みちくさの詩

道草

寝太郎主義者

 人の運命は、綿埃のように複雑怪奇に絡まり合っている。「事実は小説より奇なり」と言われる所以ゆえんである。

 したがって、人生における岐路は予測不可能である。

 何かの拍子で鼻に餅が詰まることもあろう。狙い研ぎ澄ましたように銀杏を踏むこともあろう。小銭を奈落の底へ落とすこともあろう。足の小指をぶつけて絶命することもあろう。事実は小説より奇なり。

 脳天が沸騰するほどのたくましき妄想力をもってしても、あまねく人生を机上で創出するのは至難の業である。ことに一介の小説家が、容易く「えい」と紙面上に書き表せるものではないのである。

 ところが、この不可能性に挑む無謀な文学青年がいた。

 彼は文学をこよなく愛する一方で、文学の女神にはさほど愛されなかった憐れな青年であるという。唯一与えられた文才は、どんなに美しい事柄も塵芥ちりあくた同様に換言してしまう残念な表現力であり、彼はこの天賦の才を遺憾なく発揮してぬるぬると怪文章を綴った。

 独自性を追求した描写は理解不能の妙境に達し、物語は紆余曲折の果てに昏迷する彼の小説は、辛うじて小説とは呼べないものであった。小説をカステラとすれば、青年のそれはたまごボーロである。

 青年が小説を書く運命にないことは明々白々であった。文学の女神も「はよ諦めろ」と微笑みかけるに違いない。

 しかし彼は、運命に抗うつもりでいた。障壁のある恋ほど燃え盛るように、敵の存在が自らを成長させるように、逆風は往々にして推進力となる。もっとも彼の場合はロマンスもドラマも皆無であり、陰湿で自己完結的な、己との闘いである。

 これは、未だ語られていない文学青年の物語である。

 また同時に、日陰で開花せんと躍動した文学を愛する者たちの物語でもある。


     *


 那須備なすび君はぴかぴかの高校一年生である。高校入学を機に新たなる自己を見出し、あわよくば一世を風靡しようともくろむ浅はかな青年である。

 彼は各部活動による新入生勧誘の渦中にいた。校内の壁や扉、天井、その他平面には無数の勧誘ポスターが貼られ、どこからともなく校歌が鳴り響き、先輩方はぴちぴちの新入生を狩るべく廊下を東奔西走していた。

 パンフレットを片手に、那須備君は校内をウロウロと歩いた。行く当ては決まっていたが、しばらく見て回ることにしたのである。

 まるで祭りのようであった。教室のなかから校庭に至るまで様々な恰好をした先輩がおり、窓の外では何かのボールが放物線を描き、どこかでビートルズの曲を歌う声が聞こえてきた。

 制服の詰襟は首元をやや締めつけたが、那須備君は高揚感で気にもならなかった。彼だけでなく、あらゆる場所で人が動き回っているせいで、校舎全体が熱を帯びたように微振動していた。

 すると、青いユニフォームを着た屈強な男子生徒が那須備君に話しかけてきた。脇にはサッカーボールを抱えている。

「ねえキミ、部活はもう決まったかい?」

「ええと」

「そうか、じゃあサッカー部に来ないか?」

 男子生徒は白い歯を見せて笑った。しばらく黙っていてもその笑顔が凍りついたままずっと笑顔なので、那須備君はにわかに恐縮した。化けの皮を剥げば、新入生を食らう蛮族なのではないかと思われた。

 しかし那須備君の目指すものはサッカーではなかった。とはいえ「決まっていない」と答えたら、「じゃあサッカー部に来ないか?」と誘導されるに違いない。ここは正直に話すのが得策である。

「いえ、文芸部に入ろうかと」

「そうか! じゃあサッカー部に来ないか?」

 那須備君は「こわい」と思った。

 なるほど蛮族である。ひとたび隙を見せようものなら、新入生の明日あすは彼らの思うがままである。自主性のない者は、この時点で高校生活の三年間を棒に振ることになる。

 だが、那須備君とてその貴重な時間を無下にする気は毛頭なかった。栄光ある確かなサクセスロードを歩むため、彼は何としてでも文芸部に入りたい。

 意を決し、彼は「返事は少し待ってください」と告白された乙女のような言い訳をして、事なきを得ようとした。

 すると相手はこう言った。

「そうか、じゃあとりあえずサッカー部に来ないか?」

 那須備君は逃亡を図るより他なかった。


     *


 その後、那須備君は慣れない校内をさまよい、やがて目的の場所と思しき部屋の前に着いた。喧噪からやや離れた校舎の北端に位置するその教室の扉には、一枚の張り紙があった。

