第二六話 帰投、ジブラルタル

__一七九七年一一月三〇日、ジブラルタル


二五日の海戦ののち、コーン・ウォールのランズ・エンド岬にて集合し、新たな仲間を引き連れジブラルタルへ無事帰投したアルフレッドは、地中海艦隊の面子からの大歓声と共に入港を果たした。


「素晴らしいぞ、クリントン君!ああ、素晴らしいとも!」

海峡艦隊、北海方面の艦隊での動向を報告に上陸した俺は、まず初めに片腕片目の海軍少将、ネルソン提督の熱い、と言うよりは暑苦しいハグを受けた。


「あ、ありがとうございます提督。とりあえず、一旦離れてください、苦しいです……」


「ああ、すまない。しかしまぁ、向こうでは色々やってくれたみたいじゃないか?」

ネルソンは俺たちの歴戦を示すかのような傷ついたインディファティガブルの船体を眺めがら尋ねる。


「いえいえ、運が良かっただけです。それで、ジャーヴィス提督は?」

俺はわざわざ俺たちを出迎えにきた各艦の艦長達の顔を一通り見回し、地中海艦隊司令のジャーヴィス提督の顔が見えないことに気がつく。


「心配しなくても、直ぐここに来るよ。俺は司令の代理でここに居るんだ。」


「提督、少しおとなしくなりました?」

俺は提督の一人称の変化に目ざとく勘付き、これもまた尋ねる。


「うーんまあ、そうだな。バス勲爵士に叙されてからと言うもの、うちの女房が口調やら何やらに何かと口を出すようになってな。仕方なくこうやってると言うわけさ。」

提督は両手を肩まで少し上げて“お手上げ”とでも言いたいような仕草を見せた。


「あははは……それは大変ですね、じゃあまあとりあえず、こちらが海戦報告書になります。これは司令にきちんと伝えておいて欲しいのですが、ガリアがマスルエジプトに遠征を企んでいるそうです。

司令には準備をさせるよう促しておいてください。」


俺は、先日捕らえたガリア艦の艦長アントワーヌ・リュクスから耳にした情報をこっそり提督に耳打ちした。

恐らくだが、これは前世でいうナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征のことなのだろう。

この遠征の間にはアブキール湾の海戦が勃発し、英艦隊が勝利している。

その後は英艦隊はナポレオンら遠征隊をエジプトに留め続けたが、結局ナポレオンは単独で脱出、何と本国に戻るや否やフランス第一帝政を打ち立ててしまった。


今世でも同じようなことが起きれば確実にこの戦争は長引くだろう。

このあと何が起こるか知っている俺かだからこそ、この目の前の無邪気な英雄を死なせるわけにはいかないのだ。勿論、敵味方関係なく人が死ぬのを俺が見たくないと言うのもあるが。


「ふーむ……わかった。司令にも伝えておこう。ところで今週のどこか、できれば夜がいいんだが、時間空いてないか?俺の戦隊の旗艦でちょいとばかし飲まないか?他の艦長たちも来るし。こないだの海戦の拿捕賞金でこの日の為にガリア産のワインをしこたま買い込んだんだ。

まあ……なんだ、君が毎晩忙しいのは察しがつく。だが、上官との人付き合いってのも偶には重要だぞ?」

俺が疑問符を浮きべている間にも提督は勝手に話を進める。


「あ、あの提督。一体何の話です?飲みに来るか云々はわかるんですが、何と言うか話が完全に掴みきれてないと言うか。」


「うん?まさかだとは思うが君、あれだけアプローチを受けておきながら、気づいてないって言うのか?」


「は、はぁ?」

もはや本当にわからない域にまで話が勝手に進んだ俺は、ただ困惑することしかできなかった。


「……ははは、こりゃ驚いた。クリントン君、悪いことは言わん。いい加減彼女らの想いに気づいてやらんと、離れていっちまうぞ?」

提督は見えている方の目で俺の目をジロリと見つめる。


「ええっと……とりあえず、俺は一旦帰りますね。ご助言(?)ありがとうございました。」

何だか自らですら知らないような心の奥底を見透かされたような気分になった俺は、ただ足早にインディファティガブルに戻ることしかできなかった。




「あれ?艦長早かったですね。焦らなくても、帰港祝いのご馳走ならティムが飛び切り美味しそうなのを作ってきましたよ。」

俺が乗艦すると、早速壊れた索具や船体などを修理するために甲板の上は人でごった返しており、臨時艦長として指揮を取っていたロッテシャーロットが俺に声かけた。


「ま、まあな。これは……船体の補修か?結構大掛かりそうに見えるが。」


「ええ、やはり北海での海戦の後も長く洋上にいたのが悪かったようで。その上先日の海戦も響いたようですし、数日の間はドックに入れる必要があるようです。曳航するらしいので、許可を得たく艦長のお帰りを待っていたのですが。」

そう言ってロッテは近くにいた工廠長らしき人物を呼んだ。


「ああ、あなたがクリントン海佐ですか。わたしゃエリック・サンドラー。あなたの噂は予々聞いておりますよ……早速ですが、曳航してもよろしいですかな?彼女、かなりガタが来てやがりますが。」

