一章:魔力の存在しない国③


 何も出来ないのは周囲の兵士も同様だった。


 ハーゲンもザシャも、騒ぎに気づき集まってきた兵士達も、この異常な状況を見守ることしか出来ない。――こう着状態を打開したのは、一人の男だった。


「まあ、そう冷たいこと言うなよ。ジーク」


 周囲に快活とした男の声が響く。アナベルは顔を上げ、ジークハルトは苦い表情を浮かべる。


 馬車を遠巻きに見守る兵士達の後ろから一人の男が現れた。大柄な男だ。


 歳は五十代ぐらいだろうか。白髪交じりの黒髪の男だ。とにかく縦にも横にも大きい。横に大きいのは脂肪ではなく筋肉のせいだ。服はこれまた濃紺の軍服――なのだが、かなり着崩している。一見してジークハルトとその男が身に着けているものが同じに見えない。それくらい着崩している。


 ジークハルトは立ち上がり、男を振り返った。

 

「……テオバルト」

「わざわざ遠い異国からやってきた客人をすぐに追い返しちゃ、エーレハイデの名折れってもんだ。あまりに可哀想だと思わないか?」


 テオバルトと呼ばれた男は苦笑を浮かべながら、ゆっくりとした足取りでジークハルトに近づいてくる。ジークハルトは一度アナベルに視線を向ける。しかし、すぐに彼も男の方へ歩いていく。それから、二人は小声で何かを話し始めた。


 アナベルが未だ状況が呑み込めない。困惑していると、また別の男が馬車に近づいてきた。ロッホスだ。


「ベル殿」


 彼はいつも通り落ち着いた様子だった。


「お待たせしてしまって申し訳ございません。テオバルト将軍をお探しするのに時間がかかってしまいまして」

「将軍」


 では、あの男が自分を出迎えてくれる予定の将軍か。確かにハーゲンが最初に口にした名前はそんな感じだった気がする。


 よくよく観察してみると、彼の着ている軍服の意匠は一般兵のよりジークハルトのに近い。地位があるのは間違いなさそうだ。しかし、男の雰囲気は軍のお偉いさんっぽくない。どちらかというと山賊の類に見える。それぐらい粗野な見た目だ。


「さすがロッホスさん! あの状況でも冷静ッスね!」


 ロッホスを褒めたのはザシャだ。先ほどまで彼は慌てふためくだけで何も出来なかった。しかし、アナベルは何がさすがなのかがまったく分からない。


「将軍って、元帥より偉いんですか?」

「いえ、階級は将軍のが下ですよ」

「なら、王子殿下のが身分も階級も上ってことですよね? それでなんとか出来るんですか?」


 ハーゲンは苦笑いを浮かべる。


「ええ。ですが、テオバルト将軍はジークハルト殿下の剣術の師匠なんですよ。身分や階級はあまり関係ありません」


 そういえば、将軍は王子を呼び捨てにし、かなり砕けた話し方をしていた。師匠故だろう。


 アナベルは考える。我が身に置き換えてみると、将軍は自分にとってのフラヴィみたいなものだろうか。

 

(――うん。じゃあ、あの人がきっとなんとかしてくれますね!)

 

 アナベルが問題を起こすたびに養母が呼ばれ、最終的に彼女が状況を収める。魔術機関では、何十回何百回と繰り返された展開だ。


 きっと将軍が何とかしてくれるだろう。アナベルはそう信じ、考えることをやめた。


 離れた場所で二人はまだ何かを話している。次第にジークハルトの表情には苛立ちが浮かぶようになり、言い争い始めたように見えた。しかし、それも長く続かなかった。テオバルトはジークハルトを落ち着かせるように肩を叩き、何事かを告げる。


 すると、ジークハルトは機嫌を損ねたようにこちらに背を向けてしまう。代わりにテオバルトがこちらを振り返る。——どうやら、話し合いの決着がついたらしい。


 将軍は笑みを浮かべたまま、馬車に近づいてくる。


「お嬢ちゃん、大丈夫か?」

「まあ、一応大丈夫です」

「いやあ、本当にすまなかったな。ウチの元帥じょうしが迷惑をかけた」


 アナベルは未だ馬車に乗ったままだ。テオバルトが手を差し出してきてくれた。アナベルは彼の手を借りて、再び馬車を下りる。


 騒ぎの中心になるのは慣れっこだ。本当に数えきれないほど魔術機関で問題を起こしてきた。しかし、その場合アナベルはまず間違いなく加害者側であった。謝罪や反省文を書かされることには慣れているが、逆に謝られるなんてはじめてに近い。とてもおかしな気分だ。