「よふこそ文芸部へ」

 張り紙は端が黄ばんでおり、古文書の一部を破り取ってきたような代物だった。その出汁がとれそうな紙面が古典的表現とよく調和していて、むしろ不審である。

 教室側面にある廊下側の窓は曇りガラスで、室内の様子は判然としなかった。しかし電灯はついていたので、誰かしらはいるようである。

 パンフレットには文芸部について一切記されていなかったが、どこかにあるはずだと歩き回った末に那須備君はここを見つけた。なるほどこれは書いてなくて当然である。知る人ぞ知る老舗の飲食店でも見つけたような気になって、彼は安堵と押し寄せる興奮の間でしばらく右往左往した。

 やがてそれが落ち着くと、深呼吸をしてから彼は横開き扉に手をかけた。無遠慮な音を立てて扉が開くと、教室には二人の生徒がいたことが分かった。

 一人は床に寝そべって、辞書を繰っていた。

 もう一人は、ただ寝そべっていた。

 那須備君は扉を閉め、惰眠部と間違えたのかと再度張り紙を見た。ところがやはり、ここは紛う方なき文芸部である。

 もう一度扉を開けると、ただ寝そべっていた女子生徒が寝仏の姿勢で「ようこそ文芸部へ」と言った。度の強い丸眼鏡がズレていて、とんちきなつらをしている。

 すると辞書を読んでいた男子生徒も顔を上げて、「あなや」と驚いた。「こんな辺境の地に新入生が」

 那須備君は唖然として扉の前に立ち尽くした。そのまま口をもぐもぐさせていると、女子生徒は部屋に入るよう彼を促した。

「少年、君は小説を愛しているかね」

 女子生徒は起き上がらないまま、藪から棒に言った。高校生にしては妙に硬質な口調である。

 突然の質問に那須備君は「ええと」と呟いた。しかしすぐに「好きです」と答えた。

「じゃあ君の一番好きな小説は何かね」

 愚問であった。生粋の読書好きである那須備君にとって、小説における「一番」という概念は存在しない。そもそも優劣をつけることさえ彼には憚られるものである。

 したがって、彼はこう答えた。

「すべての小説に愛すべき価値があります」

 この論には確固たる自信があった。小説である時点で読むべき文章であるという大胆な考え方である。しかしこれには、一つ致命的な部分があった。「すべての小説」に彼自身の書く小説は含まれない。冒頭にも述べたように、彼の書くものは辛うじて小説ではないので、含めることができないのである。この自己矛盾は彼を大いに苦しめることになるが、本人は見て見ぬふりをしているのである。

 那須備君は小説愛を滔々とうとうと語った。この愛だけは決して揺らぐことのないものであった。

 女子生徒は男子生徒の耳元で「トンデモナイやつが来たな」と囁いた。男子生徒は「こりゃ生粋の変態だ」と頷いた。

 やがて那須備君が話し終えると、女子生徒はようやく起き上がった。セーラー服の右半分に埃がついていたが、彼女は自身の体裁にはまったく頓着しないようであった。そのまま彼を指差して、「キミ合格」と言った。男子生徒も起き上がり賛同する。彼の制服にも見事に埃がついていた。

「ぜひとも入部すべきだ。入部した暁には、曇りなきバラ色の高校生活を約束しよう」

 おそらく多くの人間はこの言葉を信じないであろう。何よりも彼らの体裁が疑義に満ち溢れている。埃にまみれた人間の言う「バラ色」が真実ならば、一体何を疑えばよいのか。「床で転がっているうちに制服が灰色になる」とでも解釈するのが妥当である。

 しかし那須備君は、もとより文芸部に入部する所存であった。彼にはこの道しかなかった。これを機に文章力をさらなる高次元へと磨き上げ、彼のなかで革命を起こそうと考えていたのである。

 那須備君は入部を決意した。

 彼が想像していた文芸部とはやや異なっていたが、それでも文芸部である。先輩方二人も、こう見えて執筆時には別人のように健筆を振るうのかもしれない。

「ところで」と那須備君は言った。「部誌はどこにあるんですか?」

 女子生徒は「ああ部誌ね」と頷いた。「ないよ」

「……ない?」

「うん、ない」

「小説は書かないんですか?」

「書かない」

「じゃあ何をするんですか」

「何も」

 那須備君は恐る恐る尋ねた。

「……読書はしますか」

「しない」

「夏目漱石って知ってますか」

「アレだろ、自分のこと猫だと思ってる人」

「それは題名です」

 彼は絶句した。しばらく沈黙してから彼は「返事は少し待ってください」と言い残し、静かに教室を出た。

 彼のサクセスロードには早くも陰りが差していた。


     *


 那須備君は小説を書こうとしていた。それも、万人によって愛されるオモシロ小説を作ろうと考えていた。

 しかしながら、これは文豪でさえ不可能なことである。人の数だけ愛し方があり、決して一様ではないのだから、すべての人の心に届くものを生み出すことなど到底できない。

 容易く乗り越えられる低俗な目標を立てる者は臆病者である。高みを目指し、到達し得ない目標を掲げる者は間抜けである。彼の場合は、臆病というよりむしろ間抜けであるらしかった。