そう言ってエリックは愛おしそうに船体をそっと撫でた。


「ひゃっ!?」

するとその時、遠くにいたインディが不思議そうに背中を軽く摩っていた。


「ああ、頼む。できれば一月末までには終わらせて欲しい。」

──で無ければ世紀の分かれ目を逃してしまう。

俺はその言葉をゴクリと飲み込んだ。


「あいよ、ちなみに前回は風呂と部屋の仕切りを追加したが、今回は何か注文があるのかい?」


「いや、船体の修理だけで構わない。改悪でない限りは好きにやってくれ。」

俺は短くそう言うと、急に騒がしくなった一団を見やった。


「シャーロット、あの一団は一体どうして騒いでるんだ?」


「さあ、わかりませんね。聞いてきましょうか?」

ロッテは首を傾げる。


「いや、俺が聞いてくるよ。着いてくるか?」


「遠慮しておきます。それじゃあ私が曳航の手続きなどを済ませておきますね。」


「ありがとう。」

俺はそう言うと、足早に一団へと足を進めようとした。


「艦長。」


「わっ!?」

俺は幽霊のように背後に現れたシアの声に思わず飛び上がった。


「あ、すみません。正面から近づくべきでしたね。報告です、先ほど本艦に乗艦していたアントワーヌ・リュクス臨時艦長が殺されました。現在は海兵隊を動員して船倉を立ち入り禁止にしております。」

シアから齎された無機質なその報は、俺とロッテを震撼させるには十分な表情であった。


「わ、わかった。案内してくれ。シャーロットは引き続き代わりに色々進めておいてくれ。」


「もちろんです。」

シャーロットはそう言うと俺はシアに向き直って頷いた。シアは「では、こちらです。」と言うと、俺とシアは船倉へ向かった。




__インディファティガブル、船倉内


シアの言った通り、すでに現場には多くの海兵隊が配備されており、何人の侵入者をもゆるさいない厳しい見張り体制を築いていた。

奥には、ナイフか何かで刺し殺された凄惨な姿で横たわるリュクスがいた。


「ここが現場です。目撃者の証言によると、ミスター・リュクスは一時間前に本艦に現れ、船倉の場所を聞いてきたそうです。

また、見張りの証言ではその時船倉には特に誰もおらず、その後も自分が中に入ってリュクス氏の死体を見つけるまでは誰も入ってきてはいなかったようです。」

現場の様子を見るに、彼が船倉で殺されたのは明らかだった。

壁はナイフで滅多刺しにされたリュクスの血でベッタリ塗れており、付近の荒れた様子からも、ここで犯人に抵抗していたことは容易に想像できた。


しかし、俺が不思議に思ったのは、それだけ他殺の痕がありながらも船倉の警備は依然厳重であったことだ。船倉は見張のいる入り口からでなければ、絶対に出入りはできず、当の見張りはリュクス以外には誰も居なかったと証言しているのだ。

無論見張りがグルであれば話は別だが、見張りは複数おり、そのようなことはできない。


「密室殺人というわけか……」

俺は結論をそう呟いた。


「ええ、我々もそう考えました。しかし、どう考えても人がその手で殺したものであり、全く犯人に見当がつかないのです。手がかりはこの血文字ぐらいですが、急いで書かれたガリアである為、どうしようにもわかりません。」

シアは、リュクスの手元にある、震えた字で書かれた文字を見るが、さっぱりわからず結局無視する。


「なるほど……とりあえず今のところはトリックも何もわからんし、船倉の周りをスケッチして片付けてくれ。それと、提督らにも報告しておいてくれ。全てできたら艦長室に報告しに来てくれればいい。」

俺は絶望の表情で横たわり続けるリュクスを暫く見つめ、そして直ぐに船倉を後にした。



「厳重な船倉、犯人に直接殺された跡、ガリア語の血文字……おわっ、すまん!」

俺はブツブツと呟きながら階段を登っていると、誰かにぶつかって少しよろける。」


「あたた……あ、ごめん艦長!あれ、事件現場に行かなくてもいいの?」

俺がぶつかったのはルナだったらしく、ルナは俺が現場に行って帰ってきた事に気づかずに尋ねる。


「いや、さっき行ってきたところだ。そうだ、ちょうどいい、今から艦長室に皆を呼ぶところだったし、ついてきてくれ。」

俺は、「現場を見ておきたいなら好きにすればいいが。」と付け加える。


「なるほど、いいよ。あと、先に何があったか色々教えてくれる?」


「ああ、構わんぞ。」


俺たちは、事件について話し合いながら艦長室に向かった。



__一〇分後、艦長室


「それじゃ、ミスター・リュクスの殺人事件について話していこう。」

俺は急拵えで作らせたスケッチと報告書をその場にいる士官全員に回して話をおさらいする。


「あのさ艦長。ちょっといいかな?」

ルナが手を挙げて質問の許しを乞う。


「どうした?」


「あのね、何で血文字を解読しないのかなーって思って。」


「ああ、まあルナの言いたいことはよくわかる。でも俺たち士官の中ですらガリア語がわかる人間は居ないんだし、そもそも低層階級出身の乗員が多い水兵たちもわかるわけないだろ?」

俺の言うことは実際、至極当然のことだ。低層階級では読みと自分の名前などを書けるぐらいが精一杯のこの時代、多言語まで手を出している物好きはそうそういない。


「なるほど……その考えは確かにその通りだけど……知ってるんだよね、一人だけ。」


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 次回 事件の全貌 世紀の戦いの準備 お楽しみに!

(次回は二本立てでお送りいたします)

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