「えーっと、それで結局、私はここに残っていいんですか?」


 念のために確認を取ると、「当たり前だろう」とテオバルトは豪快に笑った。


「ようこそ、エーレハイデへ。オレはテオバルト・カルツ。この国の将官――将軍だ。はじめまして、魔術師殿」


 握手を求められ、アナベルも手を差し出す。


「はじめまして。魔術機関より参りました調査員のベルと申します。よろしくお願いします」

「ベルか。良い名前だ。名前で呼んでも構わないか?」

「ええ、もちろんです」


 「それと一応」とテオバルトは未だ少し離れた場所で背を向けている王子を親指で指し示す。


「あそこでヘソを曲げているのがウチの――エーレハイデの王子だ。ジークハルト・E・エーレハイデ。悪い奴じゃないんだ。許してやってくれるか?」

へそなんて曲げてない」


 王子は不機嫌そうに言い返した。アナベルの目から見ても王子はヘソを曲げているように見える。その様子に少しだけ溜飲が下がった。


 ――しかし。


「エーレハイデに魔術師は不要だ」


 ジークハルトは強い口調で同じ言葉を繰り返す。


「彼女は今すぐ魔術機関へ送り返すべきだ。私の考えは変わらない」

「お前の考えがどうであれ、魔術師派遣要請は王太弟殿下のご意志だ。次期国王・・・・の命令に背くつもりか?」


 テオバルトの言葉にジークハルトは反論しなかった。

 

「城へ戻る」


 ジークハルトが「馬を」と声をあげると、野次馬の向こうから外套マントと馬の手綱を握った兵士が現れる。ジークハルトは外套を羽織り、慣れた様子で馬に跨る。本当に様になっている。美形は何をしても絵になるから羨ましい。


 馬上からジークハルトはテオバルトに告げる。


「この件は直接、王太弟殿下に奏上する」

「お前も馬鹿だなあ。ユストゥスを説得できると思うのか? お前の進言なんてあしらわれるのが目に見えるだろう。納得できないなら、事の成り行きを黙って見守ってればいいだろう?」

「そういうわけにはいかない。主君の間違いを正すのも臣下の役割だと言ったのはお前だろう」

「この件に関しては間違いも正しいもねえだろ。ジーク。お前だって何でユストゥスがこんなことをしているのか、分かってるだろ?」

「…………それでも」


 王子はどこまでも頑なだった。


「それでも、私は魔術師派遣には反対だ」


 アナベルは黙って二人の会話を見ていた。ジークハルトは頭巾フードを被る。彼の目が今度はこちらに向けられた。完全に第三者のつもりでいたアナベルは少し驚く。


「魔術師――ベルと言ったな」


 アナベルは目を瞬かせた。


「忠告だ。この地に留まれば、君はいずれ命を落とす。命が惜しければこの国を早々に立ち去ることだ」


 アナベルはしかめっ面をする。


 婉曲的な表現は苦手だ。出来ればもっと直接的ストレートに説明してほしい。忠告ならばなおさらだ。もう少し具体的に説明してほしい。


 少し考えてから、アナベルはハッと気づく。


「それはもしかして、『このままエーレハイデに残れば私がお前を殺すことになる』的な遠回しの脅しですか!」

「……お前は真面目に話も出来ないのか」


 ——ひどい。いつだって真剣なのに。


 アナベルは心の中で反論する。


「忠告はしたからな」


 王子はそう言うと、馬の腹を蹴るう。


 馬は先ほどアナベル達がやって来たのと逆の方向――エーレハイデの領土へ向かって走り出す。アナベルはその背を黙って見送ることしか出来なかった。



 ◆



 その晩、砦では豪勢な宴が開かれた。


 主役はアナベルと、五ヶ月という長旅から帰ってきたハーゲンたち使者三人である。


 主催者である将軍を中心に非番だという三十人前後の兵士たちが歓迎をしてくれた。アナベルは将軍と一番中央のテーブルに座り、ハーゲンたちは隣のテーブルを囲んでいる。


 テーブルに並ぶのはたくさんのエーレハイデ料理だ。並ぶ料理はほとんどが庶民の食べ物らしい。王子が言っていた腸詰も何種類も並んでいる。


 そして、テーブルの中央に置かれたのは猪の丸焼きだ。アナベルの歓迎のため、テオバルトが狩ってくれたものだ。どうやら、テオバルトは森に猪に狩りに行くために砦を不在にしていたらしい。それ故に王子の来訪に気づかず、アナベルが馬車まで連れ戻される事態に至ったそうだ。そう考えるの捕まえるのに苦労したという主菜メインディッシュに殺意が湧いてくる。


 アナベルは乱暴に猪肉にナイフとフォークを突きさす。憎い相手を胃袋に収めることで、アナベルはその殺意を収める。


 兵士たちは余興だと言って、壇上で簡単な芸を披露し始める。アナベルは演者の兵士に拍手を送りながら、林檎の炭酸水アプフェルショーレと腸詰を味わう。


「はあ、贅沢の極みってやつですねえ!」

「喜んでもらえたようで何よりだ」

「ふふふ、こんな宴は魔術機関じゃしませんからね」


 お上品な人間の多い魔術機関ではこんな大人数で集まって馬鹿騒ぎみたいなことはしない。アナベルもちゃんとした宴に参加するのはこれがはじめてだ。


「こんな僻地に来た甲斐があったというもんです」


 そう言ってから、アナベルはしまったと後悔する。エーレハイデを僻地と形容するのは失礼過ぎるだろう。


 しかし、テオバルトは失言を咎めることはしなかった。


「西方は富んでいるって聞くが本当か?」

「……まあ、そうですね。魔術機関周辺の諸国は豊かなものですよ。もう数百年は戦禍もありませんしね」


 魔術機関周辺は豊かな土壌を持つ平坦な土地が続く地域だ。多種多様な農業、酪農などが盛んである。その上、長い間戦乱が起きていない。そうなると当然土地が荒れることもないし、人手が足りなくなることもない。大陸全土を見回してもあの地域ほど富んでいる地域はないだろう。