 那須備君が小説を志したきっかけは、彼の祖父の言葉である。

 祖父はよれよれの着流しを着て、常に眉間に皺をよせ、眼光は獲物を狙う鷹のように鋭く、そのあごからは素麺そうめんによく似た長い髭が生えており、森や竹林で出会えば十中八九仙人と見紛うような人であった。「ちょっと六道輪廻を散歩してくる」と言って家を出たきり行方不明となったが、彼は多くの不明瞭な言葉を残した。

「非を知ることは、是を知ることである」

「多忙こそ苦悩の救済である」

「汝、凡人たれ」

 彼は必要以上に語らない性分であったため、誰一人としてその言葉を理解する者はいなかった。

 那須備君はその真意を本人に尋ねてみたことがある。祖父はこう答えた。

「人生で最も困難なのは、精神的に安泰であることだ」

 首をかしげる那須備君に、彼は続けた。

「無数の人生が絡まり合うことで、人はようやくこれを得る」

「よくわからない」

 祖父は言った。

「ならば小説を書け」

 那須備君は、漠然とした動機で執筆に取り掛かった。これを機に、彼は万人のための小説を志すようになる。

 彼は机の木目を眺めて、物語が生まれるのを待った。

 ずっと木目を眺めていると、それが段々と波打つように動いて見えた。木目はやがて大波となり、机上は瞬く間に大海原へと姿を変えた。楽しくなってきて、そこへ一艘の小舟を浮かべてみる。その近くにヤシの木が生えた島を作り、空には白い入道雲を浮かべる。燦々(さんさん)たる太陽のもと煌めく海面にクジラが姿を現し、水飛沫を上げているその周りをカモメが飛び回る。さらにそこへ、プロペラのついた飛行機を飛ばし、島に巨大秘密基地を作る。「ういーん」と音を立てながら秘密基地が開き、なかからジェットエンジンを搭載型ソリに乗ったサンタクロースが出てくる。「ふぉっほぅー」と叫びながらサンタクロースは爆速で空を切り裂き、プロペラ機を墜落させ、カモメを遥か彼方に吹き飛ばし、入道雲に大きな穴を開け、やがて地平線の彼方へと消えていった。

 滾々と湧き出る妙案はむくむくと肥大し、淀みなく支離滅裂な文章を書くことができた。ここで那須備君が第一歩を踏み誤ったのは確かである。

 書き上がる文章は、おおよそ珍奇な言葉の陳列でしかなかった。文に深みを与えようと様々な表現を試みるが、豊か過ぎて何も分からない。さも具を入れ過ぎた味噌汁のように、彼の文章は混沌としていて掴みどころがないのである。

 やがて彼もそのことに気づくと、今度は悪しき文才の取り扱いに悩んだ。この表現技法は骨の髄まで染み込んでおり、頭で考えるよりも前にペン先が言葉を綴るのだという。自分のこととはいえ、これには閉口せざるを得なかった。

 那須備君はこれを、執筆の技術不足によるものだと考えた。あるいはスランプではないかとも疑った。

 そんな彼にとって、高校入学は一つの岐路と思われた。文芸部こそ那須備君を生来の不調から脱却せしむ好機であるかもしれない。そのような期待を抱きつつ、彼は文芸部というものを実はよく分かっていなかった。

 彼はこの部活動について次のように考えていた。

 厳かな書院造の部屋でちゃぶ台を囲み、羊羹ようかんをぱくぱく食べながら昨今の小説についてああだこうだと語り合う知的活動を日々行い、時折町へ繰り出しては花鳥風月を友として、やはりああだこうだと語り合う部活動こそ文芸部である。新入部員は部内における各流派の門下生として修行に励み、師に認められた暁には一人前の作家として作品を部誌に載せてもらえるのである。

 那須備君の文芸部観念は明治時代のもののようだが、彼はこれを信じて疑わなかった。しかし事実は無情で、思いの外単純明快なものである。


     *


「ごく控えめに言って、この部は廃部寸前だ」

 辞書を片手に、文芸部員の町谷まちや先輩は言った。女子生徒の方の八橋やつはし先輩も寝仏姿で「然り」と頷く。これでも彼女は文芸部の部長であるらしい。

 那須備君は結局、最果ての文芸部へ戻ってきていた。例え部室が書院造でなくとも、彼はこの道を歩むつもりであった。

 しかし、入部早々に廃部宣告をされるほどの危機的状況下でもなお信念を貫き通せるかは懐疑的である。

「そもそもこれは正式な部ではなく、同好会に過ぎない。便宜上勝手に『文芸部』と名乗っているが、正確には『文芸同好会』となる。要は弱小であるということだ」

 町谷先輩いわく、文芸部があまりにも活動を怠るので教員間でその必要性の是非が問われ、満場一致で「不要」という意見に帰結したそうである。当の本人である二人は「いずれ開花する」と異論を唱えるが、彼らに酌量の余地はなかった。

 町谷先輩は続けて言った。

「今年度こそ何らかの活動を行わなければ、文芸部は確実に廃部だ。挙句の果てには怠慢な学生としてはりつけにされ見世物みせものにされ、後世までの恥を学校の歴史に刻むことになるだろう」

 八橋先輩は「それもまたよし」と、達観の境地である。それは希望的観測に過ぎないだろう。彼女は「寝太郎主義だ」と町谷先輩に言った。

「よくない。ちっともよくない。なんだ寝太郎主義って」

「三年寝太郎は惰眠を貪りながら村を水不足から救う方法を常に思案していたという。それと同じように、一見何もしていないようで、脳内では嵐のように思考が渦巻いているのだ。いずれ好機が到来すれば、この脳天から火を噴いて妙案が炸裂するだろう」

「三年も待っていられるか。青春は消費期限のように短いぞ。謳歌できないまま無為に過ぎ去って、結局ごみ箱へ放るのが関の山だ」

「やろうと思えば今すぐにでも躍動できる」八橋先輩は意気揚々と言う。「好機さえあれば、我々文芸部は世界金融を混乱に陥れることさえ造作もないだろう」

 仮にそれが可能だとしても、青春を世界金融のために乱費するのは御免被りたいと那須備君は思った。「それもまたよし」と言えるのは、八橋先輩ただ一人である。

 話が逸脱し始めたので、那須備君は会話に割って入った。

「先代の文芸部は何をしていたんですか?」

 八橋先輩は「先代?」と首を傾げた。「先代はいないが」

「もしや……」

「そう、去年我々で創設した」

「それなのに活動していないんですか」

「寝太郎主義だ」

 つまり、初代部長八橋先輩は独自の開花論のもと、一年間寝そべっていたということである。では町谷先輩はどうか。彼はこう説明する。

「辞書を読み解き、ひいては世界の真如実相しんにょじっそうを解きほどうとしていたんだ」

 ここにもまた持論があった。彼は、読書の極意は厚みであると主張する。本は分厚いほど良書であると言うのである。古今東西の書物を読み漁ってこの結論に達したというが、これこそ青春をごみ箱へ放る所業である。

「いずれ、この世で最も分厚い小説を書く」

 彼は一見大層なことを言うが、果てしなくふわふわとした目標である。彼が栄光に輝く日は永遠に来ないであろう。

 八橋先輩は惰眠のため、町谷先輩は辞書読解のため、文芸部は一年間微動だにせず苔に覆われていた。かくして文芸部は跳躍の第一歩を踏み外し、言わば廃部の沼に片足を突っ込んだ危うい状況下にあるというわけである。

「それならどうして文芸部を……」

「ふふん」

 八橋先輩は卑猥な笑みを浮かべた。

「文豪たちがあむあむ議論する様を思い浮かべたまえ、かっこいいだろう」

 実際は床でねむねむしているだけではないか、と那須備君は心の内で思った。町谷先輩でさえ辞書を読みながらねむねむしていたのである。放っておけば悠久にねむねむしているに違いない。

 これではイカンと、那須備君は提案する。

「それじゃあ、まずは部誌を作りましょう。小説を書くんです」

 八橋先輩は眼鏡をくいと上げ、「ふうむ」と唸った。「億劫だなあ」

「さもなくば廃部ですよ」

「いやだ、いやだ、いやん」

「じゃあ小説を」

「それもいやん」

「町谷先輩はどうですか、小説」

 町谷先輩は辞書を持ち上げて「これを読み終わったら書いてやるとも。あと半年もあれば読破できる」と言った。

「あと半年もあれば廃部はいよいよ確実ですよ」

「むっ」

「何か活動をしましょう」

 八橋先輩は「ふうむ」しばらく黙考し、それから挙手をして言った。

「ポールマッカートニーに会いたい」

 那須備君は呆れた。

「先輩がやりたいことを聞いているわけではないんです。文芸部らしいことをしてください」

 すると彼女は、唐突に憤った。

「じゃあなんだ、固定観念に縛られて、周囲の望み通りに生きろというのか。我々のモットーは果てなき自由だ。ふりーだむっ」

「ここはむしろ無秩序です」

「そんなことないもん、ふりーだむっ」

 さて結論から言えば、この後も先輩二人は小説を書くことを頑なに拒んだ。したがって、文芸部の運命は悪文の使い手、那須備君の技量に委ねられることになる。

 果たして文芸部は惰眠から目覚めるのか。彼らの運命やいかに。

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