第一六話 Nightmare
「うらめしやぁ……うらめしやぁ………」
背後でズルズルと引きずる音が聞こえ、そのすぐ後に女性らしき声が聞こえる。
俺は冷や汗をダラダラと流し、勇気を持って振り向く。
「うおおおおっっっっ!!!」
“何か”は両手を大きく広げ、大声で吼える。
「うあああああああっ!!!」
俺はもう何度目かの深夜の最悪な目覚めに、ただが夢に何を怖がっているのか、と半分呆れながらシーツで額の汗を軽く拭き、サイドテーブルに置いてあった飲みかけの水を一口で飲み干す。
「艦長、大丈夫?」
俺があまりに大声で叫んだので、何事かと自主的に俺の部屋を守っているシア達海兵隊がドタバタと銃を担いで入ってくる。
「いや、ただの悪夢だよ。気にしないでくれ。驚かせてすまないな。」
俺はそう言って、皆を部屋から出す。
「ただの悪夢……何だよな……うん。きっとそうだ。」
俺はそう言って
__翌日
バッキンガム・ハウスの広々とした食堂には、俺を含めた、インディファティガブルの上級職の乗員が全員と、それぞれ一人ずつ、担当としてつけてもらったパーラーメイドが六人の一二人がいた。
「おう、おはよう。ハンナから聞いたんだが、昨晩は騒ぎ立ててしまって済まなかったな。」
俺はついさっき食堂に来たメイに謝った。
先ほどハンナから聞いた話では、メイは騒ぎの件で怖がってしまい、なかなか寝付けなかったそうだ。
「あ、お、おはようございます……あの、き、気にしないでください。こちらこそ私が臆病なばっかりに艦長に謝らせてしまって……」
最後の方は、消え入るようにメイは答える。
「いや、別にメイは特段臆病なわけじゃないさ。俺だってたかが悪夢にあんな騒ぎを起こしただろ?おあいこ様。だろ?さ、トーストでも食べよう。」
俺は肩をすくめて、皿に乗ったトーストをメイに渡し、俺は俺で食事に戻る。
「あ、ありがとうございます………」
「おや、やはり海軍の皆様はお早いのですね。今日は何かする予定でも?」
そこへ現れたのは、現皇帝ジョージ三世陛下の妻、シャーロット皇妃殿下だった。
「いえ、特には。ただ、遅く起きてしまっては、皇室の方々にご迷惑かと思いまして……」
俺は遠慮がちに答える。
「いえいえ、大切な娘の友達ですもの。リラックスしてくださいな。そうだ、暇ならクリントンさん、貴方の紋章でも考えてあげましょうか?貴族は色々と大変ですからね、できること、頼めることは早いうちからするのが吉ですよ。」
皇妃殿下はそう言って椅子に座り、朝食を採りはじめた。
「殿下に我が家の紋章をお考えいただけるとは、誠に恐悦至極にございます。」
俺は正直に礼を言う。実ところ、俺は叙爵にばかり浮かれており、そのようなことは全く考えていなかったのだ
「あらあら、そんなに大袈裟でなくても良いのよ。」
「いえいえ、この様な名誉、例え紋章院総裁のノーフォーク公でも受けられませんよ。」
「まあ、上手いこと言ってくれるわね。それじゃあ、紋章のために、幾つか質問させてくださいね、クリントンさん。」
殿下は俺の紋章を考えることを承諾し、質問に応え、皆が食べ終わったところで、皇妃が案を考えている間、庭を散歩させてもらうことにした。
「やっぱり皇帝陛下の住む場所ってだけあってすごい広いねー。」
ルナは庭というより、一種の公園レベルの広さの庭園を見回し、すっかり感心したようだった。
「全く同感だ。池まであるようだし、本当、皇室ってのは凄いなぁ。俺も皇室一家に生まれたかったよ。」
「艦長、皇室というのも、あんまり良いことばかりではありませんよ。皇族として、恥のないように朝から晩まで、見張られ続けるんですから。それにお父様は過保護すぎますし……私もう二十歳なんですよ!!なのにまるで五歳の時みたいに……良い加減にして欲しいものです!!」