 西方でも北部や南部に行けばまた事情は違うが、そこまで説明する必要はないだろう。


「なら、こっちに来てビックリしただろ。東方は争いが珍しくない」


 アナベルは木製のジョッキを置く。


 砂漠を超えるのも大変だったが、東方を旅するのも西方より大変だった。とにかく治安が悪く、貧しい地域が多かった。西方では農民も豊かに暮らせているが、東方は貧困にあえぐ農民たちの姿も珍しくなかった。


「土地に恵まれない貧しい国も多い。エーレハイデは東方じゃマシなほうだが、決して豊かな国とは言えない。特に北部は山岳が多いし、冬の寒さも厳しい。土地が痩せてる場所も多い。南部はまだ豊かだが、国全体で何とか帳尻が合ってるような状態だな」


 なんとなく、そんな予感はしていた。


 テオバルトの言葉にアナベルは腸詰の盛った皿に目を落とす。その国の郷土料理というのはその国の土地柄を反映するものだ。


 腸詰の原料となる豚は育ちが早い。牛が食用に加工されるまでに大体二年半の期間がかかるのに対し、豚は半年で食用に出来る。そして豚は雑草を与えれば大きくなる。餌に困らないのだ。


 また、冬が厳しい地域では冬の間に家畜を育てる餌がなくなってしまう。そのため、冬が来るまでにほとんどの家畜を殺し、長い期間食べられるように保存食に加工する。腸詰という食文化が、エーレハイデがどういう国かを表しているようであった。


「なのに、隣国はエーレハイデに攻め込んでくるんですね」

「だからこそだよ。北方のスエーヴィルはウチ以上に貧しい。寒さも厳しいし、山岳ばっかりだからな。周辺諸国の土地を奪いたいのさ」

「黒鉱石もありますし?」

「いや、スエーヴィルの連中はそこはそんなに気にしちゃいないだろう。どっちかといえば自国より暖かい土地が欲しい。それが主な理由だろうな。その証拠に他の国とも戦争を繰り返してばっかりだよ、あの国は」

 

 テオバルトは麦酒を呷る。

 

「魔術師の嬢ちゃんからしちゃ信じられない話かもしれないが、黒鉱石の効力なんてそんな大したことはねえんだ。東方じゃ魔術より武力の方がモノを言う。他国には魔術師もいるが、大体は手品に毛が生えた程度のことしか出来ねえからな。王宮魔術師を抱えている国もあるはあるが、そんな多くねえな。魔術師を抱えているからすごい戦果をあげたって話も聞かねえしな」


 砂漠を越えた東方には魔術機関の力も及ばない。それはその分、魔術機関の――魔術の恩恵も受けにくいということでもある。


 魔術機関の魔術師は大規模な魔術を行使することが出来る。しかし、それはひとえに魔術機関が保有する知識、技術ゆえだ。学問として確立された知識を得、その技術を習得することで魔術師はそれ相応の魔術ちからを振るうことが出来る。


 魔術師自体は東方でも生まれるだろうが、魔術機関が七百年に渡ってつちかってきた知識を享受できない者達が独学で出来ることはたかが知れている。


 算術を例えにすれば分かりやすいだろうか。


 数字を数えられても、掛け算や割り算を知らない人間が自分でその概念に辿り着くのには時間がかかる。掛け算や割り算ならまだいい。数の数え方しか知らない者に、すべての円の面積を求めるための円周率を導き出せ、というのはとんでもない無茶だろう。よっぽどの天才でなければ不可能だ。


 魔術も算術と同じで知識の積み重ねなのだ。


 また、魔術師は幼少期に命を落とす者も多い。自身の魔力の制御が出来ず、死んでしまうのだ。魔術機関にはそれを防ぐための魔術が存在するが、東方にはそれがない。大人になれる魔術師の数も限られるだろう。絶対的な数も少ないと考えられる。


 東方の魔術師は西方の魔術師に比べれば脅威とならない。それはエーレハイデだけでなく、他国も同様なのだろう。


「でも、魔術師派遣を望むんですね」


 話を聞けば聞くほど、エーレハイデに本当に魔術師が必要なのか疑問に思う。将軍は困ったように頭を掻く。


「確かにそれだけの理由ならエーレハイデには魔術師なんていらねえって思うだろ? ……ただ、オレ個人は魔術師はいたほうがいいと思ってる。王太弟殿下とそこは同意見だな」


 将軍はそう言うと、皿の料理に手を出し始める。魔術師がいたほうがいいという理由を語るつもりはないらしい。


 アナベルは息を吐いた。

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