一章:魔力の存在しない国④


(魔術師のいない国、ですか)


 西方では魔術師は珍しい存在だが、誰もがその存在自体を知っている。


 砂漠を越えるまでに通ってきた西方の国々ではアナベルが魔術機関に所属する魔術師だと知ると誰もが好待遇をしてくれた。しかし、砂漠を越えると対応はがらりと変わった。東方ではそもそも魔術師の認知度が低く、魔術師と名乗っても「知らない」というような反応が返ってくるようになった。


 ハーゲンたちもそうだ。アナベルを魔術機関の調査員として丁重に扱ってくれているが、彼らもまた魔術師というものをよく理解していない。旅の中でアナベルが簡単な魔術や魔術具を扱っている姿を見せると、最初はひどく驚いていた。魔術を見るのははじめてだとも言っていた。


(ここが先代シルフィードの辿り着いた地なんですね)


 フラヴィの話を聞く限り、エマニュエルはある意味変わり者の魔術師だったらしい。


 普通の家庭で生まれ育ち、普通の人間と同じ感覚を持った魔術師。この地に渡った彼女は幸せだったと手紙に書いた。魔術師がいないこの土地で、彼女は自身の望み通りの人生を送れたのだろうか。


 そこでふと、アナベルはもう一つの目的を思い出す。


(そうです。エーレハイデに到着したのですから、先代シルフィードの調査を始めなければ)


 どちらかというと、アナベルにとってはそちらがこんな異国までやってきた一番の目的だ。


 調査員としての仕事は結果が求められていない以上、エーレハイデに到着した時点でほとんど目的を果たしている。エマニュエルの手がかりを探すのを優先すべきだろう。


 アナベルは今後の行動をどう取るべきか考え始め、――今に至って、重大な失態に気づいた。


 先ほど、テオバルトにエーレハイデの地図を見せてもらった。


 国土はおおよそ東西125リュー500キロメートル、南北200リュー800キロメートル。山岳や森林地帯も多く、村や街の数はすべて合わせると千以上ある。――そんな国で、果たして十年前に死んだ人間の足跡を辿ることは果たして可能なのだろうか。


 それだけじゃない。考えてみればアナベルは先代シルフィードの情報をほとんどを知らない。


 名はエマニュエル・ロワ。《四大》になれるだけの実力を持った強い魔術師。歳はフラヴィより一つ年下だから現在なら四十六歳。亡くなったのが十年前なら、享年は三十六歳前後。養母曰く、性格は優しい。知っているのはそれぐらいだ。


 アナベルは思わず立ち上がった。


「なんてことでしょう! 何も知らないのと一緒じゃないですか!」


 名前だって本名を名乗っているかは怪しい。魔術機関に追われる身だ。偽名を使っていてもおかしくない。


 最低でも外見的特徴をフラヴィに聞いておくのだった。出発が慌ただしかったため、アナベルだけでなくフラヴィもそのことを失念していたのだろう。


「ええええ、もしかして私とんでもないことを引き受けてしまったのでは。十年前に死んでしまった人間の行方を追うなんて不可能なのでは。なぜ二ヶ月半前の私は気づかなかったのでしょう。いったい、私はどうやって母様の頼み事を果たせばいいのでしょうか。見当もつきません!」

「ベル? どうしたんだ。具合でも悪いのか?」


 突然意味の分からない事を叫んで立ち上がったと思えば、その場にしゃがみこみブツブツと呟く不審人物アナベルに、テオバルトは戸惑いながらも声をかけてくれる。隣のテーブルのザシャは見慣れたアナベルの奇行をいつもの事だと反応しないし、ハーゲンは苦笑いを浮かべている。ロッホスは無表情のままだ。


 ――ああ、なんて優しい人だろう。


 アナベルは感動する。


「将軍はとてもお優しい方ですね。ええ、大丈夫です。問題ありません。頭に関しては昔から『頭のネジが全部飛んでる』と言われているのでもしかしたら大丈夫ではないかもしれませんが、身体に関しては元気そのものです」

「……あー、何と言えばいいのか分からんが、とにかく元気なら良かった。聞いていると思うが、エーレハイデでは体調を崩す魔術師も多いらしいんだ。少しでも変に感じたら誰でもいいから伝えるんだぞ」

「ええ、分かりました。御心配ありがとうございます」


 そのとき、ちょうど周囲に大きな拍手が響いた。どうやら先ほどまで行われていた余興の手品が終わったところらしい。


(しまった)


 途中から全然見ていなかったとアナベルは後悔する。次はどんな余興が行われるのか。そう思っていると、次に前に出てきたのは兵士ではなかった。


 現れたのはこの場に相応しくない幼い二人組の少女だった。歳は十歳にも満たないだろう。


 アナベルは目を瞬かせる。


「ベルさんベルさん」


 隣のテーブルからこっそり声をかけてきたのはザシャだった。


「あの子たちはここで働く兵士の娘なんっスよ。遠い西方から来てくれたベルさんを是非歓迎をしたいそうっスよ」


 それはなんと嬉しいことだろう。二人はアナベルの前まで近寄って来る。そして、小さな花で出来た冠を差し出してきた。


「お客さま。エーレハイデにようこそ」

「きてくれてありがとう」

「こちらこそ、こんなに素晴らしい歓迎をありがとうございます。非常に嬉しいです」


 アナベルは娘から冠を受け取るとそのまま頭に載せる。少女たちは嬉しそうに笑う。


「とっても長旅だったんでしょう? お疲れだと思って、私たち歌を練習してきたんです」

「まあ、どんな歌ですか」

「西方の歌です。お客さまが故郷のことを思い出して寂しくならないようにと思って」


 てっきりエーレハイデの歌を歌ってくれると思ったが、違っていた。


 しかし、どんな歌を歌ってくれるにせよ、娘たちの気遣いは純粋に嬉しい。アナベルは喜んだが、何故か隣のテオバルトが表情を強張らせる。


「まあ。それは嬉しいです。どんな歌でしょう。知っているものだと嬉しいのですが」


 アナベルはパチパチと拍手をする。二人は一段高くなっている舞台にあがっていく。


 幼い彼女たちは知らないだろうが、西方は広い。数十という国があり、それぞれの国にそれぞれの文化がある。すべての歌がすべての国で歌われているだけではない。


 特にアナベルは魔術機関に拾われるまでは人間らしい生活を送っていない。歌を歌ったり、聞くような習慣がなかった。魔術機関に拾われてからも、外に出かける機会は片手ほどしかなかった。そのため、西方の一般的な歌をアナベルはほとんど知らない。本当に有名なものを片手で数えられる程度知っているだけだ。


 だから、彼女たちがこれから披露してくれる曲は知らないものである可能性が高い。そのため、アナベルは知っている曲だったらいいなと呑気に願っていた。


 周囲は話すのをやめ、壇上に視線が集まる。二人は顔を見合わせてから、歌い始めた。高い幼げな声が奏でるのは、ゆっくりとした柔らかな旋律だ。


 聞き覚えのある旋律だ。幸運なことにアナベルでも知っている曲らしい。曲名を思い出そうとし――その曲が何なのか気づいたアナベルは表情を凍りつかせた。


 少女たちはアナベルの異変に気付かず、歌い続ける。周囲も聞き入るように、彼女たちの歌声に耳を傾ける。アナベルはただ、身動きもせず、二人の歌声を聞いていることしか出来なかった。その様子を、隣に座る将軍は重たい表情で見つめる。