ソフィーが反論し出すが、途中から皇帝への愚痴へと変わっていった。
……おや、どこかで吐血しながら崩れ落ちる音が。
__三〇分後
「皆様、皇妃殿下がお呼びです。」
俺たちが一通り庭を見て回ったところで、王妃陛下に仕えていたメイドさんが来て言った。
「ああ、もうですか。今すぐ行きます。さ、みんな行こうか。楽しみだなぁ……」
俺は、道中メイドさんの後ろで、想像を巡らせて考えていた。
__シャーロット皇妃の部屋
「アルフレッド・ファインズ=クリントンです。紋章ができたと聞いたので拝見に上がりました。」
俺は扉をノックしてそう言うや否や、直ぐに扉が開き、中から嬉しそうなシャーロット皇妃殿下が見えた。
「思ってたより早いわね。でも、損はしてないわ。さあさあ、あなたたちも見てちょうだい。」
俺は皇妃がそこまでいうのだから、さぞかし凄いのだろうと、俺たちは期待充分に案が書かれた紙を覗き込む。
「とりあえず解説させてもらうわね。貴方はイングランド出身と聞いたからセント・ジョージ・クロスを盾形に入れてみたわ。左のサポーターにはイングランドのライオンを。右にはカムリの赤竜を入れて、モットーには貴方のお望み通り“|Ships are never built to stop in port.(船は決して港に止まるためだけに造られない)と入れておいたわ。さ、どうかしら?」
皇妃の言うことは、文面だけならば問題なしだった。問題だったのはある意味、デザイン力より重要なものだった。
「お母様、もしかして、自分で描かれたのですか……?」
ソフィーが、母に向かって問いかける。そう、シャーロット皇妃は絶望的に絵が下手だったのだ。
「ええ、そうよ。なかなか良いでしょう?」
皇妃はそんな事には全く気づいてない様で、全く見当違いな答えをする。
「……とりあえず、絵を描くのはその道の人に任せましょう。ね?お母様?」
ソフィーは、優しく母親を諭し、結局皇妃の名分で案だけ紋章院へ送り、作って貰うことにした。
__三日後の晩
「う〜ら〜め〜し〜や〜」
(またか。)
俺は心の中でそう呟いた。と言うのも、ここ最近、悪夢を見る日が三日連続で来ていたのだ。前なら多くて三日に一回程度だったのだから、そう毎日同じのばかり見せられれば、何とも思わなくるのも無理はないだろう。
「う、うらめしやー!」
“何か”は、必死に俺を脅かそうとするが、もはやその様子には可愛いとすら感じる。
(でも、前はいつもいつも脅かされてばかりだったしな……丁度いいし、今度はこっちがやってやろうか。)
俺は一旦そう思うと、頭の中にはそれを否定する言葉は出てこなかった。
「………………」
「うらめしや!うらめしや!うらめしや!」
“何か”は、躍起になって俺を脅かそうとする。
「………のだぞ。」
俺は初めは小声でゆっくりと言う。
「ん?」
背後で両腕を上下に振っていた“何か”の手が止まる。
「ここは俺の夢だぞ!!!!!でてぇいけぇー!!!!!!」
俺は瞬時に振り向き、できるだけ低く、唸るように大声で脅しかける。
「ぎゃーーーーっっっっ!!!!!!!!!」
“何か”は、いきなりの俺の動作に驚き、そのまま後ろに転けた。
「……おいおいマジかよ、俺の悪夢の正体はこんな小さいヤツだったのか?」
俺の視線の先には、尻餅をついて痛がっている、金髪で右ポニーテール、明らかに丈のあっていないダボダボの黒に所々金の縁取りの入った士官服を着て、萌え袖を作っている可愛らしいブルーの目をした少女だった。
「小さくて悪かったね!いてててて……」
少女は勢いよく立とうとするも、思っていたより腰に響いていたのか、尻を抑えて再度座り込む。
「だ、大丈夫か?俺はアルフレッド──って、もう知ってるか。前に思いっきり言ってたもんな。」
俺は、遂に夢の存在相手に挨拶するレベルにまでなったかと、半分呆れるも、少女に手を伸ばして、立つのを手助けする。
「ん、ありがと。さて、と。正体がバレちったからには仕方ねぇ!私の名前を教えてあげよう!聞いて驚くな!私は元アーデント級戦列艦、現四四門五等フリゲートのインディファティガブルちゃんさ!」
少女は、先ほどの様子とは打って変わって、まだまだ発展登場なお胸を張って、声高々に言った。
「…………………は?」
しかしまあ、そんなこと言われて「はいわかりました。」と言えるほど俺も理解力があるわけではないので、思わず思った言葉を口に出す。
「何回言わせんのさ。君の指揮艦のインディファティガブル……の精霊みたいなものかな?インディちゃんって呼んでね!」
自らをインディファティガブルのインディと名乗った少女は、ピースを左の目元に持ってきて、ポーズを決める。
「理解が追いつかない、なんで俺は夢の中でまで考えなきゃならないんだ……?」
「半分正解、半分不正解だね。及第点ってとこかな。ここは…うーん、なんで言ったら良いんだろ。境界世界って私は呼んでるけど、別に好きに呼んだら良いよ。とにかく、ここは色々な“モノ”の感情が集まる不思議な場所ってわけ。他に質問は?」
少女は、これ以上の説明はいらないだろうと言った面持ちではあるが、一応聞いてくる。
「そ、そんな非現実的なこと………」
俺は完全に困惑して呟く。
「えー、転生までしておいてまだそんなこと言うのー?」
「か、仮にそうなんだとして、だとしてだぞ?なんで俺を毎晩のように脅かしに来てたんだ?」
俺は、これ以上頭がこんがらがる前に、別の質問に切り替える。
「んとね、気分。ちょっ、冗談だから、冗談だからその目ヤメテ。本当のこと言うと、自分で言うのも恥ずかしいけど、一方的な逆恨み……みたいな感じかな?」
少女がふざけた物言いをした途端、俺は目をキッと睨み、本当のことを話させる。
「逆恨みと言うと、嵐事件とかか?」
「まあ、そうだね。あの時は痛かったよ、ほんと。」
少女は、コートの背の真ん中あたりを探るようにさする。
「そ、それはすまなかった……それじゃ、これからは脅かすのをやめてくれるのか?」
俺は、非を詫び、もう一つ質問する。
「そんなにアルフィーが私と会いたくないってんなら、金輪際二度と出てこないよ。でも、『インディさん、俺は貴方がいないとダメです。俺と毎晩会ってください!』って言ってくれるならいいよ!」
少女──いや、インディは、悪戯に笑う。
「そうか、じゃあ二度と現れなくて良いぞ。」
「ちょっ、わかった、わかったから!……お・ね・が・い♡アルフレッドかんちょう♡」
俺が冷たく言い放つと、インディは咳払いして、あざとらしくお願いする。
「はぁ……まあでも、自分の艦と話した人間なんて中々いないからな。いいよ。ただし、三日に一回だけだからな。明日も出てきたら許さないからな。」
俺は、念の為インディに釘を打つ。
「そんなに言わなくたってわかってるよぉ。あ、でももうお開きだ。そろそろで向こうは朝みたいだから。それじゃ、またねー!」
インディが手を振ると、俺はゆっくりと意識を失っていった。
「夢……だったのか?」
俺は、カーテンから漏れる
「夢じゃないよー♪」
「ぎゃーーーっ!!!」
晴々しい朝靄の中、バッキンガム・ハウスにはアルフレッドの悲鳴が響き渡った。
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