必ずサラマンダー様に渡してほしいと言われた』と言う。
「その男のことを詳しく訊ねたのだが、
結局、フラヴィはその男の正体が何者なのか分からず仕舞いだったらしい。フラヴィはそれ以上の情報を手に入れるのを諦め、誰にも知られないようにこっそりと手紙に目を通した。手紙の主は間違いなくエマニュエルだったそうだ。
「手紙には出奔した後、各地を旅し、最終的にエーレハイデに身を寄せたことが書かれていた」
先ほど話題に出た東方の国。魔術が無効化される土地。だからこそ、追っ手から逃れるために、彼女はエーレハイデに入ったのかもしれない。
「それからずっと彼女はエーレハイデで生活をしていたそうだ。そこでの生活は非常に幸せであることと……自分の死期が近いことが書かれていた」
アナベルは思わずまじまじと養母の顔を見つめる。彼女は物憂げな表情で床を見つめている。
手紙が来たのは一年前とフラヴィは言っていた。ならば、エマニュエルは――。
「……彼女はどうなったんですか?」
先ほどフラヴィはエマニュエルは親友と語っていた。それほど仲の良かった相手の死が近いことを知って、当時彼女はどう思ったのだろうか。それを考えると何だか胸が苦しくなってくる。
弱弱しく声で訊ねると、養母は困ったように笑った。
「言っておくが、彼女が手紙を書いたのは受け取るよりだいぶ前のことだ。手紙の文脈から判断すると、十年くらい前だろう。だから、私が手紙を受け取った頃にはとっくにエマは亡くなっていたんだよ。だが、せめて、彼女がその後どうなったかを確認したかった。だから、手紙を渡した男を探すようにオベールに頼んだんだが、結局見つけることは出来なかった」
フラヴィは言葉を続ける。
「渡された手紙には他に私への感謝と謝罪が書かれていた。感謝が一割、謝罪が九割。とてもエマらしい手紙だったな」
――謝罪九割の手紙なんて受け取って嬉しいだろうか。
疑問に思ったが、フラヴィはどこか嬉しそうに懐かしそうに笑っているので野暮なツッコミを入れるのはやめておいた。
「それと」とフラヴィは声のトーンを低くする。
「自分が死んだ後のことを心配していた。自分の死後、遺すものがとても心配だ。私がいなくなることで、これから先何かあるんじゃないかと思うととても恐ろしい、と書いてあった」
「遺すもの?」
妙に抽象的な表現だ。
フラヴィは頷く。
「ああ。エマニュエルは何かを遺したらしい。ただ、何を遺したのかはぼやかして書かれていた。万が一でも手紙が他の人間に渡った時のことを恐れたのか、或いは精神状態が不安定だったから分かりにくい文章になってしまったのかは、判別はつかなかった」
それは一体何を指しているのだろうか。
『四大』に数えられるシルフィードの遺したものとなれば魔術に関しての研究成果だろうか。いや、エーレハイデは基本的に魔術が使えない国だから全然違うものだろうか。全く見当がつかない。
「手紙は『私の代わりに守って』という文章で終わっていた」
フラヴィは目を伏せる。
「出来れば、私もエマの最期の頼みを叶えてやりたかった」
アナベルは何も言えず、黙って母を見上げる。
「だが、私に何が出来る。もう少し若い頃であれば派遣員として各国を巡れたが、管理職を任じされてる今はもう遠出が許される立場じゃない。西方のいずれかの国ならともかく、砂漠を越えて東方のエーレハイデまで赴くことは不可能だ。そんなことすれば上層部に不審がられ、エマがエーレハイデにいた事実が知られてしまう可能性がある。部下として信頼できる優秀な魔術師は何人もいるが、脱走者であるエマのことなんて話せるわけがない。私に打てる手はなかった」
「――私に」
アナベルは声を張り上げる。
「私に頼んでくれれば良かったじゃないですか。母様のためなら、私、砂漠の向こうまで喜んで旅しますよ!」
養母にとってそれほど大事なことなのであれば、アナベルは喜んで砂漠を越えて東方の国まで向かっただろう。
しかし、フラヴィは一年前の出来事をアナベルに教えてくれなかった。フラヴィが苦悩していることも知らず、アナベルは呑気に魔術具の開発に明け暮れていた。
フラヴィは苦笑する。
「研究員であるお前を他国に行かせたらそれこそ上層部に不審がられる。そもそも、
アナベルは押し黙る。
フラヴィの言うように、魔術機関の命令もなしに島を離れ、東方の国に向かえば間違いなく脱走者扱いをされる。そうなれば魔術も使わずひっそりと隠れ暮らすか、魔術機関の地下深くで一生を過ごすことになる。
――養母は
アナベルはギュッと服の裾を握る。
「だが、ずっと気にはかかっていた。エマニュエルは一体何を遺したのか、何を守りたかったのか。……だから、今回上層部がお前をエーレハイデに向かわせると聞いたとき、チャンスだと思ったんだ。エマの手紙のことを探れる機会はきっと今回きりだ。もう二度とない」
フラヴィの言葉は力強く、瞳には強い意志が感じられた。
「アナベル、頼む。エーレハイデに行き、エマニュエルの遺したものを探してほしい。そして、叶うのなら私の代わりにエマの最期の頼みを果たしてきてほしい」
母は娘の手を握る。
これまでアナベルはフラヴィに多大な迷惑をかけてきた。助けてもらった恩もある。どれだけ難題を命じられたとしても返せないほどの恩義がある。アナベルに断る理由は一つもなかった。
アナベルは満面の笑みを浮かべる。
「ええ、喜んで。――母様のためですもの。必ずや、先代シルフィードの遺品とやらを見つけ出し、守ってみせますとも!」
こうして、アナベルは遠路はるばる東方にある異国に旅立つことを決めたのだ。
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