一章:魔力の存在しない国②
突然、王子が手を伸ばしてきたと思ったら、アナベルの体が浮いた。
「殿下!」
こんな焦ったようなロッホスの声、二ヶ月半の道中でも聞いたことがない。しかし、そのことに驚いている余裕はアナベルにはなかった。
気づくとアナベルはジークハルトに担がれていた。視界がいつもより高い。体勢も不安定だ。
「ちょっ、ちょっと!」
思わず、アナベルは暴れようとする。しかし、その抵抗は見た目に似つかない、しかし、元帥の肩書に相応しい力強さで抑え込まれた。
「大人しくしていろ。危ないぞ」
彼はそう言って歩き出す。
「元帥、何してるんっスか!」
ザシャが大声をあげるが、ジークハルトは何も答えない。スタスタと先ほどまでアナベル達が歩いてきた道を進んでいく。当然、アナベルは担がれたままだ。ロッホスは何かをザシャに伝えると、どこかへ走り去っていく。残されたザシャが後を追いかけてくる。
人間一人を担いでいるにも関わらず、王子の歩みは早い。あっという間にアナベルは砦の入り口に戻ってきてしまった。
先ほどまでアナベル達が乗っていた馬車はまだ移動されず、その場に残ったままだった。馬車から荷物を下ろしていたハーゲンが驚いたように声をあげる。
「ジークハルト殿下! 何故、ここにいらっしゃるのですか? ――いえ、それより、ベル様をどうされたんですか?」
ここにいないはずの自国の王子が魔術機関の調査員を担いでやってきたら、驚きもするだろう。ジークハルトはハーゲンの声を無視し、アナベルを馬車の座席に乱暴に下ろした。そのまま、自身は馬車を下り、ハーゲンを振り向いた。
「今すぐこの娘を魔術機関に送り返せ。これは命令だ」
「――はあ!?」
ジークハルトの命令に先に反応したのはハーゲンではなく、アナベルだ。座席から勢いよく立ち上がり――馬車の天井に勢いよく頭をぶつけた。
鈍い音が響く。
「いたああああああ!!」
あまりの痛みに、アナベルは頭を抱えてその場に
ハーゲンは非常に困った様子だ。
「殿下、それは一体何故でしょうか。我々は
「王太弟殿下への説明は私からする。お前は私の命に従ったと言えばいい」
「しかし、ベル様は今いらっしゃったばかりです。調査も何も終わっていません」
「もう用は済んでいる。これ以上この国に滞在する理由がない。丁重に帰ってもらえ」
「で、ですが」
「ちょっと! 私を無視して話進めないでくれますか!!」
痛みを堪えながらアナベルは再び立ち上がる。今度は天井に頭をぶつけないよう注意しながらだ。
「私は遠路はるばる二ヶ月以上もかけてこの国に来たんですよ! 特に、砂漠越えはそれはもう酷い苦労をしたんです! 日中死ぬほど暑いのに、夜は死ぬほど寒いですし、何回も砂嵐に遭いました! 街も村もないのでろくな食事も睡眠もとれませんでしたし、魔獣に襲われかけたこともあります! 本当に大変だったんです! 心の中で仕事を押しつけてきた上層部を呪ったことも数知れず! それが今日ようやく目的地について、宴を開いてもてなしてくるって話だったのに――それを何故すぐに送り返そうとしているんですか! 私、まだエーレハイデの郷土料理も食べてないんですよ! お城に滞在できるっていうから豪勢な寝台で眠れることも期待していたのに!!」
「……お前は何をしにこの国に来たんだ」
「魔術師派遣を望む国に来た調査員として、豪勢なもてなしと異国の観光を楽しみに来ました! ついでに上層部に頼まれた調査です!」
「…………逆じゃないのか、それは」
「――あら、いけません。思わず本音が」
王子の非常識な対応に、アナベルも本音をぽろっともらしてしまった。アナベルは口を押さえる。
ジークハルトは一度目を閉じる。
「では、急いで手土産を用意しよう」
そして、そんなことを言い出した。
「エーレハイデでは保存食として腸詰が有名だ。地域や調理法ごとに数百種類ある。全ては不可能だが、この地方での代表的なものならいくつかすぐに用意できる」
「
腸詰はアナベルも大好きだ。
魔術機関ではあまり主流で食べられる物ではないが、お土産でもらったことがある。とても美味しかった。しかもそれが数百種類もあるというのはすごい。
「腸詰なら帰りの旅路でも食べやすいだろう。なんなら一緒に
「え、調理法もくださるんですか? やだ、嬉しい。魔術機関の調理師に教えればいつでも食べれるようになりますね――ってちがーう!! 手土産渡せば許されると思ってるなら大間違いですよ!!」
思わず腸詰に誤魔化されるところだった。そもそも、問題はそこではない。