 少女たちは歌い終わり、再び周囲は拍手に包まれる。拍手をしなかったのはアナベルと、テオバルトだけだ。


 見事に歌い切った少女たちは無邪気な笑みをアナベルに向ける。どうだった、と感想を求めてくるような期待の表情だ。数秒、間が空く。


「………………とても、お上手でした。素晴らしいです」


 アナベルはやっとのことで何とか返事をする。


「知っている曲でしたか?」


 少女は無邪気に尋ねてくる。アナベルは頷いた。


「ええ、私も好きな曲です。――幼い頃、養母ははがよく歌ってくれました」


 彼女たちが歌ったのは子守唄だ。


 一部歌詞が違うが、旋律はアナベルが知る子守唄と全く同じだ。よく、フラヴィがアナベルによく聴かせた曲だった。


「とっても素敵な贈り物をありがとう」


 アナベルが笑ってお礼をすると、二人は嬉しそうに笑った。余興を終えた二人は部屋を出ていく。その背を見送って――アナベルは立ち上がった。


「本日は本当に素晴らしいもてなしをありがとうございました。美味しいご飯とお酒と、楽しい余興を見れて本当に満足です」


 アナベルに視線が集まる。


 部屋を照らすのはランプの明かりだ。笑みを浮かべるアナベルの顔は先ほどまで上機嫌だったとは思えないほど青白い。しかし、橙色の明かりでその顔色に気づいた人間はいなかったことだろう。


「でも、ちょっと疲れてしまいました。少し早いですがそろそろ休もうと思います。――将軍、よろしいですよね?」


 アナベルは隣のテオバルトを見下ろす。テオバルトはどこか少しばつの悪そうな表情を浮かべる。


「ああ。部屋までオレが送ろう。お前たちはまだ騒いでていいぞ」


 アナベルはテオバルトを待たず、部屋を出る。個人的な挨拶もなしに部屋を出ていったアナベルの異変にザシャとハーゲンは顔を合わせて首を傾げた。


 部屋を出ると外は少し肌寒かった。


 アナベルは先ほど荷物を置きにいった自室の方へ早足で進む。その後をテオバルトが追って来る。砦内には見張りらしき兵士の姿は何人かある。周囲に人影がなくなると漸くアナベルは足を止めた。テオバルトを振り返る。


「彼女たちにあの歌を教えたのは誰ですか」


 テオバルトは答えない。アナベルは語調を強めて、もう一度問う。


「答えてください。どうして、あの二人が魔術機関の子守唄・・・・・・・・を歌えるんですか」

「――教えたのは多分、母親だろうなあ」


 テオバルトの返事は落ち着いたものだ。まるで事もなげな様子で言う。


「別に特段珍しいことじゃない。あの子守唄はエーレハイデでは有名だ。あの二人だけじゃない。誰だって歌える」

「そんなわけないじゃないですか! アレは魔力のまだ安定していない子供たちの力を安定させるために歌う呪文の一種ですよ! 魔術機関の門外不出の魔術の一つです! 魔術機関の魔術師以外が知っていていいものじゃありません!」


 ――そうなのだ。


 彼女たちが歌った歌はただの子守唄ではない。魔術機関に伝わる魔術の一種だ。


 魔力の制御が上手くできない子供たちのために、魔術機関では母親達が歌を歌う。子守唄に魔力を込め、子供たちの魔力を安定させるための歌を歌うのだ。アナベルもフラヴィに拾われてからある程度大きくなるまで毎晩あの歌を聞かされていた。


 先程の子供たちは魔術師ではない。そのため、呪文を唱えても魔術は使えない。そもそもの歌詞も一部違うため、あの子守唄は魔術としての力を失っている。しかし、原曲が何なのかは魔術機関の人間なら誰でも気づく。


「広めるつもりはなかったんだよ」


 テオバルトは乱暴に頭を掻く。


アイツ・・・が歌ってるのを聞いた使用人が歌の意味も知らずに広めちまったんだ。気づいたときにはすでに王都中の母親があの子守唄を歌えるようになっちまってた。幸いなことに使用人は歌詞を間違って覚えててな。広がった子守唄には魔術効果はない。だから、あの子守唄が本当は何なのか隠しておくことに決めたんだ」


 最初に子守唄を歌った人物。魔術機関に伝える子守唄とその意味を知っている者。いったいそれは誰だ。魔術機関から遠く離れたエーレハイデの地に、あの歌を知っている者がいるわけがない。


 でも、アナベルには一人だけ、心当たりがある。


「それは誰ですか」


 テオバルトは逡巡する素振りを見せたが、諦めたように口を開いた。


「エマニュエル・ロワ。……元々、魔術機関に所属していた魔術師だよ」

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