ジークハルトは感情の読めない視線を向けてくる。
「駄目か」
「駄目です! 追い返すならまず追い返す正当な理由を述べてください! 納得できる理由を持ってきたとしても帰りませんけどね!」
「……いや、正当な理由があるなら、そこは帰るべきではないか?」
「嫌です! また二ヶ月半も旅をしなきゃいけないなんて考えると心が複雑骨折します!」
ジークハルトは大きな溜め息を吐いた。
「正当な理由ならあるだろう。そもそも、調査など不要だからだ。――調べるまでもなく、
アナベルは目を瞠る。ジークハルトは言葉を続ける。
「東方では国が魔術師を抱えるのは珍しいが、西方では常識だそうだな。だが、それは何のためだ? 他国からの魔術による攻撃から、国と王の身を守るためだろう」
彼の言う通り、西方では基本的にどの国でも王宮魔術師を抱えている。
実際に戦争は起こらず、牽制の意味合いが強くはあるが、元々の理由は防衛のためだ。少なくとも、魔術機関は各国に魔術師派遣に応じるのは防衛に魔術師が必要と判断したときだけ。彼の言っていることは正しい。
「だが、エーレハイデの領土内では魔術は使えない。勿論一歩領土を出れば魔術が扱えるようになるが、我々は領土を広げるつもりはない。領土に攻め込んでくる敵への防衛手段として、魔術師は必要ではない」
国の防衛に魔術師は不要と彼は言い切った。
「次に、我々は王の身を守るために魔術師を雇う必要がない。
それはアナベルも知らない情報だった。
絶句するアナベルに、「有名な話だ」と彼は事無げに言う。
「攻撃の類であっても、防衛の類であっても、全ての魔術が通用しない。無効化する。当然、魔術具の魔術もだ。王の護衛としても魔術師は必要ではない。――ついでに言っておくと、そもそもエーレハイデの民は魔術耐性がある。簡単な魔術はほとんど効かない」
アナベルはとっくに返す言葉を失っていた。
エーレハイデはただ魔術が使えないだけの土地。そう思っていた。それなのに、実際はエーレハイデに住む人間は魔術耐性があり、そもそも王族に至っては魔術がまったく効かないとは。誰もそんなことを教えてくれなかった。
もし、それが事実であれば、魔術師にとってエーレハイデという国は能力が通じない怖ろしい国であり、王族は天敵となる。
もしかしたら、自分がとんでもない場所にやってきたのではないだろうか。アナベルはそのことにようやく気づいた。そして、同時に大きな疑問を抱いた。
アナベルは青ざめたまま、目の前の
「――それなら」
冷淡な蒼い瞳がアナベルを見つめている。
「それなら、何故、あなた達は魔術機関に助力を求めたのですか?」
彼の説明が事実であれば、エーレハイデは魔術師を呼ぶ必要はない。
エーレハイデはわざわざ二ヶ月半の期間をかけて使者を魔術機関へ送った。そして、同じ期間をかけて魔術機関の人間をエーレハイデに呼んだ。
時間にすれば半年近く、金銭で云えば旅にかかった費用は決して少なくはないだろう。危険な砂漠越えでは人死にが出る可能性さえある。本当にエーレハイデに魔術師が不要であれば、何故ここまでの時間と金銭、人員と手間をかけて魔術機関へ要請をしたのかが理解出来ない。
ジークハルトは視線を逸らし、数秒黙り込む。そして、目をつぶった。
「……全ては、王太弟殿下のご意向だ」
「オウタイテイ殿下」
先程もジークハルトとハーゲンが口にしていたが、聞き慣れない言葉だ。以前、ハーゲンが説明してくれた言葉のような気がするが、混乱する頭では思い出せない。
「同じエーレハイデの王族として、代わりに私が謝罪しよう。遠路はるばる東の果てまで来訪してくれたことには感謝する」
ジークハルトは王子で元帥ということだから相当偉い人物であるはずだ。それにも関わらず、彼は膝をつき、アナベルに首を垂れた。
「だが、ここに君の仕事はない。わざわざ砂漠を越えて来てもらったのに申し訳ないが、調査は不要だ。帰ってくれ。――エーレハイデに魔術師は不要だ。そのように、君の上司に伝えてほしい」
王子にかしずかれるなんて、本来であればとてもロマンティックな状況だろう。
しかし、突然の展開にすっかりアナベルの思考回路は止まってしまっていた。ジークハルトの主張は至極当然のようにアナベルには聞こえる。何も言う事が出来ない。思いつかない。
アナベルはただ膝をつく青年を見つめていた。